2001年05月21日騙しにくい時代、騙されにくい時代

カテゴリー価値ある情報」

好きならずっといればいいのに


 むかし、「よど号事件」というのがありました。

 1970年(昭和45年)3月31日、東京発福岡行きの日本航空351便、通称「よど号」が赤軍派にハイジャックされた事件ですね。メンバーは乗員乗客129人を人質にとって(その後、一部を解放したが)、憧れの北朝鮮に入ったわけです。

 以来30年が過ぎました。当時、偏狭な情報と思い込みだけを頼りに「この世の楽園」へと旅だった犯人たちが、どういうわけか、今ごろになって「やっぱり日本に戻りたい」と家族ともども出戻ってきたわけです。

 犯人の帰国に骨折った政治家は自民党の野中広務さんだそうです。いや、大したものです。この人は北朝鮮問題に強いんですねぇ。

 その行為を見て、「テロ行為をしてまで好きで出てった犯人など、入国させるべきじゃない」という意見があると思います。

 そればかりではありません。

 「逆じゃないのか。拉致された日本人を先に返してもらうのが先でしょ? 犯人の帰国なんて、その後でいいよ」

 こう感じているのが普通でしょうね。拉致されたご家族は政府が当てにならないから、アメリカまで行き、「やっと光が見えてきた」と感想を述べています。

 日本てホントに独立国なんでしょうか。いや、やっぱり独立してないね。いつまでも隣人と大国に気兼ねして生きてるんだもの。



酔っぱらいはいつでも、どこにもいる

 教科書が揺れてます。

 扶桑社版の歴史、公民の教科書が中国、韓国から物言いをつけられましたね。

 小泉総理は「変えません」とのこと。毅然としてますな。

 西尾幹二さんに言わせると、「韓国の小学校の歴史は、あれも日本に教えてやった。これも教えてやったという恩着せがましい内容だ」「中国にいたっては、算数の足し算、引き算の例として、旧日本兵が中国農民を何人殺したのかというケースを用いている」と言ってます。

 わたしは取り寄せて見たわけではありませんので詳細は不明です。

 でも、西尾さんは「こういう偏見と歪みを正そうとしただけ。全体を見て欲しい」とのこと。

 それで、扶桑社版歴史、公民の教科書はこの6月1日から全国書店で一斉市販するそうです。わたしも読んでみたいと思います。

 ところで、わたしは歴史、公民をにせよ、国語でも数学でも、一つのものの見方、考え方ですべてを統一する必要はない、と考えています。あぁも読める、こうも読める。表の読み方があれば、裏の読み方もある。いろんな読み方がある・・・これがいいな、と思ってます。

 扶桑社版の歴史、公民のアプローチは画期的なもので、一言でいえば、日本と日本人の尊厳を第一義に考えたものであるがために、それ以外の国寄りの人には面白くないでしょうね。

 でも、そんなに目くじら立てることかな。

 わたしが中学、高校時代にも、なにか一つの思想に酔っぱらっている教師がおりました。その口から出ることはつねにワンパターンなんですね。でも、「こんな酔っぱらいの言うことは信用しないよ」と嫌悪感さえ感じたものです。

 つまるところ、人間というのは思想がどうの、こうのというよりも、だれが言ってることか。その人間の本質をとくと見て判断しているものです。子どもあれば、なおさらそうです。それこそ、レントゲンかCTスキャンで見られているようなものですよ。

 大本営発表は株価にせよ何にせよ、かなりシビアに判断しています。マーケット、つまり国民の判断力をもって信用してもいいのではないかな。