2001年07月02日「ゴーンさんの下で働きたいですか」「自己チュウにはわけがある」「私のNHK物語」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「ゴーンさんの下で働きたいですか」

 長谷川洋三著 日経ビジネス人文庫 571円

 はい、働きたいです。わたしなら、そう答えるでしょうね。
 少なくとも、田中真紀子さんの下で働くよりははるかにマシだと思いますよ。20代、30代、40代半ばのビジネスマンならば、いい体験になるでしょう。

 いま、日産の株価が元気がいいですね。一兆五千億円もあった有利子負債をすでに半減しました。といっても、たいへんな額が残ってますが、それでもこれは彼の公約通りです。

 「わたしは経営の教科書など信じません。大切なのは人々の意見に耳を傾けることです。何が彼らを動かし、何が彼らを妨げているのかを知ることが重要なのです。重要なことは、どんな結果を出すかです。経営者の言葉と結果が一致して成功したときこそ、社員との間に高いレベルの信頼関係が生まれるのです」
 高校のときに出会った教育家ラグロボール神父の教えをキモに銘じていたんですね。
 「まず人の話をよく聞き、それから考えること。自分の考えをできる限り、透明性の高い表現であらわすこと。シンプルにすること。言ったとおり行動すること。この信念に深い感銘を受けた。当時、60歳くらいだった神父は6年前に亡くなったが、いまでもわたしの心の中で生き続けています。とりわけ、日本に来てからの経験を通じて、神父がいかに大きな影響を与えていたかを悟りました」

 学校を出ると、彼は24歳の時にミシュランに勤務します。フランス国内で、品質管理の仕事をし、27歳で工場長に抜擢されるんです。
 「良い仕事をもらいました。企業を成り立たせているのは製品と従業員です。製品のどこに強みがあり、弱みがあるか、何が従業員を不安にさせるのか、それを知ることができたことはその後の仕事に役立ちました」

 日産ではいま、「コミットメント」という英語が合い言葉だそうです。
 これは「関与する」といった簡単な言葉ではありません。「何が何でもやる」という意味なんですね。縁もゆかりもないから、しがらみがない。そこで、どんな荒療治をしても「しょうがないですよ。日本人じゃありませんから」の一言で済む。これはいいですね。
 でないと、協力企業1394社のうち、株式を持つ価値がある企業は4社だけ、後は不要だなんて言えませんよ。
 落下傘のように着任しても特効薬などありません。資本参加で応急手当というか延命措置をしておいて、その間に根本的な治療をさせる。それにはガン細胞ではなく、患者の元気な細胞を活用する。そのために、バリバリの人材を活用したわけですね。
 彼は35〜45歳までの中堅管理職と最初に300人、それから300人。計600人にたった3カ月ですべてインタビューしてます。そして、その中から「これは」いう人材を選んで、彼らに再建の具体的なプランを考えさせるんですね。つまり、自分で勝手に考えるのではなく、実際に動いてもらえる人材を巻き込んだわけですよ。
 テーマは「事業の発展」「購買」「製造」「研究開発」「販売・マーケティング」「一般管理費」「財務コスト」「車種削減」「組織と意思決定プロセス」の9つ。そして、飽くなき追求心で解決策を求めていくんですね。解答を徹底的に吟味させ、そして自分が納得するまで絞るわけですね。これが正しい経営者です。
 そのためには、部門内の垣根を取っ払うこともします。購買と技術設計と協力会社の三位一体も求めます。でないと、コストダウンなどできませんよ。
 彼のすごいところは、黒字が出ていても本業に無関係な事業はあっさり捨てたことです。おかげで、ライバル企業のトヨタに人材ごと身売りすることになっても迷うことがありません。

