2005年12月06日「佐賀のがばいばぁちゃん」 島田洋七著 徳間書店 540円
ひょっとしたら、これ、エッセイじゃなかったら、芥川賞とってたんじゃないか。肩の力が気持ちいいほど抜けて、ほろにがく笑えるいい文章です。
まいったなぁ。このおばぁちゃん。B&Bの洋七さんの母方の祖母なのね。
ほんとにがばいよ。「がばい」とはすごい!という意味。
彼、徳永昭広くんは八歳の時に、母親のいる広島からこのがばいばぁちゃんのいる佐賀に単身、移ります。
原爆ドームそぱのスラム街(当時)は教育によくないからね。
でも、広島は都会。佐賀は佐賀なのよ。いまより50年も前の佐賀です。はなわ以上だと思うよ。
けど、ここですくすく育ちます。貧乏からド貧乏になったけど、がばいばぁちゃんのおかげ。あとね、昭広くんが勉強はダメだけどスポーツ万能の素直な子なんだよ。
「ばぁちゃん、うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいね!」
「何言うとるの。貧乏には二通りある。
暗い貧乏と明るい貧乏。
うちは明るい貧乏だからよか。
それも最近、貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。
自信を持ちなさい。
うちは先祖代々、貧乏だから。」
学校から帰った彼はランドセルを置くやいなや、
「ばぁちゃん、腹へった!」
「気のせいや」
(そうかなぁ)
「もう寝なさい」
まだ四時半なの。布団に入ってたら眠たくなった。でも、十一時には起きちゃう。
「やっぱり腹減った」
「夢や」
一瞬、夢かと思ったけど・・・空腹と寒さで涙がこぼれた。
ばぁちゃんがなんかうきうき。
「今日から、湯たんぽがあるからあったかいぞ」
どこかで拾ってきたのか。
この家、食べ物は前の川からもってくるのね。上流に市場があんの。そこから形の悪いチュウリとかナスとか、キャベツや白菜の切れ端が流れてくるわけ。それらが止まるように、ばぁちゃんは川面に木を置いてるわけ。
だから、この川のことを通称、「スーパーマーケット」と呼んでたの。
秋の遠足になりました。
「ばぁちゃん、水筒ないの?」
「湯たんぽに、お茶を入れて行ったらいい」
「えー、湯たんぽ」
湯たんぽを紐でしょって歩く彼は、クラス中どころか、道いく人にまで注目の的になってしまった。1日中、本当に恥ずかしい思いをしたけど、遠足も終盤になる頃には形勢逆転。
子どもたちの水筒は小さいわけ。で、みんな遊び回って喉がからから。でも、水ないの。
「徳永くん、まだお茶あるの?」
まだまだたんまり残ってる。だって、湯たんぽだもん。気前よく振る舞ってたら、みんな、お菓子を分けてくれた。
これが嬉しかった。
淋しいのは、運動会。スポーツ万能の昭広くんだけど。かぁちゃんは広島で働いてるから来ない。ばぁちゃんも掃除婦してて来られない。休んだこと無い働き者だもの。
一等賞になっても、だれも応援してくれない。
とくに淋しいのはお昼。みんな、ウィンナとかエビフライとか、家族と豪勢なお弁当。 昭広くんは1人、教室に戻るだけ。
けど、先生がね。
「おい、徳永。こんなとこにおったか。先生、ちょっと腹こわしてな。おまえの弁当、しょうがが入っとるじゃろ。先生とのと交換しろ」
先生のお弁当がものすごく豪華。もう夢中で食べた。
翌年も同じく、先生は腹痛。その翌年、今度は女の先生。これも腹痛。
「ばぁちゃん。俺の先生、みな運動会の日になると、腹痛起こす」
「わざとそうしてくれてるんじゃ」
5年生になってようやく真相がわかった昭広くん。
6年生の運動会にはかぁちゃんに来てもらいたかった。何度も手紙を書いた。どうせ無理だろうけど。
それが来るとの返事。もう嬉しくてたまらなかったね。
けど、前日、来ないのよ。
「明日朝には来るよ」とばぁちゃん。その日、寝ないで待った。
そのまま、学校に行った。そのまま、最後の競技のマラソンになった。この競技は近所でも評判で、町を総出で見学、応援する種目。校外に出るからね。
