2001年10月22日「研究者」「ニセモノ師たち」「昭和芸能秘録」
1 「研究者」
有馬朗人監修 東京図書 1800円
「成功する研究者になる方法」という帯コピーがありますが、さて、どうでしょうか。
監修は元文部大臣、科学技術庁長官ですが、版元はきっと「野依良治・名古屋大学大学院教授」を売りにするでしょうね。
これ、13人の科学者、研究者が「研究とはなんぞや」ということをアンソロジーでまとめてるんですが、この野依さんは今年度のノーベル化学賞だもんね。
この先生は右と左の分子を識別する「不斉合成反応」や「分子性触媒」などを発見した人です。
右と左がなぜ問題になるのか。パスツールは「右と左の非対称性が生物と非生物の世界を分ける明確な境界線だ。これは物理学や化学の力では左右対称の力が働き、右と左を区別するのは不可能である」と150年くらい前に言ってます。
でも、これって科学的には正しくなくて、左右に振れることはあるんです。
ヤン−リー(ノーベル物理学賞)の「パリティの非保存」がそうで、それまでは、宇宙は右があれば左があり、その逆もあり、完全に左右対称と考えられてたんです。けど、彼らヤンとリーはそうではないんだと、予言しました。
で、その予言が正しいことが実験的に証明されるんですね。10の14乗分の1といったわずかな非対称の乱れがあったんですよ。
これは化学ではたいへんなことでした。
アミノ酸は相手の分子と相互作用をするとき、必ず左手系なんですね。すべてそうです。
たんぱく質のレセプターは左右両方のポケットといったキラリティがあります。これには靴や手袋のように右と左の区別があるため、右手の分子はピッタシ入るけど、左はうまく入らない。
これがサリドマイドという薬品になると、右手系は催眠剤だったけれども、左手系は催奇性を発生させます。世界的に大きな不幸を引きおこしてしまいましたね。
で、野依先生は原子は丸くて右も左もない。右と左を見分ける有機化合物を設計するために、「不斉配位子」として金属原子に化学結合するんです。そると、分子全体が左右を識別する触媒になる。
これが不斉合成法です。不斉ってのは等しくないってことですよ。
野依先生の言葉でピンと閃くものをご紹介します。
「大事なことは事実の発見ではなく、価値の発見である」
「流行のテーマをやるな。いま重要だといわれてることは、すでにだれかが重要だといったことだ。そんなものを研究しても遅い」
「小さな事実から価値を見いだし、それを自分で育てろ」
「価値の発見をするためには自然科学のみならず、人文科学、社会科学など、世の中についての広い教養と原理、原則を叩き込んでおくことが大事だ」
どうですか。ほかの研究者のアドバイスもものすごくいいですよ。
200円高。
2 「ニセモノ師たち」
中島誠之助著 講談社 1600円
ご存じ、骨董品などの評価をしてるテレビ鑑定団の大御所。「いい仕事してますねぇ」の中島先生です。
なんだか、同じ名前って嫌ですね。
わたしは、この中島って名字は幼稚園の時から違和感がありました。孝志という名前は物心ついたときから変な気持ちがしました。
ある霊能者からは「中島さんがお金が貯まらないのはこの志という字が余計なんだ」と言われたことがあります。
「そうか。チキショー、あの産婦人科め」と、そのとき、思ったんですね。というのも、わたしが生まれた産科の院長が中村虎志さんという人で、この人、なにかというと取りあげた赤ちゃんに自分の名前の一字を押しつけるのが好きだったそうで、うちの親父はそれで「志」をつけちゃったわけです。
以来、お金に困ったことはないけど、ストックはまったく無し。まっ、「宵越しの銭は持たない」っていう江戸っ子気質の生活を必然的に送ってます(トホホ)。
で、この本ですが、目利きとして名高い著者が騙された経験、騙されるシーンを目撃した経験、騙しているシーンを目撃した経験などが具体的に書かれてます。
著者は騙したことはないそうです。
というのも、見習いというか学生時分に、オヤジさんから騙された人(同業者)からめちゃくちゃ言われたことがグサッと心に刺さって、自分だけはそんなことはすまいと誓ったからです。
「騙す」ということはニセモノをつかませること、「騙される」ということはニセモノをつかむこと。
ところで、この「騙す」という意味ですが、同業者間では騙し、騙されというのは当たり前の世界なんですね。
「ニセモノに引っかかる3条件」があります。
1その品物を買ったら儲かると思ったとき。
2勉強不足。
3お金があること。
これですね。
「儲けてやろう」というのは目を曇らせます。勉強不足では情報も見識もないので目利かずですよ。これでは騙されるのは無理もありません。
また小金があると、これでなんとかしようという気持ちになりますから失敗します。お金がないほうがシビアに評価するんですね。
練達の士は素人は騙しません。それは簡単ですからね。
同業者は「やられた」と思っても弁償しろとは言えません。それは自分に審美眼がないことを告白するようなものですもんね。
