2001年07月23日「儲からんのはアンタのせいや」「女性が読まない新聞は滅びる」「仮面の家」
1 「儲からんのはアンタのせいや」
桂幹人著 講談社 1600円
著者は成功報酬で請け負うコンサルタント。といっても、MBAなど持ってません。
暴走族から成り上がって、バブル時代を自分の知恵と才覚一本で勝ち抜きます。高校を出るとギフト会社に勤務します。
ボーリング場に目をつけて夜中にセールス。会社の売上の4分の1を1人で上げました。それが反感を買われて、上司と喧嘩。嫌がらせにプッツンして殴る。退職願を出したものの、「きみは懲戒免職や」の一言。
「オレは人の下では仕事はできない」
それで、自分で視力管理センターを立ち上げるんですね。これがもののみごとに当たります。放蕩三昧してもものすごい利益が上がるんです。「もう少しで上場」というほど大きくしたものの、結局は関係先の倒産に引っかかって自分も倒産します。
そのとき、顧問税理士から「経理の記帳代行をやらないか」と言われてコツコツ仕事をするうち、拡大。いまやコンサル分野も手がけ、156戦154勝だとか。
すごいねぇ。大したもんです。
著者が指摘するように、コンサルタントほどわけがわからない仕事もないですな。
弁護士だと一応、時間フィが決まってるし、民事裁判で勝訴すれば成功報酬でガッポガッポ。刑事事件だと、国選弁護業務などで、薄給の人も少なく無いと思います。悪徳弁護士ばかりが儲かるんでしょう。
でも、コンサルタントは聞くところによれば、顧問料がどっさり、レポート提出でどっさり、リサーチでまたまたどっさり。何をやってもどっさり。いちばんいいのは、成功すれば、「わたしのおかげ」、失敗すれば、「それは社長さん、アンタが悪い」と大きな顔で言い張れることです。
「国内のコンサルタントのほとんどは詐欺まがい、いや詐欺といったほうが正しいかもしれない」
これが著者の持論です。リスク無しの美味しい商売。彼の説明を聞けば聞くほど納得してしまいます。
著者は成功報酬一本でノシテきた人なんですね。
得意なのは、新規事業の立ち上げ。「売上と利益を伸ばすこと」に特化し、それ以外のことは一切やらない。
「たいていの経営者は売っていない。たんに商品が売れているだけだ」と言います。売るとは自分の汗と知恵で売ること。売れるとはたんに商品を供給してるだけ。ダメな経営者は景気のいいときでもたんに売れてただけ、売ってない。それが景気が落ち込んできたから、暴露されただけのことなんですね。
ダメな経営者には共通点があるといいます。
1 会社が存続しないのではないかという恐怖感がない。
2 つねに社員と同列。会社を牽引していくという自覚がない。
3 儲けに走らない。
「儲けに走らない」というのは、創業当時の懸命さがなくなって、だんだん小さくまとまっていく。ヘタをすると、どんどん小さくなっていく人も少なくありません。こうなると、会社は落ち目になるばかりです。
会社再建には4つのコツがあるといいます。
1 「お客が買いたいもの、買いたい値段で、買いたい時に、買いたい方法で売れ」
ちょっと翻訳しておきましょう。
たとえば、価格競争に突入してしまったとする。こうなると、ライバルと同じ土俵で争ってもダメ。価格以外で戦争するなら、時間帯で勝負する。敵が午後8時閉店なら、こっちは午後10時閉店とする。こういう類の提案をこの4ポイントに絞って展開してみる、というわけです。
2「売れない」と「売っていない」の違いを知れ
3客の存在を忘れるな
4会社を毎日「破壊」しろ
「固定観念の打破」とか「成功体験を捨てろ」と、マネジメント関係の雑誌や本にはうるさいほど書いてます。でも、できない。
その理由は?
