2001年08月27日「失敗を絶対成功に変える技術」「小泉純一郎と特定郵便局長との闘い」「なぜか私がアメリカで英語教師」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「失敗を絶対成功に変える技術」

 畑村洋太郎・和田秀樹著 アスキー 1500円

 和田さんは精神科医、畑村さんは東大名誉教授。その2人の対談ですね。
 で、テーマは「失敗学」について。
 畑村さんがそのものズバリ「失敗学」(講談社)というベストセラーを出しています。いつだったか、本欄でもご紹介したと思います。
 この先生、ものすごく豪快な人なんです。身体も声も大きくて、ヒマラヤ山脈みたいな人ですよ。
 東大出てから日立製作所に入り、また大学に戻ったわけで、設計理論の分野では第一人者なんですね。設計理論の本を日刊工業新聞社から何冊も出し、それらも静かに売れてきました。
 ところで、技術の世界は実験が命ですね。
 実験はトライアル・アンド・エラーが常識です。失敗はもちろん多い。でも、失敗があればこそ前に進むというのが技術の世界ですね。

 で、そのテーマでど素人向けに講演したときに講談社の編集者がいたらしいんです。
 「それ、おもしろいですね。本にしましょ」
 こういうわけで「失敗学」というベストセラーが生まれたわけです。

 実は、この話、畑村さんから伺ったんです。
 畑村さんと出会ったきっかけは、いちおう母校でもある早大の院生相手にした講義なんです。で、そのまま、「理工系企業リーダー養成プログラム」(中澤弘名誉教授主宰)の講師を引き続き引き受けてるんですね。ここには10人くらい講師がいるんですが、みんな早大以外の出身者なんです。おもしろいでしょ。
 で、ここでわたしの対面に座っていたのが畑村先生だったというわけです。

 「失敗は成功の元」といいますが、これはステレオタイプの見方です。 実際は「失敗は失敗の元」のほうが多いんです。
 でも、よい失敗もあれば悪い失敗もあります。つまり、失敗をよい失敗にするか、悪い失敗にするかは、その人や組織の心がけ次第なんです。
 なにしろ、あなただって経験や知識を獲得していくプロセスで、絶対に避けられない失敗をしてしまうこともありますよ。チャレンジするときって、何が起こるかわからないんですから、失敗するに決まってるんです。でも、そこは勇気を出してやらなければ何もはじまりません。
 
 さて、1950年代に世界初のジェット旅客機として就航したコメットというイギリスの飛行機が相次いで墜落したことがあります。
 原因は金属疲労でした。
 本来、あってはいけないことだけれども起きてしまったんです。
 でも、事故の原因を徹底的に究明することで金属疲労の仕組みが新たに発見され、それが次世代飛行機の開発に大きく活かすことができました。
 これは失敗を教訓として活かしたケースですね。

 よく失敗を繰り返す人がいます。
 これは反省が足りないというか、目の前の問題点を平然と無視したり、メタ認知がまったく機能しなかったりするんですね。
 メタ認知というのは、複雑な問題に直面したときに、いきなり解決しようとするのではなく、問題解決のために自分がどれだけ知識や技術があるか、解決への推論が間違ってないかどうかをモニタリングしたりすることです。
 ただし、ここで気をつけたいことは、なまじ知識があるとそれに縛られて発想がワンパターン化してしまうことがあります。「知らないこと」「机上でしか知らないこと」については、「間違ってるかもしれない」「ほかのことも研究してみよう」と謙虚になるけれども、自分が経験し、さらにそれでうまくいったりしたノウハウは絶対に正しいんだ、と思いこんでいるだけにちょっとやそっとでは換えられません。

 JALのニアミス事件でのことです。
 このとき、機長は警察の事情聴取に非協力的だったんです。というのも、自分のミスでもないのに容疑者扱いされてガンガン取り調べられたからですね。
 船や飛行機では、緊急時に左右上下どちらによけるかということは決まってるんです。
 でも、このときの管制塔はミスジャッジをして間違った指示を出してしまいました。けれども、機長は管制塔の指示を最後には無視して事故を回避したんです。
 これはコックピットを預かる者としてはルール違反です。
 だから、そのことを取りあげて警察は攻撃したんです。でも、「管制官のほうが間違ってる」と判断して無視したんです。そして数百名の乗客の生命を救ったんです。

 同じトラブルが94年に名古屋空港でありました。中華航空の大事故ですね。
 これはJALのニアミスとは異なっていました。
 ILSという計器着陸装置に任せて夜間アプローチをしていると、まったく予想もしてなかった「着陸やり直しモード」に機体が入っていたんです。で、これをパイロットが解除できずに発生した、というのが真相ですね。
 このときは、機械に依存したシステムのおかげで262名の死者が出ました。
 異変に気づいたパイロットと機械が争って、最終的には機械の判断が優先されるシステムになっていたから事故に結びついたというわけです。

