2010年08月25日「ドル漂流」 榊原英資著 朝日新聞出版 1680円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 日経平均株価が9000円割れで大騒ぎ。円高が悪いんだとか。政府・日銀の無策が悪いんだとか。すべてデフレが悪いんだとか。
 さぁて、ホントのところはどうなんでしょ? 財務省・御用経済学者・メディアに騙されたらいけませんよ。

 円高で輸出企業の株が売られる。円高になると日本企業は弱い。ホントでしょうか? 日本ほど内需がしっかりしてる国はありません。アメリカと比べてもダンチです。家電、自動車などの消費財は輸出の20%です。残りの80%は機械、部品、素材などの生産財なんですね。

 円高にさらされるのは全体の20%だけ。80%は円高だろうがなんだろうが、輸入せざるを得ないものばかり。ですから輸出企業の株価が下落すればホントは買いなんですよ。

 この円高で笑いが止まらない企業もたくさんありますよ。輸入企業はボロ儲けでしょうな。「円高還元セール」なんてありますでしょ。原油もそう。鉄鋼会社は原油をたくさん使いますからね。嬉しいでしょうな。
 輸出するとき困る? いえいえ、特殊鋼板だからだから日本企業しか作れないの。

 円高・円安、超円高・超円安になって騒ぐのはいつも儲からない人、損する人だけ。儲かる人・得する人は、隠れてクククッと笑いをかみ殺してるはずでっせ。

「円高」と「日経平均株価9000円割れ」は同じ座標軸の上にあるものではなく、別々のものだと考えたほうがいいんじゃないでしょうか・・・。

 さて、「ミスター円」の異名をとる方の最新刊です。民主の金融経済政策の知恵袋・指南役とも呼ばれてます。

 1971年、円は、ニクソンのドルと金の交換停止=ドル・ショックからドルに対して切り上がりましたけど、まだまだ、アメリカはドル高政策を採ってましたから、緩やかな円高傾向が続くといった調子でしたよね。
 レーガン政権でジェームズ・ベーカーが財務長官になると、一転、ドル安政策に方針転換します。プラザ合意・ルーブル合意が締結されたのもこの時でした。
 おかげで、1ドル240円(1987年)から120円(1988年)と2倍になってしまいました。

 狙いは? アメリカの経常収支赤字解消のためですよ。

 クリントン政権になると、さらに締め付けが激しくなってきます。ミッキー・カンターという耳だけ見たらミッキー・マウスくりその政府高官(アメリカ通商代表部の責任者)がしょっちゅう来日してましたよね。この男がさらなるドル安政策=円高政策を主張したんですよ。

「1人勝ちは許さへんど。わいらからもっていったゼニ。そうや、ドルやドル。返してや」
「嫌です」
「少しでええねん。手ぶらでは帰られへんねん。もう少し色つけたってや」
「嫌です」

 数値目標まで設定しろ、とやいのやいの言うわけですな。
「無理偏にげんこつ」と書いて「兄弟子」と読むのは相撲界。「無理偏に空母」と書いて「アメリカ」と読みます。
 さんざん恫喝するわけですけど、最後まで、「負けたらあかん」「曲げたらあかん」と突っ張ったのがこの著者でしたよね。宮沢喜一・細川護煕両政権の時代でした。

 で、ベーカーに換わって登場したのがロバート・ルービン(1995年1月)。この人は通商代表部のミッキーマウスをバカにしてましたからね。
「為替相場を通商政策の道具には使う気はおまへん。あんさん、なにより、強いドルはアメリカの国益でっせ」
 95年4月19日には1ドル80円の超円高になってましたけど、9月には100円台に回復。99年に辞任するまでドル高政策をとり続けます。

 けどね、そのかわりに、ルービンが狙っていたのは「金融」によるアメリカ再建。
 そうです、ここから金融バブル、消費バブルが始まるわけです・・・続きはこちらからどうぞ。