2009年10月31日名人芸だった円楽師匠
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
円楽師匠がお亡くなりになりました。皆さん、ご存じの通りです。
落語好きですから、何回もご尊顔を拝したことがあります。たいていは「楽太郎さん(円楽襲名披露興行展開中)の会」等のゲストとしてでしたけど。
いや、芸に厳しい師匠だな。弟子の落語会ですけど、マジで話していてニコリともしない。テレビでにこにこの「星の王子様」はやはりお客様向けだったのかもしれません。
で、私、円楽さんの噺、好きでしたね。2002年1月13日にこんなブログ書いてるんですねえ。
タイトルは「寄席は今日も超満員だった」でした。以下、当時のブログを引用します。プラス「中村仲蔵」については09年1月23日に書いてるんですね。それも合わせたご紹介しましょうか。
・・・久しぶりに寄席に行ってきました。
年末から松の内までまったく動きが取れなかったんです。クリスマス、大晦日、元旦、正月をまったく感じることなく、テレビもラジオも見ることなく、ひたすら、書斎にこもってました。
いったい、何を食べていたかも記憶には残っておりません。親戚の子供たちへのお年玉もすべて郵便為替で処理する有様で、やっと動き出したのは先週末からでした。
正月というのは1月のことですから、ちょっとずれてますけど、寄席に行こう。そう決意し、と言うほどのものではありませんが、行ってきました。新宿末広亭。
昔は、しょっちゅう、行ってたんでゲスよ。ここでしょ、浅草演芸ホールでしょ、改築前の池袋演芸場、それになんと言ってもいちばん好きな上野鈴本ね。日本橋には永谷演芸場もあるしね。
混んでました。超満員。相撲じゃないけど、満員御礼。わたしが入って、ちょうど満員になりました。二階のいちばん奥でしたもの。
この正月シーズンの初席(元旦から十日目まで)、二の席(中席・中旬ということ)というのは、芸人がもっとも忙しいですから、出演プログラムなんてあってなきが如し。
目当ての歌丸さんはいないわ、昼に変更になってるわで大変。
でも、新しい芸人さんを発見できて、これはこれで良かったな。やっぱり、ライブを見ないとダメだね。
綾小路公麻呂もいいけどさ。
わたしが好きなのは、実は円楽さんなんです。あの人情モノ、大ネタが好きなんです。とくに「中村仲蔵」がベスト。
これって、荒俣さんが脚本書いて、先日、上演したんですよね。
中村仲蔵がいい。
噺を知らない方のために少し解説しておきましょう。
江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男が1人。やっと念願叶って歌舞伎界に入門することができた。この世界、血縁がものを言うからね。入門することさえ稀なわけよ。
でも、彼の熱意と努力は尋常ではなかった。で、見かねたある師匠が弟子にしてくれたというわけ。
といっても、梨園(歌舞伎界のこと)は血筋が物を言う。どこの馬の骨かわからない人間には大した役など回ってこない。いい役は血統書付きのエリートが演じるの。
けどさ、くすぶりでも芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しかった。もちろん人一倍精進もした。
そんなとき、彼は「仮名手本忠臣蔵」の五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)という役をもらうのよ。
さて、五段目てどんな評価か? 当時、芝居は朝から一日中行われてたのね。で、五段目はちょうど昼時。つまり、この幕になると弁当食べ始めるのよ。真剣に芝居なんか観ない。となりゃ、その程度の役者しか出てこない。斧定九郎もその程度の役だったわけ。
でも、役をもらった仲蔵は嬉しかった。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠てえのは力のない田舎芝居出身で檜舞台なんて踏んだことがない。
さて、問題はどんな演出をするかですよ。従来通りにやれば、問題なし。けど、それじゃせっかくの役が何の意味もない。たとえ弁当幕だろうと「さすが仲蔵だ!」と言われる芝居をお客さんに観せたいわな。
で、願掛けの帰りにものすごい夕立ちにあった。食べたくもないそば屋に入って雨宿りしてると、「許せ」と入ってきた二本差しの浪人。
髪は床代がないから伸ばしっぱなし。夏なのに冬物の袷(あわせ)を裏をはがして着ている。スッカラカンの浪人そのもの。だが、顔は真っ白で苦み走ったいい男。「酒をくれ」と一気に飲み干す。
店の主人から「傘をお持ちになりませ」「ありがたい」と広げてみれば破れていて使えない。
「バカにされたものよ。これでも元をただせば直参旗本。落ちぶれるってえのはこういうことか」と傘を捨てて去っていく。
一部始終を見ていた仲蔵。これだ! これこそオレのやる斧定九郎だ!
