2000年12月20日現代の大和撫子(やまとなでしこ)

カテゴリー価値ある情報」

「桜子」がいた!

 たいへんな時代になりました。

 幼児虐待はアメリカだけのことかと思っていたら、日本のそこかしこで続出。先日は、三歳の子どもを餓死させたり、スポーツバッグのなかで殺して裸のまま投げ捨てていたり、教育放棄を通り越して、もうリンチ、殺人鬼としか言いようがない。

 むかしも教育放棄をする親はたくさんいた。

 知人の姉など、そろそろ六十歳くらいになろうかというが、この人、高校生で妊娠、出産すると、男のほうの実家(大病院の一人息子らしい)が引き取って別れた。莫大な慰謝料をせしめたという。その後、過去を隠して結婚。二番目のご主人は貿易商。このときも子どもだけはホイホイ生まれ、すぐに離婚。しぶる男の実家に慰謝料をせしめに怒鳴り込み、同時にそのまま子どもを押しつけ、自分はまたまた金持ちを探して遊びまくっているわけだ。

 この人にとって、結婚は事業なのである。

 まるで「やまとなでしこ」の桜子を地で行くオンナ。だから、結果としてできた子どものことなど、眼中にはない。

 いまや孫がいる身らしいが、知人曰く、「今年、孫がお受験で小学校に入学したことすら知らないだろう」とのこと。もちろん、親姉弟、親戚から総スカン。「出入り禁止にしている」とのこと。

子どもを育てられない人

 子どもが育てられない親はいるのである。

 わたしの息子が幼稚園時代、近郊にキリスト教関係の施設があった。ここは何らかの「事情」で親と住めない子どもたちを寄宿させ、幼稚園や高校生などに通わせていた。

 息子の友だちが三人いたから、毎週水曜日(幼稚園が半ドンの日)になると、家に招いて遊ぶのだが、来るたびにこの子たちは競争して家内の膝を独占しようとするのである。息子は焼き餅も焼かず、不思議な顔をして見ていたが、やっぱり親の愛情というのはこういう「ぬくもり」で感じ取るものらしい。

 後日、シスターから話を聞くと、「事情」の多くが児童虐待が原因だというのだ。保護者が保護者の機能を果たせない。それどころか、逆に攻撃しかねない。だから、分離するわけだ。

 不幸なことに、幼児虐待というのは遺伝しがちなのだ。自分が親から愛情をかけて育てられなかった人間は、極度に子どもに愛情を注ぐか、あるいはその逆になるかというケースが少なくない。

 今後、この状況は増えこそすれ減りはしないだろう。けれども、幼児はいつまでも幼児ではない。若者はいつまでも若者ではない。知人の姉のように老いるのだ。そのとき、子どもから捨てられる確率はグンとアップするにちがいない。

 これを因果応報というのだろう。