2002年06月24日「うそを見抜く心理学」「永平の風」「赤羽キャバレー物語」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「うそを見抜く心理学」
 浜田寿美男著 NHKブックス 1070円

 途中で気づきました。この著者の本は読んだことがある。
 ありました。ちょうど、1年前の6月、「自白の心理学」っていう本、この通勤快読コーナーで紹介してるんですね。

 著者は心理学者です。それで、この20年間、約20件の自白調書の鑑定をしてるんですね。
 これは自白調書が正しいかどうか。被告の発言は警察や検事によって誘導されたり、強引に作られたものかどうか。これをきちんと鑑定するんです。
 すると、自白がウソであることが少なくないことがわかります。それが重大事件であれ、些細なものであれ、この事実は変わりません。被疑者は自分が犯人されることを承知で、ウソの自白をしてしまうのです。

 もちろん、ウソですからね、真犯人ではありません。
 となると、どうなるか。
 発言自体が正確じゃないわけですよ。でも、自白調書には正確きわまりない発言が縷々、書かれています。
 その理由は・・・警察、検事のでっち上げなんですね。
 「ほら、こうやってやったんだろ」
 「そうじゃないはずだ。鍵が閉まってたんだから。どこかから入らないと矛盾するじゃないか」
 「そうそう、そこから入ればいいんだよ」
 つまり、取り調べる人間がヒントを与えたり、誘導したりして、正解を導いてあげるんですね。
 そのおかげで発生したのが袴田事件、甲山事件、帝銀事件、狭山事件・・・。冤罪の山々です。

 たとえば、袴田事件。
 これは1966年、静岡県清水市で味噌製造会社の専務一家4人の殺人放火事件が発生し、犯人として住み込み行員の袴田巌氏が逮捕されました。
 連日19日間、深夜までの取り調べに否認しますが、19日後に自白します。
 ところが、この自白調書たるもの、次々に内容がコロコロと変わります。というのも、警察、検事の取り調べに誘導されてしまうからですね。
 で、確定死刑囚として22年間、逮捕時から数えると36年間の獄中生活の果てに、袴田氏は気が狂ってしまいます。

 もちろん、多くの事件は警察、検事が正しいでしょう。でも、新聞を賑わす冤罪事件の発生はいまになっても無くなりませんね。
 刑事や検事も人間ですからね。しかも、サラリーマンですからね。上からガンガン圧力がかかると、だれかを犯人にしたがるわけです。
 しかも、人間には思い込みが少なくありません。「お前がやっただろ!」と情報遮断された密室で、ガンガン追及されるわけです。だれも味方はいません。アメとムチの使い分けで、自供した方が楽になるという心理に追い込まれます。
 証拠第一主義ではなく、自白第一主義の弊害です。

 さて、これに耐えきれなくて、被疑者が自白したとなると大変です。
 「ゼッタイにこいつが犯人だ。なぜなら、自分が不利になるようなことを認めるわけがない。それを認めたのだから、犯人に決まっている」
 この時、「この自白はウソかもしれない」とは金輪際考えません。
 実は裁判官もこのように考えてしまうのです。
 「裁判官は中立でしょ?」
 いや、そんなことはありません。人間ですからね。
 「黙秘権だってあるでしょ?」
 たしかにそうです。しかし、自分が潔白であればあるほど、弁解するのではありませんか。黙秘権など使わないですよ。でも、弁解しても聞く相手ではありません。

 被疑者がガンガン責められるとどうなるか。
 これは日常から離れているため、現実感が無くなるんですね。それがわけがわからなくなります。
 もし、真犯人ならば、逆に明確に現実感をもって対処できます。

 弘前大学教授夫人殺人事件では、起訴前の被疑者段階で、検察は丸井清泰氏という精神分析学の泰斗という人に鑑定をさせます。
 これがいい加減な鑑定なんですが、この丸井センセは「本件の真犯人であると確信する」と自信たっぷりに述べるんですよ。
 おかげで、懲役15年の刑が確定し、被告は服役します。
 ところが、出所してから真犯人が現れるんですね。いったい、検察とこの丸井センセは受刑者の人生をどう償うつもりなんでしょうね。

 いま、小さな冤罪では痴漢の容疑が少なくありませんね。
 これなど、無実の人が簡単に犯人にされる危険性がそこらじゅうにあるということですよ。実際、このコーナーでも紹介したことがありますが、冤罪でガンバって裁判を勝ち抜いた人がいました。
 結果として、痴漢呼ばわりした女性が実は、あちらこちらで痴漢呼ばわりする習癖のある人だったり、恐喝まがいで冤罪をでっち上げたりする人であることも少なくないようです。
 お互いに気をつけましょう。
 150円高。購入はこちら


2 「永平の風」
 大谷哲夫著 文芸社 1800円

 道元の一生を小説化したものです。
 ただし、著者は小説化ではありません。曹洞宗の坊さん。それも駒沢大学のいまの学長さんですね。
 けど、文章ははっきり言って、「ほんとうに、空っていいんだなぁ」「雲も動いてる。あぁ、生きてるって素晴らしいんだなぁ」と、いつもの栃木弁でのどかに語る某作家の道元物語よりずっとよくできてると思いますなぁ。

