2000年12月10日人物の鑑定や如何?
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第一等の人物とは
中国の明時代に地方長官として活躍した人物に呂新吾という人間がいる。この人が著した本に「呻吟語」という名著がある。この中で彼は人物評を次のようにあらわしている。
「人物が大きく、深い信念を持ち、時勢を先の先まで見通し、禍いを未然に避け、ちょうど人間に日光や空気や水がなければ生きていけないが、普段はだれもその恩恵に気づかない。それと同様に国民に知らず知らずの間に計り知れない幸福を与えながら、いっこうにそれらしい素振りも見せない宰相がいれば、その人は第一等の大臣である。
仕事もきびきびやれる。意見も忌憚なく主張し、わが家のように国を愛し、病のように時局を憂うる真剣味に溢れているが、それだけにどうしても刃物のきっさきを露出するようなところがあり、得失が相なかばする大臣は第二等。
要するに事なかれ主義で、時勢の成りゆきに従い、従来の因襲にまかせ、別に利を興すことも害を除くこともできない平々凡々は第三等。
人気受けや身の安穏をもっぱら計って、国家の安危など実は真剣に考えないのは第四等。
いたずらに功名心や権力欲が強く、我がままで人と張り合い、国政に有害なのは第五等。
大臣の権勢を利用して悪事をはたらき、善人を傷め良民を苦しめ、国家を害し、人望を失うものが第六等」
彼は政治家だから、人物評を政治の世界に限定しているが、これは世間一般の価値観として通用するにちがいない。
中国の明時代に地方長官として活躍した人物に呂新吾という人間がいる。この人が著した本に「呻吟語」という名著がある。この中で彼は人物評を次のようにあらわしている。
「人物が大きく、深い信念を持ち、時勢を先の先まで見通し、禍いを未然に避け、ちょうど人間に日光や空気や水がなければ生きていけないが、普段はだれもその恩恵に気づかない。それと同様に国民に知らず知らずの間に計り知れない幸福を与えながら、いっこうにそれらしい素振りも見せない宰相がいれば、その人は第一等の大臣である。
仕事もきびきびやれる。意見も忌憚なく主張し、わが家のように国を愛し、病のように時局を憂うる真剣味に溢れているが、それだけにどうしても刃物のきっさきを露出するようなところがあり、得失が相なかばする大臣は第二等。
要するに事なかれ主義で、時勢の成りゆきに従い、従来の因襲にまかせ、別に利を興すことも害を除くこともできない平々凡々は第三等。
人気受けや身の安穏をもっぱら計って、国家の安危など実は真剣に考えないのは第四等。
いたずらに功名心や権力欲が強く、我がままで人と張り合い、国政に有害なのは第五等。
大臣の権勢を利用して悪事をはたらき、善人を傷め良民を苦しめ、国家を害し、人望を失うものが第六等」
彼は政治家だから、人物評を政治の世界に限定しているが、これは世間一般の価値観として通用するにちがいない。
日本のリーダーに当てはめると
さて、総理の森さんはどうかと見ると、おそらく六等かせいぜい四等という感じ。べつに不思議なことではない。政治家には六等タイプがさぞかし多いと思う。
今回の目玉人事と言われる橋龍さんは、うまくいけば二等だが、まぁ五等といったところだろう。田中真紀子さんはどうか。一等でないことだけは確かだけど、あの人、よくわからないんだよね。でも、議員立法にも努力しているし、潜在的可能性として二等としておこう。
なかなか一等というタイプが見あたらない。「現代の政治家を評するにはまだ歴史が浅い」という理由だけでもなさそうだ。かつては一等人物が綺羅星の如く存在した。吉田ワンマンがそうだし、高橋ダルマもそうだった。使命感だけで仕事をしていた人たちだ。
二代目、三代目政治家が四割も占める中、政治家に使命感など要求するのは所詮、無理なことなのか。かもね。