2003年05月19日「竹中プランのすべて」「笑うふたり」「東京おさぼり喫茶」
1 「竹中プランのすべて」
木村剛著 アスキー 1600円
著者はKPMGフィナンシャルという金融コンサルタント会社を主宰する人・・・というよりも、「三十社問題」で物議を醸し、その後、「金融庁金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」のメンバーになった人・・・といったほうがわかりが早いかも。
おかげで、「禿げたかファンドに日本の資産を売りかねない輩だ」と、銀行業界からウソ八百の激しいバッシングを受けてますが、著者の言い分は、「不良債権についてウソをつかないで、十分な貸倒引当金を積んでくれ」ということです。これしか議論していない。「国有化」という言葉など、まったく使っていないんですね。
ずばり、本書は必読書です。日本人として、国民全員が読んでおかなければならない本です(ちょっとオーバーかな)。
「昨年十月初め、私の前に現れた竹中氏は評論家ではなく、ファイターそのものであった。粉飾だらけの官僚答弁を覚えながら、大臣という優雅なポストを愉しもうとする評論家ではなく、ぶざまな姿で血まみれになり、傷だけけになりながらもギリギリの勝利をもぎ取りたい、という覚悟をさらけ出した一個の男だった」
この竹中さんの姿に打たれ、著者は非難と中傷の嵐になることを承知で、委員を引き受けることを決めたとか。
なぜブレーンと呼ばれる立場で、竹中さんを支えているのか?
「それは男気である」、と著者は言います。なんか、健さんの世界だけど、こういう言葉、好きだねぇ。官僚や民間官僚には口が裂けても言えないフレーズだよね。
いま、竹中大臣バッシングが激しいですね。新聞にも小泉さんの人気の衰えと同時に、「いまや、骨抜きプランだ」「ペーパードライバーに何ができる(これは榊原さんがよく言ってるけど)」「デフレが悪い。銀行経営者が悪いわけじゃない」と一挙に攻撃の狼煙が上がりました。
でも、今回、りそな銀行が公的資金投入を申請したことで、ようやく気づきました。「竹中さん、なかなかやるな」ということにです。
で、ホントはどうなのか。近くで見ている著者がどう感じているのか興味を持って本書を手に取った、というわけです。
それにしても、公的資金を投入するに際して、「申請主義」ってのはどういうわけかね。政府当局が公的資金を入れるぞ、と言っても、「いや、いりません」って頑張る銀行がたくさんあるわけ。何しろ、銀行のほうから「申請」してもらわなくちゃいけないんだからね。
で、今回も従来のように、金融庁の抵抗勢力はこのりそな銀行を生かし続ける予定だったと思うな。でも、申請せざる得ないようにもっていった。
それはこのチームでの会議で、一つの質問が分かれめだったと思う。
「税効果会計について、金融庁は銀行に指導介入するのか?」
「しません」
これで言質をとられてしまった。監査法人は監査法人で信頼回復のために、厳しく(常識だけど)査定するしかなくなった。これで勝負あり。おそらく、政治屋を使うとか、金融庁内の抵抗勢力にすがるとか、悪あがきがあったと思うよ。
でも、時、ここに至って、自ら申請せざるをえなかったということでしょう。
ズバリ、結論を言えば、「金融再生プログラム」は骨抜きにはなってませんな。
これは官僚(身内の金融庁内部の抵抗勢力も含めて)と銀行首脳たちによる妨害工作を前もって読んで、テクニカルに、しかもあちこちに爆薬を仕掛けた巧妙な作品ですよ。
いまの日本の経済問題、とくに金融問題は、一言、正論を言えば、水戸黄門が印籠を見せた時のように、あっという間にすべてが解決するといった世界ではありません。
というのも、「うちは健全です」「公的管理などにはされたくない」という銀行側の妨害、邪魔がものすごいからです。
この人たち、超低金利のおかげで業務純益は丸儲け。
実はバブル時代よりも、この「失われた十年」のほうが銀行は儲かってるんです。当たり前です。低金利で借りたお金を高利で貸すんですからね。いまの時代なら、だれでも銀行経営なんてできますよ。
けど、バブル時のバカな投資と、その後、経営の失敗が露見しないように使ったお金のために膨大な不良債権があるんです。だから、バランスシートはガタガタ。ずるい人たちだから、保身のためには嘘とインチキはお手の物。政治屋とマスコミを動かしてネガティブ・キャンペーンを展開しています。
間が悪いことに、新聞記者というのは基本的に経済があまりわかっていないから、知らず知らずのうちに「竹中プランは骨抜きだ」「デフレが悪い」という銀行側の狙いにはまってしまいました。いわば、国民を誘導するお先棒を担がされているのが現実ではないでしょうか。
