2001年10月15日「フォーカス スクープの裏側」「ボクの音楽武者修行」「やわらかな心を持つ」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「フォーカス スクープの裏側」
 フォーカス編集部編 新潮社 1100円

 これ、おもしろいですよ。
 あのフォーカスの写真とその裏話を記者たちがまとめてます。
 81年にデビューし、20年間フルに話題を提供してくれましたね。なかには、「桶川ストーカー事件」のようにアホでダメな警察を出し抜いて、犯人を捕らえた記者魂は賞賛ものでんがな。
 掲載されてる事件は、ホテルニュージャパン、角栄法廷写真、高部知子のニャンニャン写真、日航機御巣鷹山墜落とか、時代を代表するものばかりです。
 そんなスクープに関してのは裏話が最高におもしろいんです。
 たとえば、スクープのために無線が必要だ、と記者全員がハム試験を受けるんです。4日間、必死に研修を受けるんです。しかも、これ、準備だけで2年もかけてチャレンジしてるんですね。
 で、その甲斐あって、無線機はあちこちの事件で活躍します。
 阪神大震災がそうでしょ。電話使えませんモノね。それから、雲仙普賢岳の火砕流もそうだしね。ほかにも、超小型ビデオカメラを業者に開発させて、張り込んだり。もう探偵かボンド顔負けの活躍振りです。
 
 ところで雲仙普賢岳でカメラマンが亡くなりました。黒こげになった腕時計はテレビでも報道されてましたし、最近の番組でも取りあげられてました。
 因果な商売というか、プロとしての本能なんでしょうね。
 「効率ばかり求められたら、危険な追っ掛けもアテがないほど長い張り込みもやってらんない」
 たしかにその通りです。

 それにしても、おそるべし、松田聖子だな。詳しくは本文を読んでください。
 200円高。


2 「ボクの音楽武者修行」

 小澤征爾著 新潮文庫 400円

 今年、タングルウッド音楽祭の指導者を降りた小澤さん。
 この本は昭和37年のものです。ということは、「世界のオザワ」がまだ駆け出しの頃ということですね。世界を目指し、ガッツでチャレンジし続ける姿が映画のように見て取れます。ワクワクドキドキしてる彼の息づかいが聞こえてきますよ。
 この人にもこんな時があったんだ。
 それが新鮮でグイグイ惹かれて一気に読んでしまいました。

 小澤さんがどんな軌跡をたどってきたのか。

 指揮をはじめてやってみたのは、成城学園中学のときです。合唱グループがあって母親が敬虔なクリスチャンであるために、賛美歌とか黒人霊歌などを歌ってたんですね。で、そこで指揮してきたんです。
 で、指揮が楽しくてしかたがありません。

 斎藤秀雄先生について指揮法を勉強するために桐朋学園短大に入ります。
 どんな指導を受けたか。
 「指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して、たとえば、物を叩く運動からくる「叩き」とか、手を滑らかに動かす「平均運動」とか、鶏の首がピクピク動くみたいに動かす「直接運動」というように具体に分類する。そのすべてにいつ力を抜き、いつ力を入れるかということを教えてくれた。その指揮上のテクニックはまったく尊いもので、一口で言えば、指揮をしながらいつでも自分の力を自分でコントロールできるということを教わったたわけだ」
 これと同じようなことをシャルル・ミンシュもカラヤンも言ってます。

 この学校の卒業直前に、オーケストラがブリュッセルの万国博覧会音楽コンクールに参加することになったにもかかわらず、資金がたりないために中止になってしまう。
 ならば一人だけでも行こう、と富士重工に掛けあってスクーターを出してもらったり、知人をたどって資金集めをしたりして、とうとう貨物船に乗ってヨーロッパに行くんですね。
 この行動力は若さですね。
 本書のタイトルは彼の一連の行動を見てると、ピッタシカンカンです。こんなにはまるタイトルはありませんよ。
 ヨーロッパに行くと、各国を渡り歩きます。そのあちに、ピアニストの江戸京子さんから、「国際指揮者コンクールがブザンソンであるわよ」と聞きます。
 そのときの彼は、もう指揮がしたくてしたくてしょうがなかったみたいですね。わずかな申込金だけでできるなら、やっちゃおうと早速申し込むんですが、手続きの不備で締め切られた後。
 でも、めげないんですね。なんとか受けさせてくれ、と掛けあうんですよ。そして、その熱意が通って出ます。

