2002年06月17日「教わらなかった会計」「私の資生堂パーラー物語」「忘れないでね、わたしのこと」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「教わらなかった会計」
 金児 昭著 日本経済新聞社 1400円

 著者は信越化学工業でずっと経理、財務を担当していた人。この会社は優良企業として有名なんですが、この人が経理ならばきっちりしていたと思いますよ。
 
 会計を勉強するとき、制度会計、管理会計、原価計算基準などとたくさんの専門に分けかれています。でも、実際の会計はM&Aなどもありますし、こんな会計分類など勉強するのは時代遅れなんですね。
 「的確なデータと正しい財務情報をまとめて、経営トップや幹部に渡す材料を作るのが会計の大切な仕事」
 こういう理解は時代遅れなんです。いまや、財務諸表などの情報は一般社員でも知らなければならない時代なんですね。
 そういう意味で、本書はビジネスマン(とくに幹部層、経理、財務担当者)が最低、知っておくべき会計知識が具体的にまとめられています。

 たとえば、合弁企業を50:50の株式割合で設立する際、「将来、株式を売却する場合、事前に報告しなければならない」という1行を入れなかったために、1985年頃の円高時代、海外進出していた日本有数の企業の85%が大失敗しているんです。
 
 93年に日本の持ち株が55%、アメリカ45%という合弁会社があったとします。
 99年になり、合弁解消の第1段階でアメリカ側が5%買いたい。すなわち、50:50にして売上統合して対等のパートナーになりたい、と言ってきたわけですね。これは断りました。
 当時、著者は経理部長でしたが、「やっぱり来たな。これは用心しないといけないな」とピンと来たそうです。案の定、2年後になると、「自分の持ち分45%をすべて売却したい」と言ってきました。
 以前、アメリカ側が買いたいと言ってきたとき、日本側が「1株当たりいくらなら売る」と答えたとします。「そんなに高いならやめる」とご破算になった。ところが、アメリカ側はこの数字を逆手にとって、数年後にすべての株式を売却したいと言ってくるものなんです。

 この時、もし、契約書に先の一文「将来、株式を売却するときは・・・」がないとどうなるか。
 勝手に売られて、気づいてみるとパートナーが換わっていた。しかもその相手は超巨大企業だった、なんてことがあるんです。いままでは同じくらいの規模だから、これは長い友だちでいけるな、と考えていたのにね。

 こういうことがあるから、ほかにも、「2年経ったら、30日間の予告期間をおいて、借りている資金を全額返済したいと言えば、できるようにする」という1行を入れたりするんです。
 これで助かることは少なくありません。

 設備投資採算計算には3つのケースを考えるといいでしょう。
 それはものが最大限に売れるという「オプティミスティックなケース」、逆にまったく売れないという「ペシミスティックなケース」、そして、まぁ、普通に考えればこんなもんだろうという「モスト・プロバブルなケース」というように、3つの観点から考えるのです。
 では、どのケースを経営者は取るべきか。
 これはもっとも悲観的な数字で判断すべきなんですね。

 これは円高、円安と大きく振れる為替でも同じですよ。

 デリバティブの権威である某大学教授との会話。
 「原材料や機械を外国通貨で購入してますか?」
 「全部してます」
 「その時、為替予約はしてますか?」
 「・・・してません」と小さな声で答えた。
 「それこそ、デリバティブですよ!」

 どんなにリスクヘッジしても、それがピタリと的中するものではありません。当たらないならば、それは非デリバティブなわけ。ならば、最初からしない。
 実は経験的に言えば、為替予約(デリバティブ)していたほうが失敗するケースが多いんですね。

 著者は新人時代、習ったことは次のようなことでした。
 「1円の利益が大切である」「工場現場の実際の仕事に密着した原価計算が重要である」「数字をきれいに書き、印はまっすぐに押すこと」「ソロバンで加減乗除ができるようになること」「何よりも人と人との関係を大切にすること」です。

