2003年06月16日「二世論」「全身落語家読本」「どうしようもなく日本人」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「二世論」
 船曳建夫著 新潮社 552円

 世の中には「二世」と言われる人がたくさんいますけど、28人にインタビューした本です。
 登場人物は田村高広、福原義春、橋本大二郎、鳩山由起夫・邦夫、柳家花緑、林家こぶ平、市川新之助、和泉元彌といった面々ですが、問わず語りに二世の持つ特徴、強さ、弱さ、喜怒哀楽が見て取れます。。
 巻末に著者による二世論がまとめられてますが、これは蛇足だな。

 田村高広さんて、あの阪妻の長男なんだけど、親父が死ぬまで商社マンだったんですね。亡くなって、映画会社とか周囲の人から、「ぜひ映画に出てくれ」と頼まれて、断りくれなくてこの世界に入ったようです。
 昔から映画、踊り、歌舞伎の世界にいるような感じがしますけどね。どうもそうじゃないみたい。

 変な質問というか、ホントは聞きたい質問なんだけど、そんなものもしてますね。
 たとえば、「親のことが好きか?」という質問。回答はすべて肯定的だったようですね。親子の断絶、対立といったことはなかったですね。
 これは好きとか嫌いといった次元ではなく、親を「対象」として眺めているからですね。子どものほうが賢いんです。なんでもそうですが、「対象」として見るというのはほとんど「観察」の世界ですから、これは対立のしようがありません。
 「そうか、こんなタイプもいるんだな」
 これはよくわかります。実はわたしと息子の関係がまさにそのようで、「あんな変な人間も世の中にはいるんだな」とよく呟いているようです。だから、反抗期というのがなかったんです。親のほうがはみ出しで不良だから、子どもは反抗してる暇が無かった、と言われてます。

 ところで、二世である彼らには「二世」という感覚があまりありません。
 なぜか?
 親が持っているモノをそのまま受け取った、という感覚がないからです。だから、「親の七光り」と受け取られることを拒絶します。

 藤原正彦さん、という人がいます。お茶大の教授ですね。
 親父さんは「八甲田山」で知られる新田次郎さん、母親はこれまた作家の藤原ていさん。
 元々、新田さんは気象台にいましたね。それが奥さんの影響で小説を書き出す。六時ぐらいに帰宅すると、駅前のコーヒー店で濃いコーヒーを飲んで目を覚まし、夕食を食べると、二階に上がっていく。
 「戦いだ、戦いだ」とつぶやきながら。
 一仕事終えて、もう一仕事。ただし、こちらは完全に創作の世界。だから、戦いだ、戦いだとつぶやかないと、二階にも上がれないほどしんどかった。
 これがホントの「つぶやき次郎」というわけですな。

 で、この藤原さんは数学者なんだけど、「才能の遺伝ということはあまり信用できないな」と発言してます。
 これは同感ですね。
 でも、才能って大きいんじゃない? 遺伝だってそうでしょ?
 いや、それよりも環境のほうが大きいですよ。
 たとえば、近くで親父が小説を書いている。家に編集者がやってくる。その環境を見てると、真似して原稿書いたりしますもの。
 家で弟子達が落語の稽古をしている。親父がそのコメントや指導をしている。それを聞いてる息子がさっさと噺を覚えてしまう。しかも、エッセンスを自然吸収しているなんてことは少なくありません。

 これは才能ではありません。環境がなせるわざですね。

 環境があるから、下手な文章でも「お父さんを見習って、お嬢さんも書いてみない?」と言われて、エッセイスト、作家としてデビューしちゃったりできる。
 彼女が文壇にデビューしたのは才能ではありません。環境ですね。俳優、女優にしてもそうですね。
 いつの間にか、舞台に出ている。これは才能ではありません。環境がチャンスを作るんです。環境がチャンスを与えてくれるんですね。
 与えられたチャンスを大きく花咲かせるかどうか。
 ここからは才能です。

 才能、そして努力でしょうけど、努力なんて当たり前のことですモノ。死ぬほどの努力を努力と感じず、楽しくて楽しくてしょうがないと感じる。
 これこそ、立派な才能です。

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2 「全身落語家読本」
 立川志らく著 新潮社 1300円

