2009年05月03日「黒澤明から聞いたこと」 川村蘭太著 新潮社 756円
この手の本て難しいよね。つまり、評伝というヤツ。
あまりにも関係が近すぎると贔屓の引き倒しになっちゃう。たとえば、『手塚先生、締め切り過ぎてます!』がそうでした。
かといって、近くにいない人だと伝聞になっちゃうし、そうなると信憑性も低いし、だれもが知ってる話とか、ここだけの話とかがなくって、とっても薄っぺらい本になっちゃうし。
書き手の技術、読み手の技術がそれぞれ要求されるんですよ。
でも、この本はあまり鼻につく表現はなく、それよりもなによりも言葉をとっても大切にする書き手だな、ということが伝わってくるんですね。
やっぱそこらへんはコピーライター出身ということもあんだろうけど、つらつらと読み進めるうちに、ああ、この控えめな態度は性格からくるものかもね、と感じてきましたね。
さて、帯の裏表にあるコピーなんだけど、たとえば、「仕事を降りるという情熱は大切なことなんだよ」とか「映画はあれでいいんだよ。人間が努力して、努力して、ああなっていく様子を描けば」とか、私、あまりピンとこないのよね。私が編集者なら、別のとこを紹介するけどね。
さて、縁は異なモノ味なモノ。著者と黒澤家(といったほうがいいかも)とのつきあいは、ホント、奇妙な縁がきっかけになってるのよ。
赤ん坊を抱えて引っ越した先に、たまたま、黒澤和子さん夫婦が住んでたの。で、ある時、赤ちゃんが夜泣きすると、ガラッと窓が開いて、「気にしないでいいですよ。お母さんが緊張すると赤ちゃんも影響受けるから。リラックスして」なんて声掛けられたわけ。
これが縁で、お互いに行き来する仲になるわけ。
で、著者のオヤジさんというのは、口を開けば、「黒澤と同級生なんだ」と言ってたらしいのね。で、幼い頃から「黒澤監督」の名前がインプットされてたわけ。まさか、その娘さんと親しくなり、さらには黒澤監督と出会い、おまけに、息子の久雄さんの部下になるとは、想像だにしなかったでしょうな。
縁てのは不思議なものでね。いやいや、釈迦に説法を承知で言うんだけど、ホント、不思議、不可思議なものですよ。
というのも、求めても求めても得られないのが縁でしょ? にもかかわらず、求めなくても向こうからひょいと飛び込んできてしまうモノも縁なんだなあ。だから、思惟や議論の対象にはならんのよ。で、不思議、不可思議つうんだろうね。
「黒澤監督」でなにを連想するかといえば、私は「プライスレス」ということでしょうか。青天井の予算ね。予算という概念がないと思うね。
だって、予算つうのは予め弾いた概算ということでしょう。あの人、この概算を守ったことないじゃん。
黒澤監督関連の本は、ご本人の著作も含めてかなり読んでると思う。たしか、いつも大作を手がけるとき、千秋実さんと2人で自宅を担保に入れてたらしいね。
「おい、また頼むよ」ってね。これ、面白いねえ。
どこの世界に、映画を撮るたびに自宅を担保に入れる監督がいますかね? この話聞いて、スピルバーグはハリウッドに来なさいよ、と本気で勧めたらしいですな。たしかにねえ。
けど、自分でお金出してるエグゼクティブ・プロデューサーでないと、ここまでこだわれないかもしれませんな。
もしかすると、ハリウッドのどの監督も適わないほど、資金を突っ込んでた監督ではないかしらん。
私が気に入った言葉はね。これです。
「俺たちが技術的なことを口に出しては駄目だ。イメージを伝えればいいんだ。そして、仕上がったものがイメージとちがえば突っ返せばいいだけだよ」
つまり、技術者はこのイメージがあってもできないし、また持てないものなのね。イメージが難しければ難しいほど、また彼らは頑張るものなのよ。もしそれができないというなら、それは3流の技術者なわけ。
「3流の監督ほど知ったかぶるものなんだ。監督が技術を知ったら、そのイメージはどんどん貧弱になってしまうんだ」
これ、ホントにそうだよね。この言葉で思い出したのは、90年代の金融国会よ。当時、住専問題に関連して、自民党も民主党もチマチマした法律論議ばかりしてね。技術論で対立して先に進まない。
どっちゃでもええから、はよ解決しなはれ、と思いましたよ。
住専問題とか金融問題について、必要以上に情報や技術論をもっている政治家に限って、ああだこうだと重箱の隅を突いて解決できないのよ。
問題はなんや? いくら必要なんや? いつまでにできるんや? よしわかった。必ずできるんやな。なら、その法律、命懸けで通したろうやないか。
こういう大鉈を振るわんとね。政治家が官僚と同じことしてどないすんねん。あの人たち、ホントは官僚に憧れてるんとちゃうか?