でも、素人にも騙される3条件があります。
1欲深。
2出発点のレベルが低い。
3適度に小金持ちで教養もある。
出発点のレベルが低いってのは、骨董品などの買い物をローカルで、マイナーなところからスタートしてるってことです。
これと反対のケースで、女優の高峰秀子さんを上げてます。彼女は小さいときから女優をしてました。私生活でもそんなに余裕はなかったそうですが、20代の時に日本橋の骨董屋を通ったとき、チラっと見たウインドウの壺が気に入ったそうで、はじめての店だけど、即、買ったそうです。
まったくいわれも来歴もしらないけど、とにかくテイストが合ったんですね。これも縁ですよ。
この店は「壺中居」という有名な店で、その壺は唐三彩の優れものだったんですね。
この人は天性の目利きだったみたいですよ。
ところが、ニセモノに引っかかる人は違うんです。好きか嫌いかじゃなくて、儲かるか儲からないかという価値観しかないんですね。
だから、損するんです。小さく得して大きく損してるんでしょうな。
さて、ホンモノとニセモノを見分けるときに頼りになるのは1つだけだ、と言ってます。
それは自分自身なんですね。自分の信念だけが頼りです。
ですから、お宝を見たときに「鑑定書があります」なんて聞くと、「ははーん、これはニセモノだな」と条件反射で思うそうです。
「目利き儲からず」という言葉が骨董界にはあります。
目利きにして、人品賤しからずという人の商売はそんなに儲かるものではないんです。
そりゃそうですね。
ホンモノの骨董品が1000万円として、それを1200万円で売ってもたったの200万円ですよ、儲けは。
でも、これがニセモノだとせいぜいコストは50万円。それを500万円くらいで売れば、450万円も儲かる。だから、ニセモノを扱う骨董屋のほうが儲けられますね。
でもね、長い人生で見ると、ニセモノで後世に名を残した人はいませんし、見事に全うした人もいません。たいてい、人生半ばにして消えていなくなるんです。
人を見る目、ものを見る目って同じですね。
それにしても、わたしなど、何度「騙された!」と言われてることか(家内から)。
150円。
3 「昭和芸能秘録」
道江達夫著 中公文庫 857円
文庫で900円近くします。500頁くらいある力作です。
とっても面白い。親本の時になんで読んでおかなかったんだろうとすぐ感じたんですが、これ、自費出版だったんですよ。去年出したばっかり。あまりにいいんで、すぐに中公がおっかけ出したというわけ。
編集者がどこかで見つけたんでしょうな。文庫に収めたんです。
おそらく、プレゼントされて読んでびっくり、ってなところでしょう。
さて、著者は御年80歳。
東宝で映画、舞台、名人会(寄席)など、ありとあらゆるショービジネスを担当した生き字引みたいな人です。で、自分史というか、東宝での仕事人生をまとめておこうというつもりで書いたんですね。
あとがきをご子息が書かれてますが、ご本人は脳梗塞などを起こしてあまりお元気ではないらしい。
いい本です。ちょっとびっくりしました。
実は、わたし、芸能関係の本はかなり突っ込んで読んでるんです。インターネットで調べて、元活動屋(過激派じゃありません。活動写真のこと)が書いた本、斬られ役が書いた本、果ては撮影所の前にある食堂のおばさんが書いたものまでチェックしてるんですが、資料といい、内容といい、これはかなりのものです。
中公の編集者はさすがだね。目利きです。
著者は学生時代、とうとう徴兵猶予も切れて学徒出陣となります(本人は丁種で兵隊になれず)。そこで、子どもの頃から映画、歌舞伎、落語に狂ってましたから、好きな歌舞伎役者のサインを日の丸に書いてもらって、それをお守りにしようと軒並み歩きます。
一流の名代の人たちですが、みんなエライもんです。嫌な顔一つせず、一門にまで広げて書くように手はずを調えてくれたんですね。
で、結局は終戦になっちゃうわけです。その大切な寄せ書きは空襲で焼けてしまいました。
戦後、「就職するなら東宝に行きたい」とあの手この手で奔走します。それで、なんとか潜り込むんですね。
ということで、本書は戦後の東宝、芸能関係の情報が山盛りになってます。
日本は歌舞伎から落語まで、GHQの検閲を受けなければならなかったんですね。
というのも、「のんき節」で一世を風靡した石田一松って人がいたんですが、このタレント議員第一号である石田センセはバイオリンを弾きながら英語で歌ったんですね、「のんき節」を。
これが時局柄、引っかかったわけ。
進駐軍の二世連中が、「これはGHQを侮蔑するものだ」って騒ぎ出したんです。
で、あれやこれやで検閲制度になっちゃったわけ。
歌舞伎はいいですよ。話は決まってるんだから。シナリオというか、ストーリーをそのまま、まとめればいいんですからね。
困るのは漫才とか落語です。落語だって、「まくら」はその場にならないとなにを話すかわからないでしょ。
で、著者がなんとかするわけ。
どうしたかというと、「許可さえとっちまえばこっちのもん」とばかり、よくやる演目の要約を翻訳しちゃうわけ。これが抜群に上手で、この場を切り抜けます。