 ブザンソンの指揮コンクールというのは、正式なもので世界で唯一なんですね(当時)。各国とも政府が数名の応募者を派遣するなど、国家的に力を入れてるものですから、参加者の顔ぶれも凄いんです。たとえば、オペラ座の指揮者とか、ロンドン・フィルのアシスタント・コンダクターとかもいるわけですよ。
 これは以前、書いたことがありますが、ここの試験はあらかじめ、60人編成の各パートの譜に、赤インクで間違った譜が書き込まれてあるんです。バイオリンが違ってたり、ホルンとトロンボーンの音が入れ替えてあったりですね。都合12カ所の誤りがある。それを5分間で発見して、完全なオーケストラに仕上げなければならないんですね。
 そして、彼はすべてをやり遂げます。
 これで6人まで絞られます。それから、課題曲のスコアを突然渡されて、5分後にさぁ指揮をしろってわけですよ。
 で、彼は優勝しちゃうんですね。これはたいへんなことですよ。

 彼はタングルウッド音楽祭に挑戦します。理由は、尊敬するシャルル・ミュンシュから直接教えを得られるからですね。
 音楽祭で入賞するメリット(彼は一位になりました)というのは、こういう世界の巨匠から個人的レッスンを受けられることなんですね。そこでどんどん技術と哲学を吸い取ってしまう。それがあるからこそ、音楽の世界は生成発展できるわけです。
 残念ながら、日本は音楽家を育てる国ではありませんし国民もそうです。音楽が土着化してないんですね。

 たとえば、ミュンシュからこんなことを勉強しました。
 「ミュンシュはここをああしろとか、あそこをこうしろなどということは全然言わない。ボストンの音楽祭の時(タングルウッド音楽祭のこと)には、オーケストラを使ったレッスンを少し受けたが、その時でも、彼が注意した言葉といえば、「スーブル」「スーブル」と言ったくらいだ。スーブルとはフランス語で、浮き上がるとか、フワフワするとかいう意味だ。要するに、指揮するときに体や手に力を入れてはいけない。手などフワフワさせていればいいのだということらしい。心でしっかりと音楽さえ感じていれば、手は自然に動くものだということである」

 カラヤンからも教わりたい、とベルリンでのコンテストにも参加します。
ここでも、彼は合格します。
 カラヤンからは次のことを勉強しました。
 「カラヤンは教えることに非常に才能があった。睨みはするが、けっして押しつけがましいことは言わず、手の動かし方からはじまってスコアの読み方、音楽の作り方という順序で、ぼくらに説得するように教えた。そしてぼくらの指揮ぶりを見た後では具体的な欠点だけを指摘した。また演奏を盛り上がらせる場合には、演奏家の立場よりむしろ、耳で聞いているお客さんの心理状態になれと言った。方法としては、少しずつ理性的に盛り上げていき、最後の土壇場へ行ったら全精神と肉体をぶつけろ、そうすれば、お客もオーケストラの人たちも、自分自身も満足する」と言ってます。

 小澤さんという人は、ものすごく人の心を読むのがうまい人です。感受性が豊かというか、考える力があるというか。こういう人ですから、つかむポイントもちょっと違うんです。
 その感度のいいアンテナで実に多くのことをつかんでますよ。しかも深く深くです。
 次の言葉なんか、どうでしょうか。

