2019年10月28日「メッセージ」というもの・・・。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 小説家は物語を紡いで人に感動を与えます。
 映画監督は映画という作品で観客にテーマを伝えようとします。
 詩人は言葉で自分の気持ちを表現します。
 音楽家は音を媒体にして聴く人の心を揺さぶります。
 アスリートは身体を表現の道具としてその技術を顕現しますよね。

 人はだれもが得意な道具を活用して「メッセージ」を伝えようとしてきましたし、これからもそうするんでしょうね。

 恋人同士なら、「深く愛している!」という「メッセージ」をいつも発信しているでしょうし、待望のお子さんが誕生したとき、「満面の笑み」で喜びを「メッセージ」として伝え合う人はたくさんいるでしょうし、愛する人を喪った時には「涙」という「メッセージ」で死者に思いを伝えたい、と祈ります。

 無口という「メッセージ」が万感の思いを表現することは少なくありません。禅の世界には不立文字という言葉もあります。「大切なモノは目には見えないんだよ」と星の王子様に狐が教えていましたよね。「♪ヨイトマケの唄」じやありませんけど、姉さんかぶりで働く母ちゃんの姿が子供に勇気を与える、かけがえのない「メッセージ」だったりします。

 人だけでないよ。山川草木すべてが「メッセージ」を発しているよ、と古今の日本人は感じとっていました。花が語る。その花に鶯が鳴く。「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざるなり」と1100年も昔に『古今和歌集』にはあります。

 メッセージは「パワー」であり「エネルギー」だと思います。だから、人を鼓舞させ、創造させ、やる気の源泉にもなりえます。なによりも、人と人を巻き込む力が「メッセージ」にはあります。

 喜怒哀楽すべてが「メッセージ」。見えない「メッセージ」を見ようと意識する。これもまた「メッセージ」なんだ、と思います。

 いまほど「メッセージ」がやりとりされている時代はありませんよね。SNSという道具のおかげです。1日に何回発信してるのか数えきれません。しかし、この「メッセージ」が「一期一会」となるかも、と自覚している人がどれだけいるか・・・。

 さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は 『教養としてのヤクザ 前編』(溝口敦・鈴木智彦著・880円・小学館)です。とてもいい本です。