2001年01月29日「縁」ということ

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縁とは恐ろしいモノ

 縁は異なもの味なもの、という言葉がありますが、わたしは縁は恐ろしいものだと考えています。

 中学のとき、三浦綾子さんの『あさっての風』というエッセー集を読んだことがありました。どこの国かは忘れてしまいましたが、夫婦で旅行に行く予定を立てていたのに、当日、親戚の不幸があったかどちらかの風邪でか理由は失念してしまいましたが(何もかも忘れてるなぁ)、行けなくなってしまったんですね。

 夫婦とも楽しみにしていたから、「これは残念」と話し合っていると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。開けてみると、見ず知らずの人がポツネンと立っている。話を聞けば、これも忘れてしまいましたが(ホントにもう)、事業の失敗か何かで絶望し、とにかく、『氷点』のファンで三浦さんに会ってから死のうと考えて出てきた、というわけです。

 その人は身の上話を聞いてもらっているうちに、三浦さんのアドバイスで蘇るというか、死霊が落ちたのか、とにかく元気になった。そこで、来たときとはまったく違う人間になって帰っていったわけです。

 この事件を通じて、「みんな、関係ないという言葉を簡単に使うけど、世の中に関係ないということはないんだ、と気づいた」と三浦さんは述べています。

 もし、旅行に出かけていたとしたら、確実に一人の人間が死んでいたわけですからね。それがどんな縁があったか知らないけれども、こうして助かった。

 みんなどこかで関係し合って生きているわけです。意識しているかどうかはわかりません。けれども、確実にどこかで関係しているわけですよ。

求めなくとも得られ、求めても得られない

 風邪は空気感染しますが、どこかのだれかが吐いた息から感染する。

 いったいだれから移されたかわからない。また、風邪は引かないと免疫力もできない。風邪を移してもらって強くなる。

 もちろん、自分がだれかに移してもいるわけです。ですから、風邪のシーズンに電車に乗るとき、わたしは防御用マスクをします。だって、風邪引いてる人って自分が他人に移すことまで心配しないもの。

 それはいいんです。縁の話に戻ります。

 縁というのは不思議なもので、求めて求めて求め続けても得られない。それも縁です。また、求めなくても得られる。それも縁です。

 だから、怖いんですね。

 山手線でホームに落ちた酔っぱらいの男性を助けようとして、カメラマンの方と韓国からの留学生の方が亡くなりました。このお二人はこの酔っぱらいとは何の関係もなかったでしょう。事故が発生するほんの数秒前まで、まったくの見ず知らずですよ。でも、縁合って助けようとし、縁合って亡くなってしまったわけです。

 縁というのは怖いのです。その怖い世界にわたしたちは生きています。三浦さんが言っているように、「この世に関係ないね」ということはないんですね。