2015年08月18日井上ひさし作「もとの黙阿弥」は最高っす。。。
カテゴリー中島孝志の落語・演劇・タカラヅカ万歳!」
東宝の宝塚歌劇団は創設101年目。ライバルの松竹は創業120年目だそうですね。
で、その120周年演劇。場所は新橋演舞場。出し物は「もとの黙阿弥」。。。といえば、ちょいと話題になりました、あの片岡愛之助さんを主演に迎えた芝居でございます。
時代は明治20年。どんな時かつうと、いまでは笑ってしまうかも。けど、同時に、当時の日本の為政者たちの涙ぐましい努力に感動すら覚えてしまいますよ。
日本は不平等条約の改正に悩んでました。幕府が結んだ条約に縛り付けられてたわけね。治外法権と関税自主権の放棄。これじゃ独立国ではありませんよ。
政府は何度も外交使節を派遣して改正を求めますが、「サルのくせに生意気なこと言うな」と無視されます。
伊藤博文たちは、西洋化してないのが問題なのかも、と考えます。で、丁髷や帯刀を禁止し、殖産興業を勧め、学校の設立を急ぎます。
それでもダメ。。。「よし、日本は西洋文明と同じだ」とひと目でわかる施策が必要だとばかりに、明治16年、舞踏室、バー、ビリヤードを備えた鹿鳴館を日比谷につくるわけ。昨日まで盆踊りしてたのがいきなりワルツでっせ。
笑止千万・・・いや、当時は必死だったんです。外国の貴賓を歓待しては日本は西洋化してるんだかんね、と懸命に宣伝。いわゆる「鹿鳴館外交」は滑稽かつ退廃的として、保守派や民権派に攻撃されちゃうんだけどね。
結局、不平等条約が改正できたのは日露戦争に勝ったからです。「日本を怒らせると戦争になるぞ!」と列強が恐れおののいたからです。バカな国には「軍事力」がいちばん効くのよ。バカな国バカな国・・・ああ、あの国にも効くかもね。
さて、場所は浅草の芝居小屋。男爵家を相続できるかどうかつう微妙な立場の男(愛之助さん)が京都からやってきます。この男、姉が決めた縁談に逃げ腰。で、書生(太一さん。天才的に巧い!)を自分に、自分が書生というふれ込みで縁談に向かおう、と考えます。
ところが縁談相手=政商の一人娘も同じことを考えた。こちらは女中(宝塚花組の元トップスター真飛聖さん!)を身替りにします。
どちらも替え玉とは知らずに話はどんどん進んでいくのですが・・・。
娘役は貫地谷しほりさん。そうです。「くちづけ」でブルーリボン主演女優賞を獲得した演技派の女優さんですね。
東京原原ではこの10月サンシャイン劇場を団体予約してます。「くちづけ」を観劇するんだかんね。
台本は井上ひさし作。依頼されるまで歌舞伎で見たのは「鳴神」「勧進帳」「四谷怪談」のみ。慌てて勉強すんだけどこれが半端ないのよ。
「2年間に800本の歌舞伎脚本を読み漁りました。黙阿弥全集は3回通読しました」
気づいたこと。歌舞伎の基本は《ナンノダレソレ、じつはナンノダレガシ》というところにあるらしい、ということ。
登場人物はまず最初に、「ナンノダレソレ」という仮の姿で登場します。で、次第に「ナンノダレガシ」という本来の姿を表わしてきます。それがあっちこっちで同時多発、その爆発エネルギーが筋を進めていくんです。
一身のうちに嘘(仮の姿)と実(本来の姿)の2つを合わせ持ち、互いに嘘を実と信じこみ、悲劇や喜劇を織り出していく。実は、ギリシャ悲劇もシェイクスピアもモリエールの芝居もこの作劇法で書かれています。
近松の「虚実皮膜論」ですね。世間虚仮ですわな。
自分のいまの姿が嘘(仮の姿)なのに、そうとは知らず必死に嘘にしがみつき、少しずつ実(本来の姿)に攻めこまれてしまう。これが「悲劇の主人公」です。
一方、自分のいまの姿が嘘(仮の姿)だと承知して行動してるのが「喜劇の主人公」です。
私なんぞ、虚仮ばかりの生き様です。虚仮をはがしたらなにも残らない。らっきょうの皮みたいなもんすよ。
♪らっきょの皮 むいてもむいても皮ばかり
芯を見よう 芯を見ようってんで 新民謡♪
てんやわんや、やないかい! ひとり突っ込みをしております。
この芝居は、登場人物たちを嘘と実で塗りかためたばかりでなく、劇中劇にも盛りこみ「入れ子構造」になってます。なんとまあ面白いこと。この8〜9月(千穐楽は9月25日)に上演されますからぜひご覧ください。
幕間で頂戴した「愛之助ごのみ膳」です。ご飯も温かいし美味〜〜。
で、なんとなんと、本日は夕刻から歌舞伎座。ダブルヘッダーつうやつです。
8月納涼歌舞伎ですね。こちらは近々ご紹介しましょう。
宝塚歌劇はムリですが、東京原原では歌舞伎鑑賞(メンバーのSさんは歌舞伎雑誌のプロデュースをしとるんよ)、落語会の開催も企画します。第15期は70人を軽く突破しそうです。楽しみやなあ。。。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版 前半」(司馬遼太郎著・朝日新聞社・820円)です。