 「誰をいちばん尊敬しているかと聞かれたら、ぼくはバックハウスとフィッシャー・ディースカウと答えるにちがいない。その理由は、この二人は百回演奏会をしても、九十九回までは同じように完璧で、同じように高い音楽で演奏することができるからだ。一口で言えばミスがないともいえるかもしれない。この、百回やって、九十九回までうまくやるということ。ここにいくまでには、ぼくは想像もできないくらい高い芸術性と技術が備わっていなければできないことらしい。
 とくにバックハウスはすごい。
 ぼくはバックハウスのよさを聞かれたら、こういうふうに言いたい。バックハウスはステージに出てくるときに、ぼくが自分の家で茶の間の炬燵にあたりにいくみたいにステージに出てきて、茶の間の炬燵に坐るみたいな気持ちでピアノの前に坐り、炬燵のなかからしゃべりかけるような気持ちで、聞いている人に音楽をしゃべりかける。そして、出てきた音楽というものは、ぼくらのなかに純粋な音楽として染みこんできて、誰でもその音楽に共鳴せずにはいられないような、大きな力をもっている。そういう意味でバックハウスが、ぼくは大好きだ」

 「指揮棒をオーケストラの前でポンと下ろしたとする。ベルリン・フィルハーモニーは、どんな下ろし方をしてもいい。いっしょに音が出る。すばらしいアンサンブルのオーケストラが鳴るだろう。ところが、フランスのオーケストラは、どんなえらい人が指揮しても、一人一人の楽員の音がバラバラに出てくるにちがいない。だから、アンサンブルとしては悪いだろう。いい指揮者の場合には、バラバラのアンサンブルできれいな音がし、悪い指揮者の場合には、まったく同じくバラバラだけれども、ひどいバラバラで、音楽も価値のない音が出てくるにちがいない。
 一方、アメリカのオーケストラは、いい指揮者が棒を下ろせばピタリと合うだろうし、へたな指揮者が下ろせばバラバラに出てくるにちがいない。ヨーロッパのオーケストラのように、自分のオーケストラやその伝統というものに対する誇りが少ないのだということかもしれない」

 「指揮の仕方はいかにも自然で柔軟である。レコードのいい曲を聞いたときに思わず足で拍子をとったりするように、音楽の流れにのって自然に手が動いていくといった指揮ぶりである」
 「なにより柔軟で、鋭敏で、しかもエネルギッシュな身体を作っておくこと。また、音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりで、スコアに向かうこと。それが指揮をする動作を作り、これが言葉以上に的確にオーケストラの人たちには通じるのだ。ぼくが外国に行って各国のオーケストラを指揮して得た経験のうちで、一番貴重なものはこれである」

 この文章は、彼が26歳のときに書いたものです。
 「栴檀は双葉より芳し」ですな。。
 450円ストップ高。


3 「やわらかな心を持つ」
 小澤征爾・広中平祐著 新潮文庫 514円

 これは「ボクの音楽武者修行」発刊から15年後に書いたものです。
 というよりも、話したものです。というよりも、対談したものです。
 このころになると、もう「世界の小澤」ですよ。年齢も42歳の働き盛りですからね。

 対談相手の広中さんは数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞学者です。この広中さんて人はおもしろい人です。
 わたしは数年前には、何回か合って話をするチャンスがたくさんありました。このとき、この本を読んでたらもっといろんなことを話せたと思いますよ。
 残念です。

 実は、前著のなかにも登場してるほど若いころから仲がいいんですよ。
 で、仲良くなって、異国の地アメリカで合った。異国ってのは、日本人でも開放的になるし、また同胞の魅力を感じるし、また、すぐに仲良くなってしまうところがありますね。

 本書の内容をズバリ一言でいうと、広中さんは数学とか科学の世界からの視点で芸術を語り、小澤さんは音楽の世界から科学を語る、ってなところでしょうか。

 論理の塊みたいな数学の天才がこんなことを言ってます。
 論理的にしょうしょうインチキしてもイマジネーションを与えるってことは魅力的だ、ってね。
 たしかにそうですよね。

