2002年09月09日「ロスチャイルド家の上流恋愛作法」「童話作家はいかが」「独創力を伸ばす人 伸ばさない人」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「ロスチャイルド家の上流恋愛作法」
 ナディーヌ・ロスチャイルド著 ベストセラーズ 1450円

 ロスチャイルド家とは日露戦争時に日本政府が借金した相手です。一人の人間が一国にに貸すほどなのですから、どれだけ超リッチか想像もつきません。
 その男爵夫人が著者です。
 では、彼女自身も大金持ちの生まれかというと、そうではありません。
 中学を卒業すると工員、モデル、ダンサー、女優など、いろんな仕事をして生きてきました。そして三十歳の時にエドモンド・ロスチャイルドと出会って結婚し、幸せな日々を送ります。ヨーロッパで「現代のシンデレラ」と呼ばれるのもわかりますね。
 さすがフランスでベストセラーになるだけあって、「大人の女はどう生きていくべきか」を、著者は自分の友人を一人一人紹介しながら実例で教えてくれます。
 その登場人物というのもなんともゴージャス。叶姉妹が束になってもかないませんよ。
 ジャクリーン・オナシス(ケネデイ大統領の未亡人だった人)、マリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、ソフィア・ローレン、マレーネ・デートリッヒ、ローレン・バコール、ダイアナ妃・・・煌びやかであでやかな面々ですね。
 「これまで出会った並はずれた運命を持った有名女性たちを振り返ってみると、彼女たちにとって『愛は闘い』だったのです」−−優雅さ、服、宝石、香水、靴、すべてが計算されているのです。
 「自然」という言葉は彼女たちの辞書にはありません。すべてがすべて自分の幸福を勝ち取るための武器なんですね。

 でもね、オンナは怖いよ。 
 たとえば、ジャクリーンの上昇志向には驚きます。この人、元々雑誌記者でした。それから新聞記者になり、政治家と会う機会が増えます。
 で、出会ったのがネケディですよ。まさに玉の輿ってやつだな。
 二十代の独身時代にフランス社交界で紹介された時、ある大金持ちに紹介されるやいなや、「あなたほどの素晴らしい殿方はいませんわ。いまでの業績、素晴らしいの一言です。わたしにいろいろ教えてくださいね」とうっとりした目で見ます。
 ところが、実はその人、大金持ちの代理で来た人なんですね。それを知った瞬間、がらりと態度が変わります。そして、二度とその人の方を振り向くこともありませんでした。
 彼女にとって、男とはいったいどんな存在だったのでしょうね。
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2 「童話作家はいかが」
 斉藤洋著 講談社 1600円

 これは愉快、痛快。面白く読みましたよ。
 いま、わたし、文章講座なんぞをやってるんですね。文芸社という自費出版の世界では有名な版元があるんですが、ここで経営者、ビジネスマン相手に「企画の立て方」から「執筆ノウハウ」まで、それはそれは親切に講義してるんです。

 なぜ、こんなことをやる気になったかというと、7月だったか8月だったかに、東京都主催の「文章講座」を4回連続でやったんですよ。で、これがバカ受けでね。受講生は締め切り2週間前に満杯になって断っちゃうし、始まったら、引き続きやるようにと矢の催促だし、まっ、ビジネススクールでもそうだし、大学でもそうだから、それはよくわかるんだけども・・・(鼻が天狗になってます)。

 本当に感動したのは、アマでも企画のイロハをきちんと教えると、かなりレベルの高い企画書をまとめられるってことですよ。これは下手な編集者は、即、クビだな。文章にしても、みんな、上手なの。講師のわたしより、ずっと巧いのよ。
 で、それなら、こっちの勉強にもなるし、ってんで、引き受けたわけです。
 なんか目覚めちゃって(ちょっと遅いんだけど)、いま、「文章術」だとか、「小説家になろう」だとか、「ベストセラーの書き方」だとかを片っ端から読んでます。こんなことでいいのかね。

