2001年05月21日「マッキンゼー式 世界最強の仕事術」「なぜ、日本では誰でも総理になれるのか!?」「もひとつ ま・く・ら」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「マッキンゼー式 世界最強の仕事術」

 イーサン・ラジエル著 英治出版 1500円

 まっ、世界一のコンサルタント会社といってもいいでしょう。その会社の仕事のノウハウ、進め方、哲学などを網羅した本です。
 かといって、そんなに堅苦しい内容ではありません。

 「どうやって利益を増やしたらいいか?」
 「あなたの利益はどこから上がりますか?」
 こう聞き返すのがマッキンゼー流。
 「そんなことわかっている」という答えは返ってきません。

 「海の水を全部湧かすことはない」とは、マッキンゼーでよく使われる言葉です。その意味するものは「すべてを分析する必要はない」ってこと。

 目をつけるポイントは「外れ値」です。外れ値に注目するわけです。外れ値とは飛び抜けて良いか、飛び抜けて悪いかのどちらかです。

 日本企業以上に根回しはうまいですね。
 「事前に連絡します。それはショックを与えないためですね。拒絶されないために根回ししておく。クライアント企業のすべての関係者に調査結果を非公式に説明しておけば、肝心のプレゼンのときに驚かれることはありません」
 つまり、いきなりプレゼンして、「そんなこと聞いてないよ」と収拾がつかなくなったら困るわけです。それで、「この人は反対する」「この人は賛成する」「この人の反対は怖くない。CEOが納得済みだもの」という具合に、自分たちの敵と味方を分別してるんですね。
 120円高。


2 「なぜ、日本では誰でも総理になれるのか!?」

 井沢元彦著 祥伝社 1300円

 帯コピーが良い。「森さんでも総理になれた日本という国の謎」とあります。
 うーん、そうですねぇ。その通りですね。不思議だなぁ。何が不思議かといえば、国難というときに、どうしてこんなしょうもない人間をリーダーにして平気だったかでしょうかね、日本人は。

 井沢さんは「不思議でもなんでもない。日本人の歴史を振り返ると、いつもそうだった」と言って、幕末の将軍徳川家茂の例を出します。
 ご存じのように、この人はどちらかというと、皇女和宮のご主人というほうが有名ですが、将軍(第十四代)になったのがなんと満十二歳。小学生にこの動乱の世の中のマネジメントをさせるわけですね。この将軍、とにかく蒲柳の体質で二十一歳で死んじゃうんです。弱いんです。でも、平気で将軍につけてしまいます。
 もちろん、森さんにおける五人組のような存在がありました。井伊直弼ですね。まっ、役回りは野中さんてとこかなぁ。
 
 で、いきなり現代に話が戻りますが、いくら大臣だとて官僚は言うことなど聞かないんです。選挙で選ばれた人より試験で選ばれた人のほうが強いんですね、日本では。法律を作る人より、法律を盾にとってあぁだ、こうだと好きなように運用する人のほうが強いんです。
 いままでのリーダーのなかには、権力欲だけで日本の国益など考えないタイプの人が少なからずおりました。だから、彼らの権力欲、物質欲を適当に満足させながら、自分たちの聖域に踏み込ませることだけは許さなかった。
 だって、みんなでサボタージュしてしまえば、動かないモンね、行政なんか。
 田中真紀子さんの「事務方の抵抗、恫喝」というのはそういうことを指してるんです。
 こういうシステムの中に下手に優秀なリーダーが入ってきて、既得権益を冒されることは困るんです。
 誰が困るか、といえば、それはもちろん官僚のみなさんですね。

 もちろん、公共事業に無駄金ばかり突っ込む古いタイプの政治家も一掃しないといけませんな。
 「こういう政治家から国を守る」
 こういう大義名分が彼らにはあるから、頑張ってしまうんですからね。