「違うやり方をしたら、ロスが多くて損しちゃうもの」
こういうわけですよ。多かれ少なかれ、そんなものだと思いますよ。売り方を変える。商品を変える。レイアウトを変える。顧客を変える・・・。どんなに些細なことでも、変えることは度胸がいるんです。勇気といってもいいかもしれません。
「黙って続けていればノルマの7割はクリアできるのに、変えたがために2〜3になっては元の子もない。ヘタをすると0になるかもしれない。そんなリスクはゴメンだ。いままでの7でいいじゃないの」
こういう守りの姿勢が落ち目の店や会社の特徴ですね。それで結局、7を維持することすらできなくなるんです。現代では、現状維持は後退を意味するんですよ。
「こういう場合は、やって、見せる。これが大切です。わたしは彼らの目の前で、この方法を導入すれば、確実に売上が増える、という手本を披露してます」と著者は言います。それでも、挑戦しない経営者が少なくないわけです。154勝というのは、誠実に挑戦した経営者の数でしょう。もちろん、彼のほうもコンサルする経営者を選択してると思います。
「この人は成功できる」「この人はダメだ」という判断は直感でしょうね。
むかしから幽霊が見えたり、気功の世界とかにも造詣が深く、潜在意識に聞けばいろいろ教えてくれる、ってことらしいです。
150円高。
2 「女性が読まない新聞は滅びる」
牧内節男著 藍書房 1500円
この本はいまから4年前に出たんですね。著者はスポニチの社長さんです。
「なんで今ごろ?」って不思議でしょうが、小さな版元は宣伝力も販売力もありません。結果として、目立たないんです。人知れず出版して、人知れず回収される。書店に置かれる時間は、ときには蜻蛉のように、ときには夏の夜の線香花火のように、はかない刹那なんですよ。
でも、インターネットでグルグル本を探してると、「えっ、こんな本もあるんだね」と気づくことが少なくありません。
まず、スポーツ新聞のイロハからお話ししましょう。
スポニチってのは毎日新聞の子会社です。日刊スポーツは朝日新聞、サンスポは産経新聞、そして報知は読売新聞です。日刊ゲンダイ、東スポは独立系の夕刊紙ですね(ゲンダイは講談社っぽいですけどね)。
で、販売ですが、宅配と即売とに大きく分かれます。
宅配ってのは自宅や会社に配達してもらうこと。即売ってのは駅売りですよ。
これは各社バラバラですが、スポニチは宅配の比率が7、即売が3。ということは、毎日新聞の販売網が弱体化すれば、それに比例して落ちるというわけですね。
わたしのとこなんか、よくセールスが来ます。でも、これがいっつも読売新聞。まっ、当たり前ですね。朝日、日経、産経はすでに契約してるんだから。
でもね、毎日新聞はみごとにセールスに来ませんね。どうしてだろう。生まれてこの方、毎日新聞の拡張員にあったことがありません。いっつも読売です。
まっ、そんなことはどうでもいいんですが。
普通、スポーツ新聞てのは、だいたい野球帽をかぶって競馬、競輪場をうろうろしてるような人ってイメージが少なくないと思うんですが、これが調査によると次のようになってます。
全体の90%が男の読者、でも宅配では15%が女性。これは手が汚れるから家でしか読めないってことがありますね。
年代的には平均45歳。30代〜50代の読者で全体の70%までいきます。仕事は63%がサラリーマン、学生は5%。学生さんは圧倒的に東スポファンだと思うよ。わたしがそうだったもの。で、40%が大卒。30%が管理職。平均年収は860万〜900万。43%が巨人ファン(報知だと81%)だとさ。
新聞研究所の調査で「新聞を読むこと以外の余暇の過ごし方は?」という質問がいつもあるんですが、こけがいつも「スポーツ新聞を読む」っていう回答。ということは、スポーツ新聞は新聞と認められてないんですね。
