2001年05月28日「もしも宮中晩餐会に招かれたら」「弁護士が怖い!」「動物の言い分 人間の言い分」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「もしも宮中晩餐会に招かれたら」

 渡辺誠著 角川書店 571円

 「ばんさんかい?」
 わたしにはまったく縁がありません。さらに「宮中」などという言葉が頭につくと、なおさらです。「餐」なんて字、書けないよね。
 晩餐会と聞くと、わたしの頭の中では鹿鳴館にタイムスリップしてしまいます。
 「女性天皇を認めよう」という議論が注目されるなど、いま話題の皇室典範には晩餐会では「服装は洋式、食事はフランス料理」と決まっているそうな。だから、和服を召された天皇陛下に拝するチャンスがないわけです。この法律も結局、鹿鳴館時代から引きずってるんだと思います。

 著者は約30年にわたって宮内庁大膳課に勤務。東宮御所などで料理の腕をふるった主厨です。だから、こんな本が書けるわけ。
 これ全編、晩餐会のシーンをコマ送りにして紹介、解説してるんですね。それに面白い話題がたっぷり。
 たとえば、ある国の主賓をお招きする。その国と何らかのご縁があって、たまたま宮中晩餐会に招かれる。「招待状ってどんな風になってるの?」という話題から、招待客の心の動きから実際の行動までビビッドに描かれてますよ。だいたい、最初の1週間は「今度、わが輩は宮中に招かれたのでござる」「タクの主人が宮中に招かれることになり、このアタクシ天皇、皇后両陛下と晩餐をともにいたしますのよ」と周囲に触れ回ります。
 1週間過ぎるころには、急速に現実の問題としてクローズアップされてきます。
 「いったい、どんな格好でいけばいいんだろう?」
 「当日の振る舞いはどうしたらいいんだべ」
 マニュアルなどありませんし、事前に説明してくれることもありません。
 ここからが大変なんですね。このドタバタはテレビドラマや映画にもできるかもしれませんな。

 なぜ、とち狂ってしまうのか。
 それはたいていの日本人はマナーを学ぶ経験が少ないからですね。
 マナーっていうのは子供の頃からの躾ですからね。付け焼き刃でどうなるものではありません。これはもう習慣ですから、無意識に出てくるものなんです。
 ところが、残念なことに家庭でも学校でも「マナー」を教えることはありません。スプーンとナイフはどう使ったらいいのか、席を離れるときは右側からか左側からかというようなテーブル・マナーのみならず、公共の場ではどう振る舞うべきなのか、行動すべきなのかといったマナーについてもしかり。
 普通の日本人が勉強するのは、せいぜいビシネスマナーくらいでしょ? タクシーに乗るときはどういう位置なのかってヤツね。
 これは問題ですな。
 まっ、わたしのように育ちのいいボンボンは幼少時より、ばあやとかじいやが指導してくれましたけどね。

 世の中にはいろんな人がいて、晩餐会の招待客のなかにも、陛下に手みやげをもってくるような人も少なくないようです。
 これがたいてい地方出身の大臣とか県知事、市町村長といった政治家だそうです。人間的にはきわめて正直な人なんです。だから、「オラが村の特産物をぜひとも献上したい」「わしの後援会長のところの商品なんだけど、これが地元では美味しいと評判」って具合です。
 おそらく、「宮内庁御用達にしてもらえねぇべか?」と地元の後援者から頼まれ、「んだ、んだ。そうすべぇ。陛下も召し上がっていただければ、きっとわかってくださるに違いねぇ」と、2人でどんどん盛り上がったんでしょうね。こういう人たちの考えることはよーくわかります。だってバカ正直ですもんね。
 それで、どうなるか。
 宮内庁の職員はその場で拒絶するような非礼なことはしません。で、その場だけ預かってあとで返送するんです。まっ、そうでしょうな。

 晩餐会の席ですが、だいたい1人分75〜80センチだそうです。これは狭いですよ、はっきり言って。なんでしたら、メジャーで計ってみてください。わたしは自分ちのテーブルで試してみました。狭い、狭い。身動きが取れないほどではありませんけど、肘を張ったりできません。まっ、そんなことする人もいないと思うけどね。
 この横幅の中にいろんな皿、スプーン、フォーク、ナイフ、それにコップがところ狭しと並ぶわけです。
 料理にしても、会席料理のように一品ずつ各自にサービスされるわけではありません。大皿料理なんです。しかも自分たちで取り分けなければならない。鉄則は「取ったものは食べる。食べないものは取らない」ということ。ということは、残してはいけないわけ。
 食べるタイミングですが、主賓と両陛下が召し上がるタイミングを見て、それ以降ならばいつでも自由。
 晩餐会の主役は主賓ですから、すべては主賓の食べる速度で決まります。主賓が食べ終われば、招待客がまだ料理に手をつけてなくとも、それで終わり、片づけられてしまいます。ナイフとフォークを八の字に置いて、「まだ食事中」と意思表示してもそんなことは無視。これはレストランでしか通用しないのです。
 よく、陛下がお皿に一口だけ料理を残されるケースがありますが、これは招待客のことをお考えになられてのこと。皆さん、食べ終わったであろうかという頃合いを見計らって、ナイフとフォークを揃えられるんです。奥ゆかしく、優しい方ですなぁ。

