2001年12月24日「実録 視聴率!」「声に出して読みたい日本語」「さすらい」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「実録 視聴率!」
 小池正春著 宝島社新書 700円

 著者は元高校教員。でも、そうとう組合活動にクビを突っ込んでいた人らしい。で、すぐ辞めて、ライターとして独立。テレビ周辺の原稿を書いているんですね。
 テレビの世界というと、勝てば官軍。負ければ賊軍。これがピッタシですね。
 視聴率さえ取れれば、局内を肩で風切って歩き、交際費も青天井。それが落ち目になると、つまり視聴率が取れなくなると、出す企画、出す企画、ことごとくボツ。交際費は認められず。こうなると、いま乗ってるタレントと情報交換もできませんよ。
 もちろん、局内では居場所がありません。
 こういう世界なんですね。ハングリースポーツ。ビジネスはすべてそうです。

 視聴率戦争の戦場は3つあります。
 1つは全日帯、すなわち6時〜24時、ゴールデンタイム、すなわち19時〜22時、プライムタイム、すなわち19時〜23時。これを365日戦い続けて、それぞれの時間帯平均視聴率で勝負。
 3つの時間帯で勝てば、「3冠王」ってことになります。

 で、82年〜93年まで、フジテレビの一人勝ち。94年以来、ノンプライム帯を加えて、日テレが4冠王。
 次はその日テレの社長インタビューの要約です。
 視聴率が取れない最たる原因は、1に「独りよがり」。作ってる側が自分だけいいと思ってる。見る人のことを考えないで作ってる。
 2番目は「安上がり」。安ければいいってもんじゃない。やっぱり限度がある。3000万円かかる番組を2500万円で作って、「コスト削減に成功した」ではダメなんです。
 3番目は「視聴者をバカにしてレベルをうんと下げたところで番組を作る」ってこと。視聴者はバカじゃない。
 なるほど、頭のいい人は言うことが違いますね。

 ところで、日テレは93年から営業改革運動を展開したんです。
 まず、横断人事。若返り。外部の人の意見を聞く。
 そこで、広告主や広告会社200社を対象にアンケートとヒアリングを展開して、期待と不満などの正確なニーズを語ってもらったわけ。で、改革プロジェクトを組織化したわけよ。
 「日テレの営業はどうしたらいいのか」ってことを、20代、30代の渉外部門の人間70〜80人を対象に1泊2日の合宿をする。議論の後に、問題点の抽出と解決案をまとめます。

 この一連の意見交換てのは、ゴーンさんがやったクロス・ファンクショナル・チームと同じ方法ではないですか。
 こういう議論の中で、いままでは枠を売ってたけど、ソフトをセールスするという方向に変更する。広告主の宣伝戦略を理解して、ニーズに合った方向でプレゼンする。スポンサーの情報を収集して、データベース化を図る、ってなことが自然と出てきたそうです。

 ところで、視聴率を重要視する理由ですが、これはメディア規制と絡んでます。
 視聴率がないと、だれが番組の評価をするんでしょう。
 権力者が「これはいい、これはダメだ。だって、わが党の悪口ばかり言うんだもん」というようになったら、おしまい。そうなったら、番組自体を消すかもしれません。これは十分ありえますね。
 視聴率重視ってことは、大衆が判断するってことです。
 「大衆はバカでしょ?」っていう人もいますが、大衆はバカではありませんよ。
 大衆は短期的には騙せても、長期的には騙せません。すべてお見通しです。あのアホなヤツが政治家に当選したのも、あのガリガリ亡者がタレントになってチヤホヤされたのも、短期的には騙されましたが、大衆はじっと見ています。大衆の評価は長い目で判断しているのです。
 常に、大衆は正しいのです。間違っていたとしたら、それは間違うことが、その時代では正しいのです。もし、自分が正しいと主張するなら、説得しなければいけませんね。
 違いますか?
 250円高。


2 「声に出して読みたい日本語」

 斎藤孝著 草思社 1200円

 売れてるらしいですね。「声に出して」というのがミソなんでしょうね。
 「暗誦もしくは朗誦することをねらいとして編んだものです。したがって、目で黙読するというのではなく、大きく声に出して詠み上げていってください」と前書きにあります。

