2015年05月18日「熊野三山&高野山開創1200年祭 お一人様ツアー」あれこれ(その2)。
カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」
橋下さん残念でしたね。「大阪都構想」吹っ飛んでしまいました。大阪が京都にならんように踏ん張ってたのにね。これで数年後には京都のようになるんでしょうな。。。
ええんや、わてら、もうおりませんさかい。
大阪都構想に反対するつうことは、市長から権力を市民の手に取り戻したかのように勘違いしとる人がやたらおりますな。市民には2通りおりまんねん。税金を払う市民。税金を貪る市民。
「地方自治」という名のてんこ盛りの福祉行政、低レベルの特権階級の温存。議員さんの選挙区維持。既存利権の温存。これで限りなく大きな地方政府になります。
どうして大きくしたいの? 税金に群がる連中が多いからでしょう。
「くれるゆうんやから、そら、もろとくわな。あんさんもそうしなはれ」
国が地方の面倒を見られる時代は終わりました。沖縄くらいです。特別扱いしとるのはね。アベノミクスで景気が良くなりすぎましたな。大不況にならんと気づかんわな。
今回の大阪市民の判断は間違いです。けど間違ったこと自体が正解なんでしょう。もっともっと危機にならんとわからん。まだ早すぎまっせ、つう判断なのかもしれまへん。
政治? んなもん、天子さんが考えるこっちゃ。わてら、お上なんぞあてにしてまへんねん。応仁の乱から痛い目に遭うてきましたからな。自分のことは自分でするよって。よけいなことせいでもええんや。
破綻する? 破綻したらええがな。ご破算に願いましては、と出直すんなら、いっぺんどん底を見たらええねん。
奈落の底、みんなで見たら 怖くない、ゆうてね。♪うちら 陽気な かしまし娘〜♪やでえ〜〜。。。庶民のほうがずっとしたたかでんねん。。。
つうわけで、熊野速玉大社から那智大社へ。これがまた半端ないんすよ。
というのも、以前、参拝したときは熊野JC理事長の岩澤さんが宴会中、「もういいでしょ」と地元の人たちとの会合から解放してくれまして、「お連れしたいところかあるんです」と車で那智の滝まで連れてってくれたんです。
そうなんです。那智大社にも那智の滝にも車ですーっと来られるんです。
岩澤さんは印を結んでマントラを唱えてたわけ。小雨が降ってましてね。25年ほど前ですけど、真夜中、滝の水が顔を濡らしてたような記憶はあったなあ。
2004年7月7日「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」に指定された熊野三山。今日は那智山です。麓から歩きに歩きまっせ〜。
大門坂入口は振ヶ瀬橋。「俗界」と「聖域」を振り分ける橋ですね。ここから一歩入ると気温が6度くらい下がります。涼しいのなんの。
那智山=熊野古道を修験者のように「懺悔、懺悔〜六根清浄〜」という調子でのぼります。大きな石の坂。どこから拾ってきたんだか。さすがに呼吸法をしながらでないときついっす。
熊楠が3年間滞在した大阪屋旅館の跡地があります。
南方熊楠つうと、博物学、宗教学、生物学、民俗学等々、好奇心と探求心の任せるまま、思うがまま学問を進めた人物。
途中に九九王子最後の「多富気王子(たふけおうじ)跡」があります。
上皇や皇族、あいは貴人の熊野詣での先達は修験者がつとめました。京から熊野まで99の王子(神社)があり、最後の最後がここ。
参道の長い石段の上には、右に青岸渡寺。左に那智大社の大鳥居と境内。
さてさて、神社と寺とどちらを先に詣るか。。。ま、個人の趣味でしょうけど、たいてい神社から。なぜ? 生まれてすぐお世話になるのは神社のほうでしょ。寺は最期の最期だもんね。だれもが神の子、仏の子なんだけど。。。
♪とおりゃんせ、とおりゃんせ〜
この子の7つのお祝いに お札をおさめに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい♪
お札をおさめた後、神の子仏の子から人の子になるわけ。人生、自分で切り拓くしかないの。だれも守ってくれないの。
那智大社の社殿は元来「那智の滝」にあります。
鳥居を出ると、そこにあるのは青岸渡寺。
那智大社と同じく創建の時期は不明。
仁徳天皇(4世紀)の頃と言われてますけどね。開基の裸形上人が那智の滝壺から如意輪観音を見つけて本尊としたとかね。推古天皇勅願寺にはなりましたけど、不明なんです。
三重の塔から那智滝を臨む。。。
花山上皇はこたの滝の上に庵を結んで1000日(3年間)の瀧籠りをなされました。安倍清明も随行しております。
花山上皇は冷泉天皇の第一子として生まれました。冷泉天皇が発狂したので11歳の円融天皇に譲位します。同時に花山上皇は2歳で皇太子になりました。
ところが円融天皇は藤原氏の内紛で退位させられます。17歳で花山天皇は即位したわけですね。しかし花山天皇も謀略で2年で退位。なんと19歳で出家に追い込まれます。
天皇でありながら、藤原氏の操り人形に過ぎない身をはかなんだでしょうね。
京から熊野に逃げて魂魄を癒します。よっぽど気に入られたのか、那智の滝の上に庵を結びます。そして1000日の修行をするんです。そして修行を終えると西国33カ所観音霊場巡礼の旅に出ます。
那智山青岸渡寺は西国33カ所巡礼の第1番札所であるのもわかりますね。
補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