 決定的なダメージを受けるような失敗を起こさないためには、予兆を見逃さないことが大事です。これは失敗の予見だけではなく、ヒット商品の開発、ニュービジネスの開発にも求められるものかもしれません。
 ということは、予兆を感じ取れるだけの感性があるかどうかにかかってるということです。
 でも、アンテナを持ってないならそもそもできません。パニックに落ちたときに感性云々という機能が働くかどうかものすごく疑問ですね。
 
 「失敗は起こしてはいけない」という建前論から早く脱却して、「失敗はあって当然」という現実的な路線に切り替えることが重要ですね。仕事のなかに失敗は当然だというプログラムをインストールしておきましょうよ。
 100円高。


2 「小泉純一郎と特定郵便局長との闘い」

 世川行介著 エール出版 1500円

 この版元の本は「○○残酷物語」というような告発ものしか知らなかったんですが、とかく噂の特定郵便局についての本なので取り寄せてみました。ずっと放ったらかしのままでホコリがかぶっていたんです。
 でも、これは力作です。あっという間に読んでしまいました。「なるほど、そういうことだったのか」と文藝春秋の特集でも読んでいるかのような錯覚にとらわれてしまいましたよ。

 8月24日の朝日新聞に「特定郵便局 渡切費2003年廃止」という見出しが出ましたね。
 特定郵便局というのは全国に18000もあり、これは自民党で圧倒的な圧力団体なんです。先の参議院選挙で多数の違反者を出したことでも知られます。
 もちろん、彼らは身分は国家公務員ですから、大っぴらに政治活動はできません。それをした馬鹿者だけがとっつかまったわけです。ふつう、奥さんとか父親、母親が代わりに政治活動するんですよ。
 で、渡切費というのはこの特定局長が自分の裁量で自由に使えるお金のことで、年間900億円もあります。それが郵政公社設立時に廃止になるってわけです。

 本文に入る前にちょっと脱線します(いつものことですが)。
 わたしが小中学のとき、PTA会長をしていた人はいつも郵便局長さんでした。同級生の安藤君のオヤジなんです。彼のところは大規模な郵便局ではなく、大きくもなく小さくもなく1階建ての普通の郵便局ですね。もちろん、自宅が裏にありました。
 「熱心だな。よくやるな」とつくづく思ってたんです。だって、彼のところは兄貴もいるから、小中一貫して12年間もPTA会長してるんですよ。当時もいまもPTAの役員なんかだれもしたくないでしょ。でも、いつも立候補して頑張ってたんですね。
 実はこの本を読んではじめて知ったんですが、戦後、彼らは組織の生き残りを賭けて、こういったボランティア活動を通じて地域社会に影響力を持つことに力を注いでたんですね。チーイモ知りませんでした。

 では、本文に入ります。
 特定郵便局長というのは、金のなかった明治政府が地元の名士たちに頼み込んで就任してもらった役職なんですね。
 金がないから、郵便局を開設するための資材や運営費なども彼らのポケットマネーにすべて依存してました。一応、「給与」みたいのはあったんですが、そんなものは地元の名士にとっては何の魅力もありません。完全に持ち出しなんですよ。
 でも、このおかげで前島密の郵便制度は全国に普及します。

 特定郵便局というのは、元々はフルコミッションセールスでした。建物は私有、経費も局長もち、ですから、世襲で転勤はありません。
 それが制度改革で、国家公務員になったとたん、兼職禁止になります。記録によると、1800人もの人が議員、教員、教育委員といった兼職を辞めたんですね。で、彼らの収入は激減します。

 そんな履歴を持った彼らですが、戦争でガラリと変わります。
 1950年、特定郵便局長会はGHQによって戦争協力団体に指定され、解散に追い込まれてしまうんですね。
 日本が独立すると、彼らは何度か復活しようと試みますが、労働組合「全逓」に邪魔されて実現できません。もちろん郵政省の官僚は日和見ですから、あえて鬼の動労、閻魔の全逓に逆らう気などありません。八方美人で高みの見物を決め込んでたんですね。
 やっぱり、自分の命は自分で守るしかありません。
 ようやく、そこに気づいた彼らは政治家に接近します。で、自民党に法案を提出してもらうんですが、これは流れてしまいました。
 10年間、いろいろ頑張ったんですがダメでした。