スポニチでは、いまから10年前に「大衆紙宣言」ってのをしたらしいんですが、スポーツ新聞てのは、はなから大衆紙でしょうが。それ以外の何ものでもないでしょうが・・・と思ってたら、スポーツ新聞の4本柱「スポーツ、ギャンブル、レジャー、芸能」だけではフォローできないほど、事件の幅が広がってきた。
で、読者の嗜好も変化してきた。それで、政治、経済、社会のあらゆるネタを追いかけることにしたんだって。
そして、これが当たります。
リクルート事件、ベルリンの壁の崩壊、それに戦慄すべき犯罪など・・・ネタに困ることはありません。従来、この分野は親会社の新聞が担当してたわけです。それを壁を取っ払ってチャレンジしたわけ。
この新聞社が画期的なことは「バカ新聞」を発行してることです。
どうしてバカという名前がついたかというと、新聞てのは朝というか深夜2時がだいたいギリギリの締切ですよ。そして、全国の宅配所や駅などにトラックで届けられるわけ。そういうネットワークができてます。
でも、この新聞社では朝一にニュースが飛び込んできたら、新聞を作り直すんですね。ですから、1度出したものがおシャカになっちゃうわけ。でも、読者は「おっ、早いな。
朝、テレビで放送されてたものだ」と他社を抜くわけです。ものすごくコスト的にはロスが多いはずです。しかし、これをあえてやる。
「オモシロ新聞」を作るためのポリシィがいいね。
「あっと言わせる山っ気」「通俗に徹する腹の据え方」、そして「陽動作戦連発のアイデア」だって。これは売れる企画に共通する条件ですよ。
皇太子妃に関する情報合戦では、かなり前から現皇太子妃の雅子様一本に絞り込んで情報収集をしていたらしいですな。いよいよ発表となったのが、平成5年1月6日午後6時15分。つまり、このときに報道協定が解除されたわけですね。
でも、誘拐などの生命が左右される事件の報道協定は理解できるけど、こういう協定は理解できません。各社の見識で判断すべきことではないかな。他社にすっぱ抜かれることもないから安心かもしれませんけどね。これじゃ、新聞記者はサラリーマンというより公務員体質になっちゃいますよ。
ところで、この本はタイトルに釣られて買ったんだけど、これは白髪頭ででっぷり太った記者出身の政治評論家で岩見隆夫さんていう人がいるけど、この人の持論なんだと。それが気に入って、著者が使ってたんだと。
ですが、本の中ではあまり触れてなかったな。まっ、いいか。
150円高。
3 「仮面の家」
横川和夫著 新潮OH文庫 562円
実はこの本の直前に『家族の力はとり戻せるか』(江崎玲於奈編・中公新書)を読んでたんです。
ノーベル賞受賞者であり、筑波大学の学長もした江崎さん。あとの4人も世界の学長さん。で、こういう教育者が「21世紀への教育云々を提案する」っていうテーマなんだけど、本書を読んだあとではアホらしくなって、いつものようにブックオフ行きのボックスに入れてしまいました。
「仮面の家」からイメージされるものは何ですか?
この本のサブタイトル。それは「先生夫婦なぜ息子を殺したのか」っていうんです。ものすごくハードでしょ。共同通信の記者が丁寧にルポしてます。内容は大きく分けて2つです。
1つはサブにもあるように、浦和(いまは「さいたま市」っていうのかな)で起こった東大卒の高校教師夫婦によるDV(家庭内暴力)歴1年の息子殺し。もう1つは、DV歴が10年もの長期にわたった上、やっと氷解したケース。片や息子殺し、片や氷解。この明暗を分けたものは何か。「禍福はあざなえる縄の如し」といいますが、まさにあざなえる縄のように事実が進んでいきます。
しかし、たいへんだなぁ。殺された長男は名門浦和高校に入学するまでは絵に描いたような「いい子」なんですね。家内に言わせたら、「うちの子と交換したいくらい」って言ってました。もちろん冗談ですが、何しろ野球をやらせたらエースで4番。勉強もできる。生徒会の中心人物。「将来、どうなるか」と楽しみな子どもですよ。
うちの子は補欠の補欠(でも練習をサボったことがない)。勉強はしない。数学の試験が4点で留年スレスレ。「もう、ノイローゼになりそう」と家内は言ってます。「平気だよ。1年生の間は留年無いんだって」とどこ吹く風。そういう問題じゃないんですけどね。
