2002年03月25日「ももこのトンデモ大冒険」「ツチケンモモコラーゲン」「愚者の旅」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「ももこのトンデモ大冒険」
 さくらももこ著 徳間書店 1200円

 ご存じ、ちび丸子です。この人、離婚してたんですねぇ。ちーとも知らなかった。
 で、登場人物は漫画の通り。親父さんのヒロシさんまで登場してまっせ。

 これは著者がつねづね関心の深かった「超常世界」に直撃体当たりしたものです。
 超常世界というのは、なんというか、オカルトというか、ニューサイエンスの世界ですね。サイババとか、いろいろいますでしょ。
 そういう人、好きなんですね、このももこは。で、徳間書店にももこに共感する編集者がいて、彼も含めてももこ一行の珍道中と相成ったわけです。

 まず、ベル博士。
 この人は「ピラミッドパワーの権威」でもあり、「プレアデス星人」との交信ができる人だそうです。
 で、ももこ一行は翻訳者も同行し、ロスからなんと90分余りのところまで行きます。
 ところが、行けばガラクタばかり。翻訳者も唖然。この人は英文しか見てませんから、このベル博士が何ものなのか知らなかったんですね。
 だけど、セールスだけは熱心。
 「このオブジェはものすごいパワーを持ってます。人間のエネルギー浄化はもちろん、遠く離れた人にも自分の心を伝えられます。この後ろに立って、おい、元気を出せよと念じれば、ハワイにいる人にも伝わるんです」
 そんなことなら、電話で済むだろうによ。

 「この鳥たちは人間の言葉がわかる。すべてに天使がついている」
 博士は鳥に向かって話しかけるんですが、鳥のほうは相変わらず無視してギャーギャー騒いでるだけ。しかも、一羽の鳥は毛引き症にかかってた模様。
 「天使がついている割りには、病気カァ」
 翻訳者はもうがっくり。熱まで出してしまったというおまけつき。

 ほかにもいろんなところに出没します。ホントに好きなんですねぇ。
 サバイバルスクールにも行きます。これはズルしてごまかしちゃいます。それから、タスマニア。ここは良かったらしいよ。
 また、漢方薬を求めて中国(中国地方ではありません)に行くわ、スプーン曲げを求めて、信州に行くわ。あんたも好きねぇという感じです。
 
 これ、体験者の1人としてよーーーくわかります。
 わたしもかてつ、サイババさんに会い、フィリピンの山奥に心霊治療を受けに行き、ネパール、インド、アマゾン、ペルー、ボリビアを探検し、ギリシャ、ベルギー(おっと、これは観光旅行だった)など、いろんなところに出没してきました。
 30代前半はオカルトって不思議だなぁと関心が深かったのですが、スプーン曲げを見ても、「壊すな。壊れたスプーンを直したほうがいいよ」と言ってしまう始末。
 もう飽きました。わたしにとって、いちばん不思議なのは実は経営です。同じメンツでどうして、増収増益させていくのか。それが可能なのか。このほうがよっぽど不思議ですよ。
 100円高。


2 「ツチケンモモコラーゲン」
 さくらももこ・土屋賢二著 集英社 1200円

 さくらももこさんはちび丸子ちゃんの原作者です。
 で、土屋さんはだれかというと、お茶大で哲学を教えてる教授なんですね。このサイトでも1回紹介したと思うんですが、たしか(うろ覚えですみません)週刊文春だかに連載してる人です。これがまた、面白いわけ。
 だから、ももこのファンだったの。
 これ、対談集なんだけど、ももこの家でおったんですけど、静岡の清水ってとこなんですね。そこにも大学教授の1人くらいはいるだろうに、全員が舞い上がっちゃって、上にも下にも置かない有様。

 「ツチヤ先生なんて。東大まで出てるのに、結局、わたしと同じ面白エッセイなんて書いてるんだから、面白エッセイ作家っていうことでいえば、職業同じですもんね」
 「そうです。売れる売れないの違いはあっても、仕事は同じです。デパートもタバコ屋も同じ小売業です」
 こんな話が延々と続きます。
 ムダだと感じる人もいるでしょう(否定しません)。おっ、いいな。一服の清涼剤だという人もいるでしょう。
 まっ、比較的、時間のある時にお読みになることをお勧めします。
 100円高。


