2004年05月10日「まだ、現役には負けられない」「ソニー中村研究所 経営は1・10・100」「むかし<都立高校>があった」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「まだ、現役には負けられない」
 村田兆治著 プレジデント社 1000円

 村田さんといえば、五十代半ば、現役引退後十三年も経っているのに、毎日、腹筋、背筋を各三百回ずつ、両手の平の曲げ伸ばしを千回もやってる人、いまだに百四十キロのストレートを投げる人として有名です。
 去年、名球会が中心になって作っているマスターズ・リーグやモルツ球団のゲームなどで何回か見ました。

 これ、「週刊朝日」に連載されてたものですね。連載中からいい内容だと感じていました。すでに村田さんの連載は終わり、新しい評論家の方が書いてますけど、内容はダンチです。
 どこが違うといって、「深さ」が違うんですね。視点の良さは大事です。しかし、もっと大事なことは深さなんです。

 同じものを見て、どれだけ違うことを感じ取れるか。これは優れた感性があるからだ、と一見、思われます。
 しかし、違うんです。実はこの裏読みは慣れればだれでもできます。
 「さすがプロだな。そういう視点で野球を見てるのか」と、素人を感激させることなんて簡単です。これは「常識」を逆さに解説してやればだれにでもできるのです。
 裏読みより重要なことは、本質を読み解くことです。直球勝負。どれだけ深く突っ込んで読むか。
 だれもが気づくことをどれだけ深く読んでいるか。
 それが本当のプロの解説なんですね。
 本書にはそれが随所にあります。こればかりはどうしようもありません。まっ、読み比べてみてください。

 プロ野球選手を引退すると、二百十五勝という自分の勝ち星同様、日本の二百数十もの離島巡りをすることを思い立ちます。
 別に観光ではありません。野球教室のボランティアなんですね。

 ある時、たくさんの子どもに囲まれて、指導していると、1人だけグラブもバットも持たずノート一つだけで佇む少年に気がつきます。どうやら、下手なので選手ではなく、マネジャーみたいなことをやらされているらしい。
 子どもの頃からプロになってもエース(で四番)しか経験のない村田さんはこんな少年に気づくはずがなかった。けど、この少年の気持ちがよくわかるようになった理由は、日本のプロ野球選手として初めて肘にメスを入れた経験があるから。まる三年半もの間、ボールを放れず、ベンチにも入れず、リハビリという「窓際」にいたからです。弱い立場の人間の気持ちをこの時、ようやく、共感して見られるようになったんですね。
 一通り練習を指導すると、その少年に声を掛けます。
 「きみ、野球やれよ。グラブ、もってこいよ」
 「・・・」
 周囲の子どもたちは「やれよ、やれよ」とはやし立てます。飛び上がらんばかりに嬉しい。少年たちは練習をやめて、みんな集まってきました。
 「クラブを動かすなよ」とその少年にいうや、村田さんは得意の剛速球を投げ込みます。これはコントロールがよほど良くなければできない芸当ですよ。
 「バシッ!」
 すげぇ。手が痺れる感触。
 少年がその後、野球を続けるかどうかはさっぱりわかりません。けど、この時の想い出は一生、残るはずです。「野球」と聞いて、嫌な思い出ばかり・・・ということはなくなったはずです。
 少年は緊張してコクリと頭を下げるのが精いっぱい。しかし、その挨拶はほかのどの少年のよりも心のこもったものだった、そうです。
 感受性が強い少年期ならではの出来事でした。

 250円高。
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2 「ソニー中村研究所 経営は1・10・100」
 中村末広著 日経新聞 1500円

 著者はソニーの元副社長。平面ブラウン管テレビ「ベガ」を開発し、ブランド確立に成功。国内シェアトップを奪取した功績者。
 で、このソニー中村研究所というのは、ソニーの出井伸之会長、安藤国威社長の強力な助言により、ラジオ、テレビ、半導体、部品といった幅広い事業経験のある著者のノウハウを活用できるように発足したという。

 タイトルの1・10・100って、いったいなんのことか?

