2003年09月29日「てっぺん」「話の後始末」「御乱心」
1 「てっぺん」
つんく・高橋がなり著 ビジネス社 1300円
この二人の共通点は「プロデューサー」であること。かたや、モーニング娘。、かたや、AV業界の風雲児。丁々発止の議論で火花が散る、というわけではないけれど、静かなやりとりの中でかなり密度の濃い話が交わされてます。
やっぱり、とことん考えて仕事をしてることがよくわかります。
仕事も量をこなしていくと、どれも同じ内容の駄作ばかり作って才能が枯渇する人もいれば、量が質を向上させる人がいます。この二人は後者の典型でしょうね。
量を増やす。これが幅を広げ、奥行きを深めるわけですよ。中途半端じゃないから、ポイントをつかむのもうまい。というよりも、ポイントがわからなければ、たくさんの仕事をこなすことはできません。
つんくさん曰く、「新人のプロデュースを引き受ける場合、彼らが武道館に立ってる情景を想像するんですよ。まず一つ目の到達点を武道館に設定する。どんなお客さんがいて、どんな物販が賑わっていて、どんな舞台演出があるのか。アーティストはどんな曲を歌い、プロデューサーである自分はどんなスタッフと仕事をしているのか。まず徹底的に想像、イメージします」
なるほど。イメージがすべてを決めるんです。
がなりさん曰く、「プロデューサーって店長だと思うんです」「多くの人間が一つの方向に向かう時には、これが正義なんだというものを加えることで、力が全然変わってくるものだ」
「AVで食えるようになりたかったら、自分の性癖を表に出せるようにならなければダメ」
AVの世界では、女優で売るか、企画(演出)で売るか、あるいはモザイク(きわどさ)で売るかの3種類があるんです。
「映像を作る上でいちばん簡単なのは、泣かせること。これは老若男女、国籍が変わっても泣かせられる。お笑いは年代が違えば、違うところで笑う。これがエロになった瞬間、同じ年代の同じ友達ですごく仲がいいのに趣味が違う。正解はない。基本的にはあらゆる人向けに、専門的に作る」
熟女フェチと尻フェチと○○フェチと総合デパートではダメなわけ。
「これ、だれのためのAV?」というように焦点が絞り切れてないと失敗するわけ。とくにレンタルと違って、セルの場合はお客は吟味の上に吟味する。シビアに商品を選択するわけです。一本のAVに五個のジャンルを入れたら、五倍のマーケットがあるかといったら、そんなことはない。結果は全然売れなかったする。
「一人の人間に絞れ。その裏には一万人のニーズがある」
趣味の世界は、とくにエロの性癖はオタクなんですね。だからこそ、アニメとAVは世界で通用するんです。
つんくさんもがなりさんも相手の力量を認めているから、謙虚な意見交換になってます。大人の会話といえばいえますけど、「それは違う!」「それは間違いだ」とバトルの部分があっても良かったのでは・・・。
企画、アイデア、ヒントの出し方、マーケティング、人とのつき合い方、人の動かし方も勉強できる好著。
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2 「話の後始末」
立川志の輔・天野祐吉著 マドラ出版 1600円
対談集です。ちょっと変わってる点は各パートの頭に落語が入ってること。
たとえば、「だくだく」「粗忽長屋」「バールのようなもの」「文七元結(ぶんしちもっとい)」「井戸の茶碗」の五つ。とくにラストの二つはわたし大好きな落語です。「文七元結」は志ん朝で、そして「井戸の茶碗」は志の輔さんのCDでもってます。なにしろ、この井戸の茶碗はこのCDから文字を起こしたものですね。
で、落語をまくらにして対談がはじまるというものです。
対談自体は七年前のもあれば、五年前のもあれば、三年前のもあります。
いま読んでも新しいですな。新発見だったのは、この天野さん、なかなかシャープですね。
「不景気だ、不景気だっていうけど、いままでも景気が良かったなんて感じてないからね。カツ丼が玉子丼に変わったくらいじゃないか」
これじゃ、落語家より面白いっての。テレビでコメントしてる時はそんなに感じませんでしたが、志の輔さんの聞き出し方がうまいのかな。
志の輔さんは勉強家だと思います。テレビによく出てる。コマーシャルにもよく出てる。芝居にも出てる。しかし、落語の稽古を忘れない。
どうして、そんなことわかるかって?