 たしかに、黙読すると面白くない文章ってありますね。
 この本にもありますが、浪曲がそうです。

 わたしは二代広澤虎造の大ファンで、小学4年生からレコード持ってたんです。その後、大学時代にカセットテープ全10巻を買ったほどです。ところが、この浪曲というのがリズム、音、調子を主体にしてますから、意味が通じない点が少なくありません。
 この本では指摘されてませんでしたが、たとえば、こんな調子です。
 「ものごと、出世をするのには、話し相手ぇぇぇ、相談役がかんじんさぁ。(ペンペンと三味線の音が入る)出世大将ぉぉぉ、太閤秀吉公ぉぉぉに黒田官兵衛という人ありぃ、あのみかんで有名な紀伊国屋文左衛門にぃぃぃ、仙台の浪人で林長治郎という人あり、徳川家康公に南光坊天海ありぃぃぃ」ってな具合です。
 で、この場合の「ものごと」っていらないでしょ?
 でも、いきなり唸るとき、リズムを調えるときにポーンと出すんですね。すると、聞く側はスムーズに入っていけるってわけ。文章にしたら、はちゃめちゃです。

 吟遊詩人というのはヨーロッパ特有のもので、「オデッセウス」「イリアス」を書いたホメロスもそうでした。
 ホメロスという言葉は「盲人」という意味です。本名はわかりません。目が不自由だったんです。で、一宿一飯の義理に、各地を歩いて入手した面白い話、民話、昔話などを語って聞かせたわけですよ。「しばらく、泊まっていきな」って、エンタテイメントのなかった時代です。漫談、浪曲、講釈士のように、見てきたように話をしたんでしょうな。
 吟遊詩人てのは、琵琶法師と同じように話し言葉が主人公です。読み言葉ではありません。話さないと、仕事にならないんです。

 この本の中では「平家物語」「般若心経」が紹介されてますが、すべて音が勝負の文章なんですね。そういう意味では、詩もそうですし、歌もそうです。これらはすべて声に出して詠むものであって、読むものではありません。
 漢詩など、すべて韻が踏んでありますよね。これなど、半分は音を楽しんでもらうべき作品なんです。

 150円高。


3 「さすらい」
 小林旭著 新潮社 1400円

 マイトガイ旭の自伝です。
 わたしの時代は裕次郎ではありません。もう、小林旭でした。でも、映画館で見たことはありません。すべて、テレビで放映されたものばかりです。ということは、小林旭でもないってことですかねぇ。
 たしか、加山雄三がワァッと出たときが小学4年生のとき。でも、加山雄三の映画は見なかったなぁ、テレビでも。

 わたしは裕次郎より、断然、小林旭が好きでした。
 渡り鳥シリーズ、知ってますか?
 主人公は滝伸次。ギターを背中にしょって、馬に乗って、いったいこれが日本なのかどうなのか。マカロニウエスタンというか、西部劇というか、いまの香港アクション映画みたいなもんだな。
 だから、無国籍映画なわけ。裕ちゃんも無国籍映画です。「夜霧よ、今夜もありがとう」なんて、完全に「カサブランカ」のパクリだもんね。

 彼のデビュー作は「絶唱」だと思うんですが、このとき、15歳の浅丘ルリ子さんと共演してます。参考までに、わたしは外国人ではグリア・ガーソン、日本人では断然、浅丘ルリ子のファンです。
 「心の旅路」知ってます? 「キューリー夫人」見ました?
 ですから、石坂浩二との離婚を聞いたときはニンマリ(ついでに、飯島直子が離婚した話にもニンマリ)。家内曰く、「そんなに喜んでも、アンタには関係ないでしょ?」だって。失礼するぜ。縁というのは不思議なものなんなんだよ。どこでどうなるか、わからないだろうが、ホントに。

 彼も3年間の大部屋暮らしで苦労したみたいです。どんなに主役をやろうが、3年は大部屋暮らし。大部屋ってのは、キャリア順に徒弟制度みたいなものがあって、というよりも、牢名主といったほうが正確かも。
 で、いろんなイジメに遭います。しかし、身体が頑丈。バットで殴られるときも空手と柔道で鍛えた体が反応して、逆に折っちゃったんですね。3年過ぎて、大部屋から出るときには、いままでいじめてた連中が掌を返したようになるわけ。
 勝手に、渡り鳥派という派閥を作って、裕次郎派と突っ張るわけ。飲み屋でも、小林旭の悪口でも言おうものなら、大喧嘩。面白いもんですな。

 さて、この人、ハリウッドからスカウトされたことがあるんですよ。でも、ダメでした。
 だって、日活のドル箱だったもんね。もう、裕ちゃんの映画では給料払えませんでしたもの。
 翌日、それを聞きつけた日活の役員2人がプロペラ機でロスまで飛んでこなければ、そのまま、アメリカで仕事をしてたはずです。
 すると、天下の美空ひばりとの結婚もありませんでしたね。