これからテレビ、新聞を見た時、エコノミスト、経済評論家という人が、銀行の味方をしているか、それとも銀行を叩く側にいるか。まず、この色分けをして話を聞くといいですよ。
なぜ、銀行が不良債権によって銀行の財務内容が悪化すると、日本経済全体がゆがむのか。
お金というものは経済を円滑に動かすための血液です。この血の巡りが悪くなると、経済の動きが停滞してしまうんです。デフレにしても、ものが売れないからどんどんきつくなっていきますね。経済が低迷すると、会社は利益をなかなか上げられません。個人的に見れば、給料やボーナスが下がる。福利厚生のサービスも悪くなる。なにしろ、気が滅入る。
金利が上がらないから、生保や年金の資金運用も逆ざやになる。すると、「年金は大丈夫かな、いざという時、生命保険は?」というように心配の種が尽きないから、ますますお金を使わなくなる。こうしてデフレはどんどん進みます。
本来は、競争原理によって、問題企業は退場するのがマーケットの掟。ところが、銀行が不良債権を処理しないから、そんな問題企業が退場していかない。
「不良債権を処理すると、健全な中小企業がバタバタ倒産する」とい銀行側の論理がありますが、これもウソ。
健全な中小企業は、すでに問題企業とはつきあっていないからです。考えてみればわかるでしょ。問題企業にくっついているのは、どこにも相手にされない問題の中小企業ですよ。「類は友を呼ぶ」というわけ。
大手の不良債権を処理せず、健全な中小企業から貸し剥がしや貸し渋りを展開する。これって、銀行独特の論理なんですね。
「ステイタスを維持したい」ということが少し、本音は「貸した金額が大きすぎて、自分の責任問題になるから」ということでしょうな。
たとえば、引当て不足が一〇〇あるとする。あなたが金融担当大臣だとしたら、次の処理はどうするか?
1そのうちの八割が二〇〜三〇社の大手企業。
2そのうちの二割が一千社の中小企業。
当然、1に集中して処理しようとするでしょう。だって、「パレートの法則」にしたって、ABCマーケティングにしたって、銀行員のコストと回収の効率を考えれば、当然、そうなるでしょ。
では、もう一つ。
次の企業のうち、貸出金利を上げたい。どこから上げるか?
1中小企業(リスク=有・リターン=大)
2大企業 (リスク=小・リターン=殆ど無し)
3問題企業(リスク=大・リターン=マイナス)
普通の人は3、2、1の順でしょう。問題企業など、ガンガン金利を上げてしまって、わざと関係を清算したいくらいです。リスクのわりに儲からない大企業との取引にしたって、金利を上げるべきでしょう。「そんな金利、払えないよ」と文句を言ったら、取引をやめたらいいわけでしょ。彼らは証券や社債の発行など、自分でいくらでも資金を稼げるんですからね、銀行がわざわざ出張る必要もないんです。アメリカでは常識です。
とくに儲けさせてくれる大得意先の中小企業には、金利を下げてもいいくらいですよ。
ところが、日本の銀行はそうは考えない。いちばんのお得意様である中小企業から金利を上げようとするわけ。そして、リスクだけでつきあえばつきあうほど損する問題企業の金利を減免したり、債権放棄したりしてるわけ。
バカみたいでしょ。本当にバカなんじゃないかなぁ。
債権放棄でダメ会社が蘇ると、困るんですね。
というのも、ダメ会社というのは経営者がダメな経営をしたからダメになったわけです。ところが、債権放棄されたから身が軽くなる。
すると、「大安売り」を始めるんですよ。となると、健全な会社が適正の価格で商売をしている邪魔になるわけです。銀行のお金ではなく、税金で助けられたあげく、値段を下げてマーケットを荒らす。
だから、不況の中、きちんと健全に経営をし、真面目に商売してきた会社が困っちゃう。
「あいつらに千億円の債権放棄をするなら、俺たち中小企業に一億円ずつ融資してくれ」というのも理解できます。
問題ゼネコンの社長が記者会見で言ったせりふ。
「みなさん、いろいろ批判があるでしょうが、うちの会社も借金さえなければピカピカの会社なんです」
開いた口が塞がらないとはこのことです。
デフレの構図。債権放棄企業のダンピングと過剰供給が健全な中小企業の収益率を低下させている。これは建設業や流通業に限った話ではない。
なぜ、銀行は不良債権を処理しないのか。処理したら、引当金を積まなければならなくなります。ところが、この資金がない。公的資金を投入されたら、りそな銀行みたいになっちゃぅ。で、「この会社は不良債権じゃない。健全です」と言い張ったわけ。
たとえば、マイカルがそうでしたね。
マイカル破綻の時、金融庁の大幹部が何と言ったか?
