2003年03月03日「目先の利益を捨てなさい」「ある外交官の回想」「落語家論」
1 「目先の利益を捨てなさい」
広岡等著 東洋経済新報社 1300円
著者はカー用品のチェーン店「オートウェーブ」を展開している社長さんです。
この店はわが書斎の近くにもありますし、わたしもよく行きます。隣はカーコンビニ、ドンキ、マック、ゲオなど、若者に人気がある店ばかりですから。
この店は駐車場が広くて、いつも警備員がいて、路上の駐車待ちをさせないところがいいなぁ。
この会社はデフレ不況下にもかかわらず、増収増益。3年前に株式を上場させました。現在、店舗当たり売上だと、全国のベスト3を独占中です。
創業時に大赤字を出しまして、それでマネジメント哲学を180度、転回。「顧客満足日本一の会社づくり」だって。
わたしもそうだけど、カー用品店にいくお客というのは、目的買いですよ。ところが、ここは目的買い以外に「ついで買い」が多いの。
なぜか。
「ついで買い」とは「仮のニーズ」が「真のニーズ」に変身した瞬間のことでしょ。お客自身、ホントは自分が何を求めているか、わかってないんでよね。だから、コンビニ、スーパーでもレジ横の商品に思わず手が伸びちゃうわけ。
たとえば、「BE−UP」という商品があります。これって、オイル製品なのね。
この商品の全国シェアは1パーセントだけど、ここではや70パーセントもあるの。「1:70」ってのは、ずいぶんでしょ。
この秘密は店員が売るべく推奨し、説明するからですよ。だから、買っちゃうわけ。
ある商品を売ろうと決めたら、この店ではその商品について徹底的に研究するわけ。そこまではだれでもやると思うけど、ここからが大事。
どう売ればいいのか?
つまり、セールス手法も検討して、詰めちゃうわけよ。そこかな、ポイントは。
バッテリーにしても、本社のある千葉県内では年間販売数30万個のうち、26パーセントがここの店舗です。
商品回転率は、コンビニの平均とほぼ同じ。すなわち、25回転。同業の4〜10倍ですね。
「カーケアクラブ」という会員制メンテナンスクラブがありまして、月々、会費を払うと、2年間、車検などのメンテを格安費用で受けられるわけ。最大50パーセント引きなんだけど、これって原価同然なの。
でも、やるだけのメリットはあります。
だって、年間5000件の会員が獲得できれば、車検5000台、オイル交換2万台の予約をとったも同然なんですね。
損してるようだけど、「見込み」ができるというメリットは大きいですよ。この「見込み」をどこまで増やしていけるか。
これって、雑誌の経営と同じですね。
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2 「ある外交官の回想」
松永信雄著 日本経済新聞社 1600円
元アメリカ大使の松永さんですね。パラパラ読んでて気づきましたよ。これ、去年、日経で連載された「わたしの履歴書」じゃないですか。
現代の外務官僚の本など、読む気にはなりませんね。どうせオフレコは載ってないだろうしね。
でも、この人の場合、終戦直後の入省なんです。ですから、日本の戦後外交史を勉強するつもりで読めばいいんです。
戦後、日本は文字通り、ゼロからスタートしました。大陸に築いた利権はすべてパー。残したのは反感と恨みだけ。
アメリカの戦略上、なんとか復活の資金提供を受けましたが、なんと言っても、大きいのは国民のエネルギーだったと思います。
外交はとにかく、国として経済的に一本立ちすること。政治的な発言は独立前ですから、何もありませんものね。
で、資源のない日本がどう生き抜いていくか。
問題は常にそこにあります。
イラク、イラン、ロシアもそうですが、日本がアメリカほどにダイナミックな外交政策をとれず、あっちにつき、こっちにつき、八方美人で行くしかないのは「資源問題」が大きいのではないでしょうか。