 でも、こういうの読んでると、自分が講義した時のアラが見えてくるでしょ。かといって、じゃ、それに書いてることをわたしが指導できるかというと、それは無理。やっぱり、自分がやって来たこと、ホントにつかんできたことしか講義なんか、できないわけです。
 しかし、質問があった時に便利でしょう?
 「こんなこと言ってる作家もいるし、あなた、それでいいんじゃないの?」ってな具合です。

 さて、本書ですが、この斉藤さんという人は大学でドイツ語を教えてる人なのね。
 それがたまたま、ホントにたまたま電車の中で「日刊ゲンダイ」を読んでたら、講談社の児童書新人賞に関する募集広告を見たんです。こんな広告、関連企業だから掲載するんであって、この人、「夕刊フジ」を読んでたら、今頃、童話作家なんかにはなってないよ、きっと。
 これも運命の面白いとこですな。

 で、「小説は大変だけど、子ども相手のものなら」っていう軽い気持ちで書こうとしたらしい。
 なぜかっていうと、書店に行って童話を手にとってみたの。すると、「なんだ、こんな程度か。こりゃ、だれでも書けるわ」と錯覚したんです。
 でも、人生、でかいことを成し遂げるには「錯覚」という力がないとできないんじゃないかね。わたしはそう思います。
 それに健康保険もないし、失業手当もボーナスもないし、「こりゃ、印税で稼ぐか」と宝くじを買う調子でいたらしい。書斎は幅、奥行き、ともに一メートルくらいの押入。なんか、昔の物書きの生活だよ、これじゃ。
 
 で、書き上げた作品が「ルドルフとイッパイアッテナ」(講談社)なんです。
 これは猫の名前なんです。ボス猫がイッパイアッテナですよ。主人公はルドルフ。なんてたって、ドイツ語の先生なんだから。

 傑作なのは、受賞した時に、いきなり、女性の担当編集者から言われた一言。
 「あなた、新人賞を取ったくらいで作家になれる、と思ったら、大間違いよ」
 すると、隣のおとなしい編集者がまた、「そうね。ものになるのは三人に一人っとこね」だって。
 わたしはこの出版社の顧問もしてますけど、いったい誰かねこんなこと言うの。まったく正論だよ。
 その後、売れてくるにしたがって、権威がグングン増してくる。すると、ほかの編集者には「一字も修正しない。だったら出さない」と強く言えるんだけど、やっぱり、この編集者に会うと、迫力負けというか、最初のおどおどした雰囲気から抜け出せないで(これって学習効果なんだろうなぁ)、言われるがまま。
 担当者がやっと異動になると聞き、めちゃくちゃ喜んでいたら、また、一言。
 「そうそう、童話の編集からは離れるけど、これからもやってもらいたいことがあるからね」
 「・・・はい、わかりました」と答えざるを得なかった。
 で、できたのがこの本です。
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3「独創力を伸ばす人 伸ばさない人」
 軽部征夫著 祥伝社 1300円

 著者は東大名誉教授、というよりも、東大最先端技術開発センターを作った人であり、日本のバイオセンサーの第一人者です。いま東京工科大学バイオニクス学部を創設し、先日も朝日新聞に1ページ写真入りでデカデカと広告が出てましたね。

 明日(9月10日)に開催する「キーマンネットワーク定例会」の特別講師でもありますよ。

 やっぱりユニークな人ですなぁ。

 技術開発の世界で仕事をしていると、日本と欧米の質の違いがはっきりとわかります。
 「日本は長期レンジ、欧米は短期レンジで物事を考える」と思いきや、これがまったく逆。日本は短期、欧米は長期に取り組むんですね。

 軽部さんが東工大に新任教授として赴任します。このときも42歳で就任するや、年齢的に早すぎる」と学内外で物議を醸したそうですが、ちょうど、イギリスのクランフィールド大学から派遣された学生がいました。
 21歳くらいですが、博士課程の最後の研究を軽部さんのところでやろうとしたわけ。
 そこで研究テーマに対して、ほかの学生同様、その手順や方法を懇切丁寧に指導したわけ。ところが、この人、ぜんぜん動こうとしないんですね。
 日本人なら、テーマが与えられたら、すぐにスタートしますよ。でも、彼はまったくやろうとしない。

