2004年01月01日「生涯最高の失敗」「早朝会議革命」「女子少年院」
1 「生涯最高の失敗」
田中耕一著 朝日新聞社 1200円
あのノーベル化学賞を受賞した田中さんの本です。講演録と対談でまとめられてますが、冒頭の「エンジニアとして生きる」という書き下ろしだけ読めばいいでしょう。
対談はまったく価値無し。対談相手がこのレベルとは、朝日はいったい何を考えているんでしょうか・・・。
ノーベル賞というのは、だれが受賞するか、その決定プロセスについて最後の最後まで秘密にことを進めているようですね。田中さんなど、まったくノーマーク。あとから考えれば、あの時のインタビューがそうだったのかなと気づいているくらいですからね。候補者を吟味するのに、何回か会って話を聞くわけですが、こんなこと、いくらでもありますからね。
受賞決定当日(02年10月9日)にしたって、「今日は奥さんがいないから、野菜たっぷりのインスタントラーメンでも作るかな」と帰り支度をしてたら、電話。
「今日、これから重要な電話があるから帰らないように」
電話を受け取ると、これがノーベル賞受賞の電話。てっきり、社内でどっきりカメラがあったのかと思いこんでいたらしいですね。それから、オフィスにある50本の電話が一斉に鳴り出します。その迫力たるや大変なもので、逃げ出したそうですね。
1983年、田中さんは京都にある島津製作所に入社します。「質量分析」という役に立ってはいるけれども、だれも知らない仕事をしてきました。日本社会のなかでは縁の下の力持ちという仕事ですね。
田中さん自身、自分が化学の専門家だと思ったことは一度もなかったとか。大学ではずっと電気工学を専攻してたわけで、こういうケースは百年の歴史のなかでも希有でしょうな。
ノーベル化学賞の選考委員をしているスウエーデン王立工科大学のイングマー・グレンテ名誉教授曰く、
「たとえ小さな発見でも、口火を切った、つまり最初だった、ということが大切なのです。ノーベル自身も理論家ではなく、実験家、エンジニアでした」
講演会やテレビ出演などで、田中さんは子どもたちからたくさんの質問を受けたそうです。
「どのように勉強すれば、独創的なことができますか?」
「どうすれば、高い評価を得られますか?」
なんとか答えようと、自分の体験や知識でわかる範囲で話をしてきました。その真剣さを見るにつけ、自分の影響力の大きさを実感すると、最終的に子ども達には何も話さない方がいいのでは、と考えるようになったというのです。
「子ども達は無限の可能性を持っています。だから、不必要な枠をはめてしまいたくないのです」
創造性を発揮するのに大切なものはなにか?
これに関する回答として、田中さんは「ノーベル賞百周年記念国際フォーラム」(2002年春・日本)でノーベル博物館館長のスヴェンテ・リンクヴィストの講演録が参考になると紹介しています。この人はこの百年間、ノーベル賞を受賞するような独創的な人々に関してもっとも詳しい人物だからです。
まず、個々人についてはこんな項目を上げています。
?Courage 勇気
?To Challenge 挑戦
?Persistence 不屈の意志
?To combine 組合わせ
?To see in a new way 新たな視点
?Playfulness 遊び心
?Chance 偶然
?Work 努力
?Moment of insight 瞬間的な閃き
次に、環境について次のような特徴を上げています。
?Concentration 集中
?Diversity of competence 多彩な才能
?Communication コミュニケーション
?Networks ネットワーク
?Informal meeting places インフォーマルな会合の場
?Mobility 往来がしやすい
?Resources 資源
?Freedom 自由
?Competitiveness(pressure) 競争(プレッシャー)
?Chaos(structural instability) 混沌(組織の不安定な状態)