3 「愚者の旅」
 倉本聡著 理論社 1500円

 これはいい本です。
 著者は「北の国から」で知られる脚本家ですね。わたしは「君は海を見たか」「白い影」が好きでした。北海道の富良野町に演技塾を開講してる人です。
 「わがドラマ放浪」とサブがついてる通り、人生行脚ですね。創業経営者によくある「波瀾万丈」とはほど遠いけど、いえば、いえると思いますね。

 ずっと昔、学生時代(麻布学園)に『ジャン・ジドロゥの世界』という本と巡り会います。翻訳者は加藤道夫さん。劇作家であり、後に自殺します。女優の加藤治子さんのご主人ですね。
 この中にこんな一節があるんですね。
 「街を歩いていたら、とてもいい顔をした男に出会った。彼はいい芝居を観た帰り道にちがいない」
 どうです、いいでしょう。倉本さんも痺れるんですよ、この言葉に。
 方向が決まったのは、この瞬間でしょうね。

 彼は二浪の末に東大に入ります。すぐに芝居に熱中して、学校には出てこない。試験のときに行くと、同級生から吊し上げですよ。
 「奨学金もらえずに食べるものにも事欠く人間がいるのに、お前はなんだ。授業にも出ないのに、奨学金もらって」
 「オレは外で勉強してるんだ」
 在学中に劇団四季を受けてるんですよ、彼は。試験は完璧。でも、パントマイムがわからない。なにしろ、意味がわからなんだもの。で、試験をカンニングさせてやった男が、小さな声で「ジェスチャー、ジェスチャー」と囁く。
 「よし、それならなんとかできそうだ」
  当時、NHKの番組にジュスチャーってのがありましたからね。浅利慶太の前で懸命にやるわけ。
 でも、落ちます。以来、劇団四季には殺意を覚えてるとか。
 で、カンニングさせてやった男が合格します。「畜生め」と頭に来て、東中野駅前のランボオというバーに入ったら、なんとそこのバーテンがその男。後に「風来坊先生」などで名前を売る山田吾一さんの若き日ですよ。

 四季に落ちた、という噂を聞いた教授が一言。
 「君には合わない。四季はヤワだよ」と言って紹介されたのが「仲間」です。この劇団はアルベール・ユッソンの『俺たちは天使じゃない』を上演してましたね。ここでどっぷり浸かるわけですな。
 「僕は勝手に皮膚で吸収した。そして、毎日興奮し、燃焼した」
 あっという間に2年が過ぎます。青春時代というのはそこにいる間は長く感じます。寄り道が多いからね。はじめて通る道も少なくないしね。でも、振り返るとあっという間の出来事ですよ。

 同級生にもいろんな人間がいました。
 とくにドイツ語で世話になった人には中島貞夫さんがいます。後の東映の監督ですね。野球じゃなくて、映画のほうね。
 倉本さんは指名されても読めません。そこで、中島さんが読んであげるわけ。しまいには、「時間がかかるから、中島君読んでください」と先生から叱られる始末。だから、頭が上がらないわけ。
 彼と一緒にギリシャ悲劇研究会というものをこしらえます。
 そして、実際に上演しようという話になって乗ってる時にさっさと辞めちゃいます。理由は、仲間という劇団で曲がりなりにもプロの役者やスタッフとつき合ってると、学生劇団が甘っちょろく感じたんでしょうね。
 参画者はリクルートに行く森村稔、やっぱり東映に行く渋谷幹雄、テレビマンユニオンの村木良彦の各氏ですね。辞めるといっても、中島さんは止めないんです。
 で、「オイディプス」を日比谷野外音楽堂で上演します。お茶大も協力してね。
 コロスの合唱からはじまるんですが、これが感動物なんですね。
 「打ちのめされたような感じがした。素人の集まりと甘く見てたら、中島の演出のもと、見事に美しいアンサンブルを醸し出していた・・・完全に圧倒された」