逆にいえば、フリーハンドでどこからも資源の買い付けをできることでもありますけど、それは平時だけ。いざ、戦争となると、話にはなりません。とくに、その戦争が中東がらみだともう大変です。
実際、いま、石油関係の株式、先物商品がグンと上がってるでしょ。物価にもろに響いてきますから、もしかすると、デフレもアメリカとイラクとの戦争で解決してしまうかもしれません。
いまの外交官と違って、苦労は多かったですね。旧ソ連のモスクワ大使館勤務の時など、病気になった奥さんが病院に強制入院するうちに、どんどん悪くなる。
そこで英国大使館の医師に見舞客を装ってもらって確認すると、「このままでは明らかに死ぬ」と言われて、すったもんだのあげく、スウェーデンに転地療養させたりしてます。
田中角栄さんが日中国交回復を成し遂げた時、実は航空交渉については後々まで解決してませんでした。
これは大平外相が事態打開のために中国に飛んだんですね。
この時、オプションは2つありました。
1つは中国に最後まで譲歩を求める方法、もう1つは、今回は妥協できなかったが、日中関係は今後も続くので、いずれ交渉を再開しましょう、というもの。ただし、後者は「さよなら」と同意語です。
事務方としては、まず前者の立場で議論を続け、その結果次第で後者の立場を発言するという段取りです。
ところが、大平さんはどうしたかというと、いきなり、開口一番、後者を選択するんですね。いきなり、最後通牒ですよ。
これには、中国側も呆気にとられます。「まさか」と思ったんでしょうね。
日本人にこんな度胸のいい政治家がいるなんて、思わなかったんでしょう。だって、外相として中国までやってきて、「お土産」無しで帰国せざるを得なくなるんですよ。戻れば、野党や新聞がなんと騒ぐか。
中国側が慌てて、「暫時、休憩をとりましょう」。それで、2時間も周恩来首相と協議してたみたいですね。
結果はどうだったか。
「日本側の主張をそのまま受け容れることはできない。けれども、日本の古い友人を失敗させて帰国させるわけにはいかない」
日本がぎりぎり呑める妥協案を出してきたんですね。
この時、どうして、大平さんがいきなり、こんな行動に出たのか、いまでもわからないそうです。
いずれ聞こう、聞こうと思っているうちに、選挙中に亡くなってしまいましたものね。
帰りの飛行機の中、大平さんが読みふけっていた書物はカーライルの本だったそうです。難解な哲学書ですよ。
あの人、敬虔なクリスチャンでしたが、肝っ玉の据わった偉大な政治家だったんですね。
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3 「落語家論」
柳家小三治著 新しい芸能研究室 1900円
版元の名前が変だけど、これって小沢昭一さんがやってるの。「藝能東西」という季刊誌があって、これに掲載されたものなどを中心にまとめたものです。
以前、本欄で「ま・く・ら」「もひとつ ま・く・ら」の2冊を紹介したことがあるけど、その中のいちばんいい話がここには収録されてますよ。
それって、「梅の家の笑子姐さん」ていうエピソードなんだけどね。
小三治師匠が、好き放題、話してます。だから、面白い。
弟子の指導、寄席の歴史、落語会の明治、大正、昭和史なんてのも、いいでげすよ。
この業界、いまは落語協会(小朝、こぶ平なんかがそう)、落語芸術協会(歌丸さんがそう)、ほかに円楽党、立川流なんてわかれてるけど、昔から群雄割拠は当たり前の業界なんですね。
でも、戦争があったり、大地震で東京が潰れたりすると、大同団結して元に戻っちゃう。そんな歴史の繰り返しです。
「古典落語なんて、世の中には無かったのではなかろうか。人物の設定、大筋、噺の底に流れる精神、このうち二つ、三つを伝承するだけで、あとはいつも新作落語だったのではないだろうか」
たしかにそうかもしれません。言葉は昔のものが登場しますね。「へっつい」なんて知らないものねぇ。