ご詠歌ですね。。。その後、またまた熊野詣でをしようとしたのですが、藤原氏に邪魔されでできなくなります。。。大変ですなあ。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた『やり抜く力』(前編)」(川村隆著・KADOKAWA/角川書店・1,512円)です。
ええんや、わてら、もうおりませんさかい。
大阪都構想に反対するつうことは、市長から権力を市民の手に取り戻したかのように勘違いしとる人がやたらおりますな。市民には2通りおりまんねん。税金を払う市民。税金を貪る市民。
「地方自治」という名のてんこ盛りの福祉行政、低レベルの特権階級の温存。議員さんの選挙区維持。既存利権の温存。これで限りなく大きな地方政府になります。
どうして大きくしたいの? 税金に群がる連中が多いからでしょう。
「くれるゆうんやから、そら、もろとくわな。あんさんもそうしなはれ」
国が地方の面倒を見られる時代は終わりました。沖縄くらいです。特別扱いしとるのはね。アベノミクスで景気が良くなりすぎましたな。大不況にならんと気づかんわな。
今回の大阪市民の判断は間違いです。けど間違ったこと自体が正解なんでしょう。もっともっと危機にならんとわからん。まだ早すぎまっせ、つう判断なのかもしれまへん。
政治? んなもん、天子さんが考えるこっちゃ。わてら、お上なんぞあてにしてまへんねん。応仁の乱から痛い目に遭うてきましたからな。自分のことは自分でするよって。よけいなことせいでもええんや。
破綻する? 破綻したらええがな。ご破算に願いましては、と出直すんなら、いっぺんどん底を見たらええねん。
奈落の底、みんなで見たら 怖くない、ゆうてね。♪うちら 陽気な かしまし娘〜♪やでえ〜〜。。。庶民のほうがずっとしたたかでんねん。。。
つうわけで、熊野速玉大社から那智大社へ。これがまた半端ないんすよ。
というのも、以前、参拝したときは熊野JC理事長の岩澤さんが宴会中、「もういいでしょ」と地元の人たちとの会合から解放してくれまして、「お連れしたいところかあるんです」と車で那智の滝まで連れてってくれたんです。
そうなんです。那智大社にも那智の滝にも車ですーっと来られるんです。
岩澤さんは印を結んでマントラを唱えてたわけ。小雨が降ってましてね。25年ほど前ですけど、真夜中、滝の水が顔を濡らしてたような記憶はあったなあ。
2004年7月7日「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」に指定された熊野三山。今日は那智山です。麓から歩きに歩きまっせ〜。
大門坂入口は振ヶ瀬橋。「俗界」と「聖域」を振り分ける橋ですね。ここから一歩入ると気温が6度くらい下がります。涼しいのなんの。
那智山=熊野古道を修験者のように「懺悔、懺悔〜六根清浄〜」という調子でのぼります。大きな石の坂。どこから拾ってきたんだか。さすがに呼吸法をしながらでないときついっす。
熊楠が3年間滞在した大阪屋旅館の跡地があります。
南方熊楠つうと、博物学、宗教学、生物学、民俗学等々、好奇心と探求心の任せるまま、思うがまま学問を進めた人物。
途中に九九王子最後の「多富気王子(たふけおうじ)跡」があります。
上皇や皇族、あいは貴人の熊野詣での先達は修験者がつとめました。京から熊野まで99の王子(神社)があり、最後の最後がここ。
参道の長い石段の上には、右に青岸渡寺。左に那智大社の大鳥居と境内。
さてさて、神社と寺とどちらを先に詣るか。。。ま、個人の趣味でしょうけど、たいてい神社から。なぜ? 生まれてすぐお世話になるのは神社のほうでしょ。寺は最期の最期だもんね。だれもが神の子、仏の子なんだけど。。。
♪とおりゃんせ、とおりゃんせ〜
この子の7つのお祝いに お札をおさめに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい♪
お札をおさめた後、神の子仏の子から人の子になるわけ。人生、自分で切り拓くしかないの。だれも守ってくれないの。
那智大社の社殿は元来「那智の滝」にあります。
鳥居を出ると、そこにあるのは青岸渡寺。
那智大社と同じく創建の時期は不明。
仁徳天皇(4世紀)の頃と言われてますけどね。開基の裸形上人が那智の滝壺から如意輪観音を見つけて本尊としたとかね。推古天皇勅願寺にはなりましたけど、不明なんです。
三重の塔から那智滝を臨む。。。
花山上皇はこたの滝の上に庵を結んで1000日(3年間)の瀧籠りをなされました。安倍清明も随行しております。
花山上皇は冷泉天皇の第一子として生まれました。冷泉天皇が発狂したので11歳の円融天皇に譲位します。同時に花山上皇は2歳で皇太子になりました。
ところが円融天皇は藤原氏の内紛で退位させられます。17歳で花山天皇は即位したわけですね。しかし花山天皇も謀略で2年で退位。なんと19歳で出家に追い込まれます。
天皇でありながら、藤原氏の操り人形に過ぎない身をはかなんだでしょうね。
京から熊野に逃げて魂魄を癒します。よっぽど気に入られたのか、那智の滝の上に庵を結びます。そして1000日の修行をするんです。そして修行を終えると西国33カ所観音霊場巡礼の旅に出ます。
那智山青岸渡寺は西国33カ所巡礼の第1番札所であるのもわかりますね。
補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
ご詠歌ですね。。。その後、またまた熊野詣でをしようとしたのですが、藤原氏に邪魔されでできなくなります。。。大変ですなあ。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた『やり抜く力』(前編)」(川村隆著・KADOKAWA/角川書店・1,512円)です。