2001年12月31日「確率の人生学」「親がかわれば、子どももかわる」「どこかで誰かが見ていてくれる」
1 「確率の人生学」
秋山仁著 青春出版社 1100円
長髪にヒゲぼうぼう。まるでタリバンみたいな数学の先生。
それが秋山さんのトレードマークですね。
確率ってのは面白いね。元々、日本では「公算」という言葉がありました。
「勝てる公算が高い」って言葉、まだあるよね。公算を確率に置き換えれば、そのまま通じます。
日本で公算というか、確率が発展したのは、旧陸軍の大砲命中率と被弾率をはじき出したときからです。当たるにしても、当てられるにしても、どちらも必死だもんね。
確率で思い出すのは、保険です。
保険というビジネスはすべて確率をベースに成立してるんですからね。戦後、日本の保険業界がグングン伸びました。それはこの業界に勤務する人たちが優秀だったからではありません。
日本人の寿命が延びた。それだけの話です。
ですから、いまアップアップしてるでしょ。集めるだけ集めても、投資・運用のノウハウがないから、逆ざやです。経営の生産性たるや、銀行とタメでしょ。
アホの最たるものは大成火災ですよ。これは保険は保険でも、損害保険。ニューヨークの貿易センタービルにテロリストが突っ込みました。で、パーです。この会社が吹っ飛んでしまいました。
なんてたって、保険の世界はリスクマネジメントを徹底して施さなければならないのです。だから、ダブル、トリプル当たり前。チェーンの如く、再保険、再保険の連鎖を続けてリスクを避けるんです。
ところが、この会社は再保険を掛けてなかったんですよ。
あのね、前にも言いましたが、戦争は保険がおりません。でも、テロによる被害は保険がおりるんです。ということは、天変地異とか戦争以外の被害はすべて保険の対象になるんですよ。これはコロンブスどころか、地中海貿易の時代から、そうでした。
基本を忘れたんですな。なぜか。サラリーマンだからですよ。経営者がサラリーマン根性、役人根性だから、どうせ他人のカネ。定年過ぎたら、わたしら関係ないものあとは野となれ、山となれってな、もんだったんでしょう。
某心理学者が面白い実験をしました。
「この書類、Aさんに渡しといてね。いちばん知っていそうな人に次々にリレーしてよ」と言うのです。渡された人はAさんとは面識がありません。共通の友人も知人もいません。そこで、何回目にそのAさんに行き着くか。
2〜10人。平均すると、5人でたどり着きます。小泉純一郎さんだって、飯島直子さんだって、このくらいでたどり着くんです。
これ、本の中で書いたんだけど、わたしの人脈が500人いるとしましょう。で、その500人に500人の人脈がいるとする。この先にさらに500人いるとする。
すると、これで1億2千5百万人になります。日本の人口すべてですね。
年末のジャンボ買いましたか?
これは1組の下6桁の数字は100000番〜199999までの10万通り。組は01〜100間での100通りです。この1000万枚のくじが1ユニットとなり、ひとつのユニットに6枚の1等(6千万円)当たりくじが入ってます。
つまり、確率は167万分の1です。
これは、年4回。1回100枚ずつ買うとしたら、4175年間、買い続けないといけないことになります。もうたいへんなんです。
「3等なら楽だろう」って?
これは1ユニットに40本ありますから、25万分の1。ということは、これだって625年間もかかるんですね。
3億円なんて、もう夢の夢の話なんですね。でも、買わない宝くじは絶対に当たるわけがありません。わたしも買いました!
