2001年08月13日「カリスマ社長の目のつけどころ」「イギリスのいい子と日本のいい子」「十二人の怒れる男」
1 「カリスマ社長の目のつけどころ」
村野まさよし著 小学館文庫 500円
著者は東京と地方との間に横たわる問題(東京は田舎に搾取されてるぞ!)を提起したり、環境に関する実態をルポして世の中に発信し続けているジャーナリストであり、シンクタンクの代表です。
こういう地に足のついた問題提起ができる人ぜひ参議院議員にほしいところです。
さて、本書でいうところのカリスマとは4人の経営者のことです。
登場順にいうと、松本和那(マツモトキヨシ)、渡辺浩二(中央化学)、西川清(パーク24)、岡田和生(アルゼ)の4氏です。最初の2人については自伝を読んでましたので、まったく新しい発見はありませんでしたが、3番目の渡辺さんの会社はおもしろかったです。
とはいえ「ボクは知らないよ」という人のためにもサラッとご紹介しておきましょうかね。
松本さんは自民党の代議士ですよね。いま、弟さんに社長を譲ってます。
ここ数年で急激にメジャーなってきましたが、「なんでも欲しがるマミちゃんは」というCMでもブレイクしましたね。長嶋監督なんか、「なんでも欲しがるチョーさん」としばらく言われてました。
ところで、彼の経営感覚は「客の抵抗感をすべて取り除く」というノウハウの徹底ですね。
たとえば、目で見ただけでは40パーセントしか購入しない。でも手に触らせれば70〜80パーセントが買う。だから、スーパーのセルフサービスにオープンディスプレイを導入し、さらにショーケースから商品を取り出してカゴに無造作に陳列するという方法を取りました。こうすれば、高級品に抵抗感を覚えるお客さんも、「あれ、こんなところに」と身近に感じますもんね。
これはユニクロと同じアプローチですね。
ユニクロは本屋さんのような店作りを目指しました。つまり、店員が寄ってこない。ほしいものが見つからなければ、そのままパスできるような方式ですね。
マツモトキヨシはさらに一歩進めて、触らせるだけ出はなくて、実際に使わせる。使いたい放題の化粧品のテスティングコーナーを開発します。
そこでは、資生堂やカネボウなどの化粧品メーカーの300種類もの商品が置かれているんですね。これだけあっても、やっぱり高校生に人気の的となる商品は限られてきます。つまり、どれが売れ筋になるかが一目瞭然になるんですね。
マーケティングと商品開発が一発でできるアンテナショップになってるわけですね。
いま、600店舗、売上2300億円です。どんどん出店してます。でも、一方で100店舗も閉めてきました。
つまり、逃げ足が早いんですね。
商売でいちばん重要なのは立地です。つまり、消費人口ですね。このポイントが自治体の計画が変わったり、開発計画が変わったりして凍結されたら大変ですよ。だから、そのときに瞬時に手を打てるように、自分で土地を購入しない。すべて、リースにしてるんです。
さて、中央化学といっても、名前は馴染みが少ないと思うけど、ここの商品は毎日、お世話になってるかもしれないな。
ここの商品は「たれびん」といって、スーパーやコンビニで売ってる弁当のなかに半透明の色したプラスチック製の醤油やソースが入ってると思います。このプラスチック容器がそうなんです。
ほかにも、内側がアルミで銀色になってて外側は黒とか赤とか、いろんなデザインが施された容器があります。たとえば、持ち帰り寿司用の寿司桶などがそうだけど、これもこの会社の製品。
これらの商品は燃やしてもダイオキシンを発生させないから、環境にも優しいってわけ。これは電子レンジにも対応できるほど耐熱強化されてる素材でできてます。いま、コンビニで弁当が温められるようになったのはこの商品を使ってるからです。
最初の頃はやっぱり売れなかったんですね。
でも、「こんなビジネスには大企業は参入しないだろう」と踏んで、地道に商売を続けてきたんです。名付けて、「毛細血管販売」。小さな売り先をたくさん作れば動脈のように太いビジネスにしよう、ってなわけですな。
容器のデザインにしたって、金魚、ブタ、ヒョウタンとか、得意先の注文を聞いて作ってたらとうとう数百種類になっちゃった。
セールスにうまく行ったのは、なんといっても、「これを使うと儲かるよ」と取引先に経済的メリットを訴えたことでしょうね。
