2010年06月17日贈与税、無税にしたら?

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 通常国会が閉幕しました。センセ方は選挙モード一色。ヨーイドン!ですね。
 いろんな党からいろんな候補者が立候補してます。有権者として、とくと吟味したいとこですが、第一印象で決めて、ああミスちゃったということばかり。
 
「人を見抜く」ということはむずかしいことです。肩書きがあてにならんからねえ。地位=人物=品格じゃないのよね。じゃ、どうする? 3人くらいの人に聞いてみたらいいのよ。みなが同じようにいうなら、ま、それが実像でしょ。
 でも、それすらホントはあてにならない。利害関係がありますからね。

 いちばんいいのは、「敵」と見られる人に聞いてみること。「敵ながらアッパレ」という評価ならホンモノなんでしょうな。けど、そんなことしてるヒマありませんわな。

 さて、ここ数日、ダウも日経平均も上昇してますけど、お先不透明で大変ですな。
 で、提案。贈与税なんですけど、今後5年間、青天井で無税にしてはどうかね。つまりいくら贈与しても税金とられないということ。

 贈与税と相続税ってのは同じものですよね。生きている中に受け取るか、死んでから受け取るかの違いだけ。つまり、「時間軸」がポイントなわけ。
 どうせマネーのある人は国に中間搾取されるわけです。税金とるより消費してもらえばいいわけでしょ。子ども手当だって、庶民は貯金に回すだけで使っちゃくれませんよ。

 いま、政治が考えなきゃいけないことは「消費」でしょ。消費が縮小していること。これをドゲンカセンといかんのでしょうが。

 で、よく考えますと、たいてい、相続が発生するのは、年老いた人が死んだ場合。若い人が亡くなっても相続はほとんど影響しません。
 で、幸か不幸か、日本は世界一の長寿国家。早い話が、老人がなかなか死なないんです。言い換えれば、死ぬまでマネーを離さないんです。

 なぜ離さないか? ひと言でいいます。「性分」なんです。

 日本経済の未来が不安だから? いえいえ、いくらあっても安心できないの。なぜなら、性分だからです。心配性という性分ですよ。
 いま、子どもにあげちゃうと親の面倒みてくれない。きちんと世話する子や孫にだけ遺したい。
 はい、これも疑心暗鬼という性分なんです。

 いくら持ってたって邪魔にならんでしょうが? いえいえ、邪魔になるんですよ。膨大な遺産遺されても、相続税を現金で支払えなくて物納せんとあかん。でもね、国税なんか物納はダメ、なんて言ってますからね。
 それに兄弟喧嘩も起きちゃう。兄弟姉妹だけならいいの。そこに血のつながりのない配偶者がからむと複雑になっちゃう。「義母さんの介護したの私なのに、どうして均等割りなのよ?」な〜んてね。

 それにお年寄りが死ぬ頃、息子娘はいくつになってます? 50代後半でしょ。もう彼らの子どもは働いてますよ。つまり、教育費も自宅のローンもほぼ終わりという段階。
「もう20年。いや10年早くもらっていたらなぁ(=10〜20年早く死んでくれたらなあ、と同意語)」

 つまり、昔の年寄りといまの年寄りは少なくとも10年。普通で20年。もしかすると30年くらい時間軸がずれてるんです。理由は長寿だからです。

 いま、日本の消費が低迷している原因は、不況とかユーロ危機にあるわけじゃありません。「使いたくない世代・使わなくても困らない世代」から「どうしても使わなくてはいけない世代・使いたくてしょうがない世代」に原資をスムーズにシフトできていないことにあるんです。
 
「子ども手当大賛成」と以前、私が述べた理由も、実はこの原資のシフト(移転)を国・自治体が強制的に展開する。それによって消費をおおいに刺激するだろう・・・と推察したからにほかありません。

 相続税を待ってたら時間がかかる。前倒しで原資をシフトさせたい。で、贈与税を5年間とか3年間という期限付きで無料にしてまでいじりたいわけですよ。

 法律上、いろんな矛盾を抱えている? 本来得られるべき税金が消えてしまう?
 んなこたあ百も承知。けどね、「増税で景気が良くなる!」なんて、どこの世界の経済学の教科書にも書いてない世迷い言を総理が言い出す前に(もう言い出しちゃった)、こちらのほうを優先して研究してはどうでしょうかね。

 昨日の朝日新聞の一面トップ記事、覚えてます?
「消費増税 重要性を強調
 所得 最高税率引き上げ」
 この2つですよ。政府税調案だそうですけど、菅さんの意向を反映してるとか。ま、早い話が「財務省」がそう考えてるというわけですね。
 いかにも役人が考えそうなことですよ。役人の世界というのは足し算と引き算しかありません。マイナスになったらプラスする(増税する)。ブラスになりそうなら、その分、特殊法人に流してマイナスにする。で、増税する。つまり、基本的に「増税」しかないんです。

 けどね、先進国で所得税率40%なんてありえませんよ。ま、87年には70%もありましたからね。それに比べればましですけど、それにしても、住民税と足したらいくらになります?
 アメリカなんて住民税とらない州もありますからね(フロリダ、テキサス、サウスダコタ、ネバダ、ワイオミング、ワシントン、アーカンソーなど)。

 これ以上、最高税率を上げても、税収はたいして伸びないんです。なぜなら、対象者がほんのわずかだからですね。年収300万円未満だと基本的に所得税はほとんどありません。それ以下ですと、国や自治体からなんらかの形で補填されてるケースも少なくないと思います(私? ぎりぎりこの層からずれてます)。

 でも、もし年収300万円未満の層からも、広く広く、薄く薄く、「社会参画コストとしての税」をとるようになると、財政的にはホント、バラ色の未来が描けますよ。
 たとえばの話、高所得者も低所得者も一律10%にしちゃったら消費税なんて0%でも十分成立するんです。

 でもね、現実問題としてそんなことはできません。夢物語です。なぜなら、「弱者切り捨てだ!」「金持ち優遇だ!」という怨嗟の声が、国会とマスコミの中から必ず湧きだしてくるからです(おもしろいですね、センセ方もマスコミ人も高所得者なんですよね)。
 でもって、結局しわ寄せは、全国民のどんなに多く見積もっても1%未満の超高所得者層に来るんです(ありがとう!助かってます!!)。

 でもさあ、もしこの人たちが「明日、日本から出て行きますから、あとは皆さんでよろしくね」「これからはアメリカで納税しますから」なんて言ったらどうなるか?
 はい、日本沈没です。アメリカは受け容れないでしょう? とんでもない。喜んでグリーンカード・市民権を用意するでしょうね。「ファーストクラスを用意しました。さぁ、日本の超高所得者の皆さん、アメリカに行きましょう! ♪酒は美味いし、ねえちゃんはきれいだ♪」なんて、財務省あたりがエアフォース・ワンを特別チャーターしかねませんよ。
 イギリスだって、フランスだって、黙っちゃいませんよ。
「ロマネコンティの87年物ありまっせ。毎週届けまっせ」。そのくらいは言うでしょうね。
 で、気づいてみたら、日本にはセンセ方と公務員だけ。「そしてだれもいなくなった」なんてことになりかねません。

 たぶん、財務省という役所はそういう国を作りたいんでしょうな。 
 
 さて今回、「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は、『映画篇』(金城一紀著・集英社)です。詳細はこちらからどうぞ。