 日本がまともな国になろうとするにあたって、いったいガンは何かといえば、もうわかりますね。
 官僚組織です。責任をとらない人たち。清朝の宦官のような存在。
 「彼らから権力を奪い取らない限り、日本は蘇りません」という人もいますがそこまでする必要はないんです。
 「わたしたちみんなであなたがすることを見張ってますよ」というだけでいいんです。それが情報公開法ですよ。あの人たちの巧みな点は、法律の庇護の元で合法的に悪いことをすることですね。これが得意技です。一般的に言えば、「隠れて悪いことをする」というんです。
 だから、「見ーーーつけた」といえる制度、「見張ってるよ」という態度。つまり、関心を寄せることが大事なんです。無関心はいちばん楽ですが、無関心は義務の放棄と権利の放棄の両方を意味すると思いますよ。
 税金の使い方に無関心なのも源泉徴収という軍事体制下の緊急施策をそのまま踏襲してるからですね。これによって、一度入ったお金を抜き取られる怒りを無くしてしまいました。

 さて、「なぜ、日本では誰でも総理になれるのか!?」という命題に対する、わたしの回答はこういうものです。
 「まだ、死ぬほど困ってないから」「本気で怒ってないから」ということです。政治家や官僚はもちろん、国民もホントは困ってません。だから、甘いんです。
 こんなに国民をコケにしたことばかりしてるのに、国民の間からはストライキも一揆もテロも起こりません。戦前なら、おそらく大臣や次官経験者、とくに経済官僚や銀行の頭取クラスは二〜三十人は殺されてたんじゃないかな。
 でもね、日本人は怒りを忘れました。宦官のようなものです。これが平和の正体です。
 100円高。


3 「もひとつ ま・く・ら」
 柳家小三治著 講談社 733円

 噺家小三治師匠の第二弾です。前作「まくら」も紹介しましたので、今回も。
 まくらっていうのはpillowではありませんよ。本題に入る前の序のことなんですね。まっ、お客さんとの間合いを計ったりするための小手調べですね。
 この師匠はまくらがおもしろい。そこで、まくらばかり集めた本ができたわけ。
 
 こんな話がありました。
 師匠が真打ちになったのは29歳のとき。もう30年以上も前のことです。
 真打ちの前は「二つ目」と言いますが、その頃から、いまのダウンタウンとかウッチャンナンチャンみたいなアイドルだったんですね、この師匠は。週に16本ものレギュラー依頼があったっていうんですから、半端じゃありませんね。
 でも、たいていはバラエティ番組で網タイツで登場させられたり、そうとういじくられていたわけです。
 贔屓の料理屋さんに行くと、「あんた、あんことやってていいの?」と叱られる。自分でも、「こんなことやってていいのかな」といつも疑問を持っていた、といいます。

 で、この話は真打ち直前の話です。
 たまたま沼津で仕事があったとき、ちょっと空いた時間にボーリングに行った。凝りに凝っていたらしく、女子プロと対戦して優勝したこともあるほど好きだったみたいです。
 1人でボーリングをしていると、18、9の可憐な女の子がツツツッとやってきて一言。
 「落語をやっください。テレビであんなガチャガチャしたことやってもらいたくないんです」
 これは自分でも身がすくんだそうです。やっぱり、こんなことやってたらダメだっていう思いがあったんでしょうね。で、「どうもありがとう」と思わず返事したっていうんです。
 開演まで時間がまだある。それで洗車してるとまた彼女が通りかかった。
 「さきほどはどうも・・・」
 「あたし、なんに見えます」と突然、彼女が聞く。師匠にいわせると、大原麗子と秋吉久美子を足して二で割ったような感じの女の子らしいです。
 「あたし、芸者なんです。芸者屋の娘です」
 「今日はどこで独演会やるんです?」
 「あっ、そこ知ってます。見に行けませんけど、頑張ってくださいね」

