2001年09月17日「世界標準で生きられますか」「新聞・テレビはどこまで病んでいるか」「ホストの世界」
1 「世界標準で生きられますか」
竹中さんは小泉内閣のメダマです。経済政策、金融政策に積極的に意見、提案を出してますね。
その彼が2年前に同じ慶應大学の阿川さん(阿川弘之さんの子息、アメリカの弁護士資格を持つ)と対談したものです。
本書の良さは、竹中さんの持論のみならず、ちょっと裏話的にどうして経済学を志したのか、高校時代の思い出まで語っているところにあります。
「日本は問題を解決するリソース、資源を持っている数少ない国ではないか。貯蓄があって、お金があって、人材がいて、少なくとも法律の上では基盤は揃っていて、なんでもできるはずなのにやっていない」
これは外国の要人から指摘されたことです。
かつて、日本には梶山静六という政治家がいました。
「凡人(小渕恵三さん)、軍人、変人(小泉さん)」と田中真紀子さんに揶揄されたときの軍人が梶山さんでした。
彼はハードランディングしかない、潰すべきものは潰すしか無いんだと指摘して、強引に外科治療を施そうとしました。
歴史に「もし」は禁物ですが、もし、あのとき、彼が首相になってガンガンやっていたら、いまの日本の体たらくはなかったでしょうね。
この梶山さんが面白いことを言ってますよ。
「自民党は都市自民党と農村自民党に分かれる」という指摘です。
たしかにいまは、小泉旋風のおかげで、自民党がなんとか勝てました。でも、これからどうなるかはわかりません。というよりも、傾向としては梶山さんの指摘通りに推移していますよ。
「民主党は組合。だけど、菅直人さんがいるから都会的に感じるだけ。自民党はもともと政策集団ではない。政策が何かは問わない。だから野党案丸飲み、社会党左派と連立を組むことも厭わない。彼らはただ与党でいたい、権力を保持していたいという集団だ」という竹中さんの指摘も納得できますね。
ところで、竹中さんは和歌山の高校から一橋大学に入ります。そして経済学を学びます。
これは当時、東京教育大出身のK先生(倫理社会担当)からのアドバイスというか刺激が根底にありますね。
彼は友人と一緒にいつもコーラとおかきをもって宿直室に出向いたそうです。そして、この先生の話に真剣に耳を傾けます。そのなかに、「大学に行ける人はいけない人の分まで頑張る気持ちで勉強しないといけない」というものがありました。
で、この言葉は若い彼の感性をものすごく刺激するんですね。ちょうど、学園紛争で東大の入試が中止になり、喜んで一橋に行きます。
就職は、日本開発銀行です。その理由は、「役人にだけはなりたくなかった」、それに設備投資研究所には当時、下村治さんというエコノミストがいたからです。ペエペエの彼にとっては雲の上の人ですが、遠くからでも眺めていれば、何か勉強できるのではないかと思うほどの人でした。
この下村さんは池田勇人内閣の指南役でしたね。つまり、所得倍増論の論理的バックボーンになった人ですよね。
彼曰く、「下村さんは一つの点を見ただけでその裏から宇宙空間全体を理解できる人だ」とのこと。これはたいへんな人ですよ。
彼はここでいろんな人と出会います。
そのなかには、佐貫利雄さん(帝京大教授)もいます。わたしもお会いしたことが何回もあります。
この佐貫さんは当時、福田赳夫さんが唱えていた「日本機関車論」「7%成長論」に対して、敢然と「そんなことは実現できっこない」という論調を張っていました。
ところがこのとき、くだらぬ人間はどこにでもいるようで、大蔵省から圧力がかかります。すると社内でその声に呼応して、「おまえ、大蔵省が文句を言ってきたから辞表を書け」という役員(大蔵省出身の小役人)が出てきたんですね。
こういう組織の中では肩をいからせているのに、大蔵省からクレームがつくとほいほい迎合するような人間もいれば、佐貫さんのように、竹中さんが後日、ハーバードに留学するや、エズラ・ボーゲル教授のところにあいさつに行くと、「いらっしゃい。お待ちしてました。ところで、佐貫さんは元気ですか?」と世界的に人脈を持った学者もいるんです。
つまり、組織の中でしか権力を示せない人もいれば、組織の外でもだれもが力を認めてくれる人もいるってことです。
タイトルにある「世界標準で生きる」というのは、この組織で幅を利かせるのではなく、どこでも生きられる能力というものなんですね、きっと。
200高。
