2014年01月18日日テレ新番組「明日、ママがいない」について。。。
カテゴリー中島孝志のテレビっ子バンザイ!」
モノの見方には何通りもあります。この大前提がわからないと、「オレだけが正しい」「わたしの言い分だけが正しい」「だから受け容れるべきだ」と正義を振り回し、とんだドン・キホーテを演じることになります。
わたしが育ったマスメディアにはとくにこういう人たちがたくさんいたように思えます。
正論は人を傷つけますね。だからなのか、おとなは正論を語るとき、その発言が相手にどう思われるかを吟味して発言します。とかく独りよがりは周囲から浮いて嫌われます。悲劇なのか喜劇なのか、当人はまったく気づきません。
『明日、ママがいない』はそのコンテンツからして話題性十分。なんといっても主役はあの天才子役の芦田愛菜ちゃん。やっぱ巧いわあ。「ポスト」と嫌な渾名をつけられます。で、先日ご紹介したWOWOWドラマ『震える牛』の主役をされた三上博史さんが児童養護施設の責任者役ときたからにはヒットしないわけがありません。
「おまえたちはペットショップの犬と同じだ」
里親に引き取ってもらえるよう可愛げを教え込もうとするわけです。
この内容だけではないと思いますが、赤ちゃんポストを設置する病院と児童養護施設関係者からクレームが寄せられたとか。
テレビ局(脚本家)はこういうことをよくやります。視聴率を稼がないと生きていけませんからね。
むかしなら「同情するならカネをくれ」、いまなら「10倍返しだ!」。こんなインパクトあるセリフでないと視聴者は振り向いてくれない、と経験則的にわかっているんでしょう。
インパクトのあるドラマでないとウケない。だからしょっちゅう、病気がテーマになります。俳優は演じるだけですが、実際にその病気で苦しみそして亡くなる患者さんがたくさんいます。いまもたくさん苦しんでいます。ご家族も苦しんでいます。
視聴率が取れないと、テレビは登場人物をさっさと殺します。こんなドラマを患者さんやご家族は絶対に見ません。暗いドラマを見るのは実は元気な人たちだけです。
見ない理由は怖くてしょうがないからです。深く傷つくのがイヤだからです。避けます。敬遠します。敬遠のフォアボールです。
病院で人気があるのは差し障りのないお笑い番組やバラエティ番組です。以前書きましたが、どこかの放送局はバラエティ番組でも「死」を軽んじるドッキリを仕掛けて演者一同が大笑いしていました。「余命3か月」と宣告された患者さんやご家族、関係者のことなど露ほども配慮していないことがありあり。呆れていますが、テレビとはしょせんこの程度のレベルなのかもしれません。
さて、『明日、ママはいない』も視聴率を取るでしょう。ほとんどの視聴者は親に棄てられたことも児童養護施設で暮らしたこともないからです。
わたしもありません。けど養護施設の子どもたちを預かったり、一緒に遊んだことは何度もあります。10年20年経って、街でばったり遭遇し、挨拶されても気づかず、本人から説明されて、「ああ、大きくなったね」とようやく応えるだけ。驚くばかりです。
番組は土足でお茶の間に踏み込んでくるわけではありません。見たくない人は見なければいいのです。
こういう番組は止めようがありません。なぜなら、つくる側にはつくる側の論理があるからです。
世の中は目利き100人、目利かず100人。たまに脚本を鵜呑みにして偏見を持つ視聴者もいるでしょうが、そういう人もいずれ理解するはずです。
テレビのことですから勧善懲悪ドラマにするはずです。映画とちがって予定調和。でないとテレビの視聴者は許してくれません。だから悪意に充ち満ちたラストになるはずがありません。必ず救いがあります。
テレビというヤツは、マイノリティではなく、つねにマジョリティを相手にする商売です。傷つく子どものいることなどなんの配慮もしないのがテレビです。正義という大義名分を振りかざしていればなおさらです。
こんなものにいちいち目くじらを立てる必要はありません。過剰反応するだけ損です。放っておけばいいのです。病院も児童養護施設も「差別に満ちた内容だ」と怒るのではなく、哀れんであげることです。
そして世論を信じること。「世間は正しい。間違っていたら間違ったことが正しいんや」と幸之助さんはよく話していました(この一言でわかる人はわかるし、わからない人はわからないでしょう)。「けだし名言」と感心していた文豪がいました。
愚痴や不平不満をこぼす時間なんてもったいない。もしかすると、このドラマが話題になって、簡単に子どもを棄てる親や偏見に充ち満ちた人たちに一石を投じて、彼らの意識が変わるチャンスとなるかもしれません。