「青天の霹靂。これはだれにも見通せなかった」
二〇〇一年九月、当時、マイカルが破綻寸前になっていることは、金融業界では「常識」でした。だから、額面百円の社債が破綻二ヶ月前では二十円にしかならなかったんです。マーケットはこの社債の八割は腐っていることを見抜いてたんです。
その結果、供給過剰になるからものの値段はどんどん下がっていく。デフレ圧力が強まるというわけです。
これがデフレスパイラルというやつですね。
世の中のお金の巡りが悪くて経済が停滞すると、株価も下がります。金利も低くなります。それで年金基金や生保の業績を悪化させてしまうんですね。
中小企業に対して、貸し剥がしや貸し渋りが問題になってますが、これは健全な中小企業に対しても行われてます。たとえば、先頃、みずほ銀行が中小企業への貸し出しを五兆円も減らしたことで、当局から「改善命令」を食らいましたでしょ。自分たちが生き残ることに必死なんですね。
450円高。購入はこちら
2 「笑うふたり」
高田文夫著 中央公論新社 667円
高田文夫さんといろんな人との対談です。伊東四朗さんとか欽ちゃんとか、彼が大好きな三木のり平さんとかね。
トップの芸人たちの芸のコツみたいのが勉強できます。
「それがなんの役に立つの?」
それはわかりません。自分で考えてください。けど、こういう質問、多いんだよね。とくに雑誌とかの取材でね。
「若手ビジネスマンに向けて、いまりアドバイスを具体的に、どう仕事で役に立てるかまでをお話頂けませんか?」
「そんかなバカじゃないと思うよ。こりゃ、役に立つと思えば、勝手にインプットして使うだろうし、こりゃダメだとなれば、懇切丁寧に教えたって馬耳東風。こうやって使いなさいなんて、よけいなお世話なんじゃないの? 言いたいことだけ言わせてよ」
「でもぅ」
その場にならないと、わからないじゃん。それに、頭のいいやつは他人の話を翻訳して、自分の仕事に当てはめて聞く癖がついてるでしょ。いちいち、ここではこう使ってなんて、ホント、よけいなお世話なんだよ。
さて、三木さん曰く、「間の取り方だな。夢声さんが、客を見て、話しかけるようにやれって。そうすると毎日、間が違ってくるって」
これ、三木さんが若い頃、せりふが浮いちゃって、てんで舞台でダメだった時にアドバイスされた一言。これは効くな。
発想の転換というところでは、こんなのがあります。
萩本欽一 切り換えない。
高田 切り換えない?