話が長くなると思うんで、結論から述べておきましょう。2つのケースで明暗を分けたものは直接的、しかも圧倒的な原因は「親の姿勢」です。そして、間接的な原因は精神科の医師やカウンセラーの違いです。
片や「これは分裂症だ」と薬ですべて対応しようとした。ところが、投薬すると目をトロンとさせて体調を崩す。それで中断した。そのとき、事件が起こったんです。
片や、「いや、分裂症じゃない。これは思春期の問題だ」と判断しました。それで、ものすごいDVの嵐が吹き荒れます。でも、カウンセラーが激励し、安心させ、逐一、状況を説明したことで、両親は最後まで希望の灯を消しませんでした。「暴れる子どものほうが苦しんでいる(つまり、暴力でしかコミュニケーションできないんですよ、きっと)。それをそのまま受け容れるてこその母性だ」と言うんですね。
後者のケースでは、ホントに親御さんの運が良かったと思いますよ。
平成8年には、文京区の中3が金属バットで父親に殺されました。平成12年には千葉の日本航空の勤務する父親、元スッチーの母親に縄跳びのひもで高校1年生の息子が殺されました。どちらもDVです。
著者は事件になったケースを軒並み調べてみると、加害者である親の多くは精神科医を訪ねてるんですね。でも、結果として事件を引き起こしてるんです。ということは、精神科医からは適切なアドバイスを得られなかったということでしょう。普通、「プロなんだから、金返せ」ってなもんですよ。ダチョウ倶楽部じゃないけど、「訴えてやる!」だよね。
担当したカウンセラー曰く、「精神医学は個人の内面の問題に焦点を当てて、ことを解決するという発想の学問です。だから、家族という関係性までには目を向けない。しかも薬を処方しないと仕事になりません。3分診療といわれるように、短い問診でいかに症状に合った薬を出すかが役割になってるんです」
そうだろうねぇ。
実際、このカウンセラーのところに行き着いた人のほとんどが精神科の領域で傷ついた人たちなんですね。
子どもは自分の自我をみずから形成していき、その人間のアイデンティティ(同一性)を確立するんですが、親の思い入れとか期待が強いと、親の価値観に自我が圧倒されて拡散したり不安感を生んで神経症とか人格障害を引き起こすことがあるんですね。
浦和の息子殺しのケースは両親にとって異常と思える長男の行動が、実は親の過大な期待が要因ではないかという精神科医の分析は当人はもちろん、両親にも知らされていなかったんです。
息子を殺さざるを得なかった父親は苦労人なんです。
彼の父親はコメ問屋に丁稚で入り番頭にまでなります。仕事のかたわら、文学全集を読む姿に主人も大いに目を掛けます。何より名門女学校出の末娘が憧れて、そのまま結婚するんですね。で、店も出してもらえるんですが、戦中の統合命令で閉めざるをえなくなる。そうなると、もう仕事につかないんです。でも、彼は父親のことを好きなんですね。
結婚して息子をもうけると、自分と同じ名前をつけます。父親は「涼(りょう)」、息子は「諒」。同じ読みです。
だも、これはオレみたいに東大に入ってエリートになれよ、という意味じゃないんです。
「この子が大きくなったとき、あんなオヤジと同じ名前で嫌だな、と思われないような立派な父親になろう」
こう考えたんですよ。
父親はものすごい苦学をしてます。
お嬢さん育ちの母親と野菜の行商に出て、子どものときから仕事してるんですね。中学、高校もアルバイトに次ぐアルバイト。でも、極貧からくる夫婦喧嘩が絶えません。
だからこそ、自分が東大に入れば両親は仲良くなるんだ、と信じて頑張るんですよ。
で、努力の上にも努力して合格します。
文1(法学部)に受かりますが、進路を文学部に変更して高校教師になるんです。それで出世しようとかはまったく考えず、現場の教育をホントに大切にする姿は、生徒からも同僚からも尊敬され愛されるんです(だから、裁判中、減刑のための嘆願運動が起こりました)。
