2003年06月02日「赤坂ナイトクラブの光と影」「アイデアのヒント」「綺麗の福音」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「赤坂ナイトクラブの光と影」
 諸岡寛司著 講談社 2300円

 書店に行くたびにずっと気になってたんだけど、どうせ、あれと同じではないかと手に取らなかったんです。でも、買わないで後悔するより買って後悔したほうがいいと思い直して、5回目のご縁で購入。
 で、読んだら、止まりませんでした。一気に読破。ふぅぅ、おもろかった。

 ところで、「あれ」というのは、このコーナーでも以前、紹介した「トーキョー・アンダーワールド」です。これはロバート・ホワイティングさんの著で、六本木の「ニコラス・ピザ・ハウス」を舞台に繰り広げられる、進駐軍、やくざ、芸能人、政治家などによる一大戦後史です。これも面白かったんで、どうせ似たようなもの・・・と思っちゃったわけ。

 だけど・・・末尾の解説を読むとわかるけど、本書が生まれたきっかけは、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の常連だった元皇宮警察のトップで、初代内閣広報官の宮脇さんなんですね。この人がホワイティングさんの本を原語で読んだ時、「あそこを舞台にしたら、これよりもっとスケールの大きい話が書ける」と唆したわけ。
 で、できたのが本書です。さすがに「トーキョー」よりずっと面白い。
 どこが魅力的かというと、やはり、生々しさでしょうね。
 芸能人、やくざとのいざこざ、警察とのやりとり、政界、財界人脈など、実名でどんどん出てくるもの。

 著者はわずか17歳で高校を中退してまでナイトクラブに勤めます。
 それまでアルバイトでドアボーイをしてたら、チップだけでたんまり儲かったらしい。高校生が毎日、銀座で寿司が食べられただけの額ですからね。半端ではありません。
 それだけではありません。毎日、テレビで見るような人たち、財界、政界、芸能界の人を見られる。そんな華やかな仕事に高校生が憧れたのも理解できます。
 「ボーイ、バーテンが人間ならば、蝶々、トンボも鳥のうち」
 こういう言葉があります。著者も浮かれていると、先輩からこう言われます。分限をきちんと守れ、という意味でしょうね。そして、仕事を続けていくと、この言葉を実感するんです。
 酔っぱらったやくざに殴られる。拉致される。代金を踏み倒されることは日常茶飯事。空しさを感じるのも当然ですね。

 とくにこの商売は代金回収は命です。これが甘いと、「ラテンはいい加減だから楽だぞ」と払ってくれなくなる。筋のいい客ばかりではありません。やくざ以上にやくざな素人はどこの世界にもいます。
 たとえば、代金の回収のために、徹夜明けに部下と2人で山梨の客のところにまで行きます。
 すると、その客は右翼の大物の名前を出して払わないという。ところが、このラテンという店はもともと、外務大臣をしていた藤山愛一郎さんと児玉機関がつくったものです。だから、そちらの世界とは縁が深い。顧問にも戴いている。
 それがわかって、ようやく払う。
 「愉しんで頂いたから、その代金を頂戴する。それが愉しむだけ愉しんで、あとはしらんぷり」という客もいる。自分たち(の仕事)がバカにされているからだ、と感じるのも無理はありません。あまりに頭に来たんで、そのまま、山梨で釣りをしたそうです。もちろん、釣れるわけがない。

 ニューラテンクォーターは昭和34年12月14日、赤坂にオープンしました。
 この店は、2時間も遊べば大卒の初任給が吹っ飛ぶほどの高級店でした。なんといっても豪華絢爛。
 たとえば、ものすごく広いスペース。フロアに300人も入る巨大なテーブル。100人ものホステス。
 ステージにはオーケストラが入るスペースがあり、ここで、連日、豪華なショーが行われたんです。海外のアーティストもたくさん来ました。トム・ジョーンズ、ダイアナ・ロス、サミー・デイビス・ジュニア、サラ・ボーン、ポール・アンカ、ナット・キング・コールなどなど。

 初年度の売上は10億円。内訳はホステスへの手当、ショーのコストが60%、社員の給料、バンドの給料、酒、料理が25%、というわけで、粗利は15%ということになります。
 外は「安保反対!」でデモ隊が国会を取り巻いていた頃の話です。

 銀座のクラブはこじんまり。そして、ホステスと会話を愉しむところ。水割りもホステスがつくります。
 けど、ラテンのようなナイトクラブはゴージャス。歌、踊り、ダンス、もちろん、ホステスとの会話もそうです。銀座のホステスは和服、ほとんどがスーツ姿ですが、ラテンは和服が3割、ドレスが7割。しかも、ホステスは会話とかダンスをする要員であって、水割りを作ったりするのはウエイターの役目。だから、客がボトルキープしてても、テーブルには置かずに、いちいち店の奥に持っていって作るわけ。
 てなわけで、テーブル100に対してウエイターが34人もいたんですよ。
 しかも、これは才色兼備の女性を全国からスカウトしたんですね。「お嫁さんをもらうならラテンから」というのがまことしやかに騒がれたほどです。