熊さん、はっつぁん、ご隠居、与太郎なんて、今どき、いないもの。
その雰囲気だけは残しつつ、どう料理して、時代時代のお客を楽しませるか。これはつねに新作でないとできません。
たんに残すだけの芸では残らない、と思いますね。
「古きを温ねて、新しきを作る」ってとこでしょうか。
この年になって、やっと落語の面白さ、醍醐味がわかってきましたよ。
毎日でも聴きたい。もう一年中、通いたい。弟子入りできるものなら、ぜひ、お願いしたい。
そんな気持ちです。
お手本の上に紙を置いてをなぞる稽古をいくら続けても、一人前の書き手にはなれません。お手本から離れる。その時がいちばん難しい。
早すぎてはならないし、遅すぎてもいけない。
これは円生の言葉ですよ。
親が子を育てられるわけがない。でも、豊かな土壌があれば良いものが育つ。そのためにも、良い噺をたくさん聴ける場にいるってことは大きいです。
落語というものは凄いもなんだぞ、とか、いかに素晴らしいかと力説しても、それはただの理屈好きが集まってくるだけなんですね。
理屈ではなく、その芸に圧倒されてしまう。
「よし、あの人のように」と心を熱くする。そんな若者が期待できるんです。
「でも、熱くさせる側に問題がある」だって。
「あの人とあの人・・・。そのあの人ってのは憧れや到達の対象ではなくて、近々、君が抜くライバルだよ。とりあえず、目の前にいる目印だよ」
小三治さんの場合、父親は校長先生、母親は武家の娘。子供の頃から、「男は人前で歯を見せてはいけない」と言って育てられた人です。
だから、噺家になったとき、「おまえはどうして笑わないんだい?」と聞かれる始末。
小三治さんの師匠はご存じ、小さん師匠です。去年無くなりましたが、人間国宝でしたね。
でも、この師匠から教わったことは「盗め」「その料簡になれ」のひと言。
「おまえはオレの弟子なんだから、高座でやっているところを聴いて憶えろ。盗め。憶えたら聞いてやる」
なにしろ、落語を教えてはくれなかったそうです。しかも一席やってみると、あそこはこうしたほうがいいとかいう、具体的なアドバイスは一切ない。
「おまえの噺は面白くねぇなぁ」
これだけ。よその弟子には向かい合って、稽古をつけてたそうですね。でも、自分の弟子にはいつもこんな調子。
「信じてもらえないかもしれないけど、向かい合って聞いてもらったことは、ただの1度だけでした」だって。
テープに録ったら、と思う人がいるかもしれませんけど、この世界でこれは御法度です。師匠がいいよと許せばかまいませんが、これはありません。
これはほかの師匠から聞いた話ですけど、師匠が弟子の前で3回同じ噺をしてくれる。それだけで憶えなくてはいけないんです。
そのあと、すぐに「じゃ、やってみろ」とやらされるんですね。
噺をしてる間、メモなんて取れませんよ。身体中を耳にして聴くんです。「この3回だけで憶えるぞ」と集中するわけですよ。
でないと、とてもこの稼業はできません。
「でも、よくぞほったらかしてくださいました」
小三治さんはそう言います。ここはこうだよ、と教えてもらったらどうですかね。なんとかそのようにできるかもしれない。
でも、それ以上のものは出てこないですね。いつまで経っても、これでは師匠を超せませんよ。
教えないからこそ、超せるんですな。
小さん師匠の弟子は落語会にたくさんいますよ。息子の三語楼さん、孫の花緑さん、わたしが好きな小里んさん。それぞれ自分流というものがあります。師匠の真似じゃないってことですよ。
落語は大筋は変わりませんけど、下げ(落ち)はいくらでも演者によって異なりますものね。
あとね、本当の芸というのは「盗んで憶えるもの」なんです。盗んだものしか、モノにならない。わたしはそう思います。
なぜか?
それは自分で考えてみてください。
なぜでしょうか?
なぜなんでしょうね?
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