師匠たちからもうまい、うまいと誉められたりね。
もちろん、映画から寄席まで幅広い仕事をこなしているだけに、その人脈たるやものすごいものがあります。
おかげで、著者でなければ知らない話、書けない話がたくさんあるんですね。さらにいいのは、元もと自費出版だっただけに、だれに気兼ねする必要もないから、お世辞はまったく無し。ダメなものはダメ、良いものは良いと、自身が秤になって価値判断してる点です。
会社の偉いさんに対しても、大御所といわれる俳優や芸人に対してもケチョンケチョンだし、逆に「へぇ、この人。こんなにいいところがあったんだ」ということも赤裸々に紹介してます。
そういう話がおもしろいんだよね。
で、ちょっと紹介しましょう。
黒澤明という監督は小劇場もこまめに見て歩く人らしく、いろんな俳優を発見しては自分の映画に抜擢してます。
たとえば、木村功さん。
「野良犬」ではピストルを盗む犯人役。「七人の侍」では若侍。津島恵子さん扮する百姓娘と恋仲になる色男でんがな。千秋実さんもそうだね。
志村喬さん。「生きる」の名演技で有名になった人ですが、この人もそうだね。「七人の侍」で「勝ったのは百姓たちだ」と最後に言った人ですよ。
森繁久爾さんは映画「社長シリーズ」で有名ですけど、昭和35年に自らプロダクションを設立して「地の涯に生きるもの」という自主映画を制作してます。そして、これが見事に転けます。
すぐに解散しましたからね。
でも、この中で紹介された歌が11年後に爆発的なヒットを記録するんです。
「知床旅情(作詞、作曲−森繁さん)」ですね。加藤登紀子さんが歌ってましたよね。
余談ですが(全編、余談ですけど)、この歌、おトキさんの歌詞と森繁さんの歌詞では違います。最後の部分ですか、「わたしを泣かすな 白いカモメよ」とおトキさんは歌い、「わたしを泣かすな 白いカモメを」は森繁さんです。
微妙ですが、この違い、わかるでしょ。主体と客体が逆転してるでしょ。
面白いのは山本周五郎さんとの出会いです。
大衆小説の神様ですよ、この人は。「さぶ」「あおべか物語」「あすなろ」・・・いろいろありますよ。つねに弱い人の味方で優しい眼差し。これが山本周五郎の特色ですね。
黒澤映画では3本ありますよ。知ってます?
「椿三十郎」「赤ひげ」、そして「どですかでん」です。
「どですかでん」の三波伸介は良かったね。貧乏のどん底なのに、妙に明るくて、自分の子どもじゃない子どもばかり、たくさん育ててんの。貞操観念がまったくない奥さんですからね。
で、子どもが「ボク、お父ちゃんの子じゃないって、みんな言ってるよ」って聞かれると、「そんなことないよ。一緒に暮らしてるんだもん。こんなに仲がいいのに、親子だろう?」って答えるんですね。で、子どももそれで納得してしまいます。
社会の底辺で強く生きてる人間にスポットライトを浴びせた作品です。悲しいけど、楽しい映画です。
ところで、この人、わたしと家が近いんです。著作権を引き継いでいるご子息とはスポーツクラブが一緒です。
「この人、なんの仕事してるんかなぁ、いつも暇だなぁ」と思ってたら、働く必要ないもんね。山本周五郎といえば、いまだに全集が復刻版だなんだかんだと出されてますから、印税ガッポガッポでしょ。
で、山本周五郎ですが、この人は、お金に恬淡としてましてね。自分の映画だろうとなんだろうと、「自腹で払ってから観る」といって聞かない人なんですね。それは芝居でも、料亭の女将とかなんだかんだとチケットを頼まれると、すべて自腹で取り寄せるんです。だから、原作料なんてすぐに飛んじゃうわけ。
でも、「それでいい。食べていければそれでいい」って主義なんですよ。
優しい人です。たいていの無理難題は了解してくれました。
宣伝のために書いてもらった原稿料なんて、いらないと受け取らなかったほどです。
でも、こんな優しい人を著者は怒らせてしまいます。
帝国劇場のこけら落としに彼の「もののけ」という作品を舞台化することになったんですが、これ、ちょっと変なタイトルでしょ。「もののけ姫」じゃないんだから。かりにも帝国劇場の第一回目の作品なんで、縁起のいいタイトルにしたかったわけ。
で、「白銀(しろがね)の糸」って名前にしたんだけど、これが原作者の了解をとってなかった。ホントは著者の責任じゃなくて、プロデューサーが悪いんだけど、スコーンと抜けてたわけですよ。
で、降りるってことになったわけです。
最後の最後、開催前日になって許してもらえたんですけどね。
山本周五郎といえば、尾崎士郎(「人生劇場」の著者)から「曲軒」といわれたほどの変わり者。こうといったら、テコでも動かない頑固者で通ってたんです。
だから、優しいだけの人じゃないわけ。筋が通らないことは大嫌いってことなんですね。
ほかにも、東宝が世界ではじめて舞台化に成功した「風とともに去りぬ」の裏話。落語協会が四分五裂した裏話。芸人同士の友情や嫉妬。スターのホントの横顔などなど。
裏話がたくさんの貴重な本ですよ。
250円高。