萩本 ホントよ。例えば、『欽ドン!』(『欽ちゃんのドンとやってみよう!』)やるでしょう。だけど一時間じゃ、とてもじゃないけど考えていたことを全部やれない。
それで、そこで溢れたアイデアを『欽どこ』(『欽んちゃんのどこまでやるの!』)に持っていくわけ。そこでもこぼれたアイデアは、また別の番組に持っていく。
高田 ああ、番組はいっぱいあるわけですもんね。アイデアを捨てる必要がないというのは贅沢ですね。
萩本 それが仕事してて一番面白いのよ。だってアイデアがボツになるほど悲しいことはないもんね。たとえばさ、訪問販売に行って断られると、そこまで訪問に行ったことが無駄になるわけじゃない。そのときでしょ、仕事がつまらないと思うのは。全部契約が取れたら、仕事面白いはずよ。
高田 アイデアを絞り出すなんていうことはなくて、溢れ出てくるって感じだったんじゃないですか。
次のもいけるよ。
小朝 「貧乏人を助けよう」っていう番組を見たんですよ。代々木駅前のラーメン屋さんが主人公なんですけど、立地条件がいいのに閑古鳥が鳴いているなんてもんじゃない。客が全然入ってない。レポーターの(笑福亭)笑瓶さんなんか試しに食べてみて、カメラに向かって「まずい!」って(笑)
高田 マジにまずいんだ(笑)
小朝 それで、代々木ですから学生百人集めて、店のラーメンを食べさせてアンケートを取ったんですよ。そしたら、七十何人が「まずい」という答えだったんたですけど、二十何人が「うまい」にマルしたんですよ。
高田 それでも二十何人はうまいって。
小朝 そうなんですよ。で、ラーメン屋を建て直すのに命を賭けてみるみたいな、ラーメンの神様っていう人が出てきて(笑)。
高田 いるねまた、神様が(笑)。
小朝 いきなりさびた寸胴鍋見て「よくラーメンが出せるね、あんた」から始まって(笑)。
高田 いきなり小言だ(笑)。
小朝 スープはなんだ、出汁はなんだ、チャーシュウはなんだって駄目だしして、結局、全部やり直し。麺のゆで方から鍛えられて、泣きながらやっている。
高田 辛くて(笑)。
小朝 それで最終的には店主の工夫を加えた、ラーメンの神様も「文句なくうまい!これなら大丈夫だ!」って太鼓判押すラーメンができて、店も超満員になってメデタシメデタシとなるんですけど、面白かったのは、そこでまた、客にアンケートを取ったら、七十何人が「うまい」って言って、二十何人が「まずい」って言っているんですよ。
何とかしてその三割を減らそう、振り向かせようとしているうちに、その三割に媚びていって、七割の人が認めてた自分の形が崩れていって、結局は全員が離れていってしまうと思うんですよ。
高田 鼻につくようになるんだね。
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3 「東京おさぼり喫茶」
散歩の達人篇 交通新聞社 1429円
わたしの場合、喫茶店でさぼるというより、喫茶店というのは打ち合わせの場所なんですね。
とくに、週に何回かは新宿の「滝沢」にいますもん。で、本書にもこの喫茶店が登場してます。
なんでも千円。だけど何時間でもいられる。業界の人ばっかしだから、半日いると、たくさんの編集者に会えますね。
「あっ、どうも」
「あっ、どうも」
こんな挨拶ばかり。
「おさぼり喫茶」とあるけど、ケーキや一品料理などの美味しい喫茶店、調度品が優雅な喫茶店、眺めのいい喫茶店、ちょっと隠れ家ってな感じの喫茶店など、バラエティに富んでます。
わたし、悲しいことにコーヒー飲めないんですね。子供の頃からプライベートスクールと紅茶というイギリス風の家庭に育ったんで(ウソ!)、苦手なんです。けど、喫茶店には都内でよく通いました。コーヒー飲めないくせに、高校時代に喫茶店にマイ茶碗を置いてたほどです。
本郷の「万定フルーツパーラー」のカレーは本当に美味しいよね。一度、大学で講義した後、読売新聞の取材を受ける時、ここでやったんだけど、話しながら、頭は最初から終わりまでカレーのほうに飛んでたもんね。いったい、何、聞かれたかさっぱり覚えてません。
日比谷茶廊のオムライスも抜群。ふわふわしてて、ケーキみたいなんだよね。築地のマックモアのまぐろの中落ち定食は食べたことないなぁ。
有楽町のニューキャッスルの「辛来飯(カライライス)」は一度、食べてみたいなぁ(今日、神保町のキッチン南海でカツカレー食べてきたんで、来週だな)。ちぇ、せっかく神保町に行ってたのに、サボウルの手作りジュース、飲むの忘れてた。失敗、失敗。
これも来週だな・・・このホームページ見てる人で、だれか一緒に行く?。
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