 売れっ子落語家による落語論、落語家論ですね。
 談志さんの弟子で、志の輔さんのおとうと弟子、志ら乃のあに弟子に当たります。

 ホントは金原亭馬生(十代目)さんに入門したかったようですね。この人は志ん生の長男、先頃、亡くなった志ん朝の実兄、池波志乃さんのパパ(中尾彬さんの義理の父)ってことになります。
 晩年、著者が当時、あった東横落語会で高座を聴いた。ところが、食道ガンでしたから、声も弱々しく、途中で痰が絡んで声が出ない。そこでちり紙で痰を切る。
 「高座でこんなことをするのは、はじめてでございます」
 客席はすっかりどっちらけ。けど、著者はなんて格好いいんだろうって感じたそうですよ。水墨画のようだ、ってね。落語を聞いてこんなに感動したことはない、だって。
 「よし、落語家になろう」
 「この人の弟子になろう」
 ところが、その一週間後に馬生さんは亡くなります。

 関係ないのに、葬式に行っちゃうんです。もう、完全に「心の弟子だ」と思いこんでますからね。こういう人は怖いですね。
 「師匠の遺志はわたしが継ぎます」だって。

 その日の晩、池袋演芸場に出かけます。ちょうど、談志さんがやっていた。
 ところが、落語をしない。馬生さんの思い出噺ばかりする。客の一人が「落語をやれ」と怒鳴った。
 普通、談志さんのことですから、こんなこと言うと絶対に大げんかになります。過日も目の前で寝てる客を怒鳴り上げて、高座を降りちゃった人ですからね。
 ところが、その日は違った。
 「今夜はやりたくないんだよ」
 これはお客が「野暮」です。落語はやる方も聞く方も「洒落」がわからないといけません。
 この一言にしびれちゃうんですな。で、弟子になっちゃった。

 かなりの自信家です。
 この人にかかると現代の落語家はみなバカばかり、ということになりそうですが、わたし、まだ一度もこの人の落語、聞いたこと無いんです。本書には、古典、新作ともに本人の落語が地の文で載ってますが、そんなに面白くはありません。
 やっぱり、落語は噺をじかに聞かないとわからないもの。
 まだ、風格とか、味というのものが足りないでしょうから、パワーで迫る落語なんでしょうが、ライブは大いに期待できそうです。下丸子の大田区市民プラザでは花緑さんと二人会をやってますからね。
 映画監督をしたり、コンビ(志ら乃と)で漫才をしたりと、好きなことをガンガンやって落語会に新風を巻き込んでます。

 本人がいうように、落語評論家としてはかなり鋭いところを突いてますね。知識がものすごい。
 本書にも後半は落語ネタのポイントを解説してくれてますから、落語
 これから聞こうという人には親切な構成になってます。

 ただし、惜しいかな、才に勝りすぎてるところがありますな。
 若いからしょうがないけど、落語家は「バカ」と思われてる間がハナですよ。どんなに賢くても、バカを演じられる。とくに、お客さんの前ではそうです。
 桂文珍さんの落語(「地獄八景 亡者の戯れ」)を聞いた時、胃カメラからMRIの噺がまくらにありました。
 この時、すかさず、「あれは、MRIとか言うんですか? たしかねぇ」と知ったかぶりの反対をしてるんですね。
 落語家がお客に直接、教えちゃ野暮ですよ。知識をたくさん持ってれば持ってるほど、「この前、聞いたんでけど」「これって、こう言うでしょ? たしか・・・」ってな具合です。

 落語は人気が無くて、衰退の方向にあると思いますか? それとも、どんどん盛んになってると思いますか?
 わたしは後者です。どんどん盛んになってます。
 そりゃ、たしかに昔は落語、浪曲、講談なんていうと、おっかけがいたんですから、いまのSMAPと同じですよ。
 でもね、いまだって負けちゃいません。
 たとえば、小朝、歌丸、志の輔、小三冶といった大スターのチケットはなかなかとれませんよ。志の輔さんの独演会に行こうと思って電話したら、「発売三時間で売り切れました」だって。
 8月の圓朝祭なんて、一日であの読売ホールが満席ですからね。先月の神奈川県民大ホールの「歌丸、小朝二人会」も超満員。
 落語が衰退してるんじゃなくて、ダメなのは定席なんですね。これは新宿末広亭とか浅草演芸ホールといった席亭のことですよ。ここがお客が入らない。入るのは正月ぐらい。
 だけど、末広亭でも小朝、小三冶といった名人が登場する時は、立ち見が出たり、二階が開く(超満員ということ)こともあるんです。