確かに・・・。
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2 「早朝会議革命」
大久保隆弘著 日経BP社 1400円
トリンプという女性下着メーカーの会議風景をルポした本です。
トリンプという会社のヒット商品は「天使のブラ」「恋するプラ」「Tシャツプラ」だそうです。
こんなもの、関心がないからわかりませんよねぇ。天使のプラというのは、寄せてつまんで上げて・・・というヤツでしょう。「上げ底オッパイ」をつくる下着ですよね。
阪神ブラもそうでした。
実は電車のなかで二回読みました。いつも何冊か抱えて乗り込んでるんですが、この時はたまたま一冊しかなかったんです。一回目は「フーン、失敗した。つまらない会議してるなぁ」と感じたのですが、手持ちぶさたでもう一度チェックすると、「あれ、これ、いいじゃん」となってきました。
全体を通じて、よく出てくるキーワードは「デッドライン」という言葉です。これはトリンプの吉越さんという社長さんの決まり文句というか、社内用語なんだろうね。
なにかあると、「締切は?」「この期日までにきっちり報告するように」という具合で、きちんと締切を設けて仕事をさせてるんでしょうな。
これって、大事なことですよね。デッドラインのない仕事ってありませんもの。
わたしなど、原稿に締切がなければ絶対に仕事できないと思います。意志が弱いから、すぐ易きについてしまう性格ですからね。
それが証拠に、編集者の皆さんにも、「とにかくプレッシャーをかけてください」「締切間近になったら毎日電話してね」と言ってるくらいです。まっ、電話のほうはいつも留守録にしてますけどね。
あと、「コスト」「売上」「在庫の回転」という言葉がよく出てきますね。これが流通業のすべてを表現している言葉ですな、やっぱり。
「具体的な数字をください」というのもありましたね。会議では抽象的な印象など、話しても説得力ありませんものね。やはり、デジタル、数字。これが大事。
会議というのは、「議して決する場」ですね。なによりも、問題解決の場であるべきです。
また、アイデアや知恵といった情報交換、情報提供、情報共有の場でもあります。
それだけに、自由度が大きくものを言いますね。人は集まっているけど、ものが言えない組織ってたくさんありますからね。
この会社では、90分間のうちに40テーマが次々と決していくわけです。かなりのスピードですけど、あれもこれも決めないと動かない。これが現場の姿ですね。経営者という船長を交えて、あっちだ、こっちだ。これはどうだ、どうなってるというように、打てば響く会議ならば成功でしょう。
ただ、そうなっているかどうかはわかりません。
吉越さんという社長さんが会議で嫌うのは、「嘘」と「自信のなさ」。
「本当にそれでいいんですね?」
「はい」
「本当にいいんですね?」
「・・はい」
「本当にいいんですね?」
「・・・」
これじゃ、ダメだよね。
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3 「女子少年院」
魚住絹代著 角川書店 667円
「シーシュポスの神話」を連想してしまいました。ギリシア神話のシーシュポスの物語は、カミュがテーマに取り上げたこともありました。
彼が地獄で神々から与えられた罰は、急な坂の斜面を大きな岩を転がしながら頂上まで上げるという仕事。もう一息というところでいつもこの大岩は転げ落ちてしまうから、もう一度、底から岩を転がし上げる。これが果てしなく続くわけ。「のれんに腕押し」というか、あまりにも生産的でない仕事をしていると、人間は自分の存在意識すら疑ってしまうことが少なくありませんね。
ちょっと余談だけど、仕事の中にも詰まらない仕事って少なくないでしょ。当の本人が、「こんな仕事で給料、もらっていいの?」というような仕事。構造改革が盛んに言われてきましたけど、それ以前の仕事ってあるんですよね。