 で、時々、フラッと訪ねてきては、「教授のアイデアは何に由来しているのか?」「あの装置はどういう原理なのか?」とばかり聞いてくる。やがて頻繁に訪問してくるようになると、今度は、「あなたの方法とは違うけど、こんな方法でわたしはチャレンジしてみたい。知恵を貸してくれ」と言い出す始末。
 そこに到るまでに半年過ぎてるわけ。
 ところが、これが彼のオレジナリティの源泉なんですね。満を持して取り組むまで、自分独自の研究かどうかを吟味してるんですね。

 日本の戦後を支えてきたのは、実は短期促成栽培回収システムであり、こういうオリジナリティを重要視する方法ではありませんでした。だから、「ライバルよりも先に早くカタチにしろ」と発破をかけられる技術者、研究者はたくさんいたはずです。
 でも、いま、これに類することがすべて曲がり角に来てるんです。
 
 このスタイルは大学でも同様です。研究者は大学にきた翌日から仕事が待ってます。
 もう作業員の一人に組み込まれてしまいます。研究者は組織の一員であって、与えられたテーマを忠実に処理することが求められてきたわけです。
 
 「イギリス人が発見し、アメリカ人が論文に書いて発表し、日本人が製品にする」
 こんな「日本人の技術タダ乗り論」が長年、揶揄されてきました。

 でも、たとえば、ノーベル賞。その生命科学分野一つとっても、アメリカの研究者数は日本の2倍、研究費はなんと4倍です。2倍の人間が4倍のお金を遣ってるんですから、10年分くらい、水をあけられるのも当然といえば、当然かもしれません。

 実は、日本と欧米とでは、子どもの教育方法からしてまったく違います。
 そして、それが独創力の開発に与える影響がものすごいんです。
 たとえば、彼がアメリカ留学中に、子どもが幼稚園に入りました。行ってビックリ、何カ月経っても一向に授業が始まらないんです。子どもたちは勝手にパラパラと好きなことをしてるだけ。
 「高い月謝を払ってるのに、けしからん」と、3カ月目に思い切って文句を言った。

 「いったい、どんなカリキュラムで教えてるのか?」
 ところが、その回答を聞いて唖然、呆然。ニッコリ笑って、「ノー・カリキュラム」と言うではありませんか。これにはたじろいだそうです。
 「カリキュラムなどありません。わたしたちは、その子が何に興味を持つかを見つけるてやるのだ」
 7〜8人に1人の教師がついて、子どもたちの間を歩きながら、「それはこうしたら?」とか「こう描いたら」とアドバイスするに徹っするんです。彼らは3〜4歳の子どもに「自分が好きなのは何か?」「自分らしさとは何か?」を発見させることが教育の目的としていたんですね。
 自分で自分の個性を発見する。そのサポーターであり、アドバイザーなんです。
 
 その後、日本に帰ってくると、このカルチャーギャップのおかげでトラブルが発生します。
 幼稚園の先生から呼び出しを受けたんです。
 「おたくのお嬢さん、色盲じゃありませんか?」
 どうも、真鯉のお絵かきをするとき、彼女はムラサキ色で描いたらしいんです。みんなは緋鯉は赤、真鯉は黒で描いていた。これが「常識」ですもんね。
 でも、この常識は日本の従来の教育における常識ではありませんか?
 アメリカ流の教育では、「自分のフィーリングで色を使うこと」が求められますものね。
 
 日本は「偉大なる常識人」という名の平凡人を生み出す仕組みがそこかしこに張り巡らされているようです。製品作り同様、規格外に外れない人間作りののためには最適の教育かもしれません。
 でも、こういう教育からはピカソもミケランジェロも生まれないでしょうな、絶対。
 みなさん、ぜひ明日の「キーマンネットワーク定例会」、ぜひ参加してね。
 300円高。購入はこちら