 道元という人は、時の権力者源(久我)通親と伊子との間に生まれた子どもです。もちろん、お坊ちゃんですね。母親は木曽義仲の妻だった人。
 でもね、道元が3歳の時に父親が死にます。
 以来、鎌倉幕府のライバルとして一族郎党の期待を一身に背負います。
 けど、道元の母親は夫や自分の父親(実父は藤原基房という摂政、関白、太政大臣などを歴任した人です)の人生を顧みるに、虚無感でいっぱいになるんですね。
 「政治の世界は敵はもちろん、親兄弟をも裏切り、殺し、一時も精神の休まるときはない」
 権力に登り詰めても、その子や孫の時代には皆殺しに遭うんですからね。
 「阿弥陀様におすがりすれば、人は浄土に行けるという教えが流行っているけれども、浄土などというものが本当にあるのでしょうか?」
 あるとは思えない。
 「わたしはそなたのそばにいることができる今、このときこそ、ここが浄土と思うのです」

 12歳の時に母親は亡くなります。
 そして、道元は元服を前に家出して、母親の遺志を継いで出家するんですね。
 最初は比叡山に登ります。
 けど、当時、ここは僧兵で有名なくらい武装化し、飲めや歌えのドンチャン騒ぎ。まともに修行などしてる様子ではありません。道元は絶望します。
 「そうだ、宋に行こう。宋に行けば、本当の仏教に出会えるに違いない」

 そこで、臨済宗の宗家である栄西を訪ねます。この人は2回も入宋してますからね。
 道元と栄西の年齢差は60歳ありますからね。
 で、栄西は道元とともに弟子の明全を入宋できるように計らいます。けど、そのための準備中に栄西は死にます。

 2人は付き人として明全の弟子2人を連れて、天童山景徳寺につきます。しかし、道元だけはすぐには入山しませんでした。
 日本にいるときにあれほど中国語を勉強したのに、現地ではチンプンカンプン。宋は広い。南と北とでは違うんですね。
 そこで通訳を3カ月雇って徹底的に語学を再勉強するわけです。
 明全は栄西の追善供養を宋で行おうと心に決めましたが、宋での生活が合わなかったのか、病気になってしまいます。
 宋の寺はだれでも入山でき、しかもその戒律はきちんとしていました。しかし、道元の目から見れば、本当の師と呼べるべき人物には出会えなかったのです。
 「宋にも本当の人物いない。俗物だらけだ」
 そこで、道元が栄西ゆかりの7寺を歩きます。実は道元にはほかの目的があったんですね。それは法嗣を求めていたのです。
 達磨大師から続く法灯を嗣ぐべき人物を探していたんです。
 しかし、行けども行けども、そんな人はいない。

 最後の最後に行った寺で、「今度、天童山では住職が代わったぞ。それこそ、お前が求めている師ではないのか」
 戻って一目見るなり、道元は感激します。
 まさに、地位や財産、権力におもねず、仏の教えに順応して生きる人物がいたのです。

 それが古仏如浄との出会いでした。

 さて、さて、それからどうなるか。
 道元は如浄から法嗣を受け継ぎ、日本に戻ってきます。権力を持った比叡山の妨害は甚だしいものがありました。
 宇治興聖寺を追い出され、そして越前に向かいます。

 道元と古仏如浄が宋でどんな対話を繰り広げたか、その内容は『正法眼蔵』を読むと伺うことができます。

 「ある人はすべての人は生まれながらに仏なのだ、と言い、また、ある人は生まれながらに備わる自覚の智慧の働きが仏であると知る人は仏だが、知らない人は仏ではない、と言う。このような説が仏教の教説だと言えるでしょうか?」
 「生まれながらに仏であるなら、すべては自然の計らいで修行などする必要はないとは自然外道と同じである。自分の考えから、仏もそうだろうと想像するのは、本当は悟ってもいないのに悟ったと錯覚するのと同じである」

 こういう対話を通じて、道元は自分の哲学を深めていきます。
 「人間は生まれながらにして豊かな仏性が備わっている。だが、その仏性は修行しないことには現成しない。修行によって悟っても、それで終わりというものではない」
 「悟りも無限であり、修行も無限である。修を離れて証はありえない。修行と悟りの連環は果てしなく繰り返される(修証一如)」
 「悟ったかどうか。それは修行を行う者が自然にわかることであって、それは水を使う人がその冷暖を自分で知るようなものだ」

 「仏道をならふといふは自己をならふなり。自己をならふといふは自己を忘るるなり自己を忘するといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心、および他己の身心を脱落せしむるなり」(現成公案)

