2003年09月01日「笑いに賭けろ!」「夢への階段」「株本」
1 「笑いに賭けろ!」
中邨秀雄著 日本経済新聞社 1600円
ご存じ、日経新聞の「わたしの履歴書」の掲載分が単行本化されたものです。著者はこれまたご存じ、吉本興業の名誉会長。
中邨さんとは縁があって、十三年前に出した彼の処女作「笑売心得帖」はわたしがプロデュースした本なんですね。ですから、帝塚山の自宅には何度も伺いました。
今回の本ではわたしが知らないこともいくつか書かれています。
たとえば、テレビ課長時代に首になった話。しかも、懲戒免職になった話は初耳でしたね。
首の理由はこういうわけ。
たいてい社内分裂が起きる時は、独裁者が消えて跡目争いが原因になることが少なくない。この時もライオンと呼ばれた林正之助オーナーが糖尿病で入院し、社長を弟に譲った時でした。この新社長というのが演芸の世界とは無縁で、演芸には理解もない。赤字続きの劇場を当時、隆盛を極めていたボーリング場にしようとしていたわけ。実際、一つはボーリング場に転換して成功させてもいたんです。
また、コミュニケーションも悪かった。東京からごっそりスタッフを引き連れて大阪に来たわけですが、あまり、話もしなかったみたいですな。
それである時、突然、「テレビとの契約金の一部を流用して自家用車を買った」という濡れ衣を着せられてクビ。
「どうせこんな会社、こちらから辞めたるわい」と喧嘩別れ。
ただし、不名誉な懲戒免職という濡れ衣だけははらしたい。そこで告訴するわけ。会社側は弁護士を通じて、のらりくらりとかわす。最終的には中邨さんが勝つわけですが、いまでもその時の幹部と弁護士の顔をよーく覚えている、という。
そんなすったもんだの中で、ライオンが自宅の公団にまでやってきて頼むわけです。
「いずれ社長に復帰する。そしたら、二階級特進で報いる。それまでの給料もすべて払う。会社の株式も三千株譲る」と自分名義の株券まで持参する始末。
勘のいい正之助オーナーには危機感があったんですね。というのも、テレビ局との折衝はべすて中邨さん一人が担当していたわけ。だから、新社長、役員、幹部だれ一人、コネもなければノウハウもない。ボーリングはいずれ廃れる。その時になって、演芸、とくにテレビ局とのコネがなければ、松竹とはさらに大きく水をあけられる・・・。
当時、吉本は松竹の後塵を拝していたんです。なにしろ、専属タレントは花菱アチャコさんただ一人ですもんね。
後日、本当に正之助オーナーが社長に復帰します。もちろん、戻ったのはいうまでもありません。
十三年前と比較すると、吉本も立派になったものです。吉本は芸人と契約はしますが、社員とか専属というわけではなく、勝手に芸人がそう思ってるだけで、毎年、契約更改をするわけ。
自称、「吉本の芸人」というのが当時、四百人いました。それがいま六百人でしょ。一・五倍ですよ。日本経団連、関経連にも加盟してるし、大企業になりました。
ずいぶん大きく変わりましたね。
そういえば、この前、新宿の炉端焼きに行ったら、向かいの席によく見た顔がいます。これが吉本の役員ですよ。
わたしが会ったのは彼が係長くらいの時ですから、十年間経つのは早いモンですな。当時、「中邨社長のアポをしりたければ、秘書より中島さんに確認した方が早いね」とよく言ってた人ですよ。
飲んでた相手は某女性演歌歌手が所属するプロプクションの社長とマネジャーだったね。「今年も紅白に出られましたよ」って言ってたもの。
中邨さんとの件でよく覚えているのは、やはり、勘の鋭さかに。危機感と言ってもいいね。
たしか、社長室だったと思うけど、こんなことを聞くわけ。
「いま、東京のプロダクションが芸人を懸命に集めてるらしいけど、これ、どう思う?」
その時のお笑い業界では、たしかにとんねるず、ウッチャンナンチャン、コント赤信号が出てきた日本テレビ系の「お笑い芸人登竜門番組」はあったけど、彼らは氷山の一角で、水面下にどれだけの芸人がいるのかはわからなかったし、その芸人たちの可能性についてはまったくノーマークでした。
ホリプロにホンジャマカの石塚、恵とかがいましたよね。あと、ルー大柴もそうか。けど、いまのようにブレイクするとは思わなかった。
お笑い芸人がいなければ、バラエティはもちろん、歌番組から報道番組まで成立しないでしょ。
ドラマだって、俳優よりも芸人のほうがうまいくらいだもの(吉本新喜劇の座長で活躍してる辻本茂雄にしても、元々、コンビくんで漫才してたんですからね)。
