2005年06月20日「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」「はじめてだったころ」「関内アウトロー」
1 「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」
武居俊樹著 文藝春秋 1680円
こういう本が読めると、生きてて良かったなぁとつくづく思いますね。
主人公は天才、赤塚不二夫さん。
彼との個人的な邂逅話については、今週発行のメルマガを読んでくださいね。
著者は新人の時から定年まで「赤塚番」だった伝説の編集者。
昭和41年入社以来、36年間、小学館でもずっと漫画畑というのは珍しい。まさに、その人。
これ、読んでるとね。赤塚さんの人間が浮き彫りになってくるだけじゃなくて、新入社員が失敗を通じて、一つ一つ仕事を覚えていくプロセスが勉強できますね。
小学館というと、「少年サンデー」でしょ。子どもの時、ずっと読んでたから詳しいよ。
サンデーだと、好きだったのは「丸出ダメ夫」だな。
で、赤塚さんは友人が描いてた漫画だけど、このギャグが古い。ダメ。そこで描いたのが「おそまつ君」。これ、最高でした。いきなり、丸出ダメ夫をノックアウトしちゃったもの。
おそまつ君ってのは六つ子の兄弟。
おそまつ、からまつ、とどまつ、じゅうしまつ・・・と名前は別々なんだけど、顔はぜーんぶ同じ。
がぜん面白くなったのは、イヤミとかチビ太とかデカパン、ハタボーが登場してから。脇がしっかりしてきてからね。
これ、ヒットする漫画の極意です。主人公だけじゃもたないのよ。
ところで、赤塚さんは漫画、描かないのね。
ほかのスタッフのほうがうまいから。じゃ、なにをするかというと、登場人物のキャラ立て、そしてギャグを考えるわけ。
「こんな性格で、こんな動きをして、こんなセリフを吐いて、こんな特色があるんだよ」
こう言うと、スタッフがこんな人間じゃないかなぁ、と具体的な絵にしていく。これが天才的にうまいわけ。
たとえば、高井研一郎さんなんかがそれをやってたのね。高井さんていうと、いまや、「総務部総務課山口六平太」なんかを描いてる漫画家ですよね。
赤塚さんのところでアシスタントしてたのは、ほかにもたくさんいます。
長谷邦夫さん、古谷三敏さん、横山孝雄さん、北見けんいちさん。古谷さんて、「ダメおやじ」描いた漫画家でしょ。北見さんは「釣りバカ日誌」、土田よしこさんは「つる姫じゃ〜!」だもの。
参考までに、赤塚さんの漫画に「猛烈ア太郎」という作品があります。この中に登場する「ココロのボス」って、わたし、大好きだったのね。このボス、狸なんだけど、セリフがいい。
「くーだらない。くーだらない、くーだらない」って言うわけ。これ、土田さんの口癖だったんです。
チビ太もイヤミにしても、赤塚さんの知人がモデル。鋭い観察力がないと、漫画家にはなれませんね。というか、「これ、面白い!」とアンテナにかかったものは、虎視眈々と利用場所を考えてるってことですな。
赤塚さん自身も、石森章太郎さんと共同執筆とかしてたのね。石森さんは天才少年と言われた人ですよ。
宮城のお金持ちの息子。高校出ると、漫画家になるために上京します。
で、赤塚さん、石森さん、そして長谷さんの三人で手塚治虫さんのところに表敬訪問するわけ。
この時、言われたのが「いい本を読みなさい。いい音楽を聴きなさい。いい映画を見なさい」ということ。
これ、彼は忠実に実行しました。漫画のそこかしこで、パロディにしちゃったりして、映画を勉強した成果が活かされてます。
ところで、赤塚さんは満州生まれ。母親はロシア兵に強姦されそうになり、父親はソビエトに連行され、収容所に。
終戦後、故郷の大和郡山に戻って三十分後、幼い妹は栄養失調で亡くなります。
だから、戦争は大嫌い。けど、悲しくはならない。悲しさなどいちいち感じていられるほど、余裕がなかったんです。
赤貧洗うが如しの環境でも、母親は愛するわが子のために画用紙とクレヨンを買い与えます。
母親は息子の才能を信じていたんです。
