2001年04月09日学校教育ってなんだろう?
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「ゆとり教育」ってのはたいへんですね。
たとえば、算数。九九のかけ算など、わたしの時代は2年生のときに習いましたが、これが4年生からとか。分数にいたっては、中学になってからとか。円周率は3でいいとか、小数点2位以下の計算は電卓を使うとか。
まぁ、授業が基礎の基礎のマスターに徹するというか、ざっくり割愛してしまったといか。それに、理科と社会の勉強は4年からだそうです。
「これで削った時間は人間性豊かな授業に振り替えるんだ」ということですが、実はそんな時間は増えてないんです。はっきり言えば、現場の教師の労働時間を少なくしてあげる。つまり、教師のための「ゆとり教育」なんですね。いやはや、まったく。
でも、わたしは大賛成なんです。
ついでにいうと、来年から公立小学校ではじまる週休二日制も賛成です。もっといえば、「週休三日制(4日制も可)、毎日半ドン」なら、もっといいのですが。
というのも、学校は子どもが生きるために必要な勉強(人間同士の距離感の取り方、チームワーク、リーダーシップなど)をするところ。躾と頭のお勉強は親が手取り足取り教えるもの。こう考えているんです。
ですから、学校の教育時間など、どんどん削ってもらっていいんです。すべて遊びにしてもらってもいいんだけどなぁ。
「休み時間がいちばん好きだ」−−子どもは、こうでなくちゃいけません。
プロフェッショナルとしての親業
これだけ変わりますと、「日本人がどんどんバカになる」と問題視する人もたくさん出てくるでしょうね。
でもね、勉強したい子ども(勉強させたい親)は黙っていてもしますよ(させますよ)。
わたしはこれで塾がよりいっそう流行すると考えています。「土曜専門塾」なんてのも出てくるでしょうね。土曜日の朝になるとバスを走らせて、地域の子どもたちをさらって勉強させるようなサービスが出てきます。
それと、ソロバン塾は今後、見直されますよ。ソロバン塾は、わたしの時代にはもうお役ご免で、ダサい代物とはか言いようがありませんでした。
「そんなもの、電卓あればちょちょいのちょいだよ」と言ってた口ですから、わたしも。
「読み、書き、ソロバン」といいますが、さすがに計算の基礎もできてないうちから電卓使用となると、これは不安ですよ。これでソロバン塾は間違いなく息を吹き返します。全国のソロバン塾経営者は文部科学省様々です。足を向けては寝られません。それと、トモエのソロバンもそうです。1人か2人くらい、天下りを受け容れてもいいのではないでしょうか。
もう、すごいですね。御上の考えることは。文部科学省は当てにならないから、私立に行かせれば、躾もお勉強もトータルでやってくれる。こう考えていたら大間違いです。たしかにとんでもない地域格差があって、中学になると学級崩壊どころか、学校崩壊を越えて地域崩壊しているようなところもありますから、「孟母三遷の教え」が必要かもしれません。
でも、子どもを教育するベースのベースは家庭にあるわけです。ご存じのように、義務教育は教育を受ける義務ではありません。教育を受けさせる義務ですよね。
要は学校に「あれもやってくれ」「これもやってくれ」と期待してはいけないんです。これは依存心です。
20カラットのダイヤを他人に預けたとして、無くされたらどうします?
ダイヤならお金で片が付きますけど、子どもの未来はお金では片が付きませんもんね。
これから教育は学校から家庭へと回帰することになります。ということは、「プロの親」になるための勉強がクローズアップされてくることになる。そんな予感がします。