2001年03月12日「日本経済に起きている本当のこと」「プロカウンセラーの聞く技術」「寄席は毎日休みなし」
1 「日本経済に起きている本当のこと」
糸瀬茂著 日本経済新聞社 1400円
著者はニュースステーションでお馴染みの人ですね。
第一勧銀、ソロモン、ドイチェバンクの証券部門での経験をバックボーンに、いまの金融行政を真剣に憂えています。
現在、食道ガン治療のために化学療法に専念されているそうですが、ぜひ、早く治って元気にカムバックされんことを祈るばかりです。
本書はテレビ東京の「ニュース・モーニング・サテライト」のインターネット版に毎週、連載しているコラムをまとめたものです。
彼の主張はいつも明確です。行き過ぎの「借りて保護」「弱者救済」をやめよ。「政府が救済すべきは人であって企業ではない」「明快な説明責任をせよ」・・・。
いずれももっともな話です。
日本では金融問題はいつも政治問題にすり替えられます。経済問題、金融問題が政治家の手に掛かると、変な方向に進むばかりで、「こんなことなら、政治家はいらないな」と思うのはわたしだけではないでしょう。
著者の憤りがこちらにまで伝わってきます。心ある高級官僚も(いればの話ですが)、わけのわからない政治家を前にして絶望感でさいなまれているではないでしょうか。
まったくまじめな人が生きにくい時代です。
本書では彼の意見だけではなく、インターネットを通じて寄せられたたくさんの有識者の意見も掲載されています。それがまた勉強になります。
「財政出動でもオールドエコノミーは株価が戻らない」
「倒産は悪いことではない。死に体の中小企業を延命させるより、破産法の整備をしたほうがいい」
「100万円の再就職支援プログラムを考える。リストラ200万人でも2兆円ですむ」
「流動さえしていれば、失業問題は社会問題化しない」
「環境を破壊する堤防工事に無駄な税金を使うな。それより早期警戒警報システムと保険制度を拡充せよ」
「新たな買い手を探すのは無理−−不良債権さえ切り離してしまえば世界一健全な企業に早変わり。それを上場させて高く売れ」
「優秀な人材だけが自由に勤務先を選択できる」
目から鱗が落ちるコラムばかりです。憂国の情溢れる人にぜひ読んでもらいたいと思います。
ガンが治ったら、著者にはぜひ政治家になってもらいたいな。自由党の鈴木淑夫さんとか、民主党の岩国哲人さんとか、政界にもプロの経済、金融スペシャリストがもっと必要です。
50円高。
2 「プロカウンセラーの聞く技術」
東山紘久著 創元社 1400円
ベストセラーらしい。たしかに、「しゃべりすぎた」という反省はあるけれども、「聞きすぎた」という反省はない。
著者は京大教授にして臨床心理士。その道の専門家です。
臨床心理士というのは、コーチニングのノウハウをきっちりとマスターしています。つまり、自他をきっちり区別して、相手の話を聞くときは自分の意見は出さない。つねに相手の言うことを肯定しながら聞く。何種類も相づちのノウハウを持っています。
丁寧に話を聞くのはわからないから、ということを知っているからです。
それに何といっても、「カウンセラーは何かをしてあげられる仕事ではない。助言とはひたすら聞くこと」と言うとおり、新米の臨床心理士ほどサービス過剰になると言います。ところが、「自分ならこうする」という助言が相談者の役に立つことはほとんどありません。これを彼らの業界では、「いかれ現象」というそうです。
つまらない話、とりとめのない話。でも、彼らは話の内容そのものではなく、「どうしてそんな話をするのか」「どうしてこう考えるのか」という相談者のものの見方、考え方に興味があるから、話を興味深く聞けるそうです。
どんな相談者に対しても、「それは気のせい」「それは思い過ごし」とは言いません。その人の心はその人にしかわからないから、本人がそう言うならそれが正しいのです。その点は精神科医と決定的に異なるポイントですね。
こんなケースがあります。
「死ね、死ね」と周囲の人が自分にいう声が聞こえるという幻聴に悩んでいる相談者を相手にします。
