2002年07月15日「日本で最高のサラリーを稼ぐ男たちの仕事術」「iモード以前」「旅館の女将に就職します」
1 「日本で最高のサラリーを稼ぐ男たちの仕事術」
田口弘著 三笠書房 1400円
著者はミスミの社長ですね。
ミスミというのは、金型部品の通販会社ですよ。この分野では、たいてい通販なんかしないのに、あえて通販という営業スタイルで年商500億円まで伸びてきた中堅商社ですね。
人事システムがユニークなんで、日経ビジネスにもよく取りあげられておりました。
帯コピーとして「一介のサラリーマンが年収3000万円稼げる理由」とあります。
どうして、こんなことが可能なのか?
その秘密は「人事システムがそうなってるから」ですね。
よく、会社であるでしょ。
「君はわが社を背負って立つ人材だよ。だから、これだけ重責のある仕事をしてもらってるんだ」
そう言いながら、肩書きはまだ主任程度なの。もちろん年収なんて、仕事の内容じゃなくて肩書きに連動してるから、係長、課長、当然、部長よりもずっと低い。けど、実質的な仕事は部長職みたいな人っているよね。
だけど、この会社側の論理、どう思う?
「君は重要な仕事をしてるから、まだ昇進昇格はさせてあげられないけど、頑張ってくれ」
これが不思議に感じる人は外資系向きです。
これがまったく違和感なく勤まる人、たとえば、「そうそう、仕事には内的報酬(満足感、充実感など)と外的報酬(おカネや肩書き、その他の待遇面など)があって、ボク、お金なんかどうでもいいです。好きな仕事ができれば。こんなに期待されてるから頑張っちゃう」
こういう人は国内の伝統的な会社に勤務してください。
ところで、ミスミは典型的な前者タイプです。
「会社に依存するな、支配されるな、常に対等だ」という契約きちんと結ぶ。これが人事方針なのね。
実際に年俸制を導入するとき、外部のコンサルタントに1人1人の経歴を洗ってもらって、「もし、転職するとしたら、この人はどのくらいの値段で採用されるか?」っていう価格を年俸としたわけです。
あの旧態依然とした組織と見られる相撲界。でも、ここは常に時価で相撲取りを評価してますもの。大関が無様な相撲をとったら昇進できないし、横綱にいたっては落ちないけど、いまの貴乃花みたいに「引退」というプレッシャーがのしかかるからね。
「義務と権利」はきちんとしてるわけよ。
この会社でもは、毎年、役員はやりたい事業を全社員の前でプレゼンするわけ。「こりゃおもしろそうだ」「こりゃ儲かりそうだ」というプランに社員はドッと集まります。
もちろん、「この人ならやるだろう」っていう信頼感が前提としてありますね。「こいつはダメだ」「大嫌っい」というのでは、手伝ってくれる社員も集まらないからね。仕事にはなりません。
つまり、これは社内コンペってなわけですよ。
自分が提案した事業が採用されなくて、暇な場合はどうなるか?
これは「君は要らない」ってことでしょ。当然、役員を辞めて1ランク下のチームリーダーとして働くか、退社するか。このどちらかになります。
シンプルでわかりやすいや、こりゃ。
それだけ厳しいけど、成功したらきちんと報いる。なかには、20代、30代で1億円もとる人間が出てくる。
早い話が、為替ディーラーを思い浮かべてもらうとわかりやすいかな。
いや、そうじゃなくて、やっぱり、成果を上げたらきちんと評価する。義務は成果を達成すること。この基本方針をかたくなに貫いてるだけのこと。
「自分で稼げる」というシステムにしたら、短期間にガンガン働いて、「あとは好きな仕事をやりたい」って独立した人が少なくない。でも、そういう人の仕事を見ると、ミスミでサラリーマンしてた時よりスケールがドッと小粒になってるんです。
独立すると、交際費も通勤代も自分持ちでしょ。サラリーマンの時みたいに、会社の経営資源をガンガン使うなんてできないわけですよ。責任は大きい、だけど、向こう見ずにお金を遣うこともままならず。
結果として、借りてきたネコみたいになっちゃうんだよね。
肩書きは社長。だけど、実質的な自由度、というか、ダイナミズムでは係長か課長程度かな。
こういう会社、わたしは大好きです。たとえ、自分がまったく評価されなかったとしてもね。
だって、世の中でいちばん腐ってるのは、部長の能力がない人間が部長にり、役員の資格のない人間が役員になり、社長の器などまったくない人間が社長へと心太(ところてん)方式で押し出され、こんな連中が嵐の中に舵取りなんかしてるから、おかしくなるわけよ。
違うかな? 間違ってるかな?