もう懸命に走った。ただでさえ足が速いのに、かぁちゃんのことばかり気になるから。
家の近くに来ると、かぁちゃんの声がする。応援してる。ばぁちゃんも。
「徳永、顔あげて走れ。堂々と」と田中先生。恥ずかしくて、照れくさくて、下、向いちゃったのね。思い切って、かぁちゃんに向かって叫んだ。
「かぁちゃーん、速かろうが! 勉強はできんばってん、足は速かろうがーー!」
「足はかぁちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんに似とったい!」
とうちゃんは、昭広くんが生まれる前から原爆病で入院。そのまま、死んだのね。だから、記憶がなにもないのよ。
勉強はできないけど、小学校の時に読書感想文が入賞します。
「母親」というタイトルね。
もう1つは「父親」という題。父親のことは「なにも知らん」。だから、大きく「しらん」とだけ書いた。これが満点。
中学生になります。毎日、野球漬け。ここ、佐賀でも強豪で有名な学校なのね。そこで二年でキャプテンになっちゃった。
けど、相変わらず勉強はできない。
「ばぁちゃん、英語なんかさっぱりわからん」
「じゃ、答案用紙に、『私は日本人です』って書いとけ」
「でも、ばぁちゃん。俺、漢字も苦手で・・・」
「『僕はひらがなとカタカナで生きてます』って書いとけ」
「歴史も嫌いでなぁ」
「歴史もできんとか? 答案用紙に『過去にはこだわりません』って書いとけ」
あっぱれ。
昭広くん、野球推薦、特待生で広島の名門広陵高校に入学します。いよいよ、広島で母親と暮らします。でも、ばぁちゃんとは別れなくちゃならない。
別れの日、ばぁちゃん、こっち見ないのね。早く行けっていうばかり。それまでもなんの脈絡無しに、「佐賀商業にいけば、簿記を勉強して将来、就職に困らない」とか、「佐賀商業はいい学校だ」とか言うわけ。
変なところで意地っ張り。というか、照れくさい。
昭広くんも迷いに迷う。佐賀で暮らした8年間。ホントにいい友達がたくさんできた。先生も良かった。このばぁちゃんのおかげで、貧乏だけどたくましく生きてこられた。
佐賀が大好きになってた・・・。
やっぱり、映画になるわ、これ。400円高。
まいったなぁ。このおばぁちゃん。B&Bの洋七さんの母方の祖母なのね。
ほんとにがばいよ。「がばい」とはすごい!という意味。
彼、徳永昭広くんは八歳の時に、母親のいる広島からこのがばいばぁちゃんのいる佐賀に単身、移ります。
原爆ドームそぱのスラム街(当時)は教育によくないからね。
でも、広島は都会。佐賀は佐賀なのよ。いまより50年も前の佐賀です。はなわ以上だと思うよ。
けど、ここですくすく育ちます。貧乏からド貧乏になったけど、がばいばぁちゃんのおかげ。あとね、昭広くんが勉強はダメだけどスポーツ万能の素直な子なんだよ。
「ばぁちゃん、うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいね!」
「何言うとるの。貧乏には二通りある。
暗い貧乏と明るい貧乏。
うちは明るい貧乏だからよか。
それも最近、貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。
自信を持ちなさい。
うちは先祖代々、貧乏だから。」
学校から帰った彼はランドセルを置くやいなや、
「ばぁちゃん、腹へった!」
「気のせいや」
(そうかなぁ)
「もう寝なさい」
まだ四時半なの。布団に入ってたら眠たくなった。でも、十一時には起きちゃう。
「やっぱり腹減った」
「夢や」
一瞬、夢かと思ったけど・・・空腹と寒さで涙がこぼれた。
ばぁちゃんがなんかうきうき。
「今日から、湯たんぽがあるからあったかいぞ」
どこかで拾ってきたのか。
この家、食べ物は前の川からもってくるのね。上流に市場があんの。そこから形の悪いチュウリとかナスとか、キャベツや白菜の切れ端が流れてくるわけ。それらが止まるように、ばぁちゃんは川面に木を置いてるわけ。
だから、この川のことを通称、「スーパーマーケット」と呼んでたの。
秋の遠足になりました。
