2010年12月25日「最後の忠臣蔵」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 女性とお子様を軽んじるわけではけっしてございませぬが、この映画、「おんな子どもには見せたくない!」と正直思いました。

 日々の生活を噛みしめて、うんうん、そうだそうだ、とばかりに、そっと男泣きする映画ではないでしょうか。

 昨今、女性の世界でも、また子どもの世界でもそうかもしれませんが、喉のここまで出ているのにグッとこらえる。そんな経験が男の世界には何度もあります。
 「卑怯者!」「恥知らず!」「情けないヤツだ!」と事情を知らない輩にかぎって人を非難したがります。そんなとき、男ってヤツは忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、言わぬが花よ人生は・・・と耐えることがあります。

 やせ我慢と笑わば笑えです。

 けど、このやせ我慢がどこまでできるか。どういうわけか、こんなことに男の真価があるとばかりに、自己満足に浸って納得するなんとも愛らしい奇妙な動物。

 それが男なんですね。

 単純というかバカというか。もちろん、こんなこたあ、女子どもにとっては迷惑千万。ところが、世間にはやせ我慢に女房、子どもを付き合わせてなんとも思わないヤツがたくさんいるんです。

 価値観の相違。いまややせ我慢。武士の時代は、これが「使命」と呼称されました。

「孫左、おまえは私と一緒にこのまま暮らしたくはないのか?」
「私は加音さまをお育てするのが使命・・・」
「使命だと? 好きだからやっていることではないのか?」



 主人公は2人の武士。ときに元禄15年12月14日・・・といえば、ご存じ、赤穂浪士47士の忠臣蔵。
 血盟を誓った武士たちが、義のために生き、義のために死ぬ。藩主の無念を晴らす日は、大石内蔵助をはじめとした忠臣たちにとってまさに晴れ舞台でもあります。

 けど、その中に桜と散れなかった男が2人。英雄になりそこない、誰一人として評価する者などいない。忠義を誉めてくれる人はすでにこの世にいない。まして生き恥をさらして生き続けねばならないわけですからね。

 パッと咲いてパッと散る。どれだけ楽か美しいか。なにより武士にふさわしい。

 いまなら、「使命貫徹!」というやせ我慢でしか生きられんなあ。

 この映画。元もと池宮彰一郎さんの原作『最後の忠臣蔵』はNHKが5年前にテレビ化しています。あの時は寺坂吉右衛門が主役でしたよね。大石内蔵助から、後の世に正史を伝えるため、赤穂藩断絶のあと、藩士たちの暮らし向きを支えるべく1人1人の家族に金子(きんす)を届ける役目を仰せつかった武士役ですよ。映画では佐藤浩市さんが演じていますね。

 今回の映画では、テレビでは香川照之さんが演じていた瀬尾孫左衛門にスポットライトを当てています。大石内蔵助の忘れ形見を内密に育てる役目を命じられた武士ですね。47士にも知らされず、幕府はもちろん、旧赤穂藩の者にもひとことも言えず、「討ち入り直前に逐電した卑怯者」という烙印を押されたまま生きるわけです。

「裏切り者」と「死に損ない」の2人。重い荷物を背負って、汚名を注ぐことなく凛として生きる。

 昔なら使命感? いまならやせ我慢?

 宣伝と弁解ばかりが巧みな人間が増えるなか・・・男も女も「やせ我慢」は美しいものですな。

「人は生まれ、やがて死ぬ。生きる日々は甲斐ある生を送れ。死するは生き甲斐を尽くして死ぬ。それが侍の道、侍の志」−−(池宮彰一郎著『最後の忠臣蔵』より)