2 「新聞・テレビはどこまで病んでいるか」
稲垣武著 小学館文庫 500円
わたしは朝4時過ぎに日本テレビのニュースから始まって、NHKの5時のニュース、それからざっと全テレビ局のニュース番組をチェックしてますけど、まぁ、見事なくらいどこもかしこもまったく同じネタですね。
記者クラブが同じ、外信が同じでは、出てくるものは同じに決まってますわな。
これは新聞でも同じで、せいぜい違うのは社説くらい。まっ、大陸、朝鮮半島のニュースで朝日と産経ががらり違うという点を除けば、あといくつあるのか疑問です。
著者はこれを「横並び」と指摘してますが、たしかにそうでしょう。
記者クラブは互助会で、「特ダネを取らせないように相互に監視するシステムで、他社の記者がしばらく顔を見せないとみんなで探す。そして、特ダネでもものすると、取材対象になぜ一社にだけ話したかとみんなでつるし上げる」ってんですから、こんな連中に何ができるんですかね。
朝日新聞出身の著者は、朝日の偏向について苦言を呈してます。
「朝鮮大学の学生が若い女性を集団暴行した際でも、見出しでその名称を謳わない。これが慶應大学や中央大学という日本の大学だと、鬼の首を取ったかのように大きく打ち出す」というわけです。
「三国人発言」のときも反石原キャンペーンに狂奔したのは朝日です。
中国では文化大革命のときに、日本のメディアは次から次へと追放され、朝日だけが詫び状を出すことで唯一残りました。特派員の秋岡家栄記者は中国べったりの報道を続け、林彪事件ですら否定するという一大汚点を作ります。
著者はこのとき、大阪本社で編集に携わっていたんですが、この人の記事には泣かされたといいます。
「やたら長ったらしいだけで、内容空疎、歯の浮くような中国礼賛の羅列。だから、見出しが取れない。強いて取ろうとすると、人民日報のように中国の機関紙になってしまう。本来なら、こんな記事はボツにすべきだが、デスクは秋岡電を使え」と言う。内容はどうあれ、自社の特派員の記事を優先せよという日本の新聞社の伝統的な慣習なのだそうだ。
新聞社、通信社にとっていちばん痛いのは、特派員追放です。
ときの政府についする批判記事など書こうものなら、すぐにクレームをつけてくる。ところがそれに対して、日本の新聞社は腰が引いているため、唯々諾々と記者の追放を認めるばかりか、なにかと代わりの特派員を認めてもらおうと工作に専念します。
で、追放された特派員は冷や飯を食うんですね。
たとえば、朝日の木村明生記者(現在、青山学院教授)など、モスクワ特派員時代、朝日としては異色の、冷静で客観的なソ連報道を続けていたのですが、これはもちろん当局にとっては目障り。そこで、ソ連の一等書記官(実はKGB大佐)が朝日新聞社東京本社を訪れ、「貴社が自発的に更迭しなければ、国外追放の措置を取る」と脅迫します。
それで希望通りに更迭するや、それから彼は10年間というもの、1行の記事も書かせてもらえなかったというんですからたいへんですね。
それに対して、「ロンドン・タイムズ」のボナビアという記者は、ソ連の反体制運動内部に強力な情報源を持ち、数々の特ダネをものにしましたが、彼もまた、当局には煙たい存在でした。そこで木村記者同様、国外追放されるんですが、このとき、ロンドン・タイムズの社長はヒースロー空港に彼を出迎えて労をねぎらった上で、抗議の意味でモスクワへの特派員を派遣しなかったんです。
すると半年後、ソ連のほうから頭を下げて特派員を派遣してほしい、と要請するんですね。
以前、某新聞社の編集委員がわたしに、当時、NTTの前身である電電公社の「広報部長を紹介してやる」ってえらそうに言うわけ。
当時、20代のわたしは、それでも、「はい、お願いします」と腰を低く対応してたんだけど、「きみなんか会えないVIPだよ」と威張り腐るのにキレて、「じゃ、ボクの知り合いもいるんで、そこに行きましょうか」と彼を連れて行ったのが、常務理事のところ(NTTになってしばらく後に社長になりました)。
ホントに大人げないの。だって、自分が偉いわけではなくて、たんに「偉い人(しかも社内の位置づけだけの話)を知ってる」ってことだけでしょ。でも、当時、わたしも高慢知己だったから、そんなことをして遊んでたわけですが、いまから思えば、つまらないことをしたものです。
多かれ少なかれ、新聞記者にはこんなところがあります。