 「薪は燃えて灰となる。が、燃えた灰は薪に戻ることはない。それを灰は後、薪は先と見てはならない。薪は薪として、はじめから終わりまで薪である。その前後はあるがその前後は断ち切られている。灰も同様である」(前後裁断)
 「人は死んだ後、もう一度、生き返ることはできない。ゆえに、生が死に移り変わるとは言わないのが仏法の習いで、これを不生という。死が生に移り変わらないとするのも同様で、これを不滅と表現する。生も死も一時のありようなのである」
 350円高。購入はこちら


3 「赤羽キャバレー物語」
 千尋著 ワニブックス 1429円

 著者は赤羽ハリウッドで17年間ナンバーワンを続けてる人。帯コピーにみのもんたさんが写真入りで出てますけど、彼も贔屓にしてるみたい。
 収録が終わると、スタッフを連れて遊びに行ってるんだろうね。

 著者が勤める店は半端じゃなくて、ホステスがなんと100人。こんなにハコが大きい店なのに、3月と12月は満杯。
 キャバレーってのは、ホステスあり、歌あり、ダンスあり、ストリップあり、お笑いありの楽しい社交場です。
 指名客が多いというから、どんな若くて美人かと思いきや、孫までいるんですから驚きです。客がオトナなんでしょうな。

 最近のクラブってのは、バイトのホステスが数人、それにカラオケが置いてあるところばかりでしょ。わたしのようにカラオケ嫌いが行ける店は少なくなりました。
 会話を楽しむところではなくなってます。会話ったって、そんなに高尚な話をしてるわけじゃないけどね。
 カラオケのおかげで、話もできなきゃ、酒も呑めないホステスばかり。
 「次はどの歌ですか?」って言ってりゃいいんですから、楽チンな商売ですよ。
 それにギャラが安くなってるから、服や美容院に掛ける資金も少ない。
 だから、構造的に美人が少ない業界になってきてますね。
 昔はホントにきれいでしたもの。いまじゃ、素人のほうがきれいだもんね。

 ところで、これ、週刊朝日でハリウッドチェーンの福富太郎さんが言う通り、銀座のママさんが書いたのよりははるかに良いです。
 あれはひどかった・・・。もらった本に文句言うのも何だけど、そのうち、まともな話が出てくる、そのうち・・・と思ってる間に終わってしまいました。幸い、損したのは5分くらいでしたけど。
 この2〜3年間に1万冊近く読んだと思うけど、最低に近かったと思います。

 著者は20年間、この世界で生きてきた人です。
 はっきり言って、ダメな男と別れて、子どもを抱え、呑めない酒を覚えて・・・というこの世界ではよくありがちな女性です。
 「君はいつもいるね」
 客からこう言われるほど、休まない。だから、あだ名が怪獣だって。

 「休まない」と「休めない」はゼンゼン違うんです、だって。
 いいね、こういう言葉が出るってことが真剣に働いてきたって証拠ですよ。
 どんな仕事してても、ホントに真剣に仕事してきた人って、こういう言葉がポンと出てくるのね。そこがバカママとは違うってことかなぁ。

 「女をウリにしてるホステスは長続きしない」
 そうだと思うよ。
 だって、その女の部分を満喫したら、もう用済みじゃない。だから、この世界は疑似恋愛のまま、どこまで引っ張れるかが腕の見せ所なの。
 一流になると、女なんかウリにしません。
 それが証拠に、銀座でもどこでも流行ってる店に共通することは、ママが美人じゃないこと。
 だって、ママが美人だとほかのホステスと張り合っちゃうでしょ。客もママばかりを相手にするからね。これは身体がいくつあっても足りません。

 この世界には勘違いホステスも少なくありません。
 どの店でもママの人脈がいちばんなんですね。だから、ある時、少し休むわって言って悠々自適の生活を送ってたママがいます。そこに店で使ってたホステスがやってきて、なんと言ったか。
 「ママ、やらないなら、名刺、頂戴よ」
 激怒したそうです。当たり前ですよ。
 考えてもみてください。ン十年もの間、身体を張って生きてきた証が名刺の数なんですよね。それを「下さいよ」なんて、簡単に言える女はバカとしか言いようがありません。プロなら、プロの積み上げた努力に敬意を表さないといけないと思うんです。

 この千尋さんも酒が呑めずにホステス稼業をスタートしたんです。
 当時、何のバックグラウンドの無い女性が、しかも子どもを抱えて生きて行くには、この仕事くらいしかありませんでした。
 だから、呑めないというと、「ふざけるな」という客もいたんです。
 で、この人は練習するんですね。
 その理由は、「わたしの居場所はここしかない」という意識です。腰掛けとは違う。プロとして生きていくという宣言ですね。
 今時、こんな社員がいたら、社長は嬉しいですよ。

 著者は現金不足の客のために、フロントにいつも十万円預けてるんだって。で、足りない人には貸しちゃうの。
 でも、催促はしない。だから、返ってこないことも少なくない。それでもいいんだって。

 男にも騙され、トータルで2〜3千万円は損したらしいね。でも、騙すより騙される人間のほうが好きだなぁ。バカだけどさ。

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