2013年12月26日母のみぞ知る。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
イブにはあんなに混雑してたデパ地下が、クリスマスはがら〜ん。駆け込み需要ってヤツですわな。
25日の夕方にはケーキも叩き売り。賢い消費者はそれを待ち構えてます。別にクリスチャンじゃないしぃ。
ターキー食べて、シャンパン空けて、ケーキ食べて、で、お祈りはしない。飲み食いだけ。
クリスマスって恋人同士のモノなのよ。イルミネーションがロマンティックだかんね。あとはケーキと鶏肉食べたいお子ちゃま向け。
消費も増えるしね。クリスマスのおかげでヒット曲もドラマも小説も生まれるわけでね。
みながハッピーになればそれでいいじゃん。このいい加減さがとてもいいっすねえ。
ええっと、ワイドショーで紹介されるレベルの芸能ネタだけは取り上げないことにしてますが、これだけはちょいと一言。
16年間育てたわが子がDNAを調べると実子である確率が0%だった、つう話ね。多忙なビジネスパースンはなんやそれ、と思ってるでしょうな。
だから芸能ネタですって。
ま、あの世界ではよくあるんじゃないかな、全員、調べたら。某タレントさんの美人の奥様にしても、結婚式前夜、某人気俳優と一緒にいましたからね(婉曲に表現してます)。芸能界でなくてもこんなことはよくあるか。
ま、味見しなくちゃわからんからね。最後の最後に伴侶を決めるつうことは正解。結婚という「制度」にとらわれることのほうがおかしいね。
さて今回の場合、「どうも似てない」つう疑問があったわけっしょ。まあ、そんなこたあよくあります。隔世遺伝つうのもありますしね。疑心暗鬼になると『華麗なる一族』になっちまうわなあ。
「華麗なる一族」
先日、イスラエルとパレスチナで取り違えられた子どもたちの映画をご紹介しましたけど、血だとかDNAなんてどうでもいいんじゃない? 「違う」と判明しても「そうだったんだ」でいいんじゃないかな。まして16年も一緒に親子してたんならね。
某野球選手のケースではベビーの肌の色が違ってて、奥さんの浮気がばれちゃった。即、離婚。もし相手が日本人ならわからなかったでしょうね。
黒澤映画の傑作「どですかでん」
「ぼくたち、お父ちゃんの子どもじゃないの?」
「どうしてだよ?」
「みんな、言うんだ。ぼくたちのお父ちゃんはみんな違うって」
「そんなことないよ。みんな可愛いお父ちゃんの子どもだよ」
奥さんが浮気者でね。5人の子どもの父親は全員違うの。ホントはね。人のいいブラシ職人の良さん(三波伸介さん)はそんなことはつゆとも知らず、奥さんをまったく疑ってないの。
おバカさん? いえいえ、生活の知恵だと思いますね。
メンデルの「遺伝の法則」では、日本人と白人なら初代の子どもは髪の毛と瞳は黒く、肌は黄色。つまり日本人型になります。必ずそうなります。「優性遺伝」てヤツですね。もし黒人と日本人なら黒人型になります。人類はアフリカで誕生したことがわかりますね。
「優性遺伝」つう日本語は誤訳ですね。英語のできん遺伝学者が訳したんでしょう。「dominant=支配」「ressesive=潜性」てことでしょ。どうせなら優性より優勢のほうが正しいですな。
彼の父親はだれかわかりますわな。でも、んなこたあどうでもいいじゃないっすか。子どもはわが子ではなく、神様(宇宙生命)からの「預かりもの」。何度も言うけど「授かりもの」ではありませんからね。
父がいて母がいるわけではありません。子どもがいるから父になり母になるわけです。子どもという宇宙生命がわざわざこの父とこの母を選んで飛び込んできたわけでね。
今回は、たまたま戸籍上の父親はDNAとは関係なかった、というだけの話。
「親である」ということと「親になる」ってことはぜんぜん違いますからね。けど縁があるから親子になった。離婚しようが死別しようが関係なし。もち結婚していないからといって、血のつながりのある父親と無縁なわけでもなし。しかし16年間一緒に暮らした父親とのほうが縁は強いですわな。
「ラッキー! どうせ結婚するからあの人の子どもとして産んじゃおうっ」と計算したのか、DNAの結果が出るまでまったく知らなかったのか、母のみぞ知るですな。
でも、いいんじゃないの。子どもとの縁がなくて代理母とか代理妊娠を依頼する人とか養子縁組をする人もたくさんいますしね。
縁があるつうことは意味がある、つうこと。その意味に気づかない人が多すぎますわな。
DNAよりも大きなものは「縁」です。そういえば、仕事場には梵語で書かれた「般若心経」とともに「縁」という大きな扁額が掲げられています。どちらも来年8月「青森ねぶた祭り&恐山いたこツアー」の団長をしていただく青木宏之先生の書です。チャンスがあったらこのブログでご紹介しましょう。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『上岡龍太郎 話芸一代』(戸田学著・青土社)です。詳細はこちらからどうぞ。