 ビジネスを成功に導くポイントは、ビジネス構想力。経営に求められるのは夢、技術、そして市場を見通し、三段階のステップを繋いでいくこと。
 三段階のステップとは、「夢のシードの発見」「商品化する技術」「市場でのマーケティング」ということ。

 かつて、盛田昭夫さんはこんなことを言いました。
 「発明されたもの、昔に発明されて眠っているもの、それを使った商品の新需要を予見し、プロダクトプランニングし、世に送り出して成功させる。それが日本企業の創造性だ」
 この三つのステップこそが、日本の創造性だと主張したわけです。

 井深大さんはこの三つのステップをクリアするのに必要なエネルギーについて、第一ステップが1とすれば、第二ステップは10、第三ステップは100。
 キー・テクノロジーを発見するエネルギーが1とするならば、実際に商品を製造していくプロセスで必要なエネルギーはその10倍、消費者に商品を買ってもらうためのマーケティングでは100倍のエネルギーが必要になるのです。

 ソニーがアメリカでトランジスタラジオを発売して間もない六十年代の初頭、井深大さんは「家庭用小型VTRを作る」と断言していました。その頃のVTRといえば、アンペックス社が一部屋を真空管で埋め尽くすような装置で録画していた時代です。
 それを「家庭用に一千ドルで売る」と大真面目で説いていたわけです。

 井深さんはVTR開発を視野に入れ、そのために必要な特許をソニーの虎の子の技術と無償交換したほどです。
 まだ、ソニーはカラーテレビも作っていない頃の話ですよ。

 ところが、この夢は夢ではなかったんです。
 というのも、六一年にニューヨークで開かれた放送機器展で、ソニーは世界最小のVTRとそれに使うビデオテープを参考出品していたからです。
 井深さんが「家庭用に一千ドルで」といっていた頃、まったくの夢物語ではなく、すでに夢はスタートし、第二ステップに入りかけていたわけですね。
 ただし、第三ステップへと突入するのはそれから十年かかるのですが・・・。
 それほど、マーケットに出すというのは大変なことなのです。

 この第三ステップへ上がれるかどうか。そのいちばん最初にあるのは「家庭用VTRの開発」という夢なんですね。

 九十一年、ソニー本社のテレビ事業本部長に就任。当時のテレビ市場は松下電器が二八パーセントのシェアでダントツ。
 とくに前年に発売した「画王」 が大ヒットして快進撃中でした。

 一方、ソニーはというと、これが十一パーセント前後で万年五位。

 まっ、それはしかたがありません。
 というのも、松下電器は幸之助さんの時代から全国二万五千店舗ものナショナルショップ店があります。ソニーは二千店しかありません。
 新型テレビを出しても、松下は自動的にいきなり二万五千台出荷できるけれども、ソニーの場合は二千台しか出せないのです。
 「だからしかたない」
 これはソニーの「常識」でした。
 けど、これでは永久に松下を抜くことはできません。
 早い話が「負け犬根性」ですね。

 著者は確たる根拠があるわけでもないのに、「これはおかしい。ナンバーワンになる!」と宣言してしまいます。
 ところが、すくにチャンスはやってきた。
 「キララバッソ」がヒットしたのです。これはフラットに近い画面とハイファイ並の重低音が人気を呼んだ。
 「だが、トップランナーはその気になれば後続を断ち切るパワーがある」

 さて、どうしたらいいか?
 