奥さんはご主人を心から尊敬し、喧嘩や言い争いなど1度もしたことがありません。しかも、同居している父親(被害者から見れば祖父)の面倒も甲斐甲斐しく看る「良妻賢母」なんですね。
でも、この2人が息子を殺すんです。しかも、明確な意志を持って殺すんです。
「てめえら、四国に逃げようたってダメだぞ。そうはやせないぞ。あいつの退職金だって、みんな使わせてやるからな。一生死ぬまで苦しめてやるからなそのつもりでいろ。おまえら、塩飯でも食え。その浮いた金をオレによこせ」
母親は新興宗教に入って、「それは霊障だ。100万あれば何とかなる。・・・ない? ならば、50万でもいい」と言われると、持ってくんですね。冷静な父親は、それでお前の気が楽になるならいいよと言って送り出します。
「今日が決行日だ」と決めると、父親は辞表を提出します。出刃包丁は母親が用意して、父親に渡します。万が一失敗したときのことを考えて、母親は自分用に金属バットを準備しました。
弱り切った声で、息子が言います。
「ボクが悪かった。許してくれ。お願いだから、殺さないでくれ」
「いまじゃ、もう遅いんだよ。親を親とも思わない人間は親の手で死なせてやる」
DVになって1年の息子にとどめを刺したんですね。
こんなに「いい先生」でも自分の子どもの教育、というか育て方を間違える。
なぜか。
どちらも「役割ロボット(偽りの自己)」だったんです。
「であるべき」「すべき」という理想の妻、夫、親、子どもという構造。それが奇しくもこの2人の人間の共通した価値観だったんですね。
これはたとえば、アルコール依存症の夫を健気にサポートしている妻。こういう構造にも当てはまります。妻が模範的な妻役を演じているうちは治りません。
妻でも夫でも、「真の自己(ホントの自分自身−−生き方、自己肯定、健全な自己愛)」に直面し、模索するなかで変わってくるんですね。本人が変わると、周囲が変わってくるんです。
母子関係で言えば、問題を起こす子どもを見て、「自分を必要としている」と受けとめると、本人は母親として充足感を感じる。しかし、これはどちらにとっても良くないんです。
「偽りの自己」というのは生後6カ月ほど経った母子関係に出てきます。
たとえば、「一緒にいるだけで嬉しい。ホントに生まれてきてくれたことだけで幸せだ」と話せない赤ちゃんに懸命に話しかけては、可愛くて手足をいじくる母親。これは「being mother」っていうんです。
逆に、ほかの赤ちゃんと比較しては点数をつける母親のことを「doing mother」といいます。こういう親だと、子どもは自分の欲求のままに生きられないんです。そこで、親の欲求を優先して「いい子」を演じてしまいます。だから、どうしても「偽りの自己」になるじゃないですか。
さて、もう1つの両親と息子のケースですが、この息子は母親が客観的に息子を育てたために、どこか母親に対して醒めてるんですね。
母親としては、独立心のある子どもになってほしいという気持ちがあったんでしょうが、子どものときはべったり甘えさせることが大事なんです。
彼のDVは半端じゃないですよ。バットを振り回すなんでもんじゃありません。カウンセラーがいいから良かったものの、でなければ、とっくの昔に精神的に追い込まれて自殺してたでしょうね。
10年という歳月はものすごく長いです。でも、この両親と息子は救われます。
さて、どうやってこのあり地獄から脱出できたのか。「スクールウォーズ」じゃなくて、「ファミリーウォーズ」ですよ。「積み木崩し」なんて楽なものじゃありません。
子どもは親の背中を見ては育ちません。親の顔を見て育つんですね。夫婦にしても、親子にしても、ビジネスマン同士にしても、どうも人間の距離感の取り方ってのはむずかしいものがありますね。
もういい加減にやめます。とにかく、本を読んでください。わが家ではみんなで読みました。
300円高。