出版社にはじめてまとめて描いた「ダイヤモンド島」という漫画を、母親と一緒に売込みに行きます。ところが、これがぼろくそに酷評されてしまいます。ボロボロ涙を流します。だって、当時、まだ13歳の子どもだもの。
不憫に感じたのか、帰りに親子丼ぶりを食べさせてくれた。
「世の中にこんなにおいしい食べ物があったのか」
さっきまでの涙がウソみたい。ニコニコ顔。ゲンキンだね。けど、それが少年のいいところだよね。
つげ義春さんはいつも赤塚さんのところに遊びに来てました。
漫画の方向性が対極にあるから、いつも喧嘩する。もう二度と来ない、と言いながら、また翌日、来るわけ。
赤塚さんが漫画家として成功するにはたくさんの人に支えられたからですけど、この人との出会いが大きいね。
彼がいつも投稿してた「漫画少年」が休刊になっちゃった。これはショック。だって、発表の場、編集者の目に止まる場がなくなったわけですからね。
それでガックリ来た。
この姿を見たつげさんが哀れむように、赤塚さんを見た。
「あんたは死ぬまであの雑誌に投稿するつもりなの?」
「・・・」
「バッカじゃないの?」
「なにがバカだよ」
つげさんはこう言います。
「オレはまだ十代だけど、漫画一本で家族、支えてるんだよ」
つげさんは漫画の単行本をすでに出してました。
「あんた、13歳の時に出版社に持ち込んだって言ってただろ? いまこそ、それをやればいいんじゃないの?」
「描けるかな?」
「お笑いは出版してくれない。けど、少女漫画ならなんとかなる。描けるよ、あんたの腕なら、絶対に通用する。オレが保証するよ」
13年後、つげさんは「ガロ」に「ねじ式」を発表します。これ、傑作です。わたし、渋谷で何回も映画、見ましたよ。
もう一人の恩人は寺田ヒロオさん。この人は漫画家志望の若者が集まった「トキワ荘」。椎名町にあったアパートね。この梁山泊の総裁みたいだった人。
大人の風格があり、赤塚さんより四歳上。
このトキワ荘でみんなが売れていった。赤塚さんはいつまでも石森さんのアシスタントみたいな仕事をしてたわけ。
給料など一文ももらってない。ただ、食べさせてもらうだけ。タダで使われてたってわけ。
もう漫画家、やめようかな。絵の才能はないしね。で、喫茶店に行きます。ボーイの仕事を一日中、食い入るように観察します。
「オレにはできないや」
絶望。
寺田さんの部屋に足が向きます。
「漫画、やめようと思ってるのか?」
「でも、きみはまだスランプになるほど描いてないよ」
「才能はある。才能の出口が見つからないだけだよ」
「才能の噴出口を見つけるんだよ。マンガをほとんど描かずにやめたら後悔するよ」
「苦しくても、もう一回、漫画にしがみついてみろよ」
「金がないと、よけい、落ち込むよな。今月の家賃、ないんだろ?」
部屋代より多くのお金を握らせてくれた・・・。
「寺さんがいなければ、オレはあのとき、漫画をやめていたと思う」
その後、この少女マンガは売れます。けど、やっぱりギャグが描きたい。そこで石森さんが紹介してくれた漫画誌にちょっと描いてみた。石森さんはそのマンガを見た瞬間、ひと言。
「これから死ぬほど忙しくなるぞ。覚悟しとけよ」
その予言通りになります。というより、赤塚さんの才能をいちばん信じてたのが石森さんだったんでしょう。
その時、気づくんですよ。「石森はケチだったんじゃない。小銭なんか渡したら、オレのことだから仕事なんかしなくなる。あいつは大人だから、全部わかってたんだ」と。
その後の活躍はご存じの通り。殺人的な忙しさ。とうとう、風が吹いたんです。
人はだれしも石だ、と思う。けど、この石の真ん中にはダイヤや金が必ず埋め込まれてると思う。そこまで磨き続けられるかな。そこが問題なのよ。石を磨くのは自分で磨いてもいいし、だれか、人に磨かれることもあるでしょうな。お互いに磨きあえる場を見つけることも大切だよ。「切磋琢磨」っていうじゃない。
「生きている」っていうことは、自分を磨いていくことなのね。「生きていく」っていうことは、お互いに磨きあえる人を見つけることなのよ。ちっぽけなオレっちが言うのもなんなんだけどさ・・・。
出会いがいっぱい。これが青春。とっても熱い青春。