たとえば、玉子にしても野菜や果物という商品はロスが常に10〜20パーセントはあるんですね。だから、出荷価格の3倍の値段で小売りされてるんですよ。ロスの原因はご存じの通り、出荷から納品までの間に割っちゃったり、どこか傷つけたりね。あるでしょ、そういうの。で、傷ついた野菜は買ってくれません。買ってくれても、二束三文。で、腐りやすいときたもんだ。
もう踏んだり蹴ったりですよ。だから、業者は前もってロス分を上乗せした値段で売るわけ。だから、高いの。でもね、ロスがなければ、業者は損をしないでディスカウントできますから、商品は飛ぶように売れますね。
「うちの玉子パック使いませんか。玉子割れませんよ」
これでどんどんセールスしたわけですよ。で、ネットワークが2千件を越えてしまいました。これで40年間というもの、シェア独占です。すごいね。ホントに。売上850億円の立派な会社ですよ。
渡辺さんは業界のリーダーではあるけれども、一本筋の通った人みたいで、儲からないことでも必要と思えばどんどんやっちゃう人なのね。たとえば、魚やトマトがパックで売ってます。使った後はゴミになるわけだけど、これを回収してるんですよ。どのくらい回収してるかというと、これが月間500トン。枚数に換算すると、1億2千万枚。つまり、日本人1人1人から毎月1枚ずつ回収してるようなもんです。
で、これをリサイクルしようってんですけど、なかなかできません。まだ問題があって、元のトレーになどできないんですね。そこで、駅のベンチとかになっちゃってるわけ。でも、3割くらい安いようですよ(京王線が使ってるね)。
あとの2つのケースは自分で読んでください。まぁ、おもしろい人にはおもしろいし、そうでない人にはそうでないし・・・。当たり前か。
150円高。
2 「イギリスのいい子と日本のいい子」
佐藤淑子著 中公新書 680円
よくある国別比較論ですね。
加瀬英明さんの著書を以前に紹介したことがありますが、幼稚園の先生とか子どもの教育に関心のある人はこの本のほうが参考になる、と思います。わたしは加瀬さんのほうがおもしろく読めましたが、人好きずきですもんね。
エミリー・ブロンテで有名な「嵐が丘」を訊ねるとき、ある夫婦が5歳の息子を連れて、ヨークからタクシーに乗ったそうです。夫人はわくわく、子どもは道中の往路はわりと大人しかったものの、ブロンテの生家である牧神館を見学し、肌寒い荒涼とした丘を少し歩いた後、再び、タクシーに乗ると今度はぐずり出します。ミニカーでなだめてもダメ。窓から手を出したり、車のギアをいたずらしたり・・・。
イギリスは公共の場での子どものしつけにうるさいから、「この子はわがままで」と運転手に言い訳すると、その人曰く。
「坊やがあなたがた大人のことをうんと我慢してるんだよ」
そうなんですね。
デパートに子どもを連れて行く。おもちゃ売り場がある。そこに連れて行け、とうるさい。仕方なく連れて行くと、今度は「これ買って」「あれ買って」とだだをこねる。
すると、最初は「いい子だから早く行こう?」といってるものの、しまいには「うるさい子ね。ここに捨ててってもいいの?」「もうよその子になっちゃいなさい」と脅迫する。それでもめげずに遊んでいると、頭をひっぱたいて引きずるようにして無理やり連れ帰る。子どもは大声で泣き叫ぶ。
当たり前なんですね。
デパートに行きたくもないのに、親の都合で連れてこられた。すると、「あっ、おもちゃ売り場があった」と思い出します。あとはいつものコースですよ。子どもにしてみれば、いい迷惑なんですよね。
最近の犯罪は「いい子」が途中で「変な子」に変わったり、突如、「悪い子」に変わったりして重大事件を引き起こしてますね。
でも、「いい子」にしてるのは、親の脅迫によって自分のエゴを押さえつけてるからではないでしょうか。その重しが取れてしまったとき、地下に満々とみなぎっているマグマが一挙に爆発するんではないでしょうかね。
どちらかというと、「自己主張のきちんと言える人間を作りたい」というアメリカ型教育、どちらかいうと「自己抑制のできる人間を作りたい」という日本型教育。そのいいトコ取りをしたいと考えるイギリス型教育。
さて、子どもにどんなスタンスで対応すればいいのか、親の態度は、子どもの教育は?