この会社では、そういう人にはさっさと降りてもらうって言ってるから、常に自分を磨いてないと勝負にならないわけ。
「出世したら、もう少し楽させてくれよ」
日本の大企業って、こうでしょ。上に行けば行くほど、厳しい会社であってこそ、社員は納得して働くんです。
わたしもこういう会社だったら、転職しなかったな。
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2 「iモード以前」
松永真理著 岩波書店 1400円
NTTドコモのiモード・プロデューサーとして名を馳せた松永女史の本です。
ただ、本紙は彼女がiモードと出会う前、すなわち、就職活動をしてた学生時代からリクルートを辞めるに致るまで「自分史」ですね。
まったく、人間の才能なんてどこで花咲くかわからないってことが、よくわかりますよ。
江副さんの言葉に「自ら機会を創り、機会によって自らを変えよ」というものがありますが、まさにこれを具現化した人ですな。
懸命に頑張ってきた一人の人間の気持ちが伝わってくるいい本です。
彼女が就職活動をしてた時期は、本の2、3年前の売り手市場ではなく、完全に買い手市場の時。だから、女子学生は会社側からとくにいい加減な対応をされて、不快な思いをした人が少なくなかった時期でもあります。
わたしと同年齢かと思ったんですが、彼女のほうがずっと上でした。
この人、元もと、銀行に就職しようと考えていたみたい。でも、面接で質問さえさせてもらえなかったらしい。
「冷静に考えれば、数字に弱い。一円の間違いも許されない銀行で勤まるわけがない。しかし、その時はそこまで合わないとは思ってもいなかった」
リクルートとの出会いは、日仏会館で開かれた就職セミナーがきっかけでした。
ゲストは2人。1人は堺屋太一さん。これがメインで行ったら、もう1人のゲストの話というか、人間に目からウロコが落ちた、という。
それがリクルートの「就職ジャーナル」編集長だった人なんですね。
それまで、仕事は嫌々やるものだからカネがもらえる、と感じていたのに、こんなにも楽しく仕事について話している人がいる。それが新鮮だったみたい。
で、手紙を書く。3日後に電話をする。
「いま、こちらに来られますか?」
「はい、でも会社訪問用の服じゃないんですが」
「かまいません。では」
これで入社することになります。
入社してみると、やっぱり水が合ったみたい。
配属されたのは「リクルート・タイムズ」という新聞。月1〜2回の発行で、就職シーズンになると頻繁に出る。広告が入れば、学生にDMで送付するというものです。
わずか3人の部隊。
上司がこれまた、望んでたタイプと違う。穏やかな人格者、趣味も高尚で、いい人。でも、「入社二日目で辞めようか」と思った、という。
多少荒っぽくても、ガンガン磨きを掛けてくれる上司を望んでたみたい。
入社1カ月め、いよいよ、仕事と呼べるようなモノを担当します。
東大五月祭に行って、気球を上げるイベントを取材してコラムを書くってのがそれ。
ところが、この日は寒くて、気球が上がらない。中の空気を暖めないと無理なんですね。
何度やっても失敗してるし、だんだん寒くなるし、こりゃダメだと帰っちゃうんです。
「昨日の取材、どうだった?」
「それがあがるはずの気球があがらなかったんですよ。東大もたいしたことありませんね」
その10分後、編集長がある新聞記事を見つけてきた。
それには、「気球がワリ、東大の五月祭」とある。短い見出しと五月の空にぽっかり浮かぶ気球の写真。
人格者の上司は怒らなかった・・・。
やる気、無かったんですね、この人は。
入社4年目、「とらばーゆ」に異動になります。
当時の仕事振りは「暗いうちに帰ろう」でした。暗くなるまでに帰ろうではないんです。夜がしらじらと明ける前に帰ろう、ってなわけですね。
ところで、この「とらばーゆ」って言葉なんですが、これは「仕事」という意味のフランス語ですね。で、創刊当時、ネーミングで意見が分かれたそうです。
この対抗馬が「仕事BOOK」だって。
これじゃ、売れないよ。
「キオスクに並べたところを想像すると、ほとんど目立たないんですよね」
創刊担当の倉田学さんの意見です。
でも、社内外から電話を受けたときには「仕事BOOK」のほうがわかりやすい。
たしかに。
「とらばーゆ」の編集長として頑張ってきた3年半。身を粉にして捧げてきた時間。
いよいよ、異動になります。
これにはそうとう落ち込んだみたいですね。思い入れが深かったんですなぁ。「もう完全にふてくされていた。どうにでもなれ」といった気分だったそうです。
でも、雑誌の編集長の寿命って3年が限度ですよ。たんなる制作マシーンになりきるなら、いくらでもできるかもしれない。けど、創造するってのはダメ。だって、創造の大敵ってのはマンネリなんだもの。
どっぷり浸かったら終わりです。これでは、メディアは進化(深化)しません。
で、赤字の「就職ジャーナル」を1人で任されることになります。