 ところで、著者は日大のオチ研出身です。当時、日本テレビが大学落語選手権というものをやった。吉本の「M−1」みたいなものですよ。優勝すると思ってたら、予選敗退。
 この時の仲間に同じ日大出身の柳家喬太郎さんがいます。
 わたし、この人、大好きなんです。
 どのくらい好きかというと、今月30日と来月21日の紀伊國屋ホール、来月26日のお江戸日本橋亭に出演するんで行きます。
 早い話がおっかけなんですね。

 ついでに言うと、今月19日は関内ホール「こん平、こぶ平二人会」、それから先月から、横浜にぎわい亭で歌丸さんが通し落語「圓朝作 真景累が淵」を5か月連続で演じます。同時に、来月から林家正雀さんもお江戸日本橋亭で同じくこの作品を連続して演じます。
 わたしはこのすべてに行きます。もうチケット買っちゃいましたもの。
 というわけで、仕事の合間に落語を愉しむではなく、落語の合間に仕事をしてるということがばれてしまいました、ジャン、ジャン。

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3 「どうしようもなく日本人」
 柳沢正著 講談社 1600円

 これ、2冊目の本ですね。1冊目も読みました。たしか、「たまらなく日本人」だったな。
 北大卒後、高校教師をしてたんですが、何の因果か、添乗員。

 わたし、学生時代から不思議でしょうがなかったことがあります。
 それは就職の際、旅行代理店の人気度ですよ。学生時代、大学生の人気企業で、いつも旅行代理店がベストテンに入ってたんです。
 こんな大変な仕事、どうしてやりたいんだろう。不思議で不思議でしかたありませんでした。

 旅行に対して憧れがあるんでしょうけど、客という立場とサービス側では天地、ホントに天国と地獄ほどの違いがありますよ。
 大学時代に、全国、世界中を旅してましたから、代理店がいかに大変かということはよく知ってました。変な客ばかりだもの。
 とくに年配の人は勝手気まま。もう団体行動なんてしませんからね。マイペース。
 以前、インドだかタイだかで、空港でパチパチ記念撮影してたおばちゃん連中がいました。日本を除く全世界共通の常識に「空港は撮影禁止」ということがあります。いざという時、軍事基地になるところですからね。すぐに警察が飛んできて、すったんもんだ。
 その最中に泥棒。パスポートやら現金やらがごっそり取られる。
 こんなお馬鹿さんツアー客の世話など、死んでもやりたくないでしょ? それをやろうってんだから、悟りの境地になりませんと無理です。

 本書にもそんなとんでもない客がたくさん登場します。
 でも、そんな人たちでも一緒に旅を続けていくと、そこは人間同士。いろんなふれあいの中から、それぞれの人が抱えてきた人生、価値観、生き方といったことが透けて見えてきます。
 「あぁ、この人はこういう人なんだ」
 「こんな人生を歩んできたから、こんな動きをするんだ」
 事情がわかってきますと、なぜか、人は人に対して優しくなれるんです。やっぱり、人間同士の対立はコミュニケーションの欠如にあるんですね。

 といっても、北朝鮮は別ですよ。政治は人間同士の信頼とは別次元にある厳しさがありますからね。
 政治は命がけなんです。命がけで拉致や核開発をしてるんです。どこかの政治家のように、お金儲けではないんです。そこには相手を認めたら、自分は死ぬしかありませんものね。

 さて、著者も変な人たちにはまっちゃったんでしょうな。やっぱり、人間がいちばん面白いモノね。
 抱腹絶倒のバカ話。だけど、ほろっと来るところがまたまた魅力。
 やっぱり、旅は面白いよね。
 10月にノルウエーに行くことになってます。ちょっと迷ってたんだけど、この本読んで、やつぱり行こうと決めました。

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