本書には、ヒントになるデータやエピソードがそこしかこにかいま見られると思いますよ。
100円高。
3 「十二人の怒れる男」
リジナルド・ローズ著 劇書房 1500円
ヘンリー・フォンダ主演の映画(モノカラー)でもお馴染み。戯曲の傑作ですね。ビデオ屋さんに行けば、必ずあると思いますよ。たしか、後にジャック・レモン主演でリメイクしたはずですよ(こちらはカラー)。
これは古いですよ。いまから22年前の本ですけど、映画はもっと古いでしょうね。だって、ヘンリー・フォンダの子どもがピーター・フォンダ、ジェーン・フォンダ(テッド・ターナーと最近、離婚しましたね)、また孫がブリジット・フォンダですよ。
父親殺しの容疑をかけられた19歳の青年をどう裁くか。
アメリカは陪審員制ですからね。この12人に陪審員としての召集がかかったというわけです。
登場人物は12人の陪審員。見ず知らずの人間ばかり。いったいどんな職業なのか、どんな性格なのか、どんな人間なのか、見識があるかないかなど、まったく無視。完璧なアトランダムで選ばれた12人です。
が、見事なくらい、「いる、いる、こういうタイプの人、いるな」と人間社会の縮図そのものずばりの人物が登場します。感情的な人、論理に忠実な人、優柔不断な人、とにかく早く終わればいいやという人、責任感のある人、金持ち、貧乏人、移民、偏見に凝り固まった人・・・。
もちろん、名前は無し。すべて「ナンバー」で呼ばれるんです。ヘンリー・フォンダ、ジャック・レモン演じた建築家は8号と呼ばれてました。
「有罪に決まってだろう」という意見が大勢を占めるなか、「わたしはその確信が持てない」と8号が物言いをつけます。
議論を進めるうちに、この「有罪11対無罪1」という割合が変わってくるんです。
「冗談じゃないよ。今日のナイターのチケット持ってるんだから」という7号。
「ナイターは8時まではじまらないだろう」と返す8号。
「よし、もう一度、投票しよう。わたしを除くだれか1人でも無罪があったら、もう一度、議論するチャンスをほしい」と8号はアピールします。
「他人事なのに、どうしてそんなに懸命になる」
「人1人の命がかかってるんだよ」
当時、ニューヨークでは第一級殺人は死刑でしたからね。この青年も有罪になれば、自動的に電気椅子になる運命です。
1人の老人が無罪を入れます。そして、議論がまたはじまります。
父親をグサッと刺したナイフはめったにないものだ、と言うが。それはほんとうか。
青年が刺したという目撃者の証言はほんとうか。
階下に住む足の悪い老人が言い争う父子の声を聞き、逃げる青年を見たというが、それはほんとうか。
このすべてが議論を通じて、明らかになっていきます。
論理的に手強い相手は金持ちの4号です。
「目撃者の証言は否定できない」と突っぱねます。
でも、眼鏡を掛けた4号が鼻の頭をこする仕草を見た老人が訊ねます。
「あんた。それは眼鏡のせいかね」
鼻頭に横に眼鏡あとがついて、そこが少し痛むんですね。だから、しきりにそこにてをやってマッサージするんです。
「あぁ、めがねのせいですよ」
「いま気づいた。あのオンナもそこに眼鏡あとがあった」
「でも、眼鏡をかけてなかった」
「目が悪くても、人に会うとき、眼鏡をかけない人は多い。とくにオンナはね」
「でも、青年を見たときには眼鏡をかけていたのでは?」
「いや、ベッドで眼鏡をかける人はいない。わたしも無罪に換えよう」と4号。
それでも、最後まで有罪と言い張る3号。
直情径行な男で、それがために一人息子は家出をしたまま、3年間も音信不通です。いつも息子の写真をノートにはさんでいるにもかかわらず、素直になれない頑なさが父子を遠ざけてきたのでしょうね。
とうとう、「無罪11対有罪1」にまで逆転してしまいました。
「あとはあんただけだよ」
「ちくしょう、オレは絶対に認めないぞ。ろくでなしめ、一生苦労するぞ」
息子の写真をびりびりに破りながら、3号は泣くんですね。
最後に8号と3号だけを残して、みんなは陪審員室を出ていきます。エアコンも効かず、汗びっしょりで議論した部屋にたった2人。
父親殺しに使ったナイフと同じモデルを8号がテーブルに置いていました。そのナイフを持って8号に近づく3号。
「無罪だ」と静かにいう8号。ナイフをかまえ、そして柄に収めて3号は言います。
「無罪だ」
事実はいつだって1つですが、解釈は何通りにもできるんですね。
解釈をどうするか。それは人間の性格がすべてを決します。
性格とは心の癖のことですから、心がどうかで決まるということです。偏見のあることは事実を事実として見ることはできません。すべてにバイアスがかかってしまいます。
素直にものごとの実相を見ようとする心はいままで気づかなかった事実を浮き彫りにしてくれます。そこから、真実が透けて見えるんですね。
みんなが見逃していたもの。それを見抜く力。それはなんでしょうかね。
見識てしょうかね。知識でしょうか。それとも、努力でしょうか。
わたしは謙虚さだ、と思います。言葉を換えれば、怖さを知っていること。弱さを知っていること。
違うかな・・・。
300円高。