著者は机を叩いて、「いま、わたしは耳鳴りがしてるんだけど、あなた、聞こえる?」と訊きます。
「聞こえません」と相談者。
「たしかにひどい耳鳴りがするんだけど、聞こえませんか?」
「聞こえません」
「ではこの音は聞こえますか?」と今度は机を叩きます。
「聞こえます」と相談者。
「わたしにも聞こえます」
「みんなが死ね、死ねという声は聞こえませんか?」と相談者。
「聞こえませんよ」と著者。
「わたしにははっきり聞こえるんですが」
「そうでしょうね。わたしの耳鳴りはわたしにははっきり聞こえるんですから」
けっして否定をしないのです。関係作りをするだけにとどめるんですね。
でも、これたけ素直に聞くためには訓練が必要ですよ。というのも、正しいことだけに目を向けるのは簡単なんです。そうではなく、人間の弱い部分、影の部分にも理解をするということは至難の業です。
臨床心理士という仕事は人間をモノと考えられる人か、あるいはものすごく愛することのできる人か。そのどちらかでなければ、なれないのではないか。わたしはそう感じました。
本書は「聞く技術」云々というタイトルの本の中ではいちばん内容のある本です。ほかにも「聞く技術」関連の本を読みましたが、あまりの低次元さにすぐに捨ててしまいました。読むだけ無駄です。
30円高。
3 「寄席は毎日休みなし」
春風亭柳昇著 うなぎ書房 1890円
柳昇師匠といって、どれだけの人がわかるかなぁ。
あのトロンボーンをよく吹いているお年寄りの落語家と言えばわかるでしょうか。その昔、「お笑いタッグマッチ」に出てた人(よけい、わからなくなるな)とか、大正テレビ寄せのあとの演芸番組に出てた人・・・というと、もっとわからなくなりそうなのでやめます。
柳昇師匠は三遊亭金馬が大好きで、この大師匠の得意な「藪入り」のテープを久しぶりに聞いて、「素晴らしい。なんとすごい名人だろう。とても太刀打ちできない」と圧倒されます。
「昨日の感動をもう一度」と翌日、再び同じ噺を聞いてみるとどうでしょう。あれほど感動した芸がすごいとは感じなくなってきたばかりか、「ここのところは、私だったら、こうやるのにな」という箇所が随所に出てきたというのです。三日目にまた聞いてみると、このくらい自分でもできるのではないかとさえ思えてきたそうな。
たとえ至芸でも、何度か聞くうちに神通力がなくなってくるから妙なものです。
その逆もあります。
初めて、自分が出た放送を聞いた時にはがっかりしたそうです。「あそこがまずい、ここはダメだ」という生やさしいものではありません。全部ダメなのです。「落語家をやめるほかない」と思った。しかし、やめても他にできる仕事があるわけではない。落語を続けるしかなかった。
その後も、自分の噺が嫌で一切聞こうとはしなかったそうですが、いつまでも落語から逃げているわけにもいかない。そこで、ある日、勇気を奮って聞いてみることにしたのです。
すると、やっぱり聞くに耐えなかった。しかし、我慢して聞いた。そして悪いところを頭の中でチェックしていった。翌日、聞いてみた。すると、昨日は聞くに耐えないと思ったものの、なんとか我慢すれば聞いていられる。三日目にまた聞いてみた。すると、そんなにまずくはない。金馬師匠ほどではないけれども、この程度ならプロとしてやっていけるのではないだろうか、と自信さえ持ったと言います。
昭和21年12月、落語の世界に入った柳昇師匠は、その12年後、ついに念願の真打昇進の通達を受けます。
ホントにうれしかったそうです。しか、うれしかったけれども困りました。真打になるには金がいるのですが、それがありません。まったく困った。どうしたらよいか、懇意にしている浜町の置き屋の女将さんを久しぶりに訪ねます。
「お金はお友達や目下の人から借りてはダメよ。生涯、頭が上がらなくなりますからね。どうせ頭が上がらなくなるなら、最初から頭の上がらない人から借りた方が得よ。それで返す時は一度に返すよりも、帳面を作って日を決めてきちんきちんと返す。その時、都合が悪かったら前日ね。絶対に遅れたらダメ。そうやって返していけばは親しくなれるし、信用もつく。お金を借りて信用をつけるなんて、こんないいことはないわ」