「レベルの低い社会は対立をつくりたがり、レベルの高い社会はすべてを包み込む」と言った哲学者がいました。だれかは忘れましたが。。。
わたしが育ったマスメディアにはとくにこういう人たちがたくさんいたように思えます。
正論は人を傷つけますね。だからなのか、おとなは正論を語るとき、その発言が相手にどう思われるかを吟味して発言します。とかく独りよがりは周囲から浮いて嫌われます。悲劇なのか喜劇なのか、当人はまったく気づきません。
『明日、ママがいない』はそのコンテンツからして話題性十分。なんといっても主役はあの天才子役の芦田愛菜ちゃん。やっぱ巧いわあ。「ポスト」と嫌な渾名をつけられます。で、先日ご紹介したWOWOWドラマ『震える牛』の主役をされた三上博史さんが児童養護施設の責任者役ときたからにはヒットしないわけがありません。
「おまえたちはペットショップの犬と同じだ」
里親に引き取ってもらえるよう可愛げを教え込もうとするわけです。
この内容だけではないと思いますが、赤ちゃんポストを設置する病院と児童養護施設関係者からクレームが寄せられたとか。
テレビ局(脚本家)はこういうことをよくやります。視聴率を稼がないと生きていけませんからね。
むかしなら「同情するならカネをくれ」、いまなら「10倍返しだ!」。こんなインパクトあるセリフでないと視聴者は振り向いてくれない、と経験則的にわかっているんでしょう。
インパクトのあるドラマでないとウケない。だからしょっちゅう、病気がテーマになります。俳優は演じるだけですが、実際にその病気で苦しみそして亡くなる患者さんがたくさんいます。いまもたくさん苦しんでいます。ご家族も苦しんでいます。
視聴率が取れないと、テレビは登場人物をさっさと殺します。こんなドラマを患者さんやご家族は絶対に見ません。暗いドラマを見るのは実は元気な人たちだけです。
見ない理由は怖くてしょうがないからです。深く傷つくのがイヤだからです。避けます。敬遠します。敬遠のフォアボールです。
病院で人気があるのは差し障りのないお笑い番組やバラエティ番組です。以前書きましたが、どこかの放送局はバラエティ番組でも「死」を軽んじるドッキリを仕掛けて演者一同が大笑いしていました。「余命3か月」と宣告された患者さんやご家族、関係者のことなど露ほども配慮していないことがありあり。呆れていますが、テレビとはしょせんこの程度のレベルなのかもしれません。
さて、『明日、ママはいない』も視聴率を取るでしょう。ほとんどの視聴者は親に棄てられたことも児童養護施設で暮らしたこともないからです。
わたしもありません。けど養護施設の子どもたちを預かったり、一緒に遊んだことは何度もあります。10年20年経って、街でばったり遭遇し、挨拶されても気づかず、本人から説明されて、「ああ、大きくなったね」とようやく応えるだけ。驚くばかりです。
番組は土足でお茶の間に踏み込んでくるわけではありません。見たくない人は見なければいいのです。
こういう番組は止めようがありません。なぜなら、つくる側にはつくる側の論理があるからです。
世の中は目利き100人、目利かず100人。たまに脚本を鵜呑みにして偏見を持つ視聴者もいるでしょうが、そういう人もいずれ理解するはずです。
テレビのことですから勧善懲悪ドラマにするはずです。映画とちがって予定調和。でないとテレビの視聴者は許してくれません。だから悪意に充ち満ちたラストになるはずがありません。必ず救いがあります。
テレビというヤツは、マイノリティではなく、つねにマジョリティを相手にする商売です。傷つく子どものいることなどなんの配慮もしないのがテレビです。正義という大義名分を振りかざしていればなおさらです。
こんなものにいちいち目くじらを立てる必要はありません。過剰反応するだけ損です。放っておけばいいのです。病院も児童養護施設も「差別に満ちた内容だ」と怒るのではなく、哀れんであげることです。
そして世論を信じること。「世間は正しい。間違っていたら間違ったことが正しいんや」と幸之助さんはよく話していました(この一言でわかる人はわかるし、わからない人はわからないでしょう)。「けだし名言」と感心していた文豪がいました。
愚痴や不平不満をこぼす時間なんてもったいない。もしかすると、このドラマが話題になって、簡単に子どもを棄てる親や偏見に充ち満ちた人たちに一石を投じて、彼らの意識が変わるチャンスとなるかもしれません。
「レベルの低い社会は対立をつくりたがり、レベルの高い社会はすべてを包み込む」と言った哲学者がいました。だれかは忘れましたが。。。