 「どこかにゴーンさんみたいな人、いないかな?」
 これはいまの日本企業に共通する願いですね。
 でもね、もし日産が蘇って・・・ということはコストダウンに成功するだけではなくて、ちゃんと車も売れて借金をチャラにしたとしたら、最大の功績者はだれでしょうね。
 みんな、ゴーンさんに決まってるでしょ、と言うかもしれません。でもね、わたしはダイムラーベンツと交渉し、ルノーと交渉し、そしてゴーンさんを連れてきた塙義一さん(前社長、前CEO)だと思うんですよ。
 言ってみれば、この人は最後の将軍徳川慶喜なんですよ。明治維新が成功した最大の功労者は徳川慶喜ですよね。塙さんもそうなんです。あと10年経ったら、評価されるでしょうね。

 彼の発言が説得力あふれる根拠は、まず経営信条が鮮明であること、そして発言と行動が同じ軌道を描いていること。これを有言実行と日本人は言いますね。さらに、経営再建という最大の約束を果たしつつあること。この3つです。
 そのほかに、説明が明確です。
 「なぜ日産の業績を回復することができたのか。理由の第1は燃えさかる甲板があったことです。燃えさかる甲板にいつまでもいることはできない。そこに潜在的なパワーがあった。しかし、26年間もシェアを下げ続けた負け癖のついた社内の人間には建て直しはできなかった。第2は正しい方向を選択できたことです」
 「日産不振の原因は5つある、といいます。つまり、1明確な利益志向、2顧客志向が十分でなく、競争相手ばかりに関心を払っていたこと、3業務の横割り連携ができていなかった、4危機感がなかった、5ビジョンや長期計画を共有していなかった」
 「系列を破壊して協力企業の数を半減することによって、コストを20パーセント削減する。工場閉鎖により操業率を53パーセントから82パーセントに上げる」
 ものすごい説得力ですよ。
 250円高。


2 「自己チュウにはわけがある」

 齋藤勇著 文春新書 690円

 自己チュウってのは「自己中心的」という意味です。
 そこから連想できるのは「自分勝手」「わがまま」「利己主義」から、「ゴーイングマイウェイ」「マイペース」というものまで入ってるんですね。となると、すぐにいろんな顔を思い浮かべてしまいます。
 たとえば、近頃、マルサが入ったという噂の某野球監督の奥さん、紅白歌合戦によく出るオカマ歌手、たぶん真紀子外務大臣や長嶋監督もある意味ではそうかもしれません。
 そうそう忘れてましたが、家内にいわせると、「あんたこそ、自己チュウの典型」ということらしいですが、そんなことはありません。わたしは家内のほうこそ、「自己チュウだ」と内心思っております。まっ、大人げないので口には出しませんけどね。

 自己チュウってのはだれにもあるんです。たとえば、野球を見てて「ダメだな、清原は」とテレビに怒りをぶちまけていると、「じゃ、あなたはどうなのよ?」などと言われる。そんこと言われても答えようがありませんね。それは注意が外に向かってたのに、いきなり自分に向かうように強いられるからです。
 でもね、自分のことを棚にあげないと人生はストレスばかりでつまらないですよ。みんな棚にあげているからこそ、ギスギスしないで済んでるんですよ。
 それが証拠に、なんでも真面目に考える人、すぐに反省しちゃう人に「ウツ症」が多いんです。もっと不真面目に、懲りない人間ならば、人生はケセラセラで楽しく生きていけるんですがね。どうも、そうできない。トラブルにも逃げ出さない。失敗を直視してしまう。そして、何とかリカバーしようと頑張ってしまう。
 「オレってダメな人間だなぁ」
 「わたしって、どうしてこうなんだろう」
 こんなふうにクヨクヨしてる人は「自己チュウ度」が弱いんです。

 さて、意識には公的自己意識と私的自己意識の2つがあります。
 どちらも意識が自分の向かっていることでは同じです。ところが、公的自己意識というのは、他人から自分はどう思われているのかが気になるんです。だから、こういう人は行動でも判断でも、自分の考えよりも他人がどう期待しているかという考えで決めてしまいがちなんですね。
 けど、私的自己意識の強い人は他人がどう考えようが関係ない。自分の考えをはっきり持ってる人です。つまり、自己チュウな人です。でも日記を書いてるときの人は、公的自己意識が強い人でも心理的には私的自己意識でアプローチしてますよ。面白いですね。

