2009年04月28日「グラン・トリノ」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「ヤツらがいる限り、タオとスーに未来はない」
久しぶりにハリー・キャラハンの大暴れが見られると思ったら、そう来ましたか。なるほどね。クリント・イーストウッドもそういう心境になったという証拠ですな。
登場人物は彼の等身大。否応なく老いを気づかせる日々。年取ると、人ってますます短気で頑固になるというけど、ますますハードになってくる。
毎日が不機嫌。口を開けば皮肉と文句しか出てこない。もうこれが習慣になってしまい、この男を作り上げてしまっている。つまり、彼のスタイルというわけ。遠く離れた暮らす家族ですら、腫れ物に触る扱い。
そういう年寄りか妻に先立たれたんだから、こりゃ困るわな。つまり、「社会=世間」とのショックアブソーバーがいなくなっちゃうだから。「私がいなくなったらあの人のことをケアして」と若い神父にお願いしたのもよくわかる。
グラン・トリノというのは72年型のフォードね。朝鮮戦争に従軍した後、男はフォード社で組み立て工をしてたのよ。で、定年の時にこの名車を手に入れたわけ。もち、いつもはフォードのピックアップトラックを使ってる。これはあくまでも観賞用のヴィンテージ・カーつうわけ。
ある日、この愛車を盗もうにしたガキと知り合う。なんと隣のモン族のガキ。
男はイエローが大嫌い。ニガーも嫌い。ヒスパニックも嫌い。にもかかわらず不景気で、ここデトロイトも白人はどんどん消えていく。とうとう男の住んでる地域もアジア系ばかりになっちゃった。
けど、こそ泥のタオはホントはとっても気の優しい男。注意深く観察してると、なかなか見所があると気づく。無礼者が大嫌いな男はこのタオが気に入っちゃうんだけど・・・。
銃社会のアメリカ、人種のるつぼのアメリカ、格差社会のアメリカ、犯罪が日常茶飯のアメリカ・・・日本はアメリカにしてはいけないけど、どんどん近づいているような気がしてならないですな。
やっぱクリント・イーストウッドの映画ですな。「許されざる者」? いやいや、これは黒澤明の「生きる」と「シェーン」だよ。
久しぶりにハリー・キャラハンの大暴れが見られると思ったら、そう来ましたか。なるほどね。クリント・イーストウッドもそういう心境になったという証拠ですな。
登場人物は彼の等身大。否応なく老いを気づかせる日々。年取ると、人ってますます短気で頑固になるというけど、ますますハードになってくる。
毎日が不機嫌。口を開けば皮肉と文句しか出てこない。もうこれが習慣になってしまい、この男を作り上げてしまっている。つまり、彼のスタイルというわけ。遠く離れた暮らす家族ですら、腫れ物に触る扱い。
そういう年寄りか妻に先立たれたんだから、こりゃ困るわな。つまり、「社会=世間」とのショックアブソーバーがいなくなっちゃうだから。「私がいなくなったらあの人のことをケアして」と若い神父にお願いしたのもよくわかる。
グラン・トリノというのは72年型のフォードね。朝鮮戦争に従軍した後、男はフォード社で組み立て工をしてたのよ。で、定年の時にこの名車を手に入れたわけ。もち、いつもはフォードのピックアップトラックを使ってる。これはあくまでも観賞用のヴィンテージ・カーつうわけ。
ある日、この愛車を盗もうにしたガキと知り合う。なんと隣のモン族のガキ。
男はイエローが大嫌い。ニガーも嫌い。ヒスパニックも嫌い。にもかかわらず不景気で、ここデトロイトも白人はどんどん消えていく。とうとう男の住んでる地域もアジア系ばかりになっちゃった。
けど、こそ泥のタオはホントはとっても気の優しい男。注意深く観察してると、なかなか見所があると気づく。無礼者が大嫌いな男はこのタオが気に入っちゃうんだけど・・・。
銃社会のアメリカ、人種のるつぼのアメリカ、格差社会のアメリカ、犯罪が日常茶飯のアメリカ・・・日本はアメリカにしてはいけないけど、どんどん近づいているような気がしてならないですな。
やっぱクリント・イーストウッドの映画ですな。「許されざる者」? いやいや、これは黒澤明の「生きる」と「シェーン」だよ。