 それがある政治家の登場でがらりと変わります。
 天才、田中角栄ですね。
 この人が57年に39歳で郵政大臣に就任するや、あっという間に「特定郵便局制度調査会」の設置を閣議決定。そして、翌年には復活させてしまうんですね。
 以来、彼らは田中角栄に義理を返し続け、彼亡き後も旧田中派一本に応援しています。先の自民党総裁選でも、負けを覚悟で橋龍さんに投票してましたよ。

 「自前の議員さえいれば」
 こう、彼らが考えるのも自然の成り行きですね。
 でも、候補者を自分たちの仲間内から出すと、嫉妬や反目があって組織が空中分解するかもしれない。
 「ならば、格好のタマがある」
 そこで目をつけたのが、郵政官僚です。三流半官庁といわれた郵政省の役人にとってみれば、金がかからず、当選間違いなしという「ノーリスク・ハイリターン」のエサを目の前に差し出されれば、「こんなに美味しい話はないぞ」とホイホイ乗ってしまうでしょうね。
 実際、参議院選挙ごとにどんどん当選させます。
 
 郵政官僚にとって、この組織は金づる、票づるですね。
 でも、またスポンサーほどうるさい存在もありません。官僚にとっては、目の上のたんこぶでもあるわけですよ。
 「もっと意のままにできたら、もっと美味しい蜜が味わえる」と考える連中が出てきても不思議ではありません。
 で、実際に現れます。
 なにをやったかというと、「組織はそのままにして、構成員を入れ替えてしまおう」と考えたんですね。どんどん一般郵政職員を特定郵便局長に任命しちゃうんです。なかには、反目してきた全逓の組合員まで狩り出します。
 ここらへんがやっぱり三流半の人間が考えることです。
 いま、18000人のなかで3代以上続いた特定郵便局長は全体の4割しかいません。
 あとは腰掛け局長になってしまいましたから、地域社会から一目置かれるような活動などできるわけがありませんし、しようとすら思わないでしょうね。骨の髄まで公務員体質なんですから。

 ところで、小泉さんは20年間、郵政民営化を叫んできました。
 福田赳夫さんの秘書をしていたことはご存じの通りですが、角福戦争で郵政側についたのが角栄さんで、大蔵側についたのが福田さんでした。また、大平さんとの争いで「天の声にも変な声がある」と福田さんが愚痴をこぼして負けたときも、この特定郵便局長の票がフル動員したわけです。
 この争いをじっと見ていたのが、小泉さんでした。
 彼の「郵政三事業憎し」は怨念そのものなんです。
 250円高。


3 「なぜか私がアメリカで英語教師」
 ターナー裕子著 はまの出版 1500円

 この版元は英語のベストセラーをよく出してます。
 たとえば、「アメリカの子供はどう英語を覚えるか」とか「アメリカンスクールはどう英語を教えているか」といった本がそうですね。
 でも、これはちょっと毛色が違ってます。

 著者はフェリスを出て静岡で1年間教員をしたあと、オクラホマの大学院に留学。帰国後、今度は英語教師を3年間するんですが、アメリカで知り合った男性(ペイペイの軍人)と結婚してまたまた渡米。
 そこから、貧乏のどん底でのはちゃめちゃ劇が繰り広げられます。とくにアメリカはジョージア洲でなんとか潜り込んだ公立高校の教師生活はとんでもないほど辛かった(現在進行形ですが)。で、「はちゃめちゃ教師奮闘記」ってなノリで書かれてます。
 
 この人、アメリカで高校生に英語を教えてるんですね。
 といっても、生徒たちからはわからない英語でからかわれたり大変です。
 それというのも、甲斐性のない男と結婚したのが運のツキだったんですよ。
 なにしろ、軍人というのはピンキリです。エリートコースに乗ってる人もいますが、ほとんどの米兵ははっきり言って落ちこぼれです。だって、好景気に沸いたアメリカで、軍隊に行ってる人間なんて想像しただけでわかるでしょ? だから、沖縄でも事件を起こすレベルの兵隊が出てくるんです。
 だから、当然、給料はものすごく少ないわけ。この男もキリだったんでしょうね。
 彼女が日本で稼いでいたお金でなんとかやりくりしてたんですからね。ホントに甲斐性のない男です(人のことはいえませんが)。

 結婚のために渡米すると、すぐにドイツのフランクフルト行きになります。
 このとき、著者は旦那と離婚することを胸に秘めて帰国するんです。
 ところが、両親から激怒されるわけ。
 両親は学校の先生なんですが、困ってるときは助けてやれっていう主義なんです。しかも、離婚するかどうかグチグチ言ってる著者に匙を投げてるわけ。
 で、しぶしぶドイツに渡ります。

