2015年09月07日厳島神社探訪記(その2)

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 なぜ厳島神社かつうと、私、清盛、大好きなんすよ。あのまま生きていれば、信長が生き長らえていたように、鎖国なんてことはせずに、経済大国、貿易国家、軍事大国、海軍国として、列強を押しのける大国となっていたかもしれません。

 つまり、いまの日本から「アメリカなるもの」を抜いた「この国のかたち」となっていた、と思うのです。


清盛神社です。こんだけなのよ。

 清盛は宋と貿易してましてね。日本がコインを鋳造するより宋銭をそのまま使えばいいじゃないか、ときわめて柔軟に考えます。この流通量がものすごくてね、宋はビタ銭をつくらざるをえなくなります。となりゃ、インフレ必至。

 で、宋は弱くなっていくわけっす。。。つまり、宋(南宋)を亡ぼしたのは清盛なのよ。北方民族の元にやられるのは時間の問題でしたな。


 さてさて、大聖院です。空海が宮島に渡り、弥山の上で修行をして開基しました。806年のことだそうです。真言宗御室派の大本山です。

 古くは鳥羽天皇勅命の祈願道場。明治天皇行幸時の宿泊先。
 今上天皇皇后両陛下も皇太子ご夫妻も御参りされています。
 そして、あのダライ・ラマ猊下もいらっしゃております。

 十一面観世音菩薩はじめ、数々の観音菩薩。。。




ほとんど登山でんなあ。。。

スワヤンブナート寺院のマニ車をまねたんかな。仏陀の十大弟子が並びます。

このマニ車を1回まわせば1回お経を読んだことになるわけで、なんつう横着なことかいな。でも、これ、いじってるといつの間にか本殿についてる、つうわけ。、


曼荼羅もあるし、十一面観音もあります。



四国88カ所巡りを数分でできる場所。88カ寺の砂が1カ寺ずつ敷き詰められてます。

ちょいと本殿の上で休ませてもらいました。

 本堂は弥山にあんのよ。ロープウエイを2つ乗り継いでいきました。これが大変な登山。全身汗びっしょり。膝がけたけた笑って止まらない。

 霊火堂にある「きえずの火」は空海が100日間、求聞持の修行をして以来、1190年も消えることなく燃え続けてまして、広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火です。この火で焚かれた大茶釜の霊水をごくごくと飲ませて頂きました。

 この登山のご報告はまた明日。。。もう大変なんすから。


 さて、今日のメルマガでご紹介する本は「江原啓之神紀行 四国・出雲・広島」(江原啓之著・マガジンハウス・1028円)です。