いま、お笑い芸人って、中学生、高校生に大人気でしょ。この世代の人間がトレンドを作るだけに、これは怖いですよ。
わたしが好きなのは、ドランクドラゴン。塚地はサイコーだよ。
「跳ねるのトビラ」「水10」なんていつもチェックしてるもの。
いま、お笑い業界は吉本だけが強いのではありません。
かなり、戦国時代になってきましたね。
吉本の売上は三百億円だからものすごいことはすごいけど、あのとき、中邨さんが危機感を感じたとおり、かなりのマーケットを新興プロダクションにとられてるもんね。わたしなど、関西弁の芸人より、やはり、標準語のドランクドラゴン、北陽、ロバートいった連中のほうが好きだもの。
やっぱり、マグマが爆発することを感じ取っていたんだな。さすがです。
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2 「夢への階段」
中谷人志著 双葉社 952円
いま、クリエイティブな仕事をめざす若者が増えてきました。
お笑い芸人もそうですし、料理人、美容師もそうです。料理の鉄人とかカリスマ美容師とか呼ばれ、成功すれば、億万長者。名声と富が若くして勝ち取れるわけです。
これは先行き不透明なサラリーマンなど、してられませんな。
というわけで、この人は理容師の世界で大成功した人です。
しかし、この人は偉いなぁ。つくづく、そう思います。
どこが偉いかというと、手間暇を惜しまず、無償の愛(人を育てるという使命感)を弟子に注ぎ込むところです。
著者は中学を卒業すると、裸一貫で理容業界に飛び込みます。最初から目標は「日本一になろう」ということでした。
そのために徹底的に修業するんですね。技術もあるし、愛想もいいから、行く店、行く店で引き留められる。
「この店、譲るからここにいろ」とまで言われる。
けど、目標は日本一。だから、「これは!」という師匠を探す旅をしてたんですね。
そして、一生の師匠を見つけて精進。とうとう三十七歳の時に全国大会で優勝します。
いま、「アドバンストヘアー ナカタニ」という理容店を都内中心に十一店舗を経営し、育てた弟子は百人を超えます。その中には日本一が六人、トップクラスは数え切れない、そして世界大会で金メダルを取った理容師も一人。
弟子には高い理想を掲げ、崇高な使命感で仕事に取り組むことを要求するんですね。
今時、こんな人、いないんじゃないかな。
「弟子思い」ですね。
弟子は遅かれ早かれ、みな、独立するわけですよ。この人の儲けにはまったくなりません。
中にはイギリスで勉強したい、と言い出す弟子にも、勉強中の費用をすべて丸抱えですよ。戻ってきても、郷里に帰って自分の店をオープンすることがわかってるのに平気なんです。
四十人の弟子にも社長自ら、手取り足取りいまだに指導しているわけですよ。
普通の理容師を育てるつもりはない。
「日本一をめざして切磋琢磨する!」
それが目的なんですね。
全国大会では第一部種目であるクラシカル・レザー・カットからセットまでは理容技術の粋が競われるわけです。仕上がりのバランスの良さ、スクウェアなシルエットがポイントなんですね。
そのために懸命に師と弟子が二人三脚で修業を積むわけです。
ナカタニでの修業の厳しさは業界、専門学校では有名です。
修業というのは、七時から朝練、夜九時から深夜一時までの練習会(定休日は一日中、一人で練習)、夏休みの合宿は朝九時〜午前一時までの十六時間の特訓。まさに血のにじむような特訓です。
もちろん、専門学校を卒業し国家試験に合格すると理容師の資格が取れますが、学校で習っただけでは、すぐにお客を相手に仕事ができるわけではありません。
だから、必ずどこかで修業をしなければならない。こうなると、店主が師匠、店員が弟子。弟子が数人なら師匠の家に寄宿することもありますが、ここは四十人もいます。
でも、こうやって二十年以上も育てているんですね。
「俺がいなくなったら、この店はつぶれるよ」と増長する弟子には、クビという試練を与える。気づくまで反省させる。店長から見習いに降格する。
それはすべて弟子のため。経営者として人を使う立場になると、いくら自分一人だけ技術が素晴らしくても成功はしないからです。
入店間もない一年生はシャンプーの練習。毎日四時間、ウイッグを相手に洗い続ける。左右十本の指に神経を集中させる。これを毎日続けていると、指の皮がむけて血がにじんでくる。