25日の夕方にはケーキも叩き売り。賢い消費者はそれを待ち構えてます。別にクリスチャンじゃないしぃ。
ターキー食べて、シャンパン空けて、ケーキ食べて、で、お祈りはしない。飲み食いだけ。
クリスマスって恋人同士のモノなのよ。イルミネーションがロマンティックだかんね。あとはケーキと鶏肉食べたいお子ちゃま向け。
消費も増えるしね。クリスマスのおかげでヒット曲もドラマも小説も生まれるわけでね。
みながハッピーになればそれでいいじゃん。このいい加減さがとてもいいっすねえ。
ええっと、ワイドショーで紹介されるレベルの芸能ネタだけは取り上げないことにしてますが、これだけはちょいと一言。
16年間育てたわが子がDNAを調べると実子である確率が0%だった、つう話ね。多忙なビジネスパースンはなんやそれ、と思ってるでしょうな。
だから芸能ネタですって。
ま、あの世界ではよくあるんじゃないかな、全員、調べたら。某タレントさんの美人の奥様にしても、結婚式前夜、某人気俳優と一緒にいましたからね(婉曲に表現してます)。芸能界でなくてもこんなことはよくあるか。
ま、味見しなくちゃわからんからね。最後の最後に伴侶を決めるつうことは正解。結婚という「制度」にとらわれることのほうがおかしいね。
さて今回の場合、「どうも似てない」つう疑問があったわけっしょ。まあ、そんなこたあよくあります。隔世遺伝つうのもありますしね。疑心暗鬼になると『華麗なる一族』になっちまうわなあ。
「華麗なる一族」
先日、イスラエルとパレスチナで取り違えられた子どもたちの映画をご紹介しましたけど、血だとかDNAなんてどうでもいいんじゃない? 「違う」と判明しても「そうだったんだ」でいいんじゃないかな。まして16年も一緒に親子してたんならね。
某野球選手のケースではベビーの肌の色が違ってて、奥さんの浮気がばれちゃった。即、離婚。もし相手が日本人ならわからなかったでしょうね。
黒澤映画の傑作「どですかでん」
「ぼくたち、お父ちゃんの子どもじゃないの?」
「どうしてだよ?」
「みんな、言うんだ。ぼくたちのお父ちゃんはみんな違うって」
「そんなことないよ。みんな可愛いお父ちゃんの子どもだよ」
奥さんが浮気者でね。5人の子どもの父親は全員違うの。ホントはね。人のいいブラシ職人の良さん(三波伸介さん)はそんなことはつゆとも知らず、奥さんをまったく疑ってないの。
おバカさん? いえいえ、生活の知恵だと思いますね。
メンデルの「遺伝の法則」では、日本人と白人なら初代の子どもは髪の毛と瞳は黒く、肌は黄色。つまり日本人型になります。必ずそうなります。「優性遺伝」てヤツですね。もし黒人と日本人なら黒人型になります。人類はアフリカで誕生したことがわかりますね。
「優性遺伝」つう日本語は誤訳ですね。英語のできん遺伝学者が訳したんでしょう。「dominant=支配」「ressesive=潜性」てことでしょ。どうせなら優性より優勢のほうが正しいですな。
彼の父親はだれかわかりますわな。でも、んなこたあどうでもいいじゃないっすか。子どもはわが子ではなく、神様(宇宙生命)からの「預かりもの」。何度も言うけど「授かりもの」ではありませんからね。
父がいて母がいるわけではありません。子どもがいるから父になり母になるわけです。子どもという宇宙生命がわざわざこの父とこの母を選んで飛び込んできたわけでね。
今回は、たまたま戸籍上の父親はDNAとは関係なかった、というだけの話。
「親である」ということと「親になる」ってことはぜんぜん違いますからね。けど縁があるから親子になった。離婚しようが死別しようが関係なし。もち結婚していないからといって、血のつながりのある父親と無縁なわけでもなし。しかし16年間一緒に暮らした父親とのほうが縁は強いですわな。
「ラッキー! どうせ結婚するからあの人の子どもとして産んじゃおうっ」と計算したのか、DNAの結果が出るまでまったく知らなかったのか、母のみぞ知るですな。
でも、いいんじゃないの。子どもとの縁がなくて代理母とか代理妊娠を依頼する人とか養子縁組をする人もたくさんいますしね。
縁があるつうことは意味がある、つうこと。その意味に気づかない人が多すぎますわな。
DNAよりも大きなものは「縁」です。そういえば、仕事場には梵語で書かれた「般若心経」とともに「縁」という大きな扁額が掲げられています。どちらも来年8月「青森ねぶた祭り&恐山いたこツアー」の団長をしていただく青木宏之先生の書です。チャンスがあったらこのブログでご紹介しましょう。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『上岡龍太郎 話芸一代』(戸田学著・青土社)です。詳細はこちらからどうぞ。