2002年01月07日「ジャック・ウエルチ わが経営(上・下)」「プライドの怪人」「昭和下町人情ばなし」
1 「ジャック・ウエルチ わが経営(上・下)」
ジャック・ウエルチ著 日本経済新聞社 各1600円
ご存じ、GEの最高責任者の自伝です。
去年、日経新聞に「私の履歴書」を連載してましたが、それを大幅に加筆してまとめた、という内容になってます(あるいは逆で、本書から新聞用に転載したのかも)。
ホントはもっと早く刊行される予定だったんですが、ハネウェルとのM&A話が持ち上がったために引き延ばしたようで、新聞のほうがあとになっちゃったんじゃないかな。
以前、本欄で日産のカルロス・ゴーンさんの「ルネッサンス」を取りあげましたが、ご両人とも「頭はそれほど良くないが、集中力はある」と謙遜してましたが、たしかに尋常じゃないほどの集中力が備わってますね。
すべきときに、すべきことを、きちんとする。簡単なようで、なかなかできないことですよね。
この人の人生は典型的なアメリカン・ウエイだなぁ、と感じました。
「弱肉強食」の世界で勝ち抜いてきた典型的な人です。自己宣伝。アピール好き。負けん気。競争好き。ストレスはたいへんなものだったんだろうな。
会長レースに参戦したときなど、ほとんど政治の世界で孤独感とストレスはハンパじゃなかったでしょうな。
1960年にGEに入社したときには、こんなに出世するとは考えてなかったようです。
「そのとき、24歳。博士課程を終えたばかりの駆け出しエンジニアだった。当初の年俸は10500ドル。30歳になる頃には3万ドルはもらえるようになりたい」というのが目標だったんです。
で、仕事をこなすうちに、どんどん目標が高くなっていきます。70年代半ばになると、「いつの日か、頂点に立つ日が来るかもしれないと思うようになった」そうです。たった10年あまりでそこまで考えられるんですから、ものすごく頑張ったと思いますよ。
絵に描いたように順風満帆の船出のようでしたが、そうではありません。
入社早々、ここでは出世は無理だと感じます。
その理由は、会社が官僚的で、彼のような異端児を受け容れるような社風ではなかったからですね。
でも、そんな体質の会社でも、メンターがいると伸びていくんです。上司に1人でも理解者がいると、いいですね。
入社1年が過ぎたとき、最初の上司から、1000ドルの昇給をしてもらいます。これにはまったく不満がありませんでした。しかし、その日のうちに、同僚4人全員が同じ昇給だったと聞いたときにキレてしまうんですね。
「オレは並み以上の仕事をしたはずだ」
これを胸にしまっておくことができません。すぐに上司に訴えるわけですよ。こういう部下はやりにくいでしょうな。で、「こんな会社にはいたくない」と求人広告を片っ端から当たるんですね。そんな自分を見たとき、「一山いくらの群れに埋もれている」と感じます。
直属上司は「辞めてもかまわない、いや、そのほうがありがたいくらいだ」と壮行会まで開こうとしてました。でも、直属上司の上司が引き留めます。先見の明があるのか、4時間も掛けて引き留め、3000ドルの昇給を認めます。
アメリカは日本人が考える以上に学歴社会です。
ウエルチもこの洗礼(常識にとらわれること)を受けてまして、幹部のスカウト時でも過去の仕事ぶりだけ見つめていれば間違いを冒さなかったものの、とかく学歴とか煌びやかな博士号に目がいってしまって何度も失敗するんですね。
なかでも、会長レースに参加していたとき、1年がかりで役員陣に説得してスカウトした幹部がやらせてみると、箸にも棒にもかからず、わずか半年でクビにしなければならなかったことがありました。これは致命的でしたが、運とは面白いもので、「これはわたしの大失敗でした」と会議で早急に認めたんですね。それが功を奏して、「早く気づいて、リカバーした」とかえって認められたりします。
彼がCEOに就任して決意したことは、GEをタンカーよりも高速モーターボートのような企業にすることでした。つまり、動きが速く機敏で、しかもいきなり方向転換ができる企業です。
社員を毎日、現実に立ち向かう自信溢れる起業家でいっぱいにしたい、ということです。
当時、GEは5000万ドルのコンピュータ購入申請書に、16人のサインがあったそうです。これがウエルチの最終決裁を仰ぐために机に積み上がってるわけですよ。
「いまさら、わたしがOKを出すことにどれだけの意味があるというのだ」
そりゃあ、そうでしょうよ。
で、彼は18年間というもの、支出承認のサインを無視します。
「自分のサインの上に余計なサインが積み重なることがない、と意識すれば、自ずから真剣に考えるようになる」
1981年、彼は10億ドルの売上規模を誇っていた原子力発電事業を検討するためにカリフォルニアのサンノゼを訪問します。
ここで会議にまる2日間を費やしますが、この事業部の経営チームはバラ色の事業計画書を提出します。
なんと、年間3基の新規受注を見込むというわけです。
70年代はじめには3〜4基の原子炉が売れました。ところが、わずか2年前にスリーマイル島で原子炉事故が発生し、国民の支持も急速に落ちていました。それが証拠に、過去2年間というもの、新規受注はゼロ。
1980年度は1300万ドルの赤字。81年は原子炉建設だけを見れば2700万ドルの赤字。
「年に3基の注文など取れるはずがないたろう。アメリカではもう原子炉の注文は1つも取れないと思う」
「いいえ、会長はこのビジネスをよく理解なさっていない」
たしかにそうかもしれない。しかし、それだけに新鮮な見方ができるのではないか。情熱は高く評価するけれども、力を注ぎ込む方向が間違っているのではないか。
だから、「設置済みの原子炉に核燃料と保守サービスを提供するだけで事業が成立する方策を考えて欲しい」と言います。
当時、全米で72基の原子炉が稼働していました。その安全性が電力会社や政府当局の最大の関心事ではないんでしょうか。また、そこにビジネスチャンスがあるんですね。
でも、彼らはまだ食い下がります。
「受注ゼロを装丁して計画を立てるようなことをすれば、社員の士気をんぜんに葬り去ることになります。また、注文が来るようになったとき、今度はだれも振り向かないでしょう」
この経営チームはは、受注見込みを3基ではなく1〜2基にして計画を練り直したいとも言ってきます。
しかし、彼は受注ゼロ、サービス事業の拡大に全力をあげる、という主張を譲りません。コストを削りすぎたり、そのスピードが速すぎたことが理由で潰れた事業など、見たことがありません。
いま、この事業部は80年度の2410人規模から85年には160人までに人員を削減します。純利益は81年度1400万ドル、82年度7800万ドル、83値何は1億1600万ドルに増加します。
しかも、この20年間というもの、原子炉の受注はわずか4基だけ。国内からの注文は1つもありませんでした。
さて、成功物語はたくさんありますが、本書は正直に失敗も吐露してるところに価値がある、と思います。
また、親からの影響についても詳細に語っていますよ。
彼はWASPでもありませんし、裕福な家庭に生まれたわけでもありません。小さな石の家で育ちます。
祖父母はアイルランドの移民で、両親とも義務教育しか出ていない。父親は小さな鉄道の車掌さんでした。
父親は帰りに電車内に捨てられた雑誌や新聞を集めて家に戻ってきますから、ウエルチは6歳からそれを読んでたので時事問題にはそうとう詳しかったそうで、いまでもニュース中毒が治らないくらいです。
貧しいながらも厳しく育てられます。けど、「お金よりも素晴らしいもの。溢れるばかりの愛に恵まれていた」と言う通り、年を取ってから生まれて一人っ子で、掌中の珠の如くに育てられます。
おかげで、大学生になってはじめて実家から離れたときなど、ホームシックになってしまって、母親が3時間も離れたキャンパスまで車を飛ばして会いに来るんですね。
「まわりを見なさい。家に帰りたいなんて、だれも思ってませんよ。おまえが負けるわけないでしょう」
彼は吃音かひどく、なかなか治りませんでした。
大学生のとき、ツナのサンドイッチを注文するといつも2つ出てくるんです。理由はどもってしまって、「ツーツナ、サン(ド)ウィッチ」となってしまうからです。
こんな調子であったにもかかわらず、彼は周囲から笑われてもまたっく意に介さなかったんですね。
母親がなんと言っていたか。
「おまえの頭の回転の良さには、だれだって舌がついていけるわけがない」
これを彼は長い間、心から信じ込んでいたんです。母親とは偉大な存在ですね。
350円高。
2 「プライドの怪人」
百瀬博教著 幻冬舎 1600円
「プライド」って知ってますか。
「誇り」のことでしょ? いや、それはそうですが、「PRIDE」と書いた方がわかるかな?
そう。高田延彦や桜庭和志、グレーシー兄弟などの異種格闘技戦のことですよ。
そして、著者は「アントニオ猪木のいつも隣にいるプライドの仕掛け人」といわれる作家なんです。
「FOREEVER YOUNG AT HEART」と書かれた帽子をいつもしている人ですね。この帽子はレストランでもどこでも外さないそうです。
この本、痛快です。
なんたって、著者は柳橋の侠客の次男坊に生まれ、大学1年(周防正行監督の「しこ、ふんじゃった」の立教大学相撲部ですね。)でナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」の用心棒をしてたり、拳銃不法所持で秋田刑務所に下獄してたりね。
「突破者」で知られる宮崎学さんと共通するテイストが感じられます。
本書に登場する人物がハンパじゃなく、面白い人間たちです。なぜ、この本が痛快だったのか。
それは人物の面白さですね。
どんな人間が登場するか。
アントニオ猪木、石原裕次郎、バブルの紳士たち、仕手筋、やくざもの、刑事などなど、彼に影響を与えた人間たちが続々と登場します。この人物風景がたまりません。
250円高。
3 「昭和下町人情ばなし」
林家木久蔵著 NHK出版 680円
ご存じ、「笑点」きっての与太郎こと木久蔵師匠の本ですね。
この人、ラーメン屋を経営したり、絵の個展を開催したり、とにかく芸が広いんですよ。
でも、どうして落語家になったのかねぇ。不思議でした。
そしたら、わかりました。落語家じゃなくて、そもそもは絵描きか俳優になりたかったらしいです。
これは日本橋の鈴木商店という雑貨商の長男として生まれ、かなり手広くやってたようで番頭さんが3人もいたそうです。子ども時代から、芝居好きの祖母や映画好きの番頭さんに連れられ、自然とそんな雰囲気になったんでしょう。
実際、絵はしょっちゅう描いてましたし、子役としてもいろんなところに出てました。
「白雪先生と子供たち」という大映映画では、川に落ちて濡れてしまい、主演の原節子さんに「冷たくない? 大丈夫?」と言われたり・・・。中学のときには東宝映画「坊ちゃん」にも出てるんですね。といっても、河原で石を投げる中学生役ですけどね。
高校を卒業すると、いよいよ就職です。木久蔵さんは映画の世界に入りたかったようですが、家はもう没落してましたからね。で、牛乳工場で働くんですが、これが来る日も来る日も一斗缶を洗うことばかり。
そんなある日、出版社に勤務する友人と会います。すると、なにかの拍子にサザエさんの作者である長谷川町子の画稿料り話になった。それが漫画一回分が3万円と聞いてビックリ。
木久蔵さんの給料は5500円ですものね。
「おまえ、そんなに羨ましいなら、後湖の長谷川町子になれよ」
すっかりその気になっちゃうんですね。
で、この友人がちょぅど書生を探している漫画家の知り合いがいるんで、そこを紹介します。
でも、その漫画家(清水昆さん)は漫画家の卵として雇ったわけではありません。あくまでも、身の回りの世話をする書生として、木久蔵さんは雇われたわけです。
2〜3年いたのかな。
で、やっぱり漫画が描きたくて、あるとき、清水先生の机に自分の作品をいくつか置いておきます。ところが、一切話が出ない。それで、いよいよ辞めるときに、「君の漫画は面白い。見所もある。でも、もっとたくさん描かないと個性が出てこないよ。これからも頑張りなさい」
でも、出版社を紹介してくれるわけではありません。
あねとき、たまたま声帯模写をしてると、「おまえは物真似がうまいなぁ。そっちの道に進んだらどうだ」という始末。
「これからはテレビの時代だ。漫画が描けて、面白いことがしゃべれたらきっと売れるぞ」
それで紹介されたのが、桂三木助師匠というわけです。
いよいよ、木久蔵師匠誕生の道へとつながります。
昭和36年3月10日、23歳になった彼は、3代目桂三木助師匠のおかみさんに連れられて、林家正蔵師匠の住む長屋を訪れます。
彼が入門していた三木助さんが亡くなったために、希望する正蔵門下に入れてもらうために、おかみさんが引き回してくれたんですね。
三木助門下では「桂木久男」、それが正蔵門下に移ったから「木久蔵」。以来、林家木久蔵ってなわけです。
ラーメン一杯60円の時代に、前座が寄席でもらえるワリ(給金のこと)は2日で250円。これも交通費でほとんど消えてしまう。
だから、いつも前座はお腹を空かせているわけです。
で、木久蔵さんはどうしたかというと、この人、子どもの頃から生活力旺盛な人なんです。遠足に行ってもカラ瓶拾って売ってはお金に換えて、「母ちゃん、こんなに儲かったよ」。小学生から新聞配達をして、高校も自費どころか家計を支えるほどでした。
ですからね、お腹が空いたら、商売すればいいと考えてちゃうんです。
ある日、先輩の「二つ目」が扇子を忘れた。すると、彼はさっと自分の持ってる扇子でいちばんきれいなのを貸す。すると、この世界は「ご祝儀」といって1000円くれた。何かというと、ご祝儀を切るしきたりがあるんですね。
演芸場でも手伝いをどんどんする。すると、稲荷寿司1箱にビール1本、それに500円のご祝儀をくれた。だから、積極的にどんどんやります。そして、ビールを何本も貯めておく。それを売店で半値で買い戻してもらうんですね。
圧巻は、インスタントラーメンを買ってきて、楽屋で小腹の空いた真打ちに売ることです。ネギやナルトを入れたりして一杯100円で売ります。これを三平さんや月の家円鏡さんは面白がって買ってくれる。
「これから風呂に行く」という談志さんには、石けんとタオル、カミソリまでたちまちのうちに用意して渡します。
こういう前座は可愛がられますよ。しかも、お金も儲かる。
だから、彼は前座時代、急にお金が入りようになったときも困ったことがなかったそうです。備えあれば憂いなしってやつですね。
250円高。