たとえば、この前、T大教授の友人と飲んだら、「いちばん構造改革しなくちゃいけないのは、オレたち、中央大学の人間だ」と言ってました。この中央大学という意味は、あの法曹関係にめちゃくちゃ強い私学の名門大学を指した言葉ではないんです。彼らが言う中央大学という意味は、国立の中心大学のことなんですね。これ、通称なんです。業界用語なんです。
さて、言いたいのはこの先。
この大学でもリストラしたい教官がたくさんいるわけ。論文は書かない、学生の指導は下手、なんの意味もなくいる。それでいて、そこそこの高給なわけ。本当クビを切りたいけど、法律に保護されているわけ。もちろん、なんの役にも立たないから、仕事は与えない。ここ十年以上、こういう教官にはウナギの寝床で仕事してもらってるわけ。たしかに電話はあるけど、だれも電話などしない。無遅刻無欠勤。定時から定時まで、きちんとそこにいるわけ。
こんな人間がいよいよ定年になり、退官後、みんなでウナギの寝床を整理に行った。だれもがはじめて見る場所ですよ。
「彼はここでいったいこの十数年間、何を考え、何をしていたのか? 仕事も与えられず、外部とのコミュニケーションもなく、無遅刻無欠勤でこの講堂の裏部屋でいったい何をしてきたのか? こんな大学、早くやめて違う人生を歩もうとどうして考えなかったのか? 自分の人生はなんのためにあるのか、と彼は考えなかったのだろうか?」
そこでわたしから一言。
「彼は哲学者になってたんだよ」。
「・・・なるほど」
その住人のことを学内でなんと呼んでいるか?
「オペラ座の怪人」だって。うまい、笑いましたね、これには。
これをモチーフに新作落語でも作ろうかと思ったもの。
さてさて、余談ばかりが続きました。
著者はの仕事は「法務教官」。この仕事って、大変ですね。まさに、シーシュポスですよ。
忍耐、我慢、信頼、裏切り、落胆、激励、希望、喜び、怒り、絶望、気づき、学び・・・少年たちと人間としてともに成長することを考えないとできない仕事です。
教官といっても、一人の人間です。反省度合いが足りない少年たち。相手を殺しておきながら、言訳ばかりいる少年たち。被害者の無念さを知るにつけ、怒りをぶつけたくなる衝動に突き動かされることが少なくないと言います。
けど、時間が経過するに当たって気づくんです。彼らも悔い改めている。ただ、自分の中で葛藤し、謝罪を上手に表現できない。それが反発して、いろんなスタイルで外に現れてきます。
少年法では、少女も少年として表現されます。著者はこの12年間で千人もの「少年」と対峙してきました。まるで、狼に育てられた子どもを導く困難さを体験してきました。しかし、そんな子どもでもやはり再生の道があるんですね。
たくさんのケースを紹介するのではなく、典型的な事件に絞ってわずか数人のケースのみの紹介です。しかし、著者が彼らにぶつかっていく姿がまるで「ヤンキー先生義家さん」の姿とだぶって見えましたね。
女子少年院は全国で九つしかありません。都内だと狛江の愛光女子学園にありますね。
男子に比べ、一割しかいません。比率が少ないんです。非行内容にしても、男子が窃盗、障害、道路交通法違反の順に多いんですが、女子の場合は圧倒的に覚醒剤取締法違反が多いんです。
殺人といった凶悪事件にしても、その九割は男子によるものです。
男子の場合、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、ODD(反抗挑戦性障害)、CD(行為障害)を抱えるケースが少なくありません。早い段階で手当がされていれば、発展することなく芽を摘めたかもしれないんですね。
女子の場合は、その性からいっても被害者になりやすい一面があります。覚醒剤にしても、暴力団によって覚えさせられたというケースが少なくありません。被害者が加害者にすり替わる。そんな体質があるのです。
それだけに、女子特有の処遇の難しさがあるわけです。
少年院に収容される少年は、貧困家庭とか放任家庭ばかりではありません。裕福で、優等生で、進学校に通う子どもたちも少なくありません。
彼らに共通する項目は、家庭で純粋培養されて育っている点です。