 著者は公認会計士第3次試験(口述・筆記)試験委員、金融監督庁顧問などを歴任してますが、実は30歳前後に会計士の試験を3回連続で落ちてるんです。つまりね受からなかったんですね。
 学校を卒業後、工場で経理を半年担当すると、従業員6人の会社に出向します。その時、将来、役に立つ技術を身につけておきたいと考え、駅の近くにある専門学校に通うことにするんですね。
 ここで会った先生との出会いがまた良かった。一番前で勉強していると、講義後、お茶に誘ってくれたんですね。
 「いま、ここで講義してるのは講義の勉強なんです。わたしの会社は近々潰れるんです。いま、40歳だけど、もう会社勤めをしようとは思わない。大学の先生になろうと考えている。そのためには教え方を勉強しなくちゃならない。ここの理事長は友人の父親で、そこに頼んでいまやらせてもらっている。そこにあなたが現れたんですよ」
 この人はいま大東文化大で教授をしてる小尾毅さんですね。

 いま、日本には公認会計士が1万5千人います。アメリカは40万人。東南アジア、中国でも数十万人。日本人はグアム島などでCPA(アメリカ公認会計士)の試験を受けてどんどん合格しています。
 こうなると、この1万5千人の特権階級は崩れて、実力主義に変わっていきます。
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2 「私の資生堂パーラー物語」
 菊川武幸著 講談社 1600円

 先日、東海林さだおさんが「1万円カレー食べてきたぞ!」って週刊誌に書いてました。あの伊勢エビ、ドーンと一匹。アワビ、ドカーンと一個、目の前で火をボワっと使ってつくってくれるカレーを、いま、出してます。
 実は昨日の日曜日に銀ブラしてて、ここに入ったんですが、昼時で満員。諦めて、三笠会館でメシ食ってきました。
 そう言えば、1階入口に紳士が1人立っていましたが、著者ですね。

 さて、著者は15歳でボーイとして勤務以来、43年間。資生堂パーラーの生き字引的存在。そんな人が資生堂パーラーをめぐるいろんな話を聞かせてくれます。
 ところで、資生堂パーラーって今年、100周年なんですってね。ちーとも知りませんでした(参考までに資生堂は1872年開業です)。

 「薬局でもないのに、資生堂なんて名前、変なの」
 こんなことを過去何回か、聞いたことがあります。
 資生堂とは赤の他人のわたしですら、そうなんですから、きっと関係者は何回も聞かれたり、言われたりしてきたんでしょうね。
 はっきり言っておきますが、資生堂は元もと薬局なんです。
 このパーラーも1902年、この調剤薬局の一角に、アメリカから輸入した本格的なソーダ水とアイスクリームを製造販売したんです。
 これは当たりました。新しもの好きの日本人ですからね。新橋の芸者さんはじめ、並んで飲んだり食べたりしてくれたんです。
 いまのスタバ、ちょっと前のハーゲンダッツと同じですよ。

 まさしく、銀座は文化の情報発信基地なんです。ここから発信したものは全国区になれるんです。
 たとえば、マクドナルドのデビューは三越のところでしょ。スタバ、タリーズも銀座、それになによりグッチ、エルメス、シャネル、つい先日オープンしたコーチもそうですね。コーチなんか、元もといろんなところに店がありましたよ。ディズニーランドのオフィシャルホテルのどこかにも出店してますよ。
 サラ・リーコーポレーションですから、ヘインズと同じじゃないかな。
 でも、もう一度、新規まき直しで日本を攻めようと考えたんでしょう。
 だから、銀座。それ以外の理由はありません。それでいいんです。

 さて、資生堂パーラーというと、ミートクロケットですね。
 実はわたしは好きじゃありません。普通のミートコロッケやカニコロのほうが好きです。ですから、ここではいつもピラフかスパゲッティ。これが昔懐かしい味だから、好きなんですね。
 今時、こういうスパゲッティは付け合わせでしか出てきません。