斧定九郎は元は旗本。落ちぶれ果てて山賊にまで堕落した。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく人物だったわけ。にもかかわらず、それまでは弁当幕だから適当に山賊の格好で登場してたってわけ。
仲蔵はそうしなかった。芝居の初日、髪をざんばら髪にして、袷の裏を引きはがす。頭から水をかぶって登場した。まさにあのときの直参旗本だよ。
「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
「ホント。水が飛びましたね」
芝居を見ずに弁当を楽しんでいる観客。雨かなと舞台を見上げると、そこにはだれも見たことのない定九郎がいた。あっけに取られて弁当を持ったまま動けない。
「芝居小屋は水をうったように静かになる。みな仲蔵の定九郎に度肝を抜かれた。みなさん、あまりに感動すると、人間、拍手なんてできません。拍手をするなんてね、まだ心に余裕があるときです。あまりの名人芸を目にした時ってのは拍手したり笑ったりする余裕はありません・・・ちょうど、いまのような状態です」
観客の反応がイマイチなのを見て取った仲蔵。このまま上方に逃げるつもりで荷物をまとめた。
ところが、芝居小屋の前に来ると、興奮した観客から「さすが、仲蔵!」と高い評価。師匠から煙草入れを褒美にもらった。
「道理で煙に巻かれたはずだ。もらったのが煙草入れだ」
・・・という具合です。
円楽さんの中村仲蔵はビデオで2つ持ってます。1つはちょっと風邪引いてた時でしょうね。噺の中でうまくお茶飲んで喉うるおしてましたね。
もう1つはNHK番組を録画したもの。こちらがいいですなあ。とってもいい。何度見たかわからない。人情ものがいいですねえ、この師匠は。円生もそうでしたもんねえ。
ご冥福をお祈りします。
落語好きですから、何回もご尊顔を拝したことがあります。たいていは「楽太郎さん(円楽襲名披露興行展開中)の会」等のゲストとしてでしたけど。
いや、芸に厳しい師匠だな。弟子の落語会ですけど、マジで話していてニコリともしない。テレビでにこにこの「星の王子様」はやはりお客様向けだったのかもしれません。
で、私、円楽さんの噺、好きでしたね。2002年1月13日にこんなブログ書いてるんですねえ。
タイトルは「寄席は今日も超満員だった」でした。以下、当時のブログを引用します。プラス「中村仲蔵」については09年1月23日に書いてるんですね。それも合わせたご紹介しましょうか。
・・・久しぶりに寄席に行ってきました。
年末から松の内までまったく動きが取れなかったんです。クリスマス、大晦日、元旦、正月をまったく感じることなく、テレビもラジオも見ることなく、ひたすら、書斎にこもってました。
いったい、何を食べていたかも記憶には残っておりません。親戚の子供たちへのお年玉もすべて郵便為替で処理する有様で、やっと動き出したのは先週末からでした。
正月というのは1月のことですから、ちょっとずれてますけど、寄席に行こう。そう決意し、と言うほどのものではありませんが、行ってきました。新宿末広亭。
昔は、しょっちゅう、行ってたんでゲスよ。ここでしょ、浅草演芸ホールでしょ、改築前の池袋演芸場、それになんと言ってもいちばん好きな上野鈴本ね。日本橋には永谷演芸場もあるしね。
混んでました。超満員。相撲じゃないけど、満員御礼。わたしが入って、ちょうど満員になりました。二階のいちばん奥でしたもの。
この正月シーズンの初席(元旦から十日目まで)、二の席(中席・中旬ということ)というのは、芸人がもっとも忙しいですから、出演プログラムなんてあってなきが如し。
目当ての歌丸さんはいないわ、昼に変更になってるわで大変。
でも、新しい芸人さんを発見できて、これはこれで良かったな。やっぱり、ライブを見ないとダメだね。
綾小路公麻呂もいいけどさ。
わたしが好きなのは、実は円楽さんなんです。あの人情モノ、大ネタが好きなんです。とくに「中村仲蔵」がベスト。
これって、荒俣さんが脚本書いて、先日、上演したんですよね。
中村仲蔵がいい。
噺を知らない方のために少し解説しておきましょう。