そこで、上野鈴本演芸場の大旦那に無心することに決めます。当時、八十歳。社長業は孫に任せていました。その孫は柳昇師匠より三歳年下でした。とうの社長も助け船を出してくれました。
「いくらいるの?」
金額を言うと、即座に「いいですよ。貸してあげましょう」と答えてくれます。
「一度にお返しできませんので、月賦にしていただけないでしょうか」
「いいですよ」
「毎月、十日の日にお返しにあがるということにさせていただきます。それから利息は」
「そんなものはいません」
毎月、大旦那と顔を合わせるうちに、浜町の女将さんの言う通り、親しく口がきけるようになったそうです。
「この絵は買ってくれと言われて買ったんですが、額縁のほうが高くついたのであげますよ」
「桜の盆栽、いいでしょう。2つあるから持っていきませんか」
伺うたびに、いろんなものをいただいたそうです。そして3年後、借金返済の日が来ました。
それから2年後、柳昇師匠の奥さんが家が狭いから二階を増築しようと言い出します。
「大旦那に借りておいでよ」
奥さんはまるで当然といった顔で師匠に命令します。師匠は嫌だったそうですが、奥さんの命令では仕方がありません。おそるおそる借りに行くのですが、また今度も快く貸してくれます。また、帳面をもって通うことになります。
大旦那も柳昇師匠が来るのを楽しみにしてくれるようでした。借金は1年半で完済しました。最後の判子を押しながら、「土地は自分のものですか?」と大旦那が聞きました。借地だというと、「買ってしまいなさい。お金は出してあげますよ。何坪あるの?」「ちょうど100坪あります」「いいですよ。買いなさい」
すぐに飛んで帰って、奥さんに話すと大喜び。
「裏に100坪の土地がある。宅地と合わせて200坪。今、土地がどんどん値上がりしてるから、5年もすれば値段は倍。半分の100坪を売れば、全部自分のものよ」
捕らぬ狸の皮算用ですね。その日、うれしくて眠れなかったと告白しています。
ところが、それから1週間後、「大旦那が倒れた」という報が届いた。脳いっ血でした。そのまま、帰らぬ人となります。
「タダで土地が手に入る夢はむなしく消えたが、こんな私を何度も信用してくれた大旦那がうれしかった」
噺家でお金を借りてきちんと返したのは柳昇師匠が初めてだったそうです。大旦那は返ってこないのを承知の上で貸してくれたんですね。そのことを死んだあとにはじめて知ります。
人の縁というのはおもしろいですね。
縁と言えば、柳昇師匠がそもそも弟子入りしたのも、ひょんな縁です。学生時代の友人の父親が師匠なんですね。しかも、大卒の給料の何百倍も実入りがいいことを聞いて押し掛けるわけです。
その師匠から「落語は好きでなければできない。食うためなら他の仕事を探せ」といわれるのですが、落語が好きと胸を張って言えるほど明るくはありません。
「でも、好きでやるより食うためにやる方が真剣ではないか」と頼み込みます。もちろん、本音は口が裂けてもいえません。
「好きより食うためのほうが真剣」・・・そうかもしれませんね。
弟子入りすると、おもしろいことばかりです。
兄弟子は師匠の芸を勉強しているうちに、身振り手振り、口の動かし方まで師匠そっくりになってしまい、そのためよく怒られます。
「オレから離れろ。お前と寄席で一緒のとき、お前が先に出るとやりにくくて仕方がない」
そこで、師匠とちがう芸をやろうと考えます。しかし、今思えば失敗だったと気づきます。「芸は模倣から始まる」−−まず真似からはじまり、それができたらそこから脱皮すればよかったのです。でも、それをしなかった。だから、評判があまりよくなかった。
師匠の芸を真似してはいけない。しかし、芸は模倣からはじまる。
この矛盾するを2つの問題をどうするか。
柳昇師匠は言います。
「芸の下手な師匠の弟子になって、上手な人の芸を真似するのが一番だ。そうすれば、掃き溜めに鶴で目立って得だと思う」
たしかにそうですね。
生きるためにどう仕事をするか。仕事のためにどう生きるか。いろんな知恵が満載されています。
45円高。好著です。