ヤクルトの石井一久投手がメジャーに挑戦することになりました。
ところで、野球監督が25人のベンチ登録選手の中からスタメン9人をベストで選びたい、と考えたとしましょう。
このときの組み合わせは、204万2975通りもあります(ポジションは無視します)。年間130試合で試していくと、1万5715年かかる計算になります。
こんな役に立つのか、立たないのか、まったくわからない確率の話をあぁだ、こうだと書かれた面白い本です。
150円高。
2 「親がかわれば、子どももかわる」
長田百合子著 講談社 1500円
この人、テレビで見たことあります。
なんかものすごい迫力のオバチャンで、登校拒否だとか、引きこもりだとかの子ども(成人もいる)を引き吊り出してるシーンでした。
200数十もの塾をチェーン展開している経営者だとか。本人も子どもの頃にイジメを体験したり、自殺を考えたり、ヤンキーをやってたりしたらしい、とテレビでは紹介されてました。
「これは本になるだろうな」と思ったら、講談社が本にしましたね。
「不登校の子どもを2時間でなおす」
これが著者のやり方ですね。
でも、2時間のメンタルケアをして成功したケースの母親に共通することがあるそうです。
それは「礼状が書けない」ということ。95パーセントの人が書けない、書かない。理由を聞くと、言い訳ばかりする。つまり、感謝、感動、実感、関心、観察、直観というように、「カン」のつく字に鈍いんです。問題を持った家庭というのは、「カン」が足りないんです。
「不登校って、なにがいちばん悪いと思う?」
「勉強が遅れること」
「それも一つあるかもしれないけど、もっと大切なことがあるんだよ。なんだと思う?」
「・・・」
「それはね、身体に良くないんだよ。おまえの同級生は、毎日、学校に行って、毎日、身体を動かしてるよなぁ?」
「うん」
「おまえは、みんなが朝早く起きるのに、昼頃、起きて、なんにも身体を動かさないでいるんだろう。そうすると、肝臓に脂が巻いてくるんだよ。これを脂肪肝ていうんだよ」
「・・・」
「心と身体はつながってるんだよ。身体が悪くなると、心が弱くなる。心が弱くなると、身体も弱くなっていくんだよ。中学3年生にもなれば、そんなことわかるよな?」
「うん」
「もう一つ、いいこと教えてあげるよ。あんた、高校に行きたいわけ?」
「うん、行きたい」
「じゃ、学校に行きなきゃだめだわ。だって、考えてみたってわかるじゃん。1年休んだおまえと、毎日通った子どもが同じ高校を受験して、おまえ受かったら、毎日通った子どもがあまりにも可愛そうじゃん。そう思わないか?」
「思う」
「それだけ、受験に不利だってことなの、不登校って。それにさぁ、中学校へ行かないまま、高校へ突然行くなんて、そんな器用なこと、あんたできるわけ? わたしだったら、絶対に無理だわ」
不登校の子どもの原因はいろいろありますが、父親も母親も教育に無関心。子どもの行動に無関心。そればかりか、親が親としても勉めを果たしていないケースも少なくありません。
ですから、著者は親も教育しなければならないんです。
たとえば、母親には「明日から6時に起きて、掃除、炊事。朝食を調えてから、子どもを起こす」、父親には「夜の仕事はパートを雇って、母親は家庭に戻す」という約束を子どもの前でさせます。
「おまえは毎朝、6時45分に、わたしのところに電話してくれる? 毎朝、おまえに元気を送って頑張るよ。みんなで頑張ろうや」
著者の指導には3種類あります。
2時間メンタルケア、通いのケア、そして寮生活でとことん看るケアの3つです。
そのいずれかにするかは、子どもの状況を見て判断します。
著書も親には騙されることがあります。
不登校の肥満児(16歳)と会ったときのこと。子どもよりも両親に表情がないんです。心がない、つかみ所がない。中3から学校に行かないと言う。
しかし、著者は直観で「この子どもはここ1年だけのことが原因じゃない」と感じ、寮生活で指導することにしたそうです。
すると、親の話とは違うことが続々と出てきます。小学生の時から、毎食、カップラーメンばかりの生活だったんですね。野菜はゼロ。お菓子ばかり与えられていた。つまり、母親が炊事などしなかったんですね。
「足が痛い」というので病院で調べると、「この子の骨は70歳です。骨粗鬆症です」と診断される始末です。しかも、痛風に糖尿病で病院にも通っていたとのこと。これも子どもから聞かされてやっと知りました。
親がきちんとした情報を著者に与えていなかったのです。
この子どものケースは親の無理解と怠惰で中途半端な結果に終わってしまいます。退院から2年経つものの、まだ引きこもっていると人伝に聞いたときは無念だったでしょうね。
著者は医者でも心理学者でもありません。
しかし、自分なりの哲学で現場で苦しむ子どもを助けようとしています。
「子どもは統計じゃない」
「実験台じゃない」
「好きなようにさせて、治るものか」
「きちんと教えてやらなければいけないんだ」
ガンガン指導します。ときには、知り合いのヤンキーOBの社長の会社で働かせたりします。でも、ヤンキー出身の引きこもりとか不登校のほうが処置しやすいみたいです。
