2000年08月10日いつからこの国にはリーダーがいなくなったのか
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あるシベリア抑留者の体験
前々回のキーマンネットワーク定例会で、清水榮一さん(山王経営総合研究所所長)がユニークなエピソードを披露していた。この方は中村天風翁の愛弟子であり、天風会の専務理事を務めた人だが、コンサルタント先にシベリア抑留を体験した某化学メーカーの役員がいた。ここで紹介するのはシベリア抑留者から見たリーダー論である。
シベリア抑留とは修羅場といえば、これ以上の修羅場はない。捕虜虐待は想像を絶するほどだとは聞いていたが、食物は一日にコッペパン半分と水だけ。にもかかわらず、ノルマは一日重労働だという。
ある日、疲れ果てて泥のように寝静まっているなか、かすかに物音が聞こえてくる。
「何だろう? ねずみかな、ねずみだったら捕まえて食べよう」と起きると、ある男の寝床から「むしゃむしゃ」という音がする。何か食べている。コッペパンを食べていたことにみんな気づくと、「俺にもよこせ」とひと騒動。「俺は命懸けで盗んできたんだ。お前らも欲しければ自分で取ってこい」と四十人もの捕虜を相手に頑張ったそうだ。
男は兵隊になる前は泥棒だったらしく、プロの目で食糧の在処を見抜いて盗んできたというわけである。しかし、食べ物の恨みは怖い。翌日、ソ連兵がやってきて、「日本人捕虜、集まれ」と召集がかかった。隣の収用部屋はドイツ人捕虜だが、なぜか日本人だけが集められた。
「昨晩、食糧倉庫が荒らされ、パンが一個盗まれた。犯人は誰か? 犯人は一歩前に出ろ」
もちろん、犯人は誰か知っている。ところが、この男は出ない。当たり前だ。出たら殺されるからである。ソ連兵は心得たもので、「よし、全員これから三日間食糧停止にする。作業(重労働)は従来通りやってもらうからな」と言うと出ていった。三日間も食べないで重労働に耐えられるわけがない。おそらく、ほとんどが死ぬ。しかし、ものの三十分もかからないで犯人が判明した。内部告発である。だれかが指したのだ。
ドイツと日本の違い
そのうち、もっと驚くべき事件が起きた。
ドイツ人捕虜が倉庫のパンというパンをすべて盗んでしまったのである。今度は日本兵集まれ、と言わない。代わりにドイツ兵が召集された。「昨晩、倉庫からパンを盗んだやつがいる。犯人は一歩前に出ろ」
この瞬間、ドイツ人捕虜はなんと全員が前に出た、という。こうなると、ソ連兵も手がつけられない。重営倉の定員は三人。結局、ソ連側の見張りの責任者三人が監督不行届ということで重営倉に入れられた。
実はドイツ人捕虜は倉庫にパンがあることがわかると、リーダーが「おまえは身体が小さいから潜入隊」「おまえは目がいいから見張りをしろ」「おまえは足が速いから搬送隊」と捕虜一人ひとりの特性を生かして役割を分担したという。そして決行一週間前から見張りの時間や範囲、交代のリズムなどをきちんと調べたうえで、収用部屋から倉庫までの距離と時間を正確に計って、もののみごとに盗んだのである。
ドイツ人はとくにソ連兵に嫌われていたから、どうせ生きては帰れない。だったら、死ぬまでにたらふく食べよう。一個盗んでも見つかるなら全部盗んでしまえ、そしてその晩、全員で夜明けまで食いまくったという。
日本とドイツの捕虜の違いはそれだけではなかった。彼我の差を歴然と知ったのは餓死者の件である。日本人捕虜は二日に一人は死んだ。祖国に戻れる希望がないことも大きかったと思うが、直接的な原因は栄養失調と重労働である。
捕虜に与えられる食物は一日コッペパン半分。それに水だけだ。シベリアでは貴重な資源だから、毎日午後三時から十五分間だけ水が流れる。他人より少しでもたくさん呑みたいから必死だ。ところが、たったの十五分間だからいつも三割の人間はあぶれてしまう。飲めない人間が何人もいるにもかかわらず、水はあちこちにこぼれている。
それでドイツ人捕虜に訊いてみると、彼らは「十五分で十分だろう」と不思議がるのである。
彼らのやり方は、全員がきちんと整列する。そしてリーダーが「一番!」と声を掛けると、先頭に並んでいる捕虜から蛇口にコップを差し出す。二番目の人間はそのコップの下でスタンバイする。一番のコップが満杯になると二番、二番が終わると三番と順次コップを下に置いて効率よく回す。もちろん水は一滴もこぼさないですむ。
ソ連の建て前は「働かざる者食うべからず」だから、病気で働けない捕虜はコッペパンすら支給されない。本来、捕虜に対しては労働強制などできないが、ソ連相手にそんなこといっても無駄である。ところが、ドイツ兵の捕虜から餓死者が出たという話を聞いたことがない。食事は同じ大きさのコッペパン半分。
ただでさえ腹ぺこで死にそうなのに、彼らは毎食時に決まった鉄兜のなかにコッペパンをひとつかみ分残して入れているのだ。たったひとつかみでも数が集まるとたくさんになる。「働かざる者食うべからず」という世界では、働けないことは死を意味する。
ところが、ドイツ兵の捕虜は病気になって働けなくとも生きていける。その理由はこの鉄兜に寄進されたコッペパンを食べればいいからである。「あぁ、これが保険の思想なんだな」と目からウロコが落ちた、と彼はいう。悲しいことだが、日本とドイツの捕虜の明暗を分けたもの。それはリーダーの差であった。
たかが捕虜収容所の一シーンだが、一国の舵取りにも十分当てはまるのではないだろうか。