「ばぁちゃん、水筒ないの?」
「湯たんぽに、お茶を入れて行ったらいい」
「えー、湯たんぽ」
湯たんぽを紐でしょって歩く彼は、クラス中どころか、道いく人にまで注目の的になってしまった。1日中、本当に恥ずかしい思いをしたけど、遠足も終盤になる頃には形勢逆転。
子どもたちの水筒は小さいわけ。で、みんな遊び回って喉がからから。でも、水ないの。
「徳永くん、まだお茶あるの?」
まだまだたんまり残ってる。だって、湯たんぽだもん。気前よく振る舞ってたら、みんな、お菓子を分けてくれた。
これが嬉しかった。
淋しいのは、運動会。スポーツ万能の昭広くんだけど。かぁちゃんは広島で働いてるから来ない。ばぁちゃんも掃除婦してて来られない。休んだこと無い働き者だもの。
一等賞になっても、だれも応援してくれない。
とくに淋しいのはお昼。みんな、ウィンナとかエビフライとか、家族と豪勢なお弁当。 昭広くんは1人、教室に戻るだけ。
けど、先生がね。
「おい、徳永。こんなとこにおったか。先生、ちょっと腹こわしてな。おまえの弁当、しょうがが入っとるじゃろ。先生とのと交換しろ」
先生のお弁当がものすごく豪華。もう夢中で食べた。
翌年も同じく、先生は腹痛。その翌年、今度は女の先生。これも腹痛。
「ばぁちゃん。俺の先生、みな運動会の日になると、腹痛起こす」
「わざとそうしてくれてるんじゃ」
5年生になってようやく真相がわかった昭広くん。
6年生の運動会にはかぁちゃんに来てもらいたかった。何度も手紙を書いた。どうせ無理だろうけど。
それが来るとの返事。もう嬉しくてたまらなかったね。
けど、前日、来ないのよ。
「明日朝には来るよ」とばぁちゃん。その日、寝ないで待った。
そのまま、学校に行った。そのまま、最後の競技のマラソンになった。この競技は近所でも評判で、町を総出で見学、応援する種目。校外に出るからね。
もう懸命に走った。ただでさえ足が速いのに、かぁちゃんのことばかり気になるから。
家の近くに来ると、かぁちゃんの声がする。応援してる。ばぁちゃんも。
「徳永、顔あげて走れ。堂々と」と田中先生。恥ずかしくて、照れくさくて、下、向いちゃったのね。思い切って、かぁちゃんに向かって叫んだ。
「かぁちゃーん、速かろうが! 勉強はできんばってん、足は速かろうがーー!」
「足はかぁちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんに似とったい!」
とうちゃんは、昭広くんが生まれる前から原爆病で入院。そのまま、死んだのね。だから、記憶がなにもないのよ。
勉強はできないけど、小学校の時に読書感想文が入賞します。
「母親」というタイトルね。
もう1つは「父親」という題。父親のことは「なにも知らん」。だから、大きく「しらん」とだけ書いた。これが満点。
中学生になります。毎日、野球漬け。ここ、佐賀でも強豪で有名な学校なのね。そこで二年でキャプテンになっちゃった。
けど、相変わらず勉強はできない。
「ばぁちゃん、英語なんかさっぱりわからん」
「じゃ、答案用紙に、『私は日本人です』って書いとけ」
「でも、ばぁちゃん。俺、漢字も苦手で・・・」
「『僕はひらがなとカタカナで生きてます』って書いとけ」
「歴史も嫌いでなぁ」
「歴史もできんとか? 答案用紙に『過去にはこだわりません』って書いとけ」
あっぱれ。
昭広くん、野球推薦、特待生で広島の名門広陵高校に入学します。いよいよ、広島で母親と暮らします。でも、ばぁちゃんとは別れなくちゃならない。
別れの日、ばぁちゃん、こっち見ないのね。早く行けっていうばかり。それまでもなんの脈絡無しに、「佐賀商業にいけば、簿記を勉強して将来、就職に困らない」とか、「佐賀商業はいい学校だ」とか言うわけ。
変なところで意地っ張り。というか、照れくさい。
昭広くんも迷いに迷う。佐賀で暮らした8年間。ホントにいい友達がたくさんできた。先生も良かった。このばぁちゃんのおかげで、貧乏だけどたくましく生きてこられた。
佐賀が大好きになってた・・・。
やっぱり、映画になるわ、これ。400円高。