 外国の要人、たとえば、政治家や石油王などが来日した時の接待でよく使われましたから、英会話に堪能なスッチーなども転職してきました。
 それだけの魅力がありました。なんといっても、収入ですね。昭和30年代半ばで、ナンバーワン・クラスなら、月収100万円。中間クラスで60万、少ない人でも30万くらいです。
 当時、200万円あれば、郊外に庭付き一戸建てが買えました。

 それだけの収入を得られる。その理由は、ホステスに動員力、集客力があるからですね。たいてい、前職がどこかの店でナンバーワンだったりするんです。だから、そのまま、客をもってきちゃう。 
 しかも、日本一のゴージャスなナイトクラブ。新しいタイプの遊び場だから、店がはねた後に、ホステスにせがまれて客が連れてきたりする名所だったんですね。

 ほかにナイトクラブというと、デビ夫人の出身でもあるコパカバーナ、月世界が有名ですが、これはラテンよりも早くつぶれましたね。

 これだけの隆盛を誇ったラテンがどうして潰れたか?
 第一の理由は「ホテルニュージャパンの火災事故」ですね。
 乗っ取り屋として高名な横井秀樹という人物がホテルを買収します。その後、消防庁からの再三にわたる勧告も無視して、スプリンクラーなどの防災設備を一切、つけていなかったんです。そればかりか、スプリンクラーの外側の部品だけはめてごまかしていた、といういい加減さ。それがたくさんの犠牲者を出す火災事故を引き起こしました。
 ラテンは数千万円もかけて防災設備を完備してたんですが、客にしてみれば、「ラテンも危ない」と思うでしょうし、なにより、ホテルが閉店してましたから、ラテンも閉店してると思ってた客がたくさんいたんです。
 それに、接待で使ってるのにわざわざ縁起の悪いホテルの地下に行くことはないでしょう。

 しかし、それだけではありません。コパも月世界も潰れたんですからね。
 接待の場所が料亭に移った。アーティストにしても、300人というラテンの規模ではなく、武道館などの大箱でコンサートをするようになった。
 海外渡航者がどんどん増えて、本場のショーを知るお客が増えてきた。

 時代の趨勢なんですね。
 で、最後の最後まで、ラテンがやっていた人気イベントは「金髪美女による水着ショー」であったり、「泥レス」であったり・・・。かつての栄光はとうに無くなっていたんです。

 350円高。購入はこちら


2 「アイデアのヒント」
 ジャック・フォスター著 TBSブリタニカ 1400円

 「紙飛行機をどれだけ遠くまで飛ばせるか競争します。一列に学生を並ばせ、教室のはじから一人ずつ飛ばせます。さて、どうなるか?」
 みな、思い思いにノートを折っては飛行機を作ります。そして飛ばすが、なかなか遠くまでは無理。
 そこで、著者はどうしたか?
 紙を丸めて投げたんです。
 「それ、インチキじゃないですか」
 「いやいや、これ、紙飛行機なの。丸い飛行機があったっていいでしょ?」
 アイデアというのは、こういうものですね。

 昔、読んだことがあるかなと思って放っておいたんですが、見てみると違いました。あれは「アイデアのつくり方」というジェームズ・ウェブ・ヤングの本でした。
 と思ったら、この人、「アイデアマンのつくり方」って本、出してるんです。まっ、柳の下に泥鰌が十匹くらいいるのが出版界ですからね。類似商品は次から次へと出てくるんです。
 タイトルが似てるのってたくさんありますよね。でも、問題は中身。コンセプトも表現も似てる。でも、やっぱり中身で勝負しないとね。

 さて、著者は広告屋さんです。大手クライアントを顧客に持ってるらしいです。
 で、内容ですが、ポイントはずばり、次のフレーズ。
 「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
 つまり、早い話がすでに知ってる材料をこれまでとは違った方法で組み合わせるだけ。いとも簡単なんです。
 いつもわたしは勉強会のメンバー(原理原則研究会など)に、「発想力より連想力がポイントだよ」と言ってますが、本書によると、ロバート・フロストというアメリカの詩人同じことを言ってるとか。

 「つまるところ、愉しんでやった人ほどいい成果を上げる」
 アイデアも同じ。
 60年代のはじめ、セーター、ジーンズ、テニスシューズ、Tシャツがオフィスに登場した時、ロスアンゼルス・タイムズの取材を受けた。
 「パジャマで出社したってかまわないよ。いい仕事をしてくれるならね」
 この言葉が新聞に掲載された日、みんな、パジャマで出社してきたとか。このノリが大事だよね、とくにクリエイティブ部門では。

