2016年01月01日謹賀新年。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
おはようございます。新年です。今年もよろしくお願い申し上げます。
お正月ってのは子供のためにあるようなもんですな。なんたってお楽しみはお年玉。お父さんから○○円。親戚のおじさんから○○円、おばさんから○○円。「お母さんはくれないの?」つうと、「お父さんのに入ってるから」とごまかされたりしてね。まあ、予定額を設定してるはず。
このときばかりは親戚が多いと嬉しいわなあ。逆に、子だくさんの親戚なんかが来ますと恐怖感を感じる人もいるのでは? 「うちは1人しかいないのに、あいつんとこは5人。不公平だよな」ってんで、「わがやは個人別ではなく世帯別にあげることにしてるんで」ってんで5等分しちゃう。
あるいは、デフレ不況で賃上げがなかった20年間。
「お互いにお年玉はやめましょうや」と政治交渉。親はいいけど子供はたまりませんわなあ。
「おじさんのとこ行くか?」
「行かない行かない、お年玉くれないもん」
で、ふだん口うるさくて絶対に近寄らないおじさんのとこも、「1万円もらうためなら我慢するよ」ってのもあります。
子供ってゲンキンですからねえ。「面倒なのは最初に片づけちゃおう」って朝イチに行っちゃう。
学校が始まると、クラスのヤツとせしめた金額を比較するわけ。
ま、これが楽しみでね。こりゃ親戚の多い方が有利ですよ。けど、大きくなったら、今度は配る側に回るわけでね。「お正月は海外に逃げちゃう」な〜んてダメ。してもらったことは返さなあかんわな。
これからの祝儀、不祝儀にも影響しますから。なんともはや「血」にまとわりつかれてるわけですよ、子供の頃からね。
さて、お正月です。正月とは「正しい月」のことです。中国の太陰暦の第1月の別名なんです。1年を12に分け、その始まりを祝うから「正月」。
『徒然草』には「なき人の来る夜とて魂まつるわざは、この比、都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそあはれなりしか。」とあります。
大晦日は先祖の霊が帰ってくる。だから供養する。都ではこの風習が消えたけど、関東には残ってる、というわけです。
ですから、大晦日は墓参り。現代人は仕事や遊びで忙しいからお正月に行きます。郷里に戻ってるからちょうどいいもんね。でも、供養つうのはお盆やお彼岸だけではありません。
お正月にするのが正解なんですよ。お正月は先祖供養の斎日なんですよ。おせち料理にしても、先祖をお迎えする料理ですからね。大晦日はドアを開けて先祖の霊を迎えなくちゃあかんのよ。
お正月は元旦の1日だけです。で、2日以降に宴をするわけ。なぜなら、昨日お話したように、古いエネルギーを新しく入れ替える「お年魂」を祝うからです。
「おめでとうございます」とは「新しい魂」が体内に入ったお祝いの言葉であり感謝の言葉なんです。
というわけで、不幸があったので年賀を欠礼します、というのはふさわしくないのでは、と私は考えています。というのも、「おめでとうございます」というメッセージは過去でなく現在でもなく、未来に向かっているからですね。
日本人の時間軸はいつも未来にあります。過去にとらわれず、「水に流して」「さあ新規まき直し」。。。いっつも生産的で建設的でポジティブなんです。
歴史の教訓は? 歴史ってのは過去の羅列ではありません。過去を振り返るのは大切。しかし、もっと大切なことはいまをどうするかであり、未来をどう創っていくか、にあります。そういう意味で、歴史は常に現代史であり未来史なんです。
正解かどうかはわかりません。視座を変えればとんでもない話になりますわな。けど、そう考えるほうが私は好きです。損か得かはどうでもいい。いつも前を向いて歩いていきたい、と思うんです。
つうわけで、どちらさんも「おめでとうございます」。。。
お正月ってのは子供のためにあるようなもんですな。なんたってお楽しみはお年玉。お父さんから○○円。親戚のおじさんから○○円、おばさんから○○円。「お母さんはくれないの?」つうと、「お父さんのに入ってるから」とごまかされたりしてね。まあ、予定額を設定してるはず。
このときばかりは親戚が多いと嬉しいわなあ。逆に、子だくさんの親戚なんかが来ますと恐怖感を感じる人もいるのでは? 「うちは1人しかいないのに、あいつんとこは5人。不公平だよな」ってんで、「わがやは個人別ではなく世帯別にあげることにしてるんで」ってんで5等分しちゃう。
あるいは、デフレ不況で賃上げがなかった20年間。
「お互いにお年玉はやめましょうや」と政治交渉。親はいいけど子供はたまりませんわなあ。
「おじさんのとこ行くか?」
「行かない行かない、お年玉くれないもん」
で、ふだん口うるさくて絶対に近寄らないおじさんのとこも、「1万円もらうためなら我慢するよ」ってのもあります。
子供ってゲンキンですからねえ。「面倒なのは最初に片づけちゃおう」って朝イチに行っちゃう。
学校が始まると、クラスのヤツとせしめた金額を比較するわけ。
ま、これが楽しみでね。こりゃ親戚の多い方が有利ですよ。けど、大きくなったら、今度は配る側に回るわけでね。「お正月は海外に逃げちゃう」な〜んてダメ。してもらったことは返さなあかんわな。
これからの祝儀、不祝儀にも影響しますから。なんともはや「血」にまとわりつかれてるわけですよ、子供の頃からね。
さて、お正月です。正月とは「正しい月」のことです。中国の太陰暦の第1月の別名なんです。1年を12に分け、その始まりを祝うから「正月」。
『徒然草』には「なき人の来る夜とて魂まつるわざは、この比、都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそあはれなりしか。」とあります。
大晦日は先祖の霊が帰ってくる。だから供養する。都ではこの風習が消えたけど、関東には残ってる、というわけです。
ですから、大晦日は墓参り。現代人は仕事や遊びで忙しいからお正月に行きます。郷里に戻ってるからちょうどいいもんね。でも、供養つうのはお盆やお彼岸だけではありません。
お正月にするのが正解なんですよ。お正月は先祖供養の斎日なんですよ。おせち料理にしても、先祖をお迎えする料理ですからね。大晦日はドアを開けて先祖の霊を迎えなくちゃあかんのよ。
お正月は元旦の1日だけです。で、2日以降に宴をするわけ。なぜなら、昨日お話したように、古いエネルギーを新しく入れ替える「お年魂」を祝うからです。
「おめでとうございます」とは「新しい魂」が体内に入ったお祝いの言葉であり感謝の言葉なんです。
というわけで、不幸があったので年賀を欠礼します、というのはふさわしくないのでは、と私は考えています。というのも、「おめでとうございます」というメッセージは過去でなく現在でもなく、未来に向かっているからですね。
日本人の時間軸はいつも未来にあります。過去にとらわれず、「水に流して」「さあ新規まき直し」。。。いっつも生産的で建設的でポジティブなんです。
歴史の教訓は? 歴史ってのは過去の羅列ではありません。過去を振り返るのは大切。しかし、もっと大切なことはいまをどうするかであり、未来をどう創っていくか、にあります。そういう意味で、歴史は常に現代史であり未来史なんです。
正解かどうかはわかりません。視座を変えればとんでもない話になりますわな。けど、そう考えるほうが私は好きです。損か得かはどうでもいい。いつも前を向いて歩いていきたい、と思うんです。
つうわけで、どちらさんも「おめでとうございます」。。。