 2人招待されても、座る位置は向かい合わせ。隣同士ではありません。奥さんはテーブルをはさんでずっと向こうにいるわけです。つまり、夫婦同士で話をすることはできないわけ。必然的に初対面の隣の人と会話をせざるをえません。
 これは日本人は苦手でしょうね。パーティになると、知り合い同士、日本人同士で固まってしまうのが常ですからね。まぁ、当たり障りのないことを話すしかありません。もちろん、こんなところで名刺交換する人もいないと思いますが。

 いちばん不思議なのは、式次第がないことです。
 進行役とか司会者とかもいません。たった一言、「天皇陛下、○○閣下、同夫人がお出ましのとき一同起立」と書いてあるだけ。
 でも、そこは阿吽の呼吸を心得ている日本人。恙なく行動できるんですね。これは大したものです。
 180円高。


2 「弁護士が怖い!」

 立川珠里亜・高山正之著 文春文庫 505円

 「ネイティブ・アメリカン(インディアン)には、いろんな部族があったけど、現在のアメリカ人は何族なの?」
 「うん、スー族だよ」
 こういうジョークがあります。
 スー族(Sioux)というのはネイティブ・アメリカンのなかでも勇猛果敢で知られた名門部族ですよね。カスター将軍率いる200人あまりの部隊を全滅させたことでも知られるほどです。
 でも、ここでいうスー族の「スー」とは「sue」と書きます。sueとは「訴える」という意味ですよね。

 どれほど、アメリカが訴訟国家になのか示す指標は、なんといっても弁護士の数でしょう。100万人ですよ。参考までに、この職業人口は陸海空軍、それに海兵隊という4軍の次です。
 「救急車のあとに弁護士が追いかける(ambulance chaser)」という笑い話がありますが、こんなに多くては救急車の前を走るしかありません。

 それに、訴訟国家になり下がった理由の大きなものは、ズバリ「訴訟が金になる」からです。訴訟一発で億万長者。いまのアメリカでは金になる訴訟を見つけて勝つこと。これがアメリカンドリームなんですね。これは弁護士だけではなく、原告にも当てはまります。
 だから、「子どもの通信簿が悪かった」といって親が教師を訴えたり、飼いネコを洗ってオーブンで乾かそうとして死なせた婦人が、「電子オーブンの取扱説明書にはネコを乾かしてはいけない、という表示がなかったから、PL法違反だ」とメーカーを訴えたりするんです。
 よく考えてみてください。こういう「馬鹿者」に訴訟を起こすような知恵があるわけがありません。すべては裏で糸を引く悪者がいるんです。それが弁護士なんですね。

 アメリカの弁護士は成功報酬制度です。つまり、頑張れば頑張るほど、儲けられます。
 原告がある程度の着手金を払えば(これすら不要の弁護士事務所もたくさんある)、弁護士は法廷で勝ち取った賠償金の4割、法定外和解(示談など)ならば3割の報酬が取れるんです。
 たとえば、92年2月、ニューメキシコ州アルバカーキにあるマクドナルドのトライブスルーでこんな「事件」がありました。
 79歳のお婆さんが孫の運転する車に乗ってやってきた。元気なお婆さんは太ももの間にコーヒーカップをはさんでフタを開けようとした。そのとき、カップが倒れ、熱いコーヒーが太ももから臀部にかけて流れた。結果として、臀部に3度の熱傷を負った。治療費は1万ドルかかった。
 このお婆さんがどんな行動をとったかというと、「マクドナルドのコーヒーが熱すぎるのが原因だ。顧客を無視した無神経な対応は責められるべきものがある」として、地裁に訴訟を起こしたんです。マクドナルドのホットコーヒーは通常摂氏80度前後だから、このときもそれに近かったのだと思いますよ。
 それでどうなったか。
 94年、12人の陪審員団は全員一致でマクドナルドの責任を認め、火傷に伴う苦痛や不便などへの賠償を20万ドルと認定。原告の過失分はわずか20パーセント。これを相殺しても、16万ドルですね。
 さらにここがアメリカの訴訟制度の恐ろしいところなんですが、「懲罰的賠償」という制度があります。これは製造者の注意義務違反などが認定されるケースに当てはまる賠償なんですが、このときもこれが発動されて、さらに270万ドルを算定。
 「270万ドル+16万ドル」って、いくらなのよ。3億円じゃないの!
 コーヒー1杯こぼすだけで大金持ち。これが訴訟国家アメリカの現実ですよ。