 さて、本書は心理学者が書いてるだけに、面白い実験データが満載されてます。それに、著者が自分のホンネを赤裸々に明かしているから、それもまた楽しい気分にさせてくれます。これは意識してサービスしてくれてるんでしょう。
 たとえば、いま大学ではどこでも臨床心理士が大人気なんです。これは資格なんですね。大学で心理学を勉強したあと、実際に現場で2年間くらい経験してから勉強しないと資格も取れないんです。ところが、著者は社会心理学という分野で、この大人気の学問とはちと違うんですね。実験ばかりやってるから、学費も高い。それで閑古鳥だそうです。
 まっ、ホントはそうではないかもしれません(あるいは、そうかもしれません)。でも、このように自分を卑下すると、相手は優越感を感じますね。
 これが人間の正体ですよ。優越感というのは、自信を植え付けたり、誉めてやったりすることもそうですね。
 逆に、満座の前で恥をかかせられたら、だれでも恨み辛みは残りますよ。
 田中角栄さんは誉めるときは満座の前で、叱るときはそっと呼び出して叱ったそうですが、これは真紀子さんとはまったく違いますな。まっ、叱られる方があくどいのかもしれませんがね。わたしゃ、外務省の人間など信用してませんから、どんどんムチで叩いてやって欲しいですな。「中島さんの本、読んでますよ」という人はもちろん別ですよ。
 これも身内意識、共同体意識ですね。心理学ってホントに面白いですね。
 やっぱり、人間を勉強した人が勝ちますよ。ビジネスでもなんでもね。
 150円高。


3 「私のNHK物語」
 山川静夫著 文春文庫 524円

 氏は言わずとしれたアナウンサー。
 紅白歌合戦の司会を9回も務めたというから、看板アナです。しかも、アナウンサーで専務理事待遇というのはこの人をもって嚆矢とするのではないでしょうか。
 なかなかの人物です。

 それにしても、運命というのは面白い。山川さんがNHKのアナになれたのも、運がものすごく左右しています。というよりも、決定的ですらあります。
 学校(國學院)に行く途中に友人に会うと、「今日、NHKの願書出したけど、お前は?」「まだ」「NHK受けるって言ってただろう?」「うん」てな具合。「いまからでも間に合うかもしれないぞ」と言われても、まだのんびりしていた。中学校の教師にでもなるか、それともオヤジの跡を継いで神主になるか・・・。まっ、願書だけでも出しておくか。それで、締切日時間ギリギリに駆け込んだんです。

 試験は身体検査も入れると5次まであったそうです。2次の学科試験までで3千人の応募者が200人にまで絞り込まれたんですが、運がいいのは、このとき、同級生の志生野温夫さんに会ったことです。
 この人は親切な人で、試験傾向の分析を山川さんに教えてくれたんですね。
 「今度の試験は一枚の写真を見て実況させる即時描写力を問われるぞ。その練習をしておけ。とくにNHKだから、相撲は絶対に出るぞ。前場所の優勝力士はマークしといたほうがいいな」
 それがズバリ出るんですよ。
 もちろん、完璧に練習していたから完璧な実況ができました。

 運というのは面白いし、まだ残酷でもありますね。
 というのも、彼に親切に教えてくれた志生野さんが落ちてしまったんです。幸い、日本テレビに掬われたから良かったものの、皮肉なものですよ。女子プロレスの実況では先駆けだし(東京12チャンネル時代に名アナウンサーがいたけど)、ゴルフの実況でもまだ活躍している人ですね、この人は。