ミッションは「1年以内に黒字にすること」。失敗すると、その時点で廃刊決定。
「1人でどうする?」
もう外部の力を借りるしかありませんよね。
わたしはiモードで成功した源泉はここにあるのではないか、と思います。
彼女を中継基地として、周囲の衛星からさまざまな意見を出させる。そして、ベストのものをピックアップする。この連続でコンテンツを鍛え上げていったのではないでしょうか。
結果は1年で黒字化に成功します。そして、社員も引っこ抜いてガンガンやろうとしたその時、大事件の勃発。
リクルート事件でした。
その後、どうなったかは本書を読んでください。
ライバル誌の名門学生援護会も座視して見ているわけではありません。「デューダ」と「サリダ」をぶつけてきます。
テレビCMでガンガン、告知する。それにどう戦ったか。
これって、「プロジェクトX」の企画に十分、なるんじゃないかなぁ。
250円高。購入はこちら
3 「旅館の女将に就職します」
倉澤紀久子著 バジリコ出版 1300円
これは珍しく書店で買いました。
「女将塾?」
どっかで聞いたな。そうか、「キーマンネットワーク(私が主宰する勉強会)で講師に呼んだら」って言われてた人だ。じゃ、読んでみっかてなわけです。
塾長(城崎温泉城泉閣の女将)、塾頭(その弟子で、女将塾一期生の元リクルート社員。いま、別府鉄輪温泉で雇われ女将をしている)、塾生などのインタビューで構成された本です。著者はライターということですね。
いま、全国に6万6千の旅館があるんですけど、平均客室数は14.5室。フルタイム従業員は10人未満で、4人以下というところがいちばん多い。これにパートをうまく回して経営をしてるってのが現状ですね。
30室以下の小規模旅館は売上平均は2億5千万に届かない程度(平成11年度)。
かなりの金額を扱ってるわけですが、構造的に経費が多くて赤字になってるんだろうね。 実際、この旅館数の推移は順調に減ってます(?)。5年前が8万軒。おそらく、3年後には4万になってるんじゃないかな。
原因はマネジメントが悪いから、に決まってるじゃないですか。
多くの旅館が世襲制でしょ。しかも、社長は跡取り息子ってケースが多いんだけど、これがロクなのがいないんですね。後継者不足でもあり、経営者不足でもあるってわけですな。
56パーセントが個人事業です。株式会社などの法人組織ではありません。
元もと、女将塾という企画は塾長と顧問である経営コンサルタントの人(同級生)が雑談してる中で生まれた企画のようですね。
元々は、「温泉旅館の接客係募集じゃ、人が来ない。どうしたら、来るだろう?」
「なら、女将塾ってどう?」
これがきっかけになって、若い人に目標や夢を与える仕事ができる。そのためのレールを敷いてあげよう、と発想がどんどん展開していったわけです。
「女将塾やります」って告知したとき、「50人くらいは集まるかも」と話してたら、これがなんと700人も来てしまった。朝日新聞が記事にしましたからね。
で、試験でふるい落として面接し、20人という定員のなか、13人だけを採用します。
修行期間は3年間ですが、これはあくまでも目安。
でも、ほとんどが辞めちゃった。
塾生の声を聞くと、「なにがなんでも女将になりたい」というわけではなく、自分を磨きたいってなことですよ。
だから、「こんなに厳しいとは思わなかった」「もっときちんと丁寧に教えてくれるかと思った」という理由で帰っちゃうんです。
面接では「どんなに厳しくてもやります」なんて答えてたのにね。
「こんなに辞めるなら、美人順で採用すればよかった」
ホントにそうです。
最近は面接慣れしてますからね。器用な人は、その場の雰囲気で面接モード、やる気モードに入れるんです。
塾頭を勤める女性はなにがなんでも女将になる、っていうタイプの人。だから、頑張れたのかな。
いま、派遣社員ならぬ「派遣女将」として、別府で仕事してるんですね。
女将というと、究極のサービス業、癒しの女神みたいなイメージがありますが、これはオンナ社長に尽きます。
この女将塾も目指しているのは接客のプロではなくて、経営者の養成なんですね。
ただ、掃除からなにから基本的なことは知らなくちゃいけない。でも、経費や人事のことはもっと勉強しておかないといけないわけですよ。
「女将塾」のスタート時に、「だれでもいいから、寄越してください」という電話がかなりあったそうです。
ニーズはあるんですよ。
でも、まだオープンしたばかりで人がいない。でも、派遣女将のマーケットはありそうだ。
いまはもう7年目ですからね、事業的にもさまざまな方向性が出てきました。
たとえば、女将の派遣のほかに、旅館の人材育成、調理師塾の開講、旅館の総合広告代理店業、リストラとリメイク業務、会員制サイトによるネットワークサービス、ファンド事業等々。
いろいろ考えますね。
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