 もちろん、給料は相変わらず雀の涙ですから、アルバイト(これ、ドイツ語ですね)に精を出します。
 軍の中で屋台のホットドッグ屋さんをするんです。フランクフルトでフランクフルトを焼いてたわけです。まっ、ここで最低賃金法で定められてる最低賃金を稼いでたというわけです。
 いい加減、嫌になったころ、軍隊の広報誌で「軍教育センターで試験官募集」っていう広告を発見。どうせダメだろうけど、ホットドック売ってるよりはいいってことで、チャレンジしたら合格。
 ドイツにはどうやら2〜3年いたらしい。「いたらしい」ってのは、この著者、時間の観念がないのか、年月についての記述がほとんどないんです。

 で、またまたアメリカのど田舎に舞い戻ってきます。
 ところが、ペイペイの兵隊さんをしてる旦那が働かない。旦那の親も姉も就職の世話を焼くんですが、彼はいたってマイペース。で、トラック運転士になると突然閃くと、またまた彼女のお金で教習所に通います。この費用のために、フランクフルト焼いて貯めたバイト代も含めて、すべてが吹っ飛びます。
 日本語では、こういうのヒモっていうんじゃなかろうか。

 黙っていても仕事など見つかりませんから、著者は自分で探しに行きます。
 やっとありついたのが、図書館のパートさん。貸し出しとか本の整理といった単純作業ですね。これも最低賃金法のなかの最低賃金でした。

 ところで、アメリカってのはものすごい学歴社会です。学歴によって仕事が峻別されてるんですね。この人、まがりなりにもアメリカで修士号を取ってるんです。でも、それとライセンスは違います。もし、図書館司書みたいな資格があれば、もっといい給料、もっと頭脳的な仕事につけたんですけどね。
 同僚の女性が苦学して大学に合格したと聞いたとき、周囲の人が「あなたも頑張って大学出れば、こんな仕事しないですむんだよ」と耳打ちしてくれたんですが、この人、学士号どころか修士号持ってるんです。

 それで刺激を受けたのか、やっぱり自分の能力を活かす仕事をしようと考えます。
 ホントはもっと早く気づかないといけないんですけど、世の中にはこういうタイプの人が少なくありません。グルッと回り道して、「なーんだ。もっと早くやっとけば良かった。バカみたい」って後悔するタイプです。
 この人がこうなったのは、わたしよーくわかる気がします。
 著者は本の中でまつたく触れてませんでしたけど、この人、孤独で相談できる友だちがいなかったんだと思いますよ。旦那はヒモみたいだから生産的なアドバイスなんかできそうもないし、仕事仲間はみんな単純労働者だしね。自分の学歴さえ秘密にしなければならなかったほど、早い話が周囲にはスタンダード以下の人ばかりだったんだと思います。

 で、著者は教育者になろうって考えるんです。だって、日本では学校の先生してたんだし、修士号も教育学ですしね。
 でも、アメリカは資格が無ければ仕事させてくれませんから、州の資格試験を頑張って受けるんです。合格しても1年間は仕事にありつけませんが、何度も教育委員会に顔を出すうちに、熱意が通じたのか、「ここなら採用してくれるかも」という学校を紹介してくれます。
 ただし、とんでもないほどレベルの低い学校でした。なにしろ、生徒は教科書を持ってきません。遅刻は多い。騒ぎ出すと止まらない。だから、教科書を持ってきただけで加点するようなシステムを作るんですね。遅刻については、アメリカは厳しいですから、毎回、反則切符を切ります。もちろん、授業ごとにです。

 とんでもない生徒ばかりでしたが、彼女は教育のノウハウを1つずつ体得していきます。
 たとえば、居眠りをしてる生徒がいたとき、いきなり教壇から「起きろ!」と叱るのではなく、そっと近寄って机を指の関節でコツコツ軽く叩いて、「どうしましたか? 気分でも悪いんですか?」と聞くんです。
 すると、生徒も人の子。
 「えっ。うんうん、大丈夫です」と少々申し訳なさそうな顔をするんです。
 「敬意を表したしつけの仕方」というワークショツプで知ったノウハウですが、やってみるとたしかに効果があったんですね。

 彼女は日本人、英語を教えているとはいっても英語は現地人(つまりアメリカ人)ほどできるわけはありません。
 それに人種差別もあります。
 ある日のこと、教室にネズミが出たところ、「ターナー先生はネズミを寿司にして食べるんだ」と囃し立てられたりするんですね。
 もし、同じことを教師が生徒にすれば、もうたいへんです。人種差別主義者としてクビになりますよ。
 エピソードはたくさんあります。詳しくは本書をご覧ください。
 地球のあちこちで頑張ってる日本人がいるなぁ、と感じますよ。
 アメリカに行って、この人に会ってみたいなぁ。
 150円高。