 ディズニーの「ライオンキング」など、明らかに「ジャングル大帝レオ」(手塚治虫作)をコピーしたものだから、「これは勝てる」と踏んだのか、「オレを法定代理人にしてほしい」と何人もの弁護士が日本人関係者に話を持ち込んできたといいます。
 相手が天下のディズニーならどれだけふんだくれるかわかりませんものね。弁護士なら、だれもが訴訟の代理人になりたいはずですよ。
 でも、肝心の遺族の方が「ディズニーに影響を与えたということなら、手塚も喜んでいるでしょう」とさらっと答えてましたでしょ。これが日本人の体質なんですね(良かれ悪しかれ)。
 なにかあれば、こんな訴訟の連発ですから、メーカーはたいへんですよ。とくに日本のメーカーは差別もありますからたいへんです。トヨタは訴訟対策のために全米の各州に専属の法律家を配置してますが、「訴訟が無ければ、1台あたり500ドルは確実に値下げできる」って言いますものね。

 でもね、弁護士は金になる訴訟には禿げたかのようにくらいつくものの、これがレイプ事件などになると、一転して関心を示しません。それが証拠に刑務所に入れるまで争うのは、全レイプ犯のわずか1・9パーセントしかいないのです。ほかの98パーセントの犯罪者はさっさと放免されます。これなら、累犯が多くなるのもわかりますね。

 「フリーズ」という英語が一躍、有名になったことがありました。
 93年のことです。日本人留学生の服部剛丈くん(当時16歳)がルイジアナ州バトンルージュで射殺された事件が契機でしたね。
 ここはね、人種差別の強い地域柄で、はなから犯人有利と言われたとおり、12人の陪審員があっという間に「無罪」判決を出しました。日本と違って、被告の権利を最大限に認める州ですから控訴できません。これで無罪は永遠に確定となりました。
 お気づきの通り、日本人なら、だれもが「これはおかしな制度だな」と気づくのが陪審員制度ですよ。陪審員が実質的には裁判官の役目をするんですから、「検察官や弁護士に負けず劣らず法律知識に秀でて、インテリで、バランス感覚に溢れた、良識の人」かといえば、それがとんでもない連中なんです。

 陪審員の審査基準とは、市民権を持ってる、英語を話せる、選挙登録してるか自動車免許などのIDを持っている。これだけです。もちろん、有罪判決を受けていたり、禁治産者であったり、あるいは警察官や保安官は除かれますけどね。
 陪審員というのは裁判官代わりですから、裁判期間、つまり1カ月〜2カ月間は時間を拘束されます。でも、これが無給。そこで大学教授、企業幹部、弁護士、政治家などは公務を理由に断るのが一般的ですし、こういうインテリだけはそれを認められてます。
 すると、いつも残る人って必然的に決まってくるんですね。まず失業者、それにパートタイマーや主婦、あるいは公務員といった「比較的暇な人たち」。
 ロサンゼルスタイムスなどは、「PTAとDNAの違いもわからない人間が全市民を代表して正義を裁く」と記しているくらいです。
 アメリカって自由でおおらかでフェアで、なんといっても民主主義の模範的な国。こう思いがちですし、たしかにそういう部分もあります。民主主義というのは、国民が勝ち取った権利です。でもね、こういう陪審員に裁かれるということも民主主義なんです。
 どんなものにも副作用ってのはありますね。それが効き目があればあるほど、副作用もきついですな。
 200円高。


3 「動物の言い分 人間の言い分」
 日高敏隆著 角川書店 571円

 「犬の祖先であるオオカミとジャッカルは人間が狩りをして獲物を持ち帰って食べると、食べ残しを近くに捨てることを知って、人間たちのあとをつけてくるようになった。そのうちに、彼らは人間の先に立って獲物を捕らえる先導をするようになった。
 こうして協力関係ができあがった。そのうち、彼らは人間の近くで住むようになった」
 これは動物学者として有名なコンラート・ローレンツの説ですね。

 犬や魚だけではなく、人間についても面白いトピックスを提供してくれる本です。
 たとえば、人間の目というのは網膜に移ったときは上下逆さまになって映ってるんです。そのままだと、わたしたちが見る世界はすべて上下倒立して見えるんですけど、それを脳が自動的に調整しているから、いまあなたが見ているようにちゃんと見えるわけです。
 さて、ある人に今度は上下が倒立して見えるレンズをはめさせます。すると、網膜には正立した像が映ります。
 しかし、この人が実際に見える世界は完全に上下倒立した像なんです。
 これを1週間ほど続けると、どうなるか。
 ある日突然、世界は完全に正立するんです。つまり、脳が情報処理のやり方を変えたんですね。
 さて、それから1週間後に今度はこの倒立眼鏡を外してみます。すると、どうなるか。
 裸眼で見える世界は今度は倒立してるんですよ。このまま、1週間ほど裸眼で生活すると、またまたある日突然、倒立した世界が正立して見えるようになる。
 わたしは実験されたくないけど、これは面白いね。
 人間の脳というのはものすごく柔軟性に富んでるんですね。たぶん、石頭固吉みたいな人でも、同じような結果だと思いますよ。
 50円高。