 就職は当時、第1回目の入社試験でフジテレビに入ります。といっても、ニッポン放送、文化放送と三社合同の試験だったんですね。
 ということは、横澤彪さんも受けてたと思いますよ。
 でも、問題が発生します。
 就職ってのは、卒業しないとできないもんね。でも、授業出てないから、これが厳しい。
 倉本さんはいまだにこのときの夢を見てうなされるっていうからね。試験日なのかノートがない。貸してくださいと竹下景子、吉永小百合に頼む。「知りませんよ」と冷たく言われる。
 本物の試験は一枚のレコードを聴いて、これについて記せという問題。で、彼は演歌との比較を書く。中島貞夫さんは白紙で提出します。でも、2人とも卒業。

 ラジオドラマをはじめて書いたのは、「鹿火」という青森放送の30分ドラマでした。そのときのペンネームは伊吹仙之介。イプセンのもじりです。
 で、フジに入る前にも、TBSで仕事をしてます。それが屈辱。脚本を頼まれ、何回も書き直しをし、それがいよいよOKとなったのに、いつまでたっても連絡がない。
 そこで、出かけていくと、すでに「本読み」がはじまっている。本読みというのは、出演者が揃って、脚本を読むことです。
 そこで、担当者から言われる。
 「あなたの本はダメです。使い物になりません。ですから、ほかの人に頼みました。申し訳ないが、引き取ってください」
 こりゃあ、頭にくるわなぁ。OK出したくせにね。
 出演者に谷内六郎という人がいました。この人はポスターの売れっ子デザイナーでもあり、出演者なんですね。この人の絵をモチーフにドラマを作ったほどですから、メイン扱いなんですよ。
 この人が倉本さんのところに電話をかけてきます。
 「どこにいるんです、すぐ来てください」
 で、行くと、泣きながら千円札を何枚もねじ込んで、「こんな失礼な・・・」と謝るんですね。
 この人は結局、ドラマに出なかったそうです。
 
 このときの屈辱は忘れられないんですね。
 富良野塾でもいうそうです。
 「まず自分の未熟を責めろ。そして、奴らを見返すには自分が上昇するしかないんだ」
 で、大学4年の冬にTBS系列の新日本放送から注文が入ります。就職はすでに決まってる。
 そこで、ペンネームで書くんですね。まず、岡山の実家の屋号である倉本。そして、妹の聡子の聡をもらう。それがいまの名前ですよ。
 
 倉本さんの特技は筆が速いことです。締切の数日前には終わらせてしまう。フジテレビからいきなりニッポン放送に出向となり、そこで小さな仕事を次々とこなす。仕事は早い。
 しかも、会社に内緒でまだ劇団に在籍して、脚本書いてるんですからね。
 そこで、先輩の羽佐間重彰という人と図って、他社から注文取って脚本をばんばん書くんです。アルバイトですな。もちろん、禁止ですよ。でもやっちゃう。
 参考までに、羽佐間とんはいまの産経新聞の社長ですよ。
 すると、こんなことが起こる。直属のいけ好かない部長から文句言われるんですね。
 「お前と羽佐間は、最近、たるんでる。仕事してんのか。脚本家も旧態依然とした古い作家など使うな。もっと新しい才能を探せ。ついては、最近、倉本聡とかいう脚本家がいい仕事をしてる。こいつを探してこい」
 これにはビックリ。先輩の羽佐間に聞くと、「おまえ、探してこい」と冷たく言うだけ。
 
 ニッポン放送時代にはいろんなことをします。もうしっちゃかめっちゃかです。
 でも、辞めるんですね。その部長は「お前はバカか」の一言。
 だれも引き留めてくれる人はいない。壮行会をするわけでもない。1人しみじみと辞めていくんです。退職金で買えたのは、仕事用のデスクとパーカーの万年筆だけでした。
 退職した晩には興奮して眠られず、翌朝6時には恐怖で目が覚めます。
 「今日からはだれも庇護してくれない。ひとりぽっちで生きていくしかない」
 すると、がくがくと膝が震えたそうです。

 わたしも2回会社を辞めた経験がありますが、こんな気持ちにはならなかったなぁ。
 最初の会社を辞める時など、昼飯選ぶより簡単に決めちゃいましたもの。まったく困らなかった。2度目も有給休暇が無くなったからフリーになっただけですもんね。
 こんないい加減な人間だから、ダメなのかもしれません。