400円高。購入はこちら
2 「はじめてだったころ」
たかぎなおこ著 廣済堂出版 1000円
素敵なイラスト漫画でほんわか。編集者に聞くと、あっという間に増刷だとか。
けど、これ、編集者からもらったわけではないんです。
書店に行ってパラパラ見てたら、へぇ、これ、なかなかいいじゃん。で、買ったのね。
だれにでも「はじめての体験」というのがありますね。
初体験。
男と女の初体験もあるけどさ。本書にはありません。
まず、マクドナルド体験。
わたし、覚えてません。いつ食べたのかなぁ。気づいたら、食べてたかも。
といっても、わたし、モス派なんで、マックは食べないんです。
けど、最初に日本に上陸した時には銀座の三越のとこだから、「こりゃうまい」と食べ歩きしたんでしょうね。
わたしの場合、いまでもよっく覚えてるのが、吉牛ですね。大学に入学すると、あるんですよ。吉野家が。いつも前を通るんだけど、牛丼って食べたことないからね。
やっぱり、丼ものはカツ丼だろう、天丼でもいいけどさ。
友人が入ろうってんで、一度、食べた。うまくない。二度食べた。うまくない。三度食べた。
なんてうまいんだろう。
以来、ガンガン食べてます。半額デーの時など、五個くらい買っちゃって一日中、牛丼。
こんなに食べたら、安くした意味ないのにね。
吉牛食べられないいまは悲しいか?
そんなことありません。だって、築地まで行っちゃうものね。吉野家の第一号店。ちょっと高いけど、和牛の牛丼は最高だもの。これについては、「B級グルメ」をチェックしてくださいね。
わたし、食べるものにはめちゃくちゃマメなのね。
さてさて、いろんな「初体験」のテーマがあります。バイトとかね、回転寿司とか。漫画の投稿とか、迷子とか。徹夜とかバレンタインデーとかね。
そうそう、こんなことあったな。あのころは若かったなぁ。うぶだったなぁ。
なんてね。
ノスタルジーに浸っちゃえます。
150円高。購入はこちら
3 「関内アウトロー」
石原 登著 神奈川新聞社 1575円
こういう本があるから、書店に行くと、地方出版社のコーナー、チェックするんです。
著者は横浜の関内でバーとか居酒屋を何軒も経営してる人。
この人、元々は川崎の小学校の先生なのね。山梨大学出てから、川崎に出てきたのよ。
どうして、地元じゃないか?
いろいろ、わけありなのさ。
学生時代は空手でならしました。となると、ほら、暴力団とのつきあいも自然に生まれてしまうわけ。正論で勝負するタイプだから、筋を通したくなるわけね。となると、相手が暴力団でも引かないわけよ。で、そこがプロの相手にしてみれば、見込んでしまうわけですね。
彼を可愛がってたやくざは、卒業したら、組員になると思ってたらしい。けど、先生になると方向転換。
兄貴分としては顔が潰されたわけ。だから、地元ではならなかったわけ。
けどね、先生になっても、四年後には辞めちゃうわけよ。これが本職ではないかもしれない、なんて考え込んじゃってさ。
で、迷っていたら、遊んでる店があるんだけど、やってみないかと言われて、関内でバーを開きます。
それが「ぼんそわーる」って店。もちろん、地元だもの、知ってるさ。
昭和30年代というと、中華街と本牧の悪ガキが対立してました。まるで、「ウエストサイドストーリー」の世界ですよ。あるいと、井筒監督の「ガキ帝国」そのまんま。
で、喧嘩の日々。この人、いろんな縁でその仲裁役みたいのに祭り上げられちゃうわけ。
で、本牧の悪ガキが集う店に単身乗り込んで話をつけに行くんです。
ところが、そこで喧嘩になりそうな時、東京の悪ガキグループに本牧のリーダーが拉致された、というニュースが飛び込んでくる。
さあ、ドラマはここからはじまります。
騙されたり、失敗したり、成功したり、波瀾万丈の人生。反省の気持ちをこめて書いた懐古談。
だけど、それがけっして古くさくないし、自慢話でも愚痴にもなってない。淡々と時代を語り、人間を語り、人生と青春を語ってます。
これ、東映Vシネマになりまっせ。文句なく面白い!
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