 論理、論理とロジカルシンキングがものはやされてますけど(わたしもそんな本を書きましたが)、これは愚かなことなんです。
 極論しますが、実は二流なんだ、ということの証左なんですよ。
 なぜなら、天才は直感で本質をつかんでしまうからです。1秒もかかりません。
 かたや、論理の積み重ね、データの積み重ねでアプローチしないと正解までたどり着けない。かたや、一瞬に正解を見破ってしまう。
 では、ロジックはいつ必要なのか。
 それは仮説を検証するときですね。まず仮説ありき、です。その仮説をどうとらえるかですが、直感で目処がつけられないようではプロじゃありません。コンルタントを上手に活用してる経営者って、実はすでに自分なりに仮説をもってるんですね。で、「これ、どう思う?」「どうしたらいい?」と聞いて、自分と合ってれば、「よし、よし」と考え、違ってれば、どうしてだろうと納得するまで考えてみる。つまり、頭の中で「直感」と「論理」のすり合わせをしてるんですな。
 アホな経営者は、このとき、自分で考えることを放棄して、高額のコンサルティング料金を取る人たちの論理をありがたく拝聴するんです。そして失敗すると、「マネジメント力がないんだ」なんて怒られて、しょげるんですね。
 ロジカルシンキングというのは、愚か者がなんとか二流の人材にはい上がるために必要な武器なんです。それほど、ありがたがる代物ではありません。

 もっと詳しく解説しましょうか。
 ある法則を用意し、ありとあらゆるデータを調べる。そうすれば、未来が予測できるって考え方があります。
 経済予測なんてものはこれです。いまの状態がきちんとわかれば、未来もわかるってことですね。
 でも、この発想のベースにあるのは、条件が一切変わらないということですよ。それにデータ以外に影響を与える要素はまったくない、ということを前提にした議論ですね。
 ところが、現実はどうか。
 テロ一発で株価は暴落するわけですよ。橋本が勝てずに小泉が総裁選で勝つわけですよ。それに、複雑怪奇。こんな情報時代に、なにがどう影響を与えるかなんてことは、だれにもわかりません。
 これが「カタストロフィの発想」です。

 うーんと覚えて、うーんと忘れる。
 素晴らしいって感じたことは忘れようにも忘れられない。つまんないことは覚えてろったって忘れてしまう。
 でも、その過程で人は判断力、創造力を磨くんです。覚えて、忘れて、思い出すとき、人間は必ず考えます。考えることがいちばん大切なんですね。
 覚えることも忘れることもなければ、考えることもありません。
 孔子も言ってるじゃないですか。
 「思いて学ばざるはくらし、学びて思わざるは危うし」ってね。あれ、逆だっけ?

 「学生に問題を与えてもね。その問題、1年くらいで解けますか、なんて聞いたりするやつがいるよね。こういうのは小賢しいやつだ。なかなか物知りで頭のいい学生にもそんなのがいるけと、そういうやつって伸びないんだよね。
 問題を与えられたら、それが役に立とうが立つまいが知ったこっちゃない。とにかく、その問題に惚れこんじゃう。そういうやつが将来、ほんとうにいい仕事をするね」

 「アインシュタインっていう人は、最後まで後進の物理学者に論争を仕掛けて、完敗するまでなかなか譲らなかった」らしいです。日本でよくある学会ボスなどにはならないんですね。
 これは外国、とくにアメリカではそうですね。
 ニュートンはイギリスの王立科学院院長として晩年、ものすごいボスになってしまいました。これが嫌らしいですね。そして、淋しく死んでいきます。葬式にはたった2人しか来なかったらしいです。
 でも、逆に考えれば、アメリカは若い学者にはいい国ですが、年寄りの学者には厳しい国です。過去の遺産で威張れないからですね。
 「老兵はただ去るのみ」ってのは、すべてに当てはまるんです。
 250円高。