で、その120周年演劇。場所は新橋演舞場。出し物は「もとの黙阿弥」。。。といえば、ちょいと話題になりました、あの片岡愛之助さんを主演に迎えた芝居でございます。
時代は明治20年。どんな時かつうと、いまでは笑ってしまうかも。けど、同時に、当時の日本の為政者たちの涙ぐましい努力に感動すら覚えてしまいますよ。
日本は不平等条約の改正に悩んでました。幕府が結んだ条約に縛り付けられてたわけね。治外法権と関税自主権の放棄。これじゃ独立国ではありませんよ。
政府は何度も外交使節を派遣して改正を求めますが、「サルのくせに生意気なこと言うな」と無視されます。
伊藤博文たちは、西洋化してないのが問題なのかも、と考えます。で、丁髷や帯刀を禁止し、殖産興業を勧め、学校の設立を急ぎます。
それでもダメ。。。「よし、日本は西洋文明と同じだ」とひと目でわかる施策が必要だとばかりに、明治16年、舞踏室、バー、ビリヤードを備えた鹿鳴館を日比谷につくるわけ。昨日まで盆踊りしてたのがいきなりワルツでっせ。
笑止千万・・・いや、当時は必死だったんです。外国の貴賓を歓待しては日本は西洋化してるんだかんね、と懸命に宣伝。いわゆる「鹿鳴館外交」は滑稽かつ退廃的として、保守派や民権派に攻撃されちゃうんだけどね。
結局、不平等条約が改正できたのは日露戦争に勝ったからです。「日本を怒らせると戦争になるぞ!」と列強が恐れおののいたからです。バカな国には「軍事力」がいちばん効くのよ。バカな国バカな国・・・ああ、あの国にも効くかもね。
さて、場所は浅草の芝居小屋。男爵家を相続できるかどうかつう微妙な立場の男(愛之助さん)が京都からやってきます。この男、姉が決めた縁談に逃げ腰。で、書生(太一さん。天才的に巧い!)を自分に、自分が書生というふれ込みで縁談に向かおう、と考えます。
ところが縁談相手=政商の一人娘も同じことを考えた。こちらは女中(宝塚花組の元トップスター真飛聖さん!)を身替りにします。
どちらも替え玉とは知らずに話はどんどん進んでいくのですが・・・。
娘役は貫地谷しほりさん。そうです。「くちづけ」でブルーリボン主演女優賞を獲得した演技派の女優さんですね。
東京原原ではこの10月サンシャイン劇場を団体予約してます。「くちづけ」を観劇するんだかんね。
台本は井上ひさし作。依頼されるまで歌舞伎で見たのは「鳴神」「勧進帳」「四谷怪談」のみ。慌てて勉強すんだけどこれが半端ないのよ。
「2年間に800本の歌舞伎脚本を読み漁りました。黙阿弥全集は3回通読しました」
気づいたこと。歌舞伎の基本は《ナンノダレソレ、じつはナンノダレガシ》というところにあるらしい、ということ。
登場人物はまず最初に、「ナンノダレソレ」という仮の姿で登場します。で、次第に「ナンノダレガシ」という本来の姿を表わしてきます。それがあっちこっちで同時多発、その爆発エネルギーが筋を進めていくんです。
一身のうちに嘘(仮の姿)と実(本来の姿)の2つを合わせ持ち、互いに嘘を実と信じこみ、悲劇や喜劇を織り出していく。実は、ギリシャ悲劇もシェイクスピアもモリエールの芝居もこの作劇法で書かれています。
近松の「虚実皮膜論」ですね。世間虚仮ですわな。
自分のいまの姿が嘘(仮の姿)なのに、そうとは知らず必死に嘘にしがみつき、少しずつ実(本来の姿)に攻めこまれてしまう。これが「悲劇の主人公」です。
一方、自分のいまの姿が嘘(仮の姿)だと承知して行動してるのが「喜劇の主人公」です。
私なんぞ、虚仮ばかりの生き様です。虚仮をはがしたらなにも残らない。らっきょうの皮みたいなもんすよ。
♪らっきょの皮 むいてもむいても皮ばかり
芯を見よう 芯を見ようってんで 新民謡♪
てんやわんや、やないかい! ひとり突っ込みをしております。
この芝居は、登場人物たちを嘘と実で塗りかためたばかりでなく、劇中劇にも盛りこみ「入れ子構造」になってます。なんとまあ面白いこと。この8〜9月(千穐楽は9月25日)に上演されますからぜひご覧ください。
幕間で頂戴した「愛之助ごのみ膳」です。ご飯も温かいし美味〜〜。
で、なんとなんと、本日は夕刻から歌舞伎座。ダブルヘッダーつうやつです。
8月納涼歌舞伎ですね。こちらは近々ご紹介しましょう。
宝塚歌劇はムリですが、東京原原では歌舞伎鑑賞(メンバーのSさんは歌舞伎雑誌のプロデュースをしとるんよ)、落語会の開催も企画します。第15期は70人を軽く突破しそうです。楽しみやなあ。。。
さて、今日のメルマガでご紹介する本は「司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版 前半」(司馬遼太郎著・朝日新聞社・820円)です。