 ところで、入社以来、この人はずっと花形アナとしての道を歩んできたわけではありません。どちらかというと、遅咲きの花といってもいいでしょうね。
 最初は青森、それから仙台、大阪、そして東京と赴任するんですが、青森では市の住宅課のお知らせで大失敗をします。
 「応募受付の締切は・・・」まで読んでびっくり。締切は昨日で終わってる。で、どうしたか。
 「・・・昨日で切れておりますが、急いで行けば間に合うかもしれません」
 もちろん、市の住宅課からクレームの電話が入ります。「行けば間に合うと聞いたんで来たぞ」と3人が駆け込んできたらいしんですね。三拝九拝とはこのことです。
 ずっとあとになって、中西良という大先輩のアナも同じ失敗をしたと聞くんですが、このベテランアナは「締切は昨日で切れておりますが、念のため申し上げました」と逃げたんですね。
 さすがですね。
 参考までに、この中西良さんは詩人のような独特のムードある美声のアナでした。わたしは大好きで、朝5時くらいだったかな、ラジオでよくこの人の放送を聞いてました。友人の父親なんですが、アナとしてCDが売れているのはこの人くらいでしょうね。

 山川さんは趣味の歌舞伎や文楽、狂言では学生時代から「大向こうさん」として有名な人でした。その縁もあってか、音楽番組、芸能番組でも活躍します。とくに関西に赴任していたときには、没落していく関西歌舞伎に対してかなりの思い入れをもってました。松竹社長に対してもかなり痛罵してますから、硬骨漢というか、喧嘩っ早いというか、まっ、計算づくでは動かない人のようですね。ホットします。

 スターとのエピソードもたくさんありますよ。
たとえば、美空ひばり。彼女が田中角栄に新曲を聞かせたときのこと。じっと聴いていた角栄さんがこう言ったそうです。
 「わしの批評も聞いてくれ。1番はいいが、2番はよくない。そして3番がいい」
 彼女はその通りだと思った、といったそうです。演歌はどうしても2番が手薄になるらしいです。このエピソードも彼女が亡くなる1年前の話です。

 さて、彼が「歌謡グランドショー」という番組の司会をしたとき、あまりにも殺風景で色気がない。そこで「なんとか華やかさを」ということで、可愛い女の子をアシスタントにつけてもらうことになりました。
 そこで、リハーサル直前にあたかも「その辺にいる女の子」という雰囲気の3人組みがやってきました。スクールメイツというバックダンサー・グループから抜擢されたという。
 それがキャンディーズです。いままで、ドリフの番組でデビューしたものだとばっかり思ってたんですが、そうじゃなかったんですね。

 懸命に仕事をする人にとって、周囲はいい仲間に囲まれることが多いです。
 彼もそうでした。
 こんな先輩がいました。この人はあぁしなさい、こうしなさいと一切言わない人で、だれにも、一言だけそっとアドバイスしていたそうです。それがまた効くんですよね。
 で、「昼のプレゼント」という番組で山川さんはダジャレを飛ばして、「ナンセンスだね」とひとりで面白がっていたとき、近づいてきて一言。
 「山川くん、ナンセンスというのはセンスがないということじゃないよ。むしろ、センスをいちばん必要とするものなんだ」
 その先輩とは宮田輝さんです。
 山川さんは自民党から参院選に出馬し当選した宮田さんが、政治家になった後も党内でアナウンサーとしてしか見られなかったことについて憤慨しています。「人寄せパンダとして利用されただけだ。あのままアナを続けていたら・・・」と可哀想でならないと感じてたんですね。

 NHKは別名日本報道協会ともいわれるほど、報道局が肩で風を切って歩いている、そうです。報道記者がキャスターをして、アナの領域まで占拠した時代もたしかにありました。
 別にそんななわばり意識など邪魔になるだけですが、組織というのはそんなものなんでしょうな。
 で、彼が「ウルトラ・アイ」という科学番組に没頭していた頃、報道局から朝の報道ワイド「モーニングセブン」のキャスターをしろ、という話があります。これが1カ月間もの間、すったもんだするんです。
 結局、どうなったか。山川さんは断固として断り続けたんです。それで仕方なく、山川さんを盛んに説得していた後輩がキャスターを務めざるを得なくなりました。
 それが森本毅郎さんなんですね。これがチャンスとなって、彼はフリーのキャスターに転身するわけですよ。運命というのは面白いものですね。
 100円高。