江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男が1人。やっと念願叶って歌舞伎界に入門することができた。この世界、血縁がものを言うからね。入門することさえ稀なわけよ。
でも、彼の熱意と努力は尋常ではなかった。で、見かねたある師匠が弟子にしてくれたというわけ。
といっても、梨園(歌舞伎界のこと)は血筋が物を言う。どこの馬の骨かわからない人間には大した役など回ってこない。いい役は血統書付きのエリートが演じるの。
けどさ、くすぶりでも芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しかった。もちろん人一倍精進もした。
そんなとき、彼は「仮名手本忠臣蔵」の五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)という役をもらうのよ。
さて、五段目てどんな評価か? 当時、芝居は朝から一日中行われてたのね。で、五段目はちょうど昼時。つまり、この幕になると弁当食べ始めるのよ。真剣に芝居なんか観ない。となりゃ、その程度の役者しか出てこない。斧定九郎もその程度の役だったわけ。
でも、役をもらった仲蔵は嬉しかった。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠てえのは力のない田舎芝居出身で檜舞台なんて踏んだことがない。
さて、問題はどんな演出をするかですよ。従来通りにやれば、問題なし。けど、それじゃせっかくの役が何の意味もない。たとえ弁当幕だろうと「さすが仲蔵だ!」と言われる芝居をお客さんに観せたいわな。
で、願掛けの帰りにものすごい夕立ちにあった。食べたくもないそば屋に入って雨宿りしてると、「許せ」と入ってきた二本差しの浪人。
髪は床代がないから伸ばしっぱなし。夏なのに冬物の袷(あわせ)を裏をはがして着ている。スッカラカンの浪人そのもの。だが、顔は真っ白で苦み走ったいい男。「酒をくれ」と一気に飲み干す。
店の主人から「傘をお持ちになりませ」「ありがたい」と広げてみれば破れていて使えない。
「バカにされたものよ。これでも元をただせば直参旗本。落ちぶれるってえのはこういうことか」と傘を捨てて去っていく。
一部始終を見ていた仲蔵。これだ! これこそオレのやる斧定九郎だ!
斧定九郎は元は旗本。落ちぶれ果てて山賊にまで堕落した。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく人物だったわけ。にもかかわらず、それまでは弁当幕だから適当に山賊の格好で登場してたってわけ。
仲蔵はそうしなかった。芝居の初日、髪をざんばら髪にして、袷の裏を引きはがす。頭から水をかぶって登場した。まさにあのときの直参旗本だよ。
「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
「ホント。水が飛びましたね」
芝居を見ずに弁当を楽しんでいる観客。雨かなと舞台を見上げると、そこにはだれも見たことのない定九郎がいた。あっけに取られて弁当を持ったまま動けない。
「芝居小屋は水をうったように静かになる。みな仲蔵の定九郎に度肝を抜かれた。みなさん、あまりに感動すると、人間、拍手なんてできません。拍手をするなんてね、まだ心に余裕があるときです。あまりの名人芸を目にした時ってのは拍手したり笑ったりする余裕はありません・・・ちょうど、いまのような状態です」
観客の反応がイマイチなのを見て取った仲蔵。このまま上方に逃げるつもりで荷物をまとめた。
ところが、芝居小屋の前に来ると、興奮した観客から「さすが、仲蔵!」と高い評価。師匠から煙草入れを褒美にもらった。
「道理で煙に巻かれたはずだ。もらったのが煙草入れだ」
・・・という具合です。
円楽さんの中村仲蔵はビデオで2つ持ってます。1つはちょっと風邪引いてた時でしょうね。噺の中でうまくお茶飲んで喉うるおしてましたね。
もう1つはNHK番組を録画したもの。こちらがいいですなあ。とってもいい。何度見たかわからない。人情ものがいいですねえ、この師匠は。円生もそうでしたもんねえ。
ご冥福をお祈りします。