 この人のすぐあとに赤木圭一郎という役者が出てきます。
 「和製ジェイムス・ディーン」といわれた人ですよ。歯科医の子どもで、栄光学園出身。
 そうだなぁ、最近の人で言えば、峰岸徹という俳優がいちばん似てるかな。あと、香取慎吾とか田原俊彦にもちょっと似てる。日活は小林旭のあとはこの人で一発当てようと考えたわけ。

 それが、映画のスタジオでゴーカートを乗り回して激突死しちゃうんです。
 もし、この事故が無ければ、小林旭は美空ひばりと結婚することはありませんでした。
 なぜって、小林旭とひばりが知り合うのは「週刊明星」の対談がきっかけだもの。男性部門3年連続ファン投票1位が小林旭、女性部門は美空ひばり。だから、「夢の1位対談」という企画になった。ところが、この年、赤木圭一郎が生きていれば、彼が1位確実。となると、小林旭との対談はありえませんでした。
 縁というのはホントに不思議なものですね。
 
 ところで、彼は独立後、ゴルフ場建設などやり出して大失敗します。そして、莫大な借金をこしらえてしまいます。ゴルフにしても、ジャンボがデビューしてなければ、プロになってたといいます。
 さて、借金でたいへんなときのこと。
 銀座のクラブで、作詞家の星野哲郎さんと飲んでたら、星野さんのところに電話が一本入ります。馴染みのホステスからですね。
 「今のお店から大宮のほうに移ることになったの。ぜひいらしてくださいね」
 ところが、星野さん、そのホステスがどこのだれだかわからないわけ。
 「そこでは、何て名前で出ているの?」
 「昔の名前で出てるわよ」

 このやりとりでできたのが「昔の名前で出ています」という曲です。これは大ヒットしましたね。おかげで、この曲で、借金、返すんですよ。
 ところで、この歌は1番、2番、そして3番へと続く物語になってます。
 京都にいるときゃ、「しのぶ」と呼ばれたのぉぉぉ。神戸じゃ、「なぎさ」と名乗ったぁぁぁのぉぉ。浜の酒場に戻ったその日からぁぁ、あなたが訪ねてくれるの待つわぁぁぁ。昔の名前でぇぇぇぇ出てぇぇぇいぃぃぃまぁぁぁすぅぅぅ。
 いい詩ですよ。
 でね、問題です。この女の本当の名前、知ってます?
 答えは3番の歌詞まで来るとわかります。よく、飲み屋で聞くんだけど、たいてい知らないね(正解は来週、このページでお知らせします。ただし覚えていたら、ですが)。
 
 しつこいようですが、小林旭はいい役者です。
 わたしがいちばん好きな役は「仁義無き戦い」の3作目、4作目で、山守組組長に就任する武田明役ですね。北大路欣也演じる保(たもつ)という若頭を育て、神戸の大組織を向こうに回して広島やくざを大同団結させます。主役の菅原文太に勝るとも劣らないいい役でした。
 対立し、広島と神戸を巻き込んだ抗争に発展します。そして、菅原文太扮する広能昌三と網走の刑務所で再開します。

 「アキラ、おまえは何年じゃ」
 「わしゃあ、前のがあるけぇ、7年じゃ」
 「山守のオヤジは執行猶予じゃそうな。7年と執行猶予じゃ、わしら間尺に合わん仕事したのぉ」
 「昌三、おまえ、出たら、わしのところに来んか。おまえが広島とったら、ええんじゃ」
 「わしはこんな(広島弁で「おまえ」のこと)とは組まん。先に逝ったもんに悪いけぇのぅ」
 「勝手にせい」
 「アキラ、槙原殺ったの、いくつか知っとるか? ちんぴらやど。こんなも油断しとると殺られるど」
 「あぁ」
 しかし、よく覚えてるもんですね。
 これは映画館でも何回も見ました。もう出てきたときには、完全に感情移入してましたから、サングラス掛けて、ラーメン屋さんに行っても思わず広島弁で注文してましたもんね。
 「わしゃあ、チャーシュー麺と餃子にするけぇ。こんなはなんにする?」ってな具合です。いま考えれば、バカみたいです。
 この映画大好きで、ビデオ全巻持ってるんです。今度、DVDが出たら買おうと思ってるんですが、これって深作監督がメガホン撮った東映映画でしょ。小林旭は日活ニューフエイスになる前に、年齢を偽って東映も受けてるんですね。落ちちゃったんだけど。
 あのとき、一緒に受けたなかにずっと先輩の健さん(高倉健)がいたんですよ。
 いまなら、小林旭も東映路線で不思議はありませんが、若いころはどう考えたって日活、東宝、松竹タイプですもんね。まぁ、いい思い出です。

 250円高。