 開店は午前11時。でも、ボーイは2時間前には出勤していたそうです。
 そして、掃除。先輩、後輩の別なく、みんなで掃除。床、トイレ、螺旋階段、入口のマットから、隅々まで掃除します。
 調理場はもっと早い。でも、だれも文句をいわない。だれよりも早く一人前になりたいからですね。
 これが雇われ根性との相違です。雇われている、時間いくらという発想だと、これだけ熱心には打ち込みませんよ。
 資生堂名物の熱々のおしぼり。これなど、要領を飲み込むまで火傷しそうになったことが何回もあるそうです。
 また、マスタード作りも新人の役目。これはぬるま湯を少しずつ加えて作るんですが、タマネギ同様に、泣けてくる。途中で止めたりすると、「もっと泣け」「泣き方が足りない」なんて先輩の声が飛んでくる。

 最初の頃はお客さんのオーダーなど取らせてもらえません。
 まずはメニューをすべて覚えないといけませんもね。それもただ、覚えるだけじゃダメでしょ。
 どんな材料を使ってどう料理してあるのか。特色はどうか。なにより、味はどんなものなのか。お客さんが想像たくましく、「うまそうだなぁ。それ、頂戴」と言わせるだけの説明力がないとできませんもの。

 経験を積んでくると、お客さんを案内するようになります。
 2人以上の場合、どちらがホストで、どちらがゲストか。会話をダンボのように耳を大きくして聴き取り、判断します。
 「このお客さんが上座・・・」という具合にやるわけですね。
 ボーイの心得は、待機しているとき、両手の指2本でうしろの壁につけて立つことだそうです。それでお客さんから呼ばれたりすると、身体を前に押し出すように弾みをつけるそうです。

 一流のボーイは客のちょっとした仕草を見逃しませんね。目が合うと、すぐに察して動きますからね。
 二流の店はこうはいきません。「おーい、ちょっとちょっと」と呼んでも来ませんもんね。
 大阪の全日空ホテルにあるステーキハウスなんか、その典型。
 客が椅子に坐ってもだれも来ない。メニューを見終わって、注文を決めてるのにオーダーを取りに来ない。焼き方の職人もいない。マネジャーはどこにいるのかと思えば、彼自ら、皿をもって配膳してる始末。
 これは新規オープンで招待を受けたときの知人の話。わたしが体験したことではありませんが、彼曰く、「2度と行かない」。当たり前です。やっぱり、値段を考えたら最高のサービスをしてもらいたいよね。
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3 「忘れないでね、わたしのこと」
 内館牧子著 朝日新聞社 1200円

 著者は言わずと知れた、売れっ子シナリオライターです。「ひらり」とか「毛利元就」とか。「義務と演技」もそうだったな。
 最近は相撲の世界でも有名。といっても、横綱審議委員っての、あれなんです。
 この人、好きだなぁ。なにがいいって、バランス感覚がいい。オトナの女なんだよね。美人じゃないけど、いい女。

 美人コンテストについて、ごちゃごちゃ文句をつける自称、フェミニストたちにも一喝。
 「美貌で勝負してどこが悪い!」
 ホントにそうだよね。
 天から与えられたコンピタンシィで勝負して、どこが悪いのよね。頭で勝負、才覚で勝負、技術とサービスで勝負。いろいろ勝負してるわけですよ、人間は。
 あの叶姉妹だって、懸命に勝負してると思うよ。だって、時間との勝負でしょ、あの人たち。何にだって、賞味期限てのがあるんだからね。

 ところで、「適正な痩身を手にした女は絶対にきれいになる」って言うんです。
 たしかに自信がつけば表情が変わってきます。ファッションが変わるし、気力が変わる。つまり、生きる姿勢が変わってくるんですよ。
 ビューティコロシアムがそうだもんね。
 で、美には相対的な美しさ、絶対的な美しさ、客観的な美しさ、主観的な美しさがあると思うんです。
 医師によると、「BMI」という物差しがあって、これは「体重÷身長」によって適正値を弾くんですが、20〜24に当てはまれば良し。
 彼女は「たしかに痩せてきれいになってる。でも、20未満は貧乏くさい」と気づきました。