また、かつて東大卒のエリート銀行員(管理職)が、妻がお産で入院中に知的障害を持つ2歳11ヵ月の次女を「ベビーベッドに10日間も閉じこめて食べ物も与えず、餓死させた」とこぞって報じたことがありました。
「血も涙もない鬼のような父親」と書かれたんですね。
ところが裁判で、この次女は10日間昏睡状態だったこと、また水分や食物を与えても吐き出すという拒食症状を起こしていたことが判明します。
同情すべき余地は多分にあったわけですよ。
でも、マスコミによって鬼畜に仕立て上げられた彼は、執行猶予5年の判決を受けた帰途、電車に飛び込んで自殺してしまいます。
これも、警察の取り調べ内容だけで予断を鵜呑みにして書いてしまったせいですね。つまりは、記者クラブですよ。横着して正確な情報を取らずに、勝手に書くからこうなるわけ。
下には強いけど、上には弱い。
「名誉毀損された」と訴えても、新聞社は個人に対してはものすごく強いです。逆にいえば、団体、組織のクレームに対してはものすごく弱いというわけです。
「オウム真理教のインチキぶりを初期に批判した西日本新聞は訴訟を起こされ、バカな裁判官のおかげで敗訴した。そのため、他紙はすくみ上がって批判記事を書かなくなった。触らぬ神に祟りなしを決め込んだ。それから怖いものなしに、東京の地下鉄でサリンガスによる大量無差別殺人テロにまで暴走してしまった」
日本では商業新聞と揶揄されることも少なく、ある程度、信用されているのが新聞ですね(テレビはまだまだダメです)。だから、「第4権力」と言われるわけですが、記者としての技術以上に、人間としての見識を求めなければいけないんですが、どうも無理ですね。
諸外国では、若手で記事を書くことは少ないんです。かなりの年輩のジャーナリストがまだまだ現役でがんばってます。これは老害ではなく、酸いも甘いもかみ分けることのできる人間通でないとホントはできない仕事だからです。
どれだけうまい文章が書けるかではなく、どれだけ見識があるかどうかが問われるわけです。
150円高。
3 「ホストの世界」
沢村拓也著 河出書房新社 1200円
この本は、元もと、「西鉄バスジャック事件」の犯人が書き込みをしていたことでも有名な日本最大の書き込みサイト「2ちゃんねる」に書き込んでいたものがベースです。
版元の編集者が見てたらしく、それが縁で出版化されることになりました。
目利きですね。これはよくできてます。
文章も読みやすく、あっという間に楽しませてもらいました。
これは売れるな。映画かテレビになるかもしれませんな。
ホストというのは、ものの本によれば、たいてい暴走族や少年院出身者が多いと聞いてます。でも、この著者はちょっと違います。
20歳のとき、大学の友人からこんなことを頼まれました。
「頼むよ。バイト先の社長から頼まれてさ。1週間以内に1人連れてこないとクビになっちゃうんだ。3日で辞めてもいい、って言ってるんだ。A君に頼もうと思ったら、あいつ故郷に帰ってるんだよ、いま。だから、おまえしかいないんだ」
で、仕方なくつき合ってやります。ところが、3日でハマるんですね。天職になってしまいます。
最初の縁は小さな小さな選択ですね。でも、あとから考えるとたいへんな影響なんです。
大学時代はずっとホストをします。でも、一応、公務員試験に合格して役所に入る。けれど、3日で飽きます。でも、なんとか3年間は勤めます。
結局は、役所を辞めてホスト専属になります。親からはホントに除籍されてしまいます。けど、天職でがんばる。
夜の世界は昼間の常識や良識は通用しません。男と女の化かし合い、人間同士の欲望のぶつかり合いです。
それだけにホストの世界は人間の奥底が見え隠れします。
著者曰く、「ホストは変わり者だらけ」。
たしかにそうでしょうね。95%は転職組であり、「朝、起きられない」「会社の人間関係がダメ」など、どこかに大きな穴を持っています。
でも、たとえ前科があろうと、前歴は一切問われません。履歴書がウソ八百でも、仕事ができれば勝ち。先輩、後輩も無関係。相撲取りと同じく、星の数がすべてを制するわけです。
ただ、雇う方は15〜30分の面接で「最低限の礼儀と敬語」、それに「やる気」だけを見て採用するかどうか決めるんですね。しかも、この世界には教えて育てるということなんてありません。「見て盗む」という職人気質なんですね。
どちらかというと、漫才師の世界がいちばん近いかもしれませんな。