 会場に行くと、大きな新茶の缶が届いている。「笑子」というのし紙。さっきの子は笑子さんていうんですね。
 わずか18、9でも気っぷがいいね。
 それで真打ちになったときに、手拭い、扇子、それに口上書。この3点セットを披露口上っていうんですが、これを彼女にも送ってやろうと考えた。
 あれから、くだらない番組は降りて落語に精進します。「ガチャガチャしたことやっもらいたくないんです」という言葉は、師匠にとって「お守り」のようなものだったんですね。
 ところが、どの芸者置屋かもわからない。「梅なんとか」って言ってたなぁ。それで電話局で調べてみると、沼津にはその梅なんとかが三軒ある。適当に目星をつけて送ったんです。
 でもね、返事はありませんでした。

 それから2度、3度と沼津に仕事でいきます。そのたびに、高座や楽屋でこのポンポン威勢のよかった女の子の話をします。
 すると、何回目の時に楽屋でボランティアをしていた大企業の部長さんがいた。
 「師匠、よく三分かそこら立ち話をして、そこまでわかりましたね。まったくそうなんです。あの子はお座敷でも言いたい放題、それでいてあっけらかん。だれからも好かれて、嫌みのないいい子でしたよ。ほんとうにそういう子でした」
 「知ってるんですか?」
 「知ってますよ。何度もお座敷で顔を合わせましたから」
 「まだお座敷に出てるんなら、あたし呼びたいんですけどね。まだ呼べますか?」
 「えぇ、それがね。あの子は五年ほど前に死にました」
 それを聞いたとたん、小三治師匠の両目から涙がボロボロ出てきて止まらなかったんですね。

 風呂場で転んで死んだそうです。
 師匠はそれから沼津近辺で仕事があると、オフを利用してその笑子さんの知り合いを訪ねます。
 でもね、ここまで来るのになんともう20年近くが経ってるんですよ。ですから、梅なんとかという店ももうありません。それでも、オートバイに乗って探すんです。で、また電話帳(タウンページ)を頼りに適当に置屋さんにかける。
 すると、あったんですね。
 「わかりにくいところにありますから、お迎えに上がります」
 経緯を話すと、ふすまの裏で泣く声がする。
 なんと、この笑子さんと同級生で、しかもライバルの芸者さんだった人なんですね。
 「そこまでしてもらって、笑みちゃんは幸せ者です」

 笑子さんには1歳の女の子がいたそうです。
 旦那もいたけれども、これがぼんくらで駅前の一等地を売り払ってどこかに消えてしまったまま。
 母親も実の母親ではなかった。職人をしている笑子さんの父親のところに貸し金を取りに行かせたところ、母親違いの小さな笑子さんが兄弟の中で明らかに浮いている。それが不憫でそのままもらってきたんだそうです。
 芸者置屋のお母さんが芸者の1人に取り立てにいかせたんですね。
 「お前も子ども抱えていることだし、それじゃ、うちの養女にする」ということで芸者屋の娘になったわけ。
 笑子さんは29歳で結婚して、その2年後に死にます。
 「富士霊園に眠ってます。親の墓参りにも満座に行かないあたくしが、2日続けて行ってきました」

 縁は異なもの味なものですな。人の一生にはこういう縁が何回か訪れます。
 突然、すい星のようにパッとやってきてはパッと消える人いますね。時間にすれば、小三治師匠のようにほんの2、3分ということもありますよ。
 でも、この縁がものすごいアドバイスというか、メッセージを伝えていることがあります。
 「あの人はこのわたしに何かを伝えるためにやってきたにちがいない」
 福音というのはそういうもののことでしょうね。
 でも、これね、聞こえる人には聞こえますが、聞こえない人にはまったく聞こえないものなんです。小三治師匠が聞こえたのは、自分の心の中に課題を抱いていたからですね。だから、打てば響いたわけです。
 こんな出会いをしたいものですね、ちょっと悲しいけど。
 というわけで、150円高。