 わたしがこの人の作品が好きなのは、人生勉強してるからでしょうね。
 よく考えて生きている。
 弱い人の気持ちがわかっている。
 光の部分だけじゃなくて、闇の部分にも気づいて、優しい目で見ている。そんなところでしょうか。ホントはどうかは知りませんけどね。

 彼女のほかの本にこんなことが載ってました。要約します。

 「月に1度、発行される社内報や入社案内を作ることがわたしの仕事。10頁くらいのタブロイド判。武蔵美出身だから、とりあえずレイアウトや編集技術があるだろうという配属だと思う。
 わたしも一生働こうとは考えていなかった。2〜3年経ったら、結婚退職しようと考えていた。人間関係にも恵まれ、本当に楽しかった。しかし、それは若いうちだけだった。会社には毎年、フレッシュな新人が入ってくる。
 入社3年目当たりから暗黒期を迎えた。普通に生きようと思っていたのに、普通のルートを外された。このままではいけない。しかし、かといって、どうしていいかわからない。この焦燥感はたいへんなものだった。こんな状態が29歳まで続く」

 「唯一の楽しみは幼稚園時代から夢中だった力士の追っかけ。27〜29歳までの間に、27社の入社試験を受け、うち3分の1は受かった。しかし、大企業に勤めているということがネックになってしまった。社員数10万人の企業に勤務していたために、5万人という企業に行くだけでもおじけづいてしまうのだ。
 飛び越えてしまえばいいかもしれないけど、そんな勇気もなかった。腹をくくれず喘ぐ日々。どんどん年を取っていく。いったい何をしたらいいんだろう。焦りはピーク」

 こんな悶々としていた彼女が、ある日、同年の女性から会社を辞めるという話を聞きます。
 「結婚?」
 違う、国家公務員上級職試験に通って法務省に行くのだという。
 そのときの羨ましさといったら、寿退職の比ではなかった。
 「あぁ、わたしは仕事の基盤を築きたいんだ」
 
 「好きなこと、得意なことを仕事にしよう。よし、相撲だ」
 そこで、相撲協会に電話します。曰く、床山にしてくれないか。
 「相撲の世界は女の人はタッチできないので、残念ですが・・・」
 「あぁ、そうですね」とすんなり降りた。
 今度は北海道から沖縄までの新聞社すべてと相撲に関する本を出している出版社に電話して必死に売り込む。日刊スポーツには「わたしを記者にすれば、サンケイスポーツには絶対負けない記事が書ける」
 結局、一社も試験すら受けさせてもらえなかった。
 ある日たまたま、夕刊でシナリオライター学校の生徒募集の広告を見ます。
 「プロになるまで指導します・・・」
 翌週から、会社が終わると学校に通います。けど、ここではじめてシナリオライターが何をするかをはじめて知るんです。
 「シナリオライターというのは作家なんだ。たんに作品をシーンごとに自動的に割り振っていくものじゃないんだ。困ったな、恥ずかしいな。話を作るということは自分をさらけ出すことか」
 これは向かないなとすぐにやめた。

 海外旅行ばかりしていたとき、ニューヨークに誘われた。休暇は取るし、態度は悪いし、仕事はできないし・・・とんだOLだった。
 けど、マンハッタンで摩天楼を見たとき、ブルブルっと震えが来た。朝7時、街がざわめき始める。女の人たちが肩パッドの入ったスーツにスニーカー、アタッシェケースを抱えて、ブリッツェルという塩パンをかじりながら会社に向かう。まなじりを決している。
 日本でコピーが嫌だとか、課長の顔が気に入らないとか、不満ばかり感じて毎日を暮らす自分と自然と比較しています。
 「なんと人生を無駄遣いしてるんだろう。帰ってしっかり生きよう」
 35歳で会社を辞めます。収入のアテなど、月に2万円しかなかった。それでも、あれだけ辞めるのを嫌がっていた会社を、なんの保証もないのにポロッと辞めた。
 それから4年後、転機がやってきます。
 シナリオを書くチャンスをとうとうつかむんです。

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