ホストは売れっ子になればなるほど、チームを動かす力がないと仕事になりません。自分の子分をどんどん作らないとダメなんです。
なぜなら、売れっ子はどうしても指名が多い。となると、お客さんが一時期に重なることも少なくありません。そういうとき、ヘルプ(後輩などのサポート役)に少し任せて、あっちのテーブル、こっちのテーブルと忙しく動き回るわけです。とても1人ですべてをフォローすることなんてできませんね。
だから、普段の面倒見がものをいうわけですよ。
ホストに大切なものは、1にマメさ、2に気遣い、3に勘の良さです。
ホストは多き次の3種類に分類されます。
1(店を持ちたいといった)目的意識をもって働いている。
2たんに給料をもらうために働いている。
3「いい女」を個人的にゲットするために働いている。
これらの比率は2:6:2だそうです。ただし、1の目的意識にしてもはなからあるわけではなく、業界に入って「通用している自分」を発見して、結果として目標になるものなんですね。
現実的には、人並みに食べていけるのは上位3割くらいだそうで、あとはバイトの掛け持ちをしたり、落ちこぼれていくんですな。
しかも、あくまでも「時価」でしか評価されませんから、「むかしはこんなに儲けてやったんだ」というホストでも、打率、打点が悪くなれば、あっさりクビです。ここには温情も同情もありません。
ホストの殺し文句は「おまえは特別だ」という言葉です。
「おまえは特別なんだから、そんな無理は言うなよ」
「おまえは特別なんだから、もっと売上に協力してくれよ」
「おまえは特別なんだから、ほかの客みたいにうるさいこと言うなよ」
これで、たいていの女性客は納得するそうです。まったく意味不明でしょ、考えてみれば。でも、これで「はい、はい、わかりました」とうっとりするんだそうです。
なんと便利な言葉ではないですか。
ただし、早速、わたしも家内に使ってみたんですが、「特別だったら、もっと大事にしなさいよ。えっ、どうなの!」とかえってやぶ蛇になってしまいましたから、どうも相手を間違えると逆効果になるようです。ものごとは、TPOが大切です。この場合のPはplaceではなくpersonの意味ですね。
これはホストを手玉に取るような遊び慣れてる女性客にも当てはまります。
彼女たちの殺し文句は「あなただけよ」です。
この世界は疑似恋愛なんですね。ですから、あいさつは「愛してる」「好きだよ」という言葉です。でも、これがときどき錯覚してしまうわけですよ。で、本気になる。
プロたるべきホストもクラクラっと魔が差す。で、勘違いするわけですね。
「どう、オレの本命にならないか?」
「ゴメン。勘違いさせちゃった? そんな気、ぜんぜんないの」
とくに金持ちの有閑マダムとか女性経営者など、ホストをたんなる欲望処理の対象にしか考えていない人が少なくありません。ですから、ある一線をきちんと把握しないと物笑いのタネになるんです。
実際、「この前、あの子ったらね。こんなこと言うのよ・・」と酒の席の肴にされちゃうんですね。
疑似恋愛と言えば、ホストクラブにとって超お得意さんは風俗嬢です。
彼女たちも似たような仕事ですよ。体を張って稼いでいるわけで、わたしとも相通ずる仕事をしてます。
でも、彼女たちがたいへんなのは、嫌な客でも嫌といえないところですね。
しかも、故郷や地元ではなかなか風俗で働いてるなんて言えません。だから、単身赴任みたいにして働いてるんです。で、大切なお金をバカみたいに湯水のように遣ってしまうのは、淋しいからにほかなりません。
だって、友だちがいないんだもの。店をしょっちゅう替わる。知人もいない。ホストクラブは金さえ払えば、「お友だち」になれる。だから、ハマッたフリして何度も来るんです。「笑うセールスマン」や新興宗教にのめり込む余地がたくさんあるんですね。
そういえば、風俗嬢ってペット飼ってる人多いですね(知人がいるわけではありませんが、テレビに出てくる女性はたいていペット飼ってますもんね)。
業界を生き抜くための哲学は、「貧乏な藤原紀香より金持ちの野村沙知代」だそうです。
これは言い得て妙ですな。つまり、ブスを大切にしろってことです。ホストにはどこか芸人気質のようなものがあります。つまり、喜んでもらってナンボですから、普段からチヤホヤされ慣れてる美人よりも、接客を素直に喜んでくれるブスが可愛いんです。
でも、そのブスとは金払いのいいブスってことですよ。たんなるブスは彼らにとって無価値なんです。
100円高。