 方法は一つ。相手の土俵ではなく、自分の土俵で相撲をとる、ということ。
 で、ワイドテレビをシリーズで投入することを決めます。従来のテレビのアスペクト比は四対三(横・縦の比率)。これに対してワイドテレビのそれは十六対九。この四機種を一挙に市場に投入します。
 この流れを見て、他社も追随。ワイドテレビの市場は活況を呈する。ソニーの土俵に他社が乗ってきたわけ。
 250円高。
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3 「むかし<都立高校>があった」
 奥武則著 平凡社 1800円

 「むかし」と言われてもねぇ。いまでも、都立高校、あるでしょう?
 って、そんな問題ではないのです。
 いまの都立は「(私立に比べて)お金がかからない」というだけが取り柄の学校なんですね。
 で、むかしの都立はそれこそ名門なわけです。

 たとえば、東大進学者数で比較すると、著者の母校は都立新宿高校なんですけど、この一校だけでも百人前後が合格してました。ということは、日比谷、戸山、西、立川、国立といった高校はその二倍近くは合格してるはず。
 ところが、現在、都立高校をすべてひっくるめても百人いきません。
 おそろしき凋落・・・。

 で、学力レベルが落ちただけならいいわけてよ。その分、私立に流れたわけですから、どうせ合格するような高校生はどんな学校に行っても受かるもの。
 でも、都立高校の息の根を止めたのは、この進学者数といった目に見える価値ではないのです。

 いちばん重要なモノ。すなわち、「文化」が消えてなくなったんです。

 さて、そもそも、都立高校の凋落はどうして起きたのか?

 それは一人の東京都教育長の発案がきっかけでした。
 小尾乕雄(おび・とらお)という人物が、名門都立校への受験白熱を憂慮して、名門潰し、つまり、「富士山をなくして、八ヶ岳連峰を作る」という趣旨で施行してしまったのです。
 当時、これを後押ししたのがマスコミです。
 とくに、毎日新聞、朝日新聞でした。読売新聞は「都立高校だけの問題ではない。私立高校も含めて改革しなければこの先、問題が起きる」と社説でも強調してましたが、まさにその通りになります。

 もう1年後、2年後に弊害が出てきたのです。
 ズバリ、入学者の顔ぶれというか、性格の変化。

 というのも、<むかしの都立高校>は第一志望、第二死亡、第三志望まで記入して、たとえ第一志望に合格できなくても、点数が足りていれば第二、第三の高校で引っかかったわけです。富士山がダメでも、八ヶ岳のどこかに入学できるとかね。
 でも、これが学校群制度に切り替わってからは、「学校」ではなく「グループ」として合格、不合格が決まる一発勝負ですから、グループのレベルに達しなければすべてパー。

 たしかに、これで「一瞬」だけですが、平均の底上げはできたかもしれません。
 しかし、富士山のない日本が面白くないように、高校生はどんどん私学に流出していきました。
 で、私学はたいてい中高一貫教育ですから、なんのことはない、受験戦争が小学生にまで及ぶことになってしまったのです。
 この現状はいまでも続いていますね。

 いま、都立、県立なんていうと、わたしらの頃と違って、「親孝行だけね。お金のかからない学校行って」という印象しかありませんでしょ。
 うちのチビ(もう大学生ですけど)の小学校ではクラスの九割が受験してましたもの。もう、高校で都立、県立という発想自体がないんです。

 もう一つの弊害は、現場の教師の落胆です。
 「<むかしの都立高校>の生徒は良かった」
 「もっとできた」
 「文化祭も自分たちでやってた」
 「ガリ勉なんか格好悪くてしなかった。けど、いまは勉強のためにクラブ活動など参加しない生徒ばかり」
 こんな比較を毎日、されてごらんなさい。生徒はやる気をなくしますよ。
 「オレたち、そんなにバカなのか?」ってね。

 改めるに遅いということはありません。
 しかし、そこは役人。慌てて教育研究会を作るんですが、この弊害をほったらかしにしました。つまり、患者が危機に陥っているのに医者は手をこまねいて数年間も無関心でいたのです。
 おかげで、都立高校は死にました。
 いまある都立高校は学費が私学に比べて安いだけの高校・・・に成り下がってしまったのです。各高校がもっていた文化は吹っ飛んでしまい、ただの大学受験への通過点になってしまったのです。
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