 おそらく、捨てる神あれば、拾う神ありなんでしょうね。
 倉本さんの仕事振りを見てたんでしょう。いるんですよ。じっと見てる人って。
 で、日テレのプロデューサーが目をつけます。
 当時、30分ドラマの相場が1本5千円。これが7万円にランクアップしたんですよ。
 さらに、石原裕次郎の映画プロデューサーでもある水の江瀧子さんが日活の契約ライターにしてくれたんですね。
 で、「月曜日のユカ」っていう映画を書きます。これはね、加賀マリ子さんと中尾彬さんが出たヤツですよ。

 こんなことばかり書いてると、明日の朝までかかりますから、そろそろ北との出会いに移りましょうか。
 彼はNHKと大喧嘩します。それはね、ほんの些細なきっかけが原因でした。
 当時、「勝海舟」という連続大河ドラマの脚本を書いてたわけですか、当時のNHKは組合が強くて、笑い話のようなドラマの撮り方をしてたわけ。
 ここからここまでは長崎放送局、ここからここまでは本局、ここからここまではと、いうように労働分配をしてたわけ。もうバカみたいなんだけど、この不満が現場にあった。
 で、週刊誌の取材があった。その取材目的は気づいていた。NHK批判を繰り広げようってわけですよ。
 だから、逆に擁護をしてやった。そのあとで、現場の声を代表して話したところ、これがそこたけクローズアップしてデカデカと載った。原稿チェックしてたのに、編集者は小見出しで批判的なことをどんどん書いていたわけ。
 これが現場サイドから文句百出。
 「謝れ」
 「謝らない。そんなに言うなら、降りる」
 「視聴者への責任はどうする?」
 「・・・」
 結局、降ります。
 当時、NHKとケンカして出入り禁止になったら、もう脚本家としての注文はないと踏んだらしく、彼は突然、北に飛ぶんですね。「敗北」という通りですよ。

 ここで勉強するんです。市井の声を聞くんですね。頭の中でコネくり回したセリフではなく、おそらく地に足着いたセリフをね。
 毎晩行く飲み屋では、「先生はタクシーは向かねぇ。顔つきからして、トラックだな」
 そこで免許を取りに行くんです。真剣だったんです。というのも、脚本家はもうダメだと諦めていましたからね。
 「あのとき、トラックのほうに進んでたら、こんなじゃなかった」と述懐してますね。ホントにトラック運転手にいますよね、似てる人。

 ところが、ここでも捨てる神あれば・・・ですよ。
 3人の男が飛んできます。女優淡島千景さんのマネジャー、フジテレビのプロデューサー嶋田親一さん。この2人が説得にかかるわけ。なんでも好きなのを作っていいよ。すべて任せるよ。ホントだな。ホントだよ。
 もうそのときにはトラックの免許をどうするかなんてことは、飛んで消えていました。
 話が済んで階下に降りると、もみ手をしてニコニコ笑ってる商人みたいな男がいる。これに嶋田さんが「おい、あれ出せ」と呼ぶと、50万円入りの封筒を出した。
 「いやいや、これはギャラの前払いではございません。今回の企画料ということで、どうぞお納めください」
 まるで銀行員みたいなヤツなんだけど、これが現フジテレビ取締役の中村敏夫さん。「北の国から」という1年間にも渡って準備ロケを敢行して、湯水のように経費を使いまくり、胃に穴が空いて入院しても、社内を押し切って大ヒットさせたプロデューサーなんですね。

 このとき、「6羽のかもめ」というNHKというか、テレビ業界に対する復讐の念に燃えた脚本を書きます。
 しかし、「勝海舟」を表向き病気を理由に降板してたので、ほかの名前で書きます。どうせ批判番組なんて視聴率が取れるわけがない。だから、友人の渡哲也の奥さんの本名をそのまま拝借しちゃおうってわけ。石川俊子というペンネームで書きます。

 けど、これがプロの批評家の目にとまります。
 すばらしい脚本だ、ってわけてすよ。で、放送批評家懇談会のギャラクシー賞を取るんですね。協会も新聞社もこの石川俊子を探します。
 倉本さんは困って、渡哲也の奥さんに頼みます。
 「あなた、すまないけど、受賞してくれないか」
 もちろん、断られますよ。

 その後もいい仕事をたくさんしますよ。
 「前略 おふくろ様」もいいですね。これは彼の母親に贈る鎮魂歌なんですね。

 もうやめます。きりがありません。いい本です。騙されたと思って読んでください。
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