それは彼の落語会に通えばわかります。まくらも勉強してる。落語はもちろん、勉強してる。いろんな情報をインプットして、落語のこやしにしてることが落語を聞いていてわかります。
彼のテーマはどこまでいっても、どんなことをやっても、落語にあるんです。だから、いろんなことをやった経験がすべて落語に活かされてくることがわかります。
こういう人は落語家にはあまりいないのではないかなぁ。
たとえば、日曜午前中にテレビの司会をしてる売れっ子落語家(上方落語)がいます。
この人、何回か落語を聞いてますが、ネタは一緒。まくらも一緒。ひどいのは、そのネタやまくらが単行本の中でも何回も使われていること。ですから、落語を聞いても「それ、知ってるよ」というものばかりなんですね。
あまり忙しくて、落語を膨らませたり、新しくすることができないんでしょうな。
いくら古典落語をやっても、勉強してる人の落語はいつ聞いても新鮮なものです。まくらが変わったり、新しい情報をそこに入れたりしてるから、「あっ、こんなの入れた」と気づいてニヤリ。
「へぇ、この一カ月、三カ月間でこんな体験したんだ」とわかるんです。
志の輔さんはそれがあるから面白いんです。実はCDもすべて持ってます。
ところで、志の輔さんは二十九歳で談志さんのとこに入門します。
談志さんも、「いまさら、この年で前座からなんて野暮なことはしない。これは英才教育しますよ。どんどん教える。前座何年、二つ目何年、でないと真打ちになれないなんていう、規制の秩序をこいつを実験台にして実現してやるよ」って、ガンガン教え、あっという間に真打ちになりました。
けど、この人、入門するのなんでこんなに遅れたか?
大学では落研ですよ。落語はやりたい、けど、自信がない。芝居をやったり、広告会社にいたりした。三十歳を前にして、どうせダメなら、いっそやってみてダメならあきらめもつくだろう、と決めたわけ。
その時、何をやるにしてもいちばん間口の広いのはだれか、と考えたら、自動的に談志さんが浮かんだわけ。
これは正解です。師匠選びは戦略的にいなければ、人生を誤ります。たんに好きだから、うまいから、という理由ではダメなんです。
いま、落語家って東京だけでも五百人もいるんです。ということは、この五百人にそれぞれ役割がある。
「先代の文楽師匠(黒門町)そっくりだ」とかね、「志ん生そっくり」というようにですね。全員がミニ○○になることはないんです。何人かは異端児がいてもいいんですよ。活性化するからね。
お月様とお日様と雷様が一緒に旅をした。夕方になって旅籠に泊まりました。翌朝、雷様が起きると、お日様とお月様がもういない。
「いったい、どうした?」聞くと、女中さんが「もうおたちになりました」
「そうかい、月日のたつのは早いものだ」
「お客様はどうなさいますか?」
「おれは夕立だよ」
おあとが宜しいようで・・・。
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3 「御乱心」
三遊亭円丈著 主婦の友社 980円
この本、なんと16年も前の本なんです。なんで、そんな本をと思うでしょうねぇ。
実はわたし、落語好きが高じて、いま、東急のカルチャースクールに通ってるんです。そこで勉強してるのが「落語作家への道」という講座。講座を勉強して高座にあがろうってなわけではありません。
たんに柳家喬太郎、三遊亭白鳥、林家彦一さんのファンで、この3人が代わる代わる自作の新作落語の作り方について講義をしてくれるからなんです。まっ、いっちょう、新作落語を作ってやろうじゃねぇか、とも思ってますがねぇ。
この9月にプレ講義として喬太郎さんが「自作を語る」というテーマで講演をしました。1時間半のラスト部分は落語を披露してくれましたが、彼に「落語家になろう」と決意させた人、「新作ってこんなに面白いんだ」と悟らせた張本人が円丈師匠だったというわけです。
で、円丈さんの本を探した。けど、ない。そこでアマゾンの中古本サイトにアクセスして、ようやく2冊手に入れた。
で、読んだ。
結果は?
面白いなんてものではありません。
面白すぎて、辛いです。これは魂の叫びです。落語家になってから、ある人間に振り回されて、師匠の「昭和の名人」と言われた三遊亭円生を落語協会から孤立させ、彼が死ぬまで三遊亭一門をさまよわせた張本人への「挑戦状」でもあります。
円生を利用し、裏切り、一門をさまよわせ、自分だけは柳家小さん落語協会会長に取り入りカムバックしようと画策、そして失敗。円生が倒れるや、さっさとマスコミに連絡を取り、晩年の困った時にはまったく近寄らなかったにもかかわらず、死ぬやいなや、マスコミの取材を一手に引き受け、大粒の涙を流しながら、「わたしが葬儀委員長をします。明日、仮通夜、明後日に本葬」とばかりに遺族を無視して勝手に発表し、マスコミがいなくなると師匠の骸に尻を向けて2時間も演説をしている。
いったい、だれがその張本人か?