 ジャン・ジャック・ルソー曰く、
 「To be is to do.」
 サルトル曰く、
 「To do is to be.」
 フランク・シナトラ曰く、
 「Do be do be do.」
 「できると思おうが、できないと思おうが、結果は自分の思ったとおりになる」ヘンリー・フォード
  「従業員を仕事に割り当てるにはどうすればいいか?」という問題を「仕事を従業員に割り当てるにはどうすればいいか?」という問題に置き換えた時、組み立てラインに閃いた、という。
 「コンピュータは役に立たない。答えしか与えてくれないから」パブロ・ピカソ

 150円高。購入はこちら


3 「綺麗の福音」
 大高博幸著 世界文化社 1400円

 著者はビューティ・エキスパートだとか。美容界の超カリスマですから、女性には超人気の人。テレビ、ラジオ、雑誌でもおなじみでしょうね。
 ちょっと女っぽい男の方です。これで55歳には見えないなぁ。

 これ、人生書ですなぁ、完全に。目から鱗が落ちました。なかなかのものです。

 著者は元々、デザイン科出身です。で、化粧品会社のポスターやパンフの製作をしたかったようです。とくに、アメリカの香りがプンプンするレブロン宣伝部を志望します。
 その時の面接官曰く、「まず美容部に所属して、化粧品のことを勉強して、それから宣伝部で仕事をするのはどう? そうすれば、もっといいパンフレットを作れるんじゃない?」
 たしかにそうですね。
 
 で、日本初の男性美容部員となった著者は、他社製品の成分や使用法まで事細かに説明できるほど、化粧品の世界に精通していきます。

 「美容部員という職業は、ボクにとって天職だった」

 偶然の成り行きでついた仕事。でも、これが人生を変えるんですね。
 2年後、デパートで各メーカーが出店する化粧品大会に参加した時のこと。ヘレナ・ルビンスタインのベテラン美容部員からこんなことを言われます。
 「小田原に大高君みたいな高校生がいるんですよ」
 37歳の時、「小田原に大高先生みたいな高校生がいるんですよ」
 17歳の高校生時代、ヘレナの化粧品に感動した著者は、その効果をレポートしたファンレターを送ってたんです。つまり、本人のことだったんですね。それが各社の美容部員に語り継がれてた、ってわけ。

 あるお客さんにメイクをした時のこと。「いいとこの奥様」といった感じ。突然、泣き出してしまった。
 「20年前の私の顔があるわ・・・今日はお化粧を落とさずに寝るわ、いい夢を見るの」
 あまりに唐突だったので、聞けば、その女性は昔、事情があって出産を諦めたそうです。それが精神的な重しになって、自分を苦しめていたんですね。
 「いけません。きちんと落としておやすみください」
 メイクには人を助ける力があるんです。

 「最近、ボクはつくづく思うんです。強くなければ綺麗にはなれない」
 この強いという意味は、「転んでも、また立ち直ることができる」という意味です。綺麗になるには、根性がいるんです。

 「あっ、綺麗」と思った感動を身につけてないと、メイクはどんどん退化してしまいます。「手順」に成り下がったメイクに美しさが宿るわけがありません。
 マンネリは美を台無しにするんです。

 これだけの超カリスマ。予約も大変でしょうな。
 ところが、予約をわざわざ断りに来た客がいるそうです。しかも、その予約時間ぴったしに。
 不思議でしょ。理由を聞きたくなりますよ。
 「こんなシミだらけの顔を、大高さんにお化粧して頂くなんて、やはり申し訳ない。それでお詫びに伺ったのです」
 そのお客はご主人が独立した懸命に仕事をしてたため、父親の役目も自分で引き受けてたんですね。キャッチボール、運動会、プールなど、子どもと遊んで、真っ黒になっちゃった。
 気づいた時にはシミのあとがくっきり。いま、ご主人の頑張りもあって、裕福になったそうです。
 「主人が大高先生のとこに行け、と言ってくれたんです」
 「奥様、シミはけっして綺麗なものではありません。けれど、奥様のシミは人生の勲章のようなものですね。お子様をよい子に育てた証です」
 著者はその時、はじめて、シミに価値があると思える人に出会えた気がしたそうです。
  他メーカーのベテラン美容部員にこの出会いを話したところ、彼女はぼろぼろ泣き出したそうです。
 「大高ちゃんにそう言ってもらえたから、もうその人は大丈夫。どこに行っても勲章の証を思い出して、胸を張って綺麗に生きていけるわ」

 250円高。購入はこちら