2002年04月29日幼い大人が増えている

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26年ぷりの6大学野球観戦


 久しぶりに六大学野球を見てきました。

 なんと、えぇとえぇと、ちょっと待ってね、計算するから。10年、20年、それと6年、そうです、26年振りなのです。

 なにしろ、学生の時はバイトに忙しくて1度だけ。それも3回の裏あたりでさっさと帰った覚えがあります。深夜の飲み会に参加しただけなんですね。

 26年ぶりの観戦は、中学時代、ラグビーに熱中してた息子が、高校になると野球をやりだしたわけです。で、「たまには家族サービスしなさい」とのことで、一緒に行ってきたというわけです。

 プロ野球とちがって、バックネット裏でも安いもんですね。これで早法戦、慶明戦の2試合をたっぷり堪能(帰って、テレビでプロ野球みてたら、やっぱりプロはすごいやと実感しました)。

 ところで、ゲームは2試合ですから、トータルで6時間くらいかかります。この間、たまたまわたしの隣に坐ってた2人がずっと喋りっぱなし。聞きたくなくても、会話内容が耳に入って来ちゃうわけ。

 それはわたしにとって、野球にまさるとも劣らないほど面白い話でした。


 まず、6時間のヒアリングで判明した2人の関係から説明しましょう。

 2人は甥と伯母ですね。男性38歳で眼鏡を掛けたやせ形の典型的な神経質タイプ。女性は60代半ばで大声の元気そのもののおばはん(和泉流のあのセッチーと考えて頂ければいいでしょう)。

 男性は中学生の女の子を頭に子ども2人。どうも、NTTの関連企業に勤めているらしく、リストラ一歩手前らしいんですね。セッチーと2人で早法戦など見に来るんだから、相談相手も社内にいないんでしょうな。男性の母親の姉がこのうるさいおばさんってなわけ。

 2人の会話のポイントをお知らせします(かっこ内はわたしの独り言)。

 「早稲田のライバルは慶應なんですよ。だから、慶應との試合は見たくないんです。負けるとホントに悔しくて涙が出てくるから」(あっ、そう。変わってるね)

 「あっ、そうなの、慶應はお坊ちゃん、お嬢さんの学校だものね」

 「そうです、早稲田はバンカラで庶民なんですよ」(オレの時代からして、すでに入学金も学費も早稲田のほうが高かったよ)

 「ボク、ホントは東大法学部を出て、新聞記者になって、国会議員の秘書になって、政治家になりたかったんですよ」(新聞記者になるより官僚になったほうが早いだろうが)

 「総理大臣になるなら、やっぱり東大法学部くらい出てないとね。頂点を極めないと、周囲はバカにして動いてくれないのよ」(東大法卒でもバカで尊敬に値しない人間は少なくない、と思うけど)

 「ボクは法学部卒だけど、周囲にはやっぱり東大落っこち組ばかりいたもの」

 「慶應はその点、スマートよね」

 「ボク、会社では早稲田卒って言いたくないんです。早稲田なら、ボクの年代だとみんな部長か課長。でも、ボク、まだ主任でしょ。だから、あまり学校のこと言いたくないんですよね」(それって、学校の問題じゃないと思うよ)

 「そうなの? でも、これから抜かせばいいんじゃない? まだ、これから先は長いんだから」(そうかなぁ?)

 「今度、異動があって、電話番号案内をすることになったんですよ。で、もう辞めようかなって思ったんだけど。いま、ボクを入れてくれるような会社、少ないと思うんですよね」(夢と現実を行ったり来たり・・・か)

 「いまはちゃんと身体を治すことが大事なのよ。仕事なんて、これからいくらでもできるんだからね」

 「えぇ、こんなに遅れたのも病気が原因ですからね。病気さえしなければ、今ごろ、部長でしたよ」(そうかなぁ)


ひ弱なインテリはダメ、タフでなければ生きられない

 この人、まだ30代なのに、6時間もの間、過去を振り返って愚痴ばかり言ってるわけ。

 しかも、その相手が母親の姉。それも2人で大学野球の観戦しながら。

 不思議だなぁ。

 政治家になりたいなら、いまからでも遅くないから挑戦すればいいのに。ビジネスマン仕事って、本気でやれば面白くてたまらないから、政治家になりたいなんて気持ち吹っ飛んじゃうと思うんだけど。

 あと、社会に出てからも、まだ大学がどうのこうのって言ってる人間がいるんだねぇ。グローバルスタンダードがどうのこうのって言われる時代ですよ。大学なんて、卒業と同時に卒業証書を捨てなくちゃ(わたしの場合は、学士号も修士号もどこかにいっちゃってありません。何回か引っ越ししてたら、いつの間にか消えちゃったんだよね)。

 いまの時代、自動車免許や医師免許、調理師免許は大事だと思うけど、学歴はホントに不要です。一流といわれる学校出てても、無教養のアホは山ほどいますからね。

 ところで、あれも知ってる、これも知ってるというのが教養と誤解されやすいんだけど、教養ってのは「大事なことを知ってる」ってことなんですね。たとえば、それは礼儀とか義理とか、信用を失わないこととかね。そういうものであって、クイズ番組で優勝できるような類のものではけっしてありません。

 「なにがあっても強く生きていける」

 「どんなことがあろうと自分の人生を切り拓いていける」

 「自分で自分を励ましていける心身ともにタフな人間に育てたかどうか」

 この心身ともにひ弱な38歳の大人を見ながら、息子の教育をいまさらながら振り返って考える6時間でした。