わたしも、その恩知らずの人間が「笑点」の司会者をしているあの人だとは信じられませんでした。以来、笑点を見てもつまらなく感じてなりません。
本書は円丈さんが円生という師匠に弟子入りし、真打ちになった直後、落語協会を真っ二つに割る大騒ぎに遭遇。新協会設立と一日天下。分裂、弟子間の疑心暗鬼、席亭への出入り禁止、人間的確執など、嫌と言うほど、人間の嫌な部分に翻弄される数年間を歩むのです。
「円丈、おまえ、新宿末広亭の出番が入ってるだろう。あれ、取り消せ」
「それはできません。真打ちになったばかりで、こんないい時間の出番を作ってくれたんですから」
「いいから、取り消せ。円弥は出ないと言ってるぞ」
「では、ちょっと考えまして」
「いま、返事しろ」
「・・・」
嫌々、取り消します。円生の家で円弥さんに会うと、彼は絶句。
「円丈は出ないと言ってるぞ、と言うんで、わたしも嫌々取り消したんだよ」
その人はワンマンで、いつもこういう策を弄す人なんです。だから、「三遊協会に所属するのが嫌なんじゃなくて、あの兄弟子と一緒になるのが嫌なんです」と弟弟子全員から嫌われているのです。
いま、円丈さんは落語協会の副会長の要職にあります。
これも、林家彦六(林家正蔵)さんが弟子の川柳(元々は円生の弟子。この事件で破門されてしまった)さんを連れて葬式に列席するや、弟子たちに向かって、あの特徴的な震える声で「みんな、安心しなぁぁ。戻れるようにしてあげるからなぁぁ」と一言。本当にこれで落語協会に戻ることができました。
当時、三遊協会に所属していた落語家はあの人の一門を除いて、全員戻ることができたのです。
その後、あの人は自分の席亭を作りますが、失敗し莫大な借金をこしらえてしまいます。これも自業自得なんでしょうな。
協会に所属しないとどうなるか?
席亭で落語ができないのです。席亭があれば、毎日、噺ができ、客と真剣勝負。技量が磨けるのです。いまでこそ、席亭はガラガラで、立川流にしても、歌丸さんやこぶ平さんなどの売れっ子にしても、独演会を積極的に開いて何千人という席を満杯にしています。しかし当時は、席亭で腕を磨くことが芸人として重要だったのです。円生さんは負け惜しみで、「地方に回れば、こんなに高いギャラが頂ける。席亭ではとてもこうはいかないよ」と言っていました。それに対して、円丈さんは「やっぱり席亭に出たい」と言い張って嫌われたそうです。
落語会というスペシャリストの集団は、いまでも師匠が黒と言えば、白が黒になる世界です。師匠絶対の縦社会です。ですから、あの人の一門も彼が死なないかぎり、落語協会には戻れないでしょう。
だから、こういう徒弟社会に入る時は、師匠を選ばないといけません。いくら名人、達人と言われる師匠でも、人間的に問題のある人、堅苦しい人、了見の狭い人には弟子入りしてはいけないんです。
小さんという人はものすごく器量の大きい人で、弟子の談志が何をやろうと許した人です。円生が落語協会を脱退すると言い張った時、「会長を譲るから辞めないでくれ」と自分の地位を簡単に捨てられる人なんですね。
その円生にしても純粋な人で、六歳から舞台に立っているだけある芸の虫です。だから、小さんが「入門年数で真打ちを自動的に十人昇格させる」という人事を発表した時に大反対する美学の持ち主だったんです。
美学派と現実派との対立。
そこに権力欲、支配欲の強いあの人が絡んできました。結果、騒ぎを大きくして落語協会を分裂させたいあの人は、円生には怒り出す情報しか与えない。裏で円生に心酔している志ん朝を引き入れ、三平、馬生、談志も来るからと円生を安心させたところ、肝心の彼らはだれも来ない。
そして、円生一門だけが戻れなくなる羽目に陥るのですが、責任はだれも取らない。
「仁義なき戦い」のラストシーンで広能昌三がつぶやきます。
「こんなくだらない戦いが起こり、若い者の命が犠牲になる。上の者がバカだと下は一生、浮かばれない」
たしかに・・・。
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