ま、そういうこと。300円高。
あまりにも関係が近すぎると贔屓の引き倒しになっちゃう。たとえば、『手塚先生、締め切り過ぎてます!』がそうでした。
かといって、近くにいない人だと伝聞になっちゃうし、そうなると信憑性も低いし、だれもが知ってる話とか、ここだけの話とかがなくって、とっても薄っぺらい本になっちゃうし。
書き手の技術、読み手の技術がそれぞれ要求されるんですよ。
でも、この本はあまり鼻につく表現はなく、それよりもなによりも言葉をとっても大切にする書き手だな、ということが伝わってくるんですね。
やっぱそこらへんはコピーライター出身ということもあんだろうけど、つらつらと読み進めるうちに、ああ、この控えめな態度は性格からくるものかもね、と感じてきましたね。
さて、帯の裏表にあるコピーなんだけど、たとえば、「仕事を降りるという情熱は大切なことなんだよ」とか「映画はあれでいいんだよ。人間が努力して、努力して、ああなっていく様子を描けば」とか、私、あまりピンとこないのよね。私が編集者なら、別のとこを紹介するけどね。
さて、縁は異なモノ味なモノ。著者と黒澤家(といったほうがいいかも)とのつきあいは、ホント、奇妙な縁がきっかけになってるのよ。
赤ん坊を抱えて引っ越した先に、たまたま、黒澤和子さん夫婦が住んでたの。で、ある時、赤ちゃんが夜泣きすると、ガラッと窓が開いて、「気にしないでいいですよ。お母さんが緊張すると赤ちゃんも影響受けるから。リラックスして」なんて声掛けられたわけ。
これが縁で、お互いに行き来する仲になるわけ。
で、著者のオヤジさんというのは、口を開けば、「黒澤と同級生なんだ」と言ってたらしいのね。で、幼い頃から「黒澤監督」の名前がインプットされてたわけ。まさか、その娘さんと親しくなり、さらには黒澤監督と出会い、おまけに、息子の久雄さんの部下になるとは、想像だにしなかったでしょうな。
縁てのは不思議なものでね。いやいや、釈迦に説法を承知で言うんだけど、ホント、不思議、不可思議なものですよ。
というのも、求めても求めても得られないのが縁でしょ? にもかかわらず、求めなくても向こうからひょいと飛び込んできてしまうモノも縁なんだなあ。だから、思惟や議論の対象にはならんのよ。で、不思議、不可思議つうんだろうね。
「黒澤監督」でなにを連想するかといえば、私は「プライスレス」ということでしょうか。青天井の予算ね。予算という概念がないと思うね。
だって、予算つうのは予め弾いた概算ということでしょう。あの人、この概算を守ったことないじゃん。
黒澤監督関連の本は、ご本人の著作も含めてかなり読んでると思う。たしか、いつも大作を手がけるとき、千秋実さんと2人で自宅を担保に入れてたらしいね。
「おい、また頼むよ」ってね。これ、面白いねえ。
どこの世界に、映画を撮るたびに自宅を担保に入れる監督がいますかね? この話聞いて、スピルバーグはハリウッドに来なさいよ、と本気で勧めたらしいですな。たしかにねえ。
けど、自分でお金出してるエグゼクティブ・プロデューサーでないと、ここまでこだわれないかもしれませんな。
もしかすると、ハリウッドのどの監督も適わないほど、資金を突っ込んでた監督ではないかしらん。
私が気に入った言葉はね。これです。
「俺たちが技術的なことを口に出しては駄目だ。イメージを伝えればいいんだ。そして、仕上がったものがイメージとちがえば突っ返せばいいだけだよ」
つまり、技術者はこのイメージがあってもできないし、また持てないものなのね。イメージが難しければ難しいほど、また彼らは頑張るものなのよ。もしそれができないというなら、それは3流の技術者なわけ。
「3流の監督ほど知ったかぶるものなんだ。監督が技術を知ったら、そのイメージはどんどん貧弱になってしまうんだ」
これ、ホントにそうだよね。この言葉で思い出したのは、90年代の金融国会よ。当時、住専問題に関連して、自民党も民主党もチマチマした法律論議ばかりしてね。技術論で対立して先に進まない。
どっちゃでもええから、はよ解決しなはれ、と思いましたよ。
住専問題とか金融問題について、必要以上に情報や技術論をもっている政治家に限って、ああだこうだと重箱の隅を突いて解決できないのよ。
問題はなんや? いくら必要なんや? いつまでにできるんや? よしわかった。必ずできるんやな。なら、その法律、命懸けで通したろうやないか。
こういう大鉈を振るわんとね。政治家が官僚と同じことしてどないすんねん。あの人たち、ホントは官僚に憧れてるんとちゃうか?
ま、そういうこと。300円高。