成績が良ければすべて良し、という価値観だけで生きられるのは幼いうちだけです。思春期以降は、人間関係も複雑になりますから、こんな価値観だけで問題解決はできません。そこで壁にぶつかり、すべてを放棄してしまう。それが親への復讐や周囲への暴力という形で外に出てくるんです。
ある少年(少女ですけど)は、周囲の反応に過剰に反応し、しかも自分にいつも非があると拡大解釈してしまう。そこで、自信喪失する。すべての悩みをうちに抱えて生きていたんです。
母親はそれを「この子は甘えてこない、しっかりした子どもだ」と錯覚してしまう。これが母親と子どもとの意識のずれ。子どもは寂しくてたまらない、その埋め合わせのために非行に走っていたんです。
レグレクト(無視)されて育った子どもは、感情表現ができません。どうすれば、相手に自分の気持ちを伝えられるか。それができないんです。
子どもにとって、いちばん最初の人間関係は家族です。コミュニケーションは家族の中で教えられるわけです。
そこがすっぽり断絶している。だから、コミュニケーションがなかなかうまくできないんです。
不器用、ぶきっちょなんですね。
「非常識な対応に、呆れたり叱責したりというのが普通ですが、そういう時こそ、努めて冷静に見る必要があるのです。生徒たちのズレた対応や反応には、独特のゆがんだ感受性やつまずきが現れているからです」
また、大人の苦しみが子どもに転移していくことも少なくありません。つまり、母親自体もその母親から可愛がられた経験がない。
というよりも、そもそもコミュニケーション自体がなかった。虐待を受けていたりするケースも少なくないのです。
「少年院なんてさっさと出たい。そのために演技をする」という少年もたくさんいます。
祖父が高級官僚、父親が大学教授。母親、父親いずれも名家。それだけに、母親は礼儀正しい。しかし、少年院に入ったわが子に対しても憤りなどをぶつけてこない。他人行儀で、外面を気にするばかり。
少年院での親子対面でも、二人が直接、会話をしない。間にいる教官に話をするんです。手を伸ばせば届く距離。しかし、その距離は永遠の長さを感じさせるのです。
そういう家族関係が実は非行の根元にあったんですね。
頭がいいから演技もできる。しかし、いざ、少年院を出る時になって、自分がまったく変わっていないことをいちばんよく知っている本人が恐怖に立ちすくんでしまいます。
「このまま出て行っても、わたしは変われない」
自分の生き方に「危機感」を覚えることができた分だけ、この少年(少女)は良かったのかもしれません。
根本原因を見つけるまで、教官と少年たちとのコミュニケーションが続きます。時間との勝負です。
こんがらがった糸は、実は家族、家庭という中にあったというケースが少なくありません。母源病というか、家源病ですね。
昔、釣り仲間で旅行に行った時、そのうちの一人は絡まった糸をほぐすのが好きだ、といって、釣らずにみなの糸をずっと解いていたのがいました。
人間の深層心理、絡まった糸を時間をかけてほぐしていく。
「こんなもの、切って新しいのと取っ替えたほうが楽だ」
ついそう考えてしまいますが、人間相手ではそうはいきません。何度裏切られても、少しずつほぐしていくのです。
人間と教官の両方の立場で揺さぶられる。真の悔悟に導こうとする教官としての自分と、そして無神経な行動に被害者の無念さを思い、憤るもう一人の自分。そんな中、わが身に潜む無言の怒りが少年に伝わっていくのです。
いやはや、地味で忍耐のいる仕事です。
怒りと孤独。
シーシュポスはたった一人、だれに向けて怒ったらいいかわからず、永遠に続く生産性のない仕事をしていました。
この仕事、真っ暗闇の中でかすかに見える光明をたよりに仕事するんですね。そのかすかに見える光明は、自分で灯していくしかないんです。人はだれも灯してなどくれないんですね。
何度も言いますが、いやはや大変な仕事です。わたしなどには、とてもできる仕事ではありません。
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