2000年09月20日オリンピックと株主代表訴訟
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地力がすべてものを言う
「最低でも金、最高でも金」
こういう言葉は現場で死に物狂いで生きている人しか吐けない、と思う。
苦節八年、ものすごいプレッシャーのもとで悲願を実現したのだから大したものだ。ポイント制の柔道だから実力通りに結果が反映されるわけではない。準決勝ではちょっと不安だったけれども、それも凌いで初の金メダル。オメデトさん。
ほかにも順当に勝ち進んだ選手やチームもあれば、まさかの敗退を喫した選手、番狂わせの勝利をものにした人もいるだろう。
勝負は時の運だけれども、二年連続で世界卓球チャンピオンに君臨した新井(旧姓山中)教子さんに訊くと、本番で百パーセント力が出せることはまずないとのこと。五十パーセントが普通、せいぜい七十パーセントだそうだ。
ところが周囲の選手もそんなものだから、いざ試合の場では「七割対五割」の戦いとなるらしい。そこで地力をつけておくことが必要となるのだ。つまり、「最低でも金、最高でも金」といえるだけの地力が本番ではものをいう。
ヤワラちゃんの発言のベースにはそんな意味合いがあるのではないか、と思う。
競泳や陸上では自己ベストを連発する選手がたくさんいるが、これは相手との勝負ではない。駆け引きがいらない。自分にだけ集中すればいい。だから、NASAのアポロ計画のように、「用意、スタート」の瞬間まではるか昔からカウントダウンして、体調をベストにもっていくように工夫している。だから、彼らはフライングされると真剣に怒るのである。
資本主義を体得するためのいい機会
話は変わるが、三和銀行ニューヨーク支店を舞台にした株主代表訴訟で、とうとう賠償額が日本円にして八百三十億円超の金額が提示された。
「これじゃ、取締役のなり手がいなくなるよ」と財界や与党政治家の一部が嘆いていたが、いままでが簡単に役員になりすぎていたのだ。「なり手がいない」というほど、シビアなのが役員なのだ。
日本企業は代表取締役と平取締役という二階級で構成されている。日本の商法では、代表取締役は役員の頂点にいるし、取締役会の最高メンバーでもある。代表取締役はあるときは最高監督者、あるときは最高執行者という一人二役をこなさねばならないのだから、しょせん矛盾だらけなのである。
アメリカでは社外役員が決定的なパワーを持っている。ざっと七割から九割が社外役員である。この連中が取締役会を支配しているのだ。すべては株主のためである。
これで日本も少しは資本主義らしくなるではないかと思うが、これまた財界と一部与党政治家のなかから、「上限を設けたほうがいいのでは?」という意見が相次いでいる。かつて、日本も株主大事の意味で欧米流の訴訟方法に近くしたものの、これではまたまた逆戻りではないか。
日本という国は底抜けに優しい国である。とくに上に立つ人には優しいし、易しい国だ。少年犯罪者にも優しいし、いま急増している東アジア、中近東出身の犯罪者にも優しい。
だから舐められる。「こんなを手玉に取るのは易しい」と思われたら、株も為替もそのうち彼らの意のままだろう。
いずれ、株は急落する。その段階で、外国勢から大幅な買いが入る。気づいてみたら、優良企業はみんな外資系になっている‥‥という日も夢ではないだろう。会社の本籍、現住所がどこでもかまわない。そごう、雪印、三菱自動車のような会社でなければどこでもいい。
もう日本企業、外資系と区別すること自体がナンセンスなのだ。