そこまで行くと休む・・・のではなく、指に絆創膏を貼ってさらに練習する。洗髪と同時にマッサージが一通りできるようになると、ようやく、人間のモデルで練習できる。
顔剃りも同じです。
ここまで早ければ一年でたどり着くし、遅ければ二年以上もかかるわけです。
もちろん、客商売だから理容技術とは別に、挨拶、言葉遣い、物事の状況判断が大事。これらが一人前でなければ、下働きだけでお客の相手はさせない。
ここまでする理由は、「日本一をめざしている」からです。
弟子をとる時、自分の理想を追求するために面接では絞り絞って四人に一人しか採用しないけれども、それでも半分は辞めるそうです。
「日本一の理容師を育てるよりも、自分がもう一度、日本一になるほうが簡単だ」
たしかにそうでしょうね。
世界大会に出場するほどの理容師は、店の稼ぎ時にモデルを連れて乗り込むわけです。
店を任せられる弟子がいなければそんなこともできません。
しかも、旅費はすべて自腹です。
こんな厳しい条件下でも、二〇〇二年七月、ラスベガスで開催された理容業界のオリンピックの世界大会で、日本の理容師がヘアーカラー部門で金、銀、銅を独占しました。
こういう高い理想に向かって頑張る後進を応援しようと、基金設立にも走り回ってます。
やっぱりね偉い人だよ。
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3 「株本」
サンプラザ中野・松本大著 日本経済新聞社 1400円
「わたしは銀行預金と国債だけです。株に手を出しちゃいけないというのがわが家の家訓なんです」
そう言って、株式投資を毛嫌いする人が多い。
けど、その銀行は顧客から預かったお金を株式に投資してるんです。国債も同じ。さらにいえば、生命保険もそうだよ。
国民が郵便局に預けた郵便貯金など、膨大な赤字を垂れ流している「かんぽの宿」などに投資されていることから比べれば健全なものです。
アメリカの個人金融資産は三千兆円ありますが、株式、債券金融商品には千六百兆円が投資されています。つまり、半分以上。人口でいうと、四割が投資してることになります。 日本では千四百兆円のうち、百七十兆円。一割しかないわけです。投資人口など、たったの三パーセントしかありません。
株式投資での注意点は、テレビで景気解説をしているエコノミスト、アナリストのホームページはたくさんありますけど、どんな銘柄を買うか考える際、マネー雑誌を当てにしてはいけません。
株式の基本知識を勉強するならいいけれども、たとえば、売れっ子アナリストの発言でも、雑誌の性格上、取材から店頭に並ぶまでほぼ一カ月という時間がかかってしまうのですから、どうしても内容がその時の株式市場とずれてしまうわけです。
これは株式という瞬間的に価格変動する商品を売り買いするには効果は薄いですよね。
株式投資をしていると、政治家の意見についても、「おいおい、そんな発言したら株が下がるぞ」と当事者意識が働いて、世の中の動きについて感覚が鋭くなってきます。もちろん、日経産業新聞、日刊工業新聞、日経金融新聞、日経流通新聞や業界紙をチェックして、勉強したりするしね。
また、ここはわたしの意見ですが、投資は流動性のある商品にしなければ馬鹿を見ます。
流動性とは「すぐに換金できる」ということ。売りたい時にすぐ「買います」という声がかかるかどうか。
これは株式だけではなくて、不動産でも同じです。
だから、店頭株はあまり手を出さない。上場企業の株式は基本的に流動性がありますけど、店頭株はまだまだ流動性が弱いですからね。売りたくても買い手がいない、というケースが少なくありません。
業績が良くても売られます。
それは「確定売り」でこの株価の時に売って(利食い)、一応、早く利益を確定させてしまいたいからですね。でも、実力があれば、また、投資家が買うようになるから株価は戻して上がっていきます。
急に業績を上げたところはまた別。無理してあげてるかもしれません。いい材料が出尽くした段階でドカーンと落ちる可能性もあります。投資家もそれを知っているから、適当な時に売り逃げるわけです。
まっ、基本的な株式投資の本でわかりやすくできてます。
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