2014年04月03日「中島孝志の聴く!通勤快読」フルオープン 佐野藤右衛門著『櫻よ』(集英社)

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 櫻の季節になりました。昨日、花見に行った方は野暮な雨のおかげで退散せざるをえなかったとか。

 週末から札幌なんすよ。月曜日にいよいよ札幌原原をスタートしますからね。経営者、ニュースディレクター、女性幹部自衛官など、お会いするのが楽しみっす。どうぞよろしくお願いします。。。

 札幌は寒の戻りで雪マーク。この季節でも雪。さすが北海道。雪に迎えられるなんて最高っす。

 で、櫻もこの週末で終わりかも。来週、京都入りしますけど、ま、それはそれでいいわけでね。

 敷島の やまとごころを 人とはば 朝日に におふ 山桜花

 本居宣長の歌ですな。花といえば、「桜」に決まってます。それが日本です。

 さて、桜。何種類あるか知ってます? 染井吉野、有名ですね。けど、これ、まがい物だったって知ってました?

 桜の種類、実は300種くらいなんですよ。けど、いちいち覚える必要ありません。3つだけ覚えておけばよろしい。
 それはね・・・山桜、彼岸桜、大島桜。この3つが日本の自生の桜なんですね。それ以外で名前がついた桜。たとえば、奈良八重桜、霞桜、菊桜、普賢象、関山、楊貴妃、一葉、御衣黄、鬱金、御車返し、虎の尾・・・こういったのはすべて変種あるいは品種改良したもの。

 染井吉野? ありますね。あれは、大島桜と彼岸桜の交配したもの。どこでも咲きます。しかも一斉に咲きます。だから桜前線を予想できるわけ。

 ところで、これ、明治時代、染井墓地の近くの植木屋さんが奈良の吉野山から持ってきた、と嘘ついて売ってた桜なんですね。
 ほかの桜と違って種なしだから、接ぎ木するしかない。けど、接ぎ木がとてもしやすい。で、全国に広まった。全国どこでも同じ色。同じ花。変化無し。いまや、全国シェア80%ですから、たいてい桜といえば染井吉野を見てるはずです。

 「面白みのない桜です」と藤右衛門さんはケチョンケチョン。
 
 「この桜吹雪が目に入らぬか!」で有名な遠山の金さん。この人の入れ墨、染井吉野なんですけど、嘘だということがわかります。だって、染井吉野は明治になってからできたんだもの。江戸時代にあるわけない。

 藤右衛門さんの先代は、「祇園の名桜」といわれた枝垂桜の種を自分の畑に蒔いた。いま円山公園にある桜ではなく、先代の木。100ほど発芽したけど、芽が出たのは1割。戦後まで残ったのはわずか4本。
 で、昭和24年。種を蒔いてから22年目。4本のうち、1本を元の親桜があった場所に、2本を円山公園の東の外れの安養寺と藤の棚の料亭前に植えかえた、とのこと。

 この植え替えが大変な作業なの。

 桜というのは木を植え替えるだけじゃ育たないのよ。環境すべてを移し替えないとね。けど、なかなかそれはできません。しかも連作を嫌う植物だから、前の桜が枯れたからといってすぐ同じ場所に植えても育たない。

 ホント、むずかしいのよ。土を入れ替えるしかないのね。で、トラック20台分の土を入れ替えた。トラックなんてないんで、牛車で何往復もしたそうです。

 台風の時など大変。ところが、移植した翌年、ジェーン台風が襲うわけ。京都直撃ですよ。暴風雨ですからね。この2世桜が心配で心配で、暴風雨の中、桜の木にしがみついて、両手で幹を抱えて踏ん張った。

 「びしょ濡れなんてもんじゃない。親父の気持ちが通じたのか、しばらくして花が咲いた。いまもみごとに咲いてます」
 「この桜もいつの日か、わしの好きな姥桜になるんやろうな。わしは生きては見られんけど。姥桜はええなあ。色香がある」

 花にはみな色気がある。この色気を通り越すと「色香」にかわる。姥桜は自分で枝や幹を少しずつ枯らしながら、花をつけ、大きくなっていく。それが植物の知恵。

 「あちこちに穴があいてしわくちゃだと思っていた幹に、ドーンと風格が出るんです。そして、ほんまにきれいな花がパッパ、パッパと咲く」

 ねがわくは 花のしたにて 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ

 西行法師ですな。如月は旧暦2月。春とはいえ寒い。旧暦2月15日は満月です。桜は満月に向かって咲くんです。

 京都でいちばん最初に咲く桜は彼岸桜ですね。お彼岸の頃に咲き出す。

 藤右衛門さんが手がけた桜。いろいろありますな。たとえば、フランスの日本庭園。これはイサム・ノグチさんから依頼されて造った。イスラエル、ニューオーリンズ、ハワイ・・・世界中出かけた。

 国内でもいろいろ。

 たとえば、京都だと、三条から五条あたりまでの河川敷。この枝垂桜。出町柳から川上の鴨川沿いはずっと染井吉野。御所の左近の桜。平野大社に平野妹背、朝日桜、手弱女、大内山桜、虎の尾、おけさ桜、御車返し、御衣黄、普賢象、胡蝶・・・いろいろ。 
 半井の道。よく行きます。植物園のそば。仁和寺もなかなか。

 「わたしゃお多福御室の桜、はなが低うても人が好く」
 里桜だから喬木になるはずが、岩盤があるために低いまま。ここの桜は京都でも独特。有明、殿桜、御車返し・・・土壌がちがうほかの場所に移ったら普通の桜になっちゃう。
 寂庵。嵯峨野の瀬戸内寂聴さんのとこ。ここには枝垂桜、普賢象、鬱金、山桜の4本。

 ほかにも北海道根室の千島桜。兼六園の菊桜。

 菊桜は桜の花弁がたくさんついてるのが特徴。普通は150〜200枚。ところが、兼六園のは250〜400枚。菊のように重なり合って咲く。
 色も変える。咲き始めは薄紅色。だんだん白くなる。最後は花びらが1枚1枚散るのではなく、柄をつけたまま落下するんですね。
 この菊桜は300年超の名桜。で、絶やしたくないので、先々代、先代と二代続けて接ぎ穂をもらって自分の畑で育てた。ところで、戦争で失ったり、元もとの芽が古くて接ぎ穂ができない。

 当代になって、「もういっぺんだけ。これでダメなら諦めます」と頼み込んで接ぎ穂をもらってきた。桜切るバカ、梅切らぬバカという通り、いかに接ぎ穂のためとはいえ、枝を切ったりしたらさらに弱ることは確実ですからね。
 切った接ぎ穂を10本、乾かないように口にくわえて金沢から京都まで車で運びます。そこまでして、10本のうちようやく1本だけついた。
 けど、これで安心とはいかない。これでダメなら、兼六園の名楼は後世に残らない。必死です。で、3年経った。ようやく、接ぎ木に成功したことを確信します。

 「6年後。たしか昭和42年やったかな。親の兼六園菊桜が枯死したんで、わしの畑でなんとか成長した菊桜を移植したんです」

 いま、その菊桜がみごとに咲いて、見る人を愉しませています。


 さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『中国意外史』(岡田英弘著・新書館)です。詳細はこちらからどうぞ。