というのは、こういう人間は上下関係とか力関係とかがよくわかってますし、ある意味で世間を知ってるからですね。ガツンと一発しただけでがらりと変わる人間もいます。
たいへんなのはオタクですね。世間知らずはどうしようもありません。
それと、いつの時代も痛感することですが、官僚的な学校の体質ってのはどうにかなりませんかね。誠実でいい先生もいるんでしょうが、そうでない人も少なくありません。とくに校長とか教頭とかなると、官僚的な性格の人がさらに官僚的な仕事を要求されるから、「官僚の二乗」で煮ても焼いても食えません。
著者は慣れっこなんでしょうね。下手(したて)に出て対処してるようです。
全編、ドキュメンタリードラマ一色。これ、きっとドラマ化されるよ。
250円高。
3 「どこかで誰かが見ていてくれる」
福本清三著 集英社 1500円
斬られ斬られて43年。出演回数2万回。代表作「無し」。
「一隅を照らす人 国宝なり」とは最澄伝教大師のお言葉ですが、まさに著者はそのものズバリ。
「いいや、そんな大げさなものでは・・・」
大部屋俳優の宿命なんですね。
本書でいちばん頻繁に出てきた言葉があります。それは「お恥ずかしう」というもの。 「わたしなんか」
「役名なんてありますかいな」
「そこのおい、こらですわ」
でも、わたしは、この俳優さん知ってます。「仁義なき戦い」にもよく出てましたよ。
けど、ピラニア軍団ではありません。この人、群れるの大嫌いなんですね。
亡くなった川谷拓三さんとは大の友人。2人でアパート借りてたくらいです。
「拓ボンはいつもコッペパンを水道の水で流し込みながら、オレはいつかスターになったるんや。そしたらな、女なんか向こうからたくさんくるで」
川谷拓三さんはやっとのことでスターの仲間入りをしましたけど、あっけなく亡くなってしまいましたね。「仁義なき戦い」では、何回も死ぬ役がありました。ロープに吊され、千葉眞一演じるテキ屋にライフルで試し打ちされたり、菅原文太の子分役で使い込みがばれて指一本どころか、手首を落とした役。全部覚えてますよ。
もちろん、この福ボンこと、福本さんのことも覚えてます。
この人、最初から芝居が好きで東映に入ったんじゃありません。15歳のときに京都の米屋に勤めたんですね。でも、格好悪い丁稚で風采が上がらない。田舎からやっと出てきたのに、そんな格好ではたまらない。こぼしていると、不動産屋の叔父さんが東映の人を知ってるという。
そこで行ってみると、翌日からもう映画に出てるんです。
当時、東映には第二東映まであったんです。1週間に1つずつ映画を撮ってたんですよ。撮れば、金になる。だから、第二東映まで作ったわけ。
大部屋俳優だけで400人はいたそうですよ(いまは20人いないそうですよ)。スターは一本ずつ主演しますが、大部屋俳優は日に10本のかけもつなんかザラ。
日本映画全盛の時代でした。
でも、役に名前がついたりすることはありません。
最初の頃、芝居をするときに要領がわからなくて、「キャメラは(どっちの方向から撮るか)?」と助監督に聞いたんですね。すると、「キャメラなんか、おまえらに関係あるか! どうでもええんじゃ。さっさと言われた通りにせぇ」といわれるだけ。
真冬に斬られて池に飛び込む役があります。そのまま、池の中で死んでるわけですが、どうしても寒い。当たり前です。生きてるんですから。
「こらぁ、動くな。震えるな。死体が動くから、波紋ができて、池の月がきれいに映らないじゃないか」と怒鳴られる始末。
大部屋というのは、そういう扱いをされる仕事なんですね。
ずっと大部屋暮らしです。
ただ、ちょっと違うのは東映の社員俳優なんですね。
というのも、著者の姉がものすごい人で、スタントマン代わりに演技をして入院するほど頑張ってるのに、なんでこんなに収入が低いのか、せめて社員にしろ、と東映幹部にねじ込んだようです。
で、社員になります。来年、誕生日が来るそうそう定年になるんです。
著者はものすごくスターに可愛がられます。とくに美空ひばり。海外公演にも連れて行ってもらうんですね。
「来週から、ひばりさんの公演で舞台に出なくちゃならないんです」
「そうか。わかった。じゃ、今日、殺すわ」
「ありがとうございます」
こんな会話で通じるわけですよ。
でも、このおかげで、カーネギーホールで立ちまわりしたりできたんですね。
大部屋というと、どうしても忘れられないのは「蒲田行進曲」じゃないでしょうか。
この映画で平田満さんが演じた大部屋俳優のモデルとなった人は汐路章さんですね。
「階段落ち」、覚えてますか?
風間杜夫演じる銀ちゃんが「だれか階段落ちやらねぇのかよ? えっ、そんなに命が惜しいか」って怒鳴った、あの役です。
著者は何度も階段落ちをやったそうです。危険手当がもらえるからですね。
ところで、この「蒲田行進曲」は日本映画の賞を独占しました。また、興行的にも大成功しました。でもね、これ、松竹映画(監督深作欣二さん)なんですよ。それを東映の太秦撮影所を借りて撮ったんです。
まっ、「仁義